第29話『虎口丘の大河へ 5』
シズカの耳は、ふと、男たちのそんな会話を捉えていた。
やはり知り合いでしたかと、クライフの出身をおぼろげに夢想しながら肩をすくめる。彼が南の島大陸から来たのだろうとは思っていたのだが、それを気にするほど自分は彼に入れ込んでいたのかと首も振る。
着込みの下一枚となり、シズカもアカネも幌の中で一息をついている。つい先ほど死闘を潜り抜けたにしては、女ふたり気楽な感じである。それを尻目に気分が落ち込んでいるのはレーアであったが、こちらもこちらで落ち込む理由がうまく言葉にできないのが落ち込む理由のひとつであった。
「男同士でお酒を飲みつつ、話し込んでいますね。……もっとも、気になることをいくつか耳にしましたが」
「聞こえるんですか? すぐ隣ですが、私にはぜんぜん……」
シズカの耳が良いとは伺っていたものの、件の一幕からこっち、信じられないほどのものらしい。
「この耳のおかげで、あの夜、レーアさんの悲鳴を聞いて駆けつけることができたのですよ。そっちの猫娘は鼻もいいので、覚えておくと便利ですわ」
と、話を向けられたアカネも「ニャー」と、もうすでに寝る体制に移行しつつある。彼女らには毛布が与えられており、荷乗せ用の敷物の上に寝そべりそれを掛けるだけである。
「未だ、なぜ自分がこの道行に同行しているのか不安に思っているレーアさんに言っておきますが、私たちはあなたを利用して『楽団』の動きを釣ろうとしています。エサですね。こう率直に申し上げるとクライフさんが怒るので申しませんでしたが、何かあれば私たちふたりがあなたを阻止いたしますし、安心して同行してください」
「シズカはこう言ってるけど、要はお互い利用し合って気兼ねなくいきましょうということだニャー」
「は、はい」
明らかに事務的な物言いのふたりにレーアは少し考えて、おずおずと膝をすすめて言葉をかける。
「あのう、私。ここ数日、ただついてきているだけでしたが、お役にたてるのでしょうか。正直、ついて行っても何もできないことは分かっていますし、私がおぼえていることだって大してお役にたつものはありませんし」
「自分が何者であるかあやふやだから、自信が持てないのでしょうね。大丈夫ですよ、レーアさんにはちゃんとした使い道がありますから」
「言い方がもう率直だニャ~」
「使い道、ですか」
「明らかに鍛えられた体などから、あなたの裏の顔が暗殺者であることは濃厚であると思われます。ただの奉公待ちの娘なら、そこまで体の内側が鍛えられているはずはありませんもの。……鍛えようとしなければ鍛えられないものが鍛えられている以上、そのような者であると判断するしか」
「え、それって?」
レーアは衣服の胸元をちらりと気にする。
「気を失ったあなたを宿で介抱するときに、私が確かめました。薄い傷も見受けられました」
「あと、血の匂い、かニャ」
アカネもふふんと鼻を鳴らす。
燐灰石の尖塔で初めて会ったときに指摘されたものだ。
「少し小耳にはさんだのですが、私たちが赴く理由。『前線会議に出席する鉄山士たちの護衛の件』ですが、額面通りに受け取ってはいけないような気がします。
ここで一息ついて、アカネは大きく伸びをする。
噛み殺した欠伸をゆるゆると吐き出すと、だから、と続ける。
「レーアさんが殺したとされる青年、砂の国の者だとしたらどうでしょう。――アカネ?」
話を向けられたアカネは詰所でのことを思い出す。
「確かに砂の国の匂いのようだという評価はしたけれど、砂の国の人間とまではニャー」
「仮定として、砂の国の人間が暗殺されたとしましょう。このシャールで」
そこまで言うと、アカネも押し黙る。
意味することが違うからだ。
「シャールに於いて死亡したのが出入りの可能性もある商人ならば、人の口に上るでしょう。しかし、その気配はこれまでになし」
「聞き耳の為せる業だニャ」
シズカなりの情報の収集と整理に同意したのだろう。
「ニャニャ。だとすれば、敵国の、死を公表できない身分の者がシャールで暗殺されたとなる。表向きは鉄山士とやらを集める名目で近衛である私たちの協力を取り付け、その実――」
言葉を引くアカネに代わり、シズカが受ける。
「砂の国から訪れる代わりの者を暗殺の手から守るための護衛が正しいところでしょう。情報は不足してますが、私の勘はそう外れていないと囁いておりますわ」
アカネの沈黙も、同意の旨だろう。
「そんなまさか」
レーアも息をのむ。
さすがに十五の若さであっても、彼女には事の深刻さが分かる様子だった。偉い人が、敵国からの大事な人を殺させぬために、近衛という強い人たちを呼び寄せた。しかも、最初に来たであろう『敵国からの大事な人』を暗殺したのは、自分自身だと言っているのだ。
