第26話『虎口丘の大河へ 2』

 馬を下りたとき、肌寒さを意識した。

 三人が三人ともほぼずぶ濡れのまま馬を駆ってここまで暫し、切った風に体が冷えたのだろう。戦いで沸いた血はすっかり冷めていた。

 目の前にはやや拓けた給水地で、北に延びる街道の東側には火を囲む商隊が列を成している。荷馬車などの周囲には商隊が個別に雇った傭兵が、更にその全体をシャールの衛士たちが野営を張っている。

 食事などはもう済ませたあとなのだろうが、やや空気が張っているのは感じ取れた。


「にわかには信じられません。とにかく、詳しい話は商隊長のフッカ=パラドにおっしゃってください」


 そうクライフたちに――正しくは近衛のシズカたちに告げた傭兵は、彼らを伴ってここに戻ってきた。同行していた数名の傭兵がシズカの指示で、敵として立ちはだかった『楽団』あがりの傭兵三人の情報と、規模の大きい地盤崩落の確認のために南へと戻っている。


「あの!」


 商隊の近くまで来たとき、レーアが案内をしてきた傭兵のもとに寄り、縋る眼差しで見上げると、それでも勇気を出して聞く。


「巡礼の子供たちが一緒ではないでしょうか。年は私と同じくらいの男の子と、女の子は年下で、三人か四人くらいで……」

「――詳しい話は、やはり商隊長に」


 消えた少年少女も捜索していることをクライフたちには告げていなかった彼は、やはりここはとそう断り、レーアに申し訳なさそうな顔を向けると案内をするため先だって馬を留めて歩き出す。


「気を落とすことはないよレーア。あの様子だと、知っているが話せないのだろう」


 クライフも馬留から戻りつつ、レーアを促す。


「ということは、みんなここにいたのでしょうか」

「おそらく。ただ、足止めとして、始末として、あの三傭兵をけしかけてきたのが少年たちであったのならば、その『中身』は暗殺者のそれだろう。だとしたら、もうここを離れているかもしれない。大人たちが慌てるはずだ。さすがに街道とはいえ、シャールの夜は子供には危険すぎる」


 命の心配もあるが、巡礼として保護してる者に何かがあったら、傭兵全体の信用に関わる。前線に赴くことを視野に入れた彼らには我慢しがたい疵になる。とりわけ三傭兵の職場放棄じみた一件のおかげもあり、この商隊の妙な張りが生まれているのだろう。


「ともあれ情報を整理しましょう。私たちは追い立てる側。今夜はこちらに身を寄せるとして、明日は先んじて進み、変わらず獅子の瞳を目指しましょう。子供たちの確保は、その先で必ず収斂するでしょう」

「まずは制服を乾かしたいし、火に当たりたいニャー」

「レーアもお疲れさま。僕らが報告してる間に食事を済ませてくれ。あと、寝る前に着替えのついでで、腰と腿に薬を塗ってもらうといい」


 もっとも報告の大部分はシズカやアカネの仕事だろう。クライフは彼らのお供に過ぎない身分なのだ。更に厳密にいうと、レーアを守る義務はクライフしか負っていないことになる。なかなかにややこしい一行であった。


「こちらです。少々お待ちを――」


 商隊の長い列を三分の二ほど進んだあたりに豪奢な幌馬車――おそらく移動住居を兼ねた商隊長の幌馬車が見えてくると、傭兵が一声置いてそこへと向かう。

 幌の入り口で何か一言二言言葉を交わしながら戻ってくる途中、シズカはそのやりとりを耳に、ふと小首をかしげる。


「どうやらもうひとり同席者がいらっしゃるようです。フッカ=パラド、鉄鋼の商人ですね。あとひとりは分かりませんが、床の軋みからおそらく大柄な男性でしょう」

「お酒臭いニャ」


 詮索はやめないかといった顔のクライフだが、今はまず、報告と休息が優先だと戻ってきた傭兵を迎える。傭兵のほうも相対するのは近衛とであるのが正当だが、さすがにあの近衛と言葉を交わすのは気が退くものがあるのか、間に立ってくれるクライフという傭兵に、やや多く接してしまう。


「道すがら聞いた情報は話してはいない。中に入って、いちから状況を説明してくれ。――申し訳ありませんが、そうしてください」


 傭兵の言葉の最後はシズカに向けられていた。彼の中でも、近衛として上位にあたるのはシズカと判断したのだろう。道中でも「ニャ」と言い切るアカネを触れぬが花と割り切ったようにも思える。


「ああ、その子も――」と傭兵は済まなさそうに断りを入れ、「その子も同席して欲しい。たぶん、そのほうがいい」と幌へと促す。


「食事が遠のいたな。すまないレーア、まだ大丈夫かい?」

「大丈夫です。……ほんとにみんな、ここにいるのかしら」

「先ほど、別の子供が戻ってきたと聞こえてきました。おそらく、いるのではなく、いたのでしょう。……なるほどなるほど」

「ほんとに地獄耳だな」

「そういうことは聞こえないようにいうか、口にすらしないことです」

「聞こえるようにいってるんだ」

「あらあらおかしい」


 ホホホと笑うシズカ。


「まあそういうことで私が――」


 とシズカは幌への立てかけ階段に脚を掛ける。


「夜分に失礼いたします。シャールが姫、エレア殿下の近衛、シズカです。商隊長にご報告と、協力のお願いがございます」


 一声掛けると、中から低い声が応える。

 フッカ=パラドの声だとシズカは判断すると、サっと幕が引かれる。明かりが漏れ、ひとりの男、フッカが顔を出す。


「どうぞお入りください、ええ、中は充分に広いので、皆さま、ささ」

「ゆえあって濡れ鼠ですが――」

「構いません。椅子を用意しますので、ささ」


 促されるまま、シズカ、アカネ、そしてレーアが入る。

 そしてクライフが幌をくぐったときに、息をのむ声が聞こえた。


「――あっ、あああー!」


 指を指して息をのむその商人に、クライフも「あッ」と思わず声を出して固まる。


「お、おま! おま!」

「ご無沙汰しております、シド船長」


 フッカはキョトンとして聞き返す。


「お知り合いでしたか?」

「いや、初対面だ」


 シドはクライフから目をそらさずに、静かに頷いている。


「俺はいったな? 首を突っ込むなって。いったよな!?」

「お知り合いですか?」


 と、これはシズカだ。


「いや、初対面……です」


 クライフはそういいつつ頭を掻く。

 縁は奇なものだと思い知るのは、このあとのことだった。

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