第28話『虎口丘の大河へ 4』

 シドの使う幌の中は、思いのほか広かった。板床に向かい合って座り、乾いた武装の手入れをしながらクライフはシドに注がれた杯を舐めるように酒を楽しませてもらう。

 ランプに灯された小さな明かりがふたりの顔に茫洋と陰影を揺らしている。共に表情は柔らかく、微苦笑すら浮かべたシドの機嫌はそこそこに良いのだろうかと剣士は感じている。

 どことなく懐かしい空気。あの黄金の角号の船内のような匂いに、ふと記憶と気持ちがあの頃のものへと引き戻されていく。


「元気そうだな」


 独り言のように呟くシドは、ふと杯を傾け、ため息をひとつ付くや、新しい酒を目の前のクライフへと掲げる。


「なんとか」


 そう応えて彼は杯を干すと、強めのそれを注いでもらう。紅玉が溶けたようなその酒に映り込む自分の目を見つめながら、ようやくこのシドが仕切り直すように再会を喜んでいるのだと、喜んでくれているのだと感じていた。不器用なまでに、真摯な男だった。


「王女殿下の近衛というより、私兵ですね。いいように使えと紹介され、いいように使われていると、まあそんな訳です」

「あの糞爺、そんなとこにまで伝手があったのか。シャールを離れたのが先代さまが去った後だから、そうか、もうそんな前か。俺も歳を取るわけだァな……。しかし、どうして小口の請負傭兵なんてやってるんだ? そういうのは東の国だと冒険者とかいうならず者じみた輩のすることだぞ」


 冒険者とは、東の国の職業様式のひとつらしい。夜盗まがいの武装した者たちが、村谷個人から冒険を請け負い、危険な山野や荒野での採取から害獣の討伐までを請け負うという。中には魔物を相手にする者もいるというが、もともとシャールや火龍国ほどの『魔物の通り道』は少なく、練度は推して知るべしとの評価だった。


「落葉の剣士か。こっちシャールには冒険者の類いは馴染みが薄いし、まあ傭兵……になるんだろうなあ。思ってた通りの肩書だが、思ってたのと違うな。その、クライフよ、お前さんなにをしようとしてるんだ」

「当面、暗殺者を追います。とはいえ、獅子の瞳までシズカたちに同行し、実務は彼女たちが請け負うでしょう」

「里の民か。噂には聞いているが、噂以上のものは聞かんなあ。凄腕の諜報員育成機関とか言われているが。なるほどねえ」

「詮索はしないことにしてましたが、いずれ聞いてみようと思います。彼女たちの技術が必要になることがあるかもしれません」


 シドはこの青年が件の崩落現場で何かしらの弱さを思い知ったのだろうと事情を酌んだ。鋼の鎧の下に着込む鞣し革姿で一息つくクライフの姿には、そのような揺らぎが感じられたからだ。


「あの糞爺」


 シドは内心毒づく。

 今からでもこの青年を商売の道に引き込んでやろうかと強く思うが、エレアの私兵、落葉の剣士となった彼の噂を聞くに、その脚は引き返せぬところに踏み込んでいると見るべきか。

 シャールや周辺国では珍しいことではないものの、敵対する者を斬るという歴とした殺人をこなしているだけでも、この青年はもはや引き返すことは叶わない道に立っているのだろうとため息が漏れる。


「獅子の瞳に向かうんだったら、一緒だな。殿下にお目通りを願い、頼まれた物を渡すことになる」

「……シド船長も獅子の瞳に?」

「船長はヤメぇや、陸の上だぜ」


 苦笑するシドだが、クライフには話の河岸が変わったことが分かった。いや、変わってはいないのかもしれないが、今度はシドが話す番ということだろう。


「いいか、これは貸しだ。無償で情報を渡してやる」

「ただほど高いものはないといいますが」

「そこは諦めろ」


 ニヤリと笑う。

 そこでシドはフッカ=パラドから聞き出した砂の国バードルの情報をそのまま噛み砕いて聞かせる。聞くうちにクライフの顔も引き締まる。


「獅子の瞳の殿下が何を考えているか分からないが、バードルの動きは気になるところだ。魔物魔獣の類いがその『進路』を変えるときは、大きい天災が起きた後が多いとされる。シャールやバードルじゃあまり聞かん話だろうが、火龍国では常識とされている」

「火龍国……」


 かつてシャールから秘術を奪い、独自の進化を遂げた魔術で人を変えて国を護っていると聞く。シドは火龍国にもやや出入りすることから、向こう側の話も耳にすることが多い。情報はいつだって頭の分だけ持ち運べる便利な商材だった。