「あの夜あなたが逃げ出すという騒ぎがなければ、おそらくあなたがふたり目も殺しに行く手筈だったのでしょう。わかりませんが。――ともあれ、『
ふふふと笑うシズカに、レーアはきょとんとしつつ「あちらにとってのヤブヘビ……?」と首を傾げる。
そのしぐさがあまりにも可愛かったので、シズカもアカネもくすりと笑み返す。
しかし、これは表情を改めて、静かに、ぽつりと言う。
「クライフ=バンディエール」
レーアが助けを求めた、落葉の傭兵。その名前を呟き、静かはじっと、レーアの目を見つめる。
「彼は、ただの剣士です。傭兵としても駆けだしもいいところで、目立った功績はなく、名前はそこそこ売れていません。そんな彼ですが、あの若さにして、ある意味、粋奥に達したところがございます」
シズカの彼への純粋な評価なのだろう。アカネも茶化さずに聞いている。
「とてもそうは見えませんが。――まあ、そこが強みですね」
とくすくすと笑う。
「潜伏し行動に移るであろう車輪――『楽団』の手駒は増えましたが、こちらもまたひとりの剣士が加わることになりました。これがどう転ぶか、ですね」
「今日はよくしゃべるニャ」
ここでやっと息を抜く。
あらそうですか? とシズカはふと隣の幌に聞き耳を立てる。相変わらず、男同士の楽しそうな会話が聞こえてくる。
ならばいいじゃないか、と彼女は頷く。
「たまには女同士、こうやって気兼ねなく話すのもね。寝酒などいかがですか? ああ、睡眠前に乙女が飲食というのも難ですね。じゃあお茶……水出しのもので」
「体を休めておきたいのもあるけれど、そうねえ。今だからぽろりと話しちゃえることとか、聞きたいこととか、まああるなら答える。――ニャ」
「話したいことですか」
レーアが、落ち込む理由がうまく言葉にできないために落ち込む理由。
今回の中で気になること。
それが口をついて出てくる。
「あの傭兵の三人、私のことを知ってたようすですか?」
レーアの問いに、ふたりは目を交わす。
思い出すというよりも、考えるような頷きのあとに、アカネが切出す。
「襲ってきた三人の傭兵のこと?」
「ええ」
しっかり頷くレーア。彼女からしてみれば、自分自身は彼らの眼中になかった立場だろう。しかし、あの傭兵が話の通りにかつては、そして今も『楽団』の手の者であったのなら。
「気づいてはいたでしょう」
状況を考え、シズカの頷きはアカネにも首肯される。
「近衛の隊長――ベイスさんは仰っていました。暗殺者は、逃げると決めたら逃げる。戦おうとはせずにひたすら逃げるだろう……って」
「言ってたニャ」
「だけど、なんであの三人は皆さんと戦ったのだろうかって……少し思って」
「それは、あの三人が暗殺者などではなくなっていたからです。傭兵ですよ。元暗殺者の、ただの腕利きの傭兵です。――でした」
静かに告げるシズカの口調は、ともすれば穏やかなものだった。つい先ほど命を奪った傭兵のことを思い出すアカネも、「だね」と頷いている。
「元、暗殺者」
そう聞き、レーアの心には冷たい何かが浸と広がっていくような、足元が氷の沼地に変じたような怖気が走る。
近衛のふたりは察していた。
この少女は、子供である内は暗殺者であるが、大人になったらどうなるのか――それを気にしていたのだろう。ずっと。
「ディーウェス夫妻も、そうでしょう。足を洗っても、染まった手までは綺麗になりません。『楽団』の名の元、後進の育成や根回しなど、広く深く、それこそ車輪の酒蔵のように長い時間をかけて世の中に潜伏していくのでしょう」
つまり、死ぬまで『楽団』の一員なのだ。
「もっとも」と、シズカは沈痛な面持ちでうつむくレーアに手持ちの水筒を渡しながら「『歌』の秘密を解き明かし、兄妹の保護を成し遂げた暁には、どうなるかわかりませんがね」と頷く。
「それって――」
「近衛の仕事ではないです。そう、落葉の剣士の仕事だニャ」
「苦労人気質ですよねえ、まったく」
近衛ふたりは笑いあう。
レーアは胸の中にぽつんと灯った温かさを感じ、受け取った水筒からお茶を一口喫すると、やがてぼそりと呟く。
「助けてもらえるのでしょうか……」
「見極めるといいと思いますよ。この数か月見てきましたが、あの剣士、なかなかどうして――」
シズカは肩を震わせる。思わず自制も利かぬ笑いが込み上げたからだ。
「――負けぬための剣ですよ、あれは」
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