「進路が変わるような大きい災害は火龍国でも珍事だが、ないわけではない。もしかしたらバードルは魔獣魔物の侵攻に晒されているのかもしれない。……これは勘だが、獅子王子はこれに気がついている。もう数ヶ月……下手すれば数年も前から。バードルも己が国で起こっていることを把握する前からな」

「どういうことです? まさかシャールが引き起こしたと」

「表向きは戦争中だから、シャールの仕業と思われるだろうが、さすがにそこまでのものは獅子王子ですら使えぬだろう。ただ――」


 ここからが本題と言うことをクライフは悟った。

 これを聞かせるために、シドは彼とふたりきりになったのだ。


「ことの原因と覚しき『何か』を知るすべを、殿下はご存じであった可能性が高い。――俺が獅子王子に渡す物、頼まれていた商品、直々に持って行かねばならぬほどの宝が、これだ」


 シドは懐から、肌身離さず持ち歩いているそれを取り出した。


「地龍の心臓、という」


 掌の上に、心臓というよりは魔獣の眼球のような、やや大きい深紅の宝石が乗せられている。中央には琥珀のような芯球があり、まるでその名の地龍の心臓に相応しい魅力に溢れている。


「周囲をくるむ紅に負けぬ、輝かしい琥珀。これはもとより、宝石ではない。遺物だ。古い古い時代に発掘され、外国に流れたシャールの遺物だ。――クライフ、持ってみろ」

「…………では」


 差し出されるそれを恭しく、恐る恐ると、手にする。


「……これは」

「瞳ではなく心臓という意味合いが分かるだろう」


 それは脈動していた。

 実際に鼓動しているのではない。何かとてつもない力が、まるで脈動のように漏れ出しているのを掌が感じているのだ。


「俺は、これを受け取りに南の島大陸に渡った。そのときにお前さんを拾ったわけだが……」

「これがバレンタイン領に?」


 聞いたこともなかった。

 もとい、知らなかっただけだろうか。しかしシドは指先を振ってそれは違うと頷く。


「中央国に隷属しない、小民族がいるだろう。島大陸じゃなく、周囲の諸島に住む者たち。そのうちの一部族の宝物として納められていた物でな、なぜか獅子王子殿下はその在処がなんとなく分かっていた様子であった」

「バレンタイン北部の漁村よりも、北の……」

「そうよ。正確には国にも属していない人々だ。日に焼けた気持ちのいい奴らだった。村の至宝を譲ってくれと頼んでも、おいそれと寄越さぬと思ったんだが、とある条件付きで譲ってもらうことになった。まあそれはいいとして」


 クライフの手から地龍の心臓を返してもらうと、懐へとしまい直す。シドは続ける。


「この鼓動、海の上でも陸の上でも、たまに鼓動が変わるんだ」

「鼓動が?」

「強くなったり弱くなったり。紛う事なき魔道の産物だろうが、その法則性がさっぱりわからん。……が、これを獅子王子が所望してるとあれば、南の航路に明るいこのシド=ゼファールに直々の命が下るってわけさ。どうだ、すげえだろ」

「交換条件は?」


 さすがに鋭い返しだった。


「ナイショだ」

「でしょうね」


 お互いに軽く笑い合う。

 しかし、となれば、地龍の心臓とやらの使い道も朧気に見えてくる。


「地龍の心臓の脈動、天災、砂の国バードルの異変、国としてのシャールの対応」


 指折り数えるシドに、クライフも合わせる。


「――暗殺」

「そういうこと。クライフよ、お前さん首を突っ込むなよ? というのも」

「無理な話になりましたね」

「こうなるんじゃないかと思ってたがな」


 杯を煽る。

 ぷはぁと熱い息を吐くと、手酌で注ぎ足すシド。ふとクライフは己が落葉に目を落とし、その柄を撫でる。


「獅子王子にもいえぬことがこちらにもあります。姫殿下の部下ですので」

「そういうこともあらァな」

「さて、どう戦うか……」

「考えてもしょうがない。まずは獅子の瞳入りだろう? それにはまずはこの相国谷を抜けて、さらに虎口丘の大河を越えなきゃな。まあ何事もなければすぐに殿下のお膝元さ」

「でしょうかね」


 シドはひとつフムと唸る。


「虎口丘か。こう立て続けに何かあると、何かありそうで怖いな」

「嫌なことをいわないでくださいよ。……何かって?」

「いやなにね。虎口丘には謂われがあってな――」


 シドは酒が回ってきたのか、話を脱線させる。

 杯を傾け一息つくと、商人たちはもとよりこの相国谷を抜ける者たちがよく知るひとつの昔話を語り始める。


「まあこれは良くある話なんだが、実際にいたとされる魔獣の話だ」


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