第25話『虎口丘の大河へ 1』
シド=ゼファールは差し入れと思い取った酒瓶二本を手に、その焚き火あとの前でぽかんと口を開く。野営を始める前まで一緒だった傭兵の三人と、彼らが保護していた巡礼の子供が三人、忽然と姿を消していたからだ。火のあとから食事を済ませていたのは伺えたが、日も落ちきったこの時間に姿が見えないのは考えられなかった。
「夜警の順番でもあるまいし、どこに行ったんだ?」
シドのぼやきを聞きつけた傭兵のひとりがヒョイと顔を向けると、「いや、巡回でしょうよ」と赤ら顔を向けてくる。パラド商会の雇った傭兵たちだ。彼らは人数も多いので、身内で回す夜警巡回の順番も二日おきだ。彼らの赤ら顔に「そんなものかねえ」と返すシドだが、では子供たちはなにをしているのかが気になった。
「巡礼の子は?」
「寝たんじゃないか?」
「それが幌に顔を出したんだが誰もおらんのだよ」
と、そこまでいったときシドは彼らの荷物は果たしてどうだったかと考える。少なかったものの、荷物は一抱え。幌馬車の中に置き、食事をしていたはずだが――。
思い至る前に、シドの顔は商人のそれに戻る。海にいたときの表情に近いもので、やや剣呑と引き締まる。
「これ、飲んでくれ」
と酒瓶はパラドの傭兵に渡し、そのままそそくさと引っ返し、自分の馬留に向かい、荷物を前にかがみ込む。
「……ふむ」
無くなっている荷物はない。無事だった。
ふところの荷も無事だ。
「どうしました」
「パラドさんか」
ふと顔を上げる。
フッカ=パラドが杯片手に幌から出てきたところだった。
「傭兵の姿が消えてね。三人ともだ。傭兵のなりをした盗人かと思ったが、さにあらず。子供の姿も見えないが、そっちにいますかな」
「子供? あの三人ですか? 少し前に食事を済ませたといって戻ってきましたが、飼い葉の幌には?」
「おらんかった。おそらく彼らの荷物もないだろう」
「姿を消したと?」
「子供が自らこの夜に、それこそこの相国谷を抜けようなどとは思うまいよ。……傭兵が三人の子をさらったか、はたまた。追加で雇ったワシの、あの彼らの馬は?」
「――確認させよう」
思い至るのか、フッカも部下に指示を出す。
側にいた傭兵が衛士を連れて戻ってくると、その表情は厳しいものと変わる。
「馬が消えている?」
「ただ、三人の傭兵は南に行ったとの証言がある。それに三人の子供の姿はなかったらしい。これは確かな情報ですゼファールさん」
これは衛士の証言だった。傭兵込みでキャラバン全体を警護する衛士の監視は内外に向けられている。これは確かだろう。
となれば、とシドは顎を揉みながら唸る。
「傭兵三人はどこへ? 馬を駆り、荷物は置いて。――そして子供たちはどこへ? 荷物は置いていかずに姿を消した?」
子供たちのみの安全を請け負ったのは商隊全体と警備を受け持つ傭兵衛士の慣例だったが、あのとき口添えをしたのは――。
「あの三人、ゼファールの警護のために追加で雇った者でしたな」
シドの言葉にフッカも頷く。
「戻ってきたら問いただすとして。……いまは子供たちです。南には行っていないということは、北か? 北の監視は?」
「出ていった者は確認できていません」
これは衛士の証言だ。
傭兵も「各員の持ち場で確認をさせています」と続くが、すぐにそこかしこの部下から「姿なし」との声が上げられる。
「南北に捜索の手を出しましょうか」
「うむ。――いなくなってどのくらいだ?」
「長ければ、一時間ほどかと」
「よし。不審な傭兵たちは手配するとして、まずは北に手の者を出しましょう。衛士の皆さんは、引き続き商隊全体を」
フッカはすぐさま報告に来た傭兵頭に指示を出すと、ひとつ息をつく。
「まさか相国谷越えで問題が起きるとはね」
「シャールもまだまだ物騒ということですかな」
と返すシドも、笑いがあまり笑えていない。
「まあこういった問題も、起こるときは起こってしまうものです。パラドさん、もしものときのために私もそちらに身を寄せても?」
「追加の傭兵を調達したのは私どもですからね。もちろん、次の当てが付くまではうちの商会に。……しかし、子供たちですか。たしか巡礼とか」
「事情持ちでしょう。まあこのシャールなら聞くのも邪推するのもねえ。ともかく、魔獣野獣の類いはおらんでしょうが、夜道はそれだけで物騒だ。無事ならいいが」
そう思う反面、夜中に出るという行動に出た理由が思いのほか不可解だった。急ぐ理由もなかろうにとシドは唸るが、消えた三人の傭兵のこともある。
「まあ、無関係ということはないだろう。ともあれ、戻ってきたら問いただすとして、どうしてこう上手くコトが運ばんかねえしかし」
腕を組んでため息をつく。
「私たちが焦っても仕方がありませんよ。あとは傭兵たちに任せ、私たちは飲み直すとしましょう」
積み荷の無事も、他の人員も確認できた今、フッカ=パラドの表情は緩いものになっている。場末の傭兵三人の質に顰める眉よりも、今は体と心を休めたいのだろう。
「鉄はくすねて持ち去るにはいささか嵩張りますからなあ」
「そうなのです。だからこその手間、そして安全なのですよ」
フッカも、はははと笑みを零す。
やれやれとシドも促されるままに幌に入ると、腰を落ち着けて渡される杯に酒を注いでもらう。
「では改めて」
「頂こう」
杯を舐めると、きつい酒が舌を焼く。甘い後味の、上物の酒だった。
「往路はともかく、復路はどうするかなあ」
「ゼファールの口はあるんでしょう? 南行きに乗れば……と、そうか、『漁業権』」
「ないしょだぜ? ――うまく話が付けばいいが、商会の南行予定にうまいこと合えばいいが、難航するようならこっちの予定で雇い直しだよまったく。それ込みで前金を渡してあったというのに。雇い主に無断で持ち場を離れて南にもどるたァねえ」
「荷物を残して?」
「一言も残さないのは仁義に欠けるがネ」
ともあれ、命も荷物も任せられない。
「ところでこんな話を聞いたことがありますか」
そこで話の流れを変えたのはフッカのほうだった。
「バードルの流通がやや滞っているのを」
「流通が?」
「獅子の瞳で鉄を下ろしたあと、空の荷馬車に積むバードル産の酒なんですが、三割は値が上がってるんですよ」
「傭兵が値を上げてるんじゃないか?」
シドはそう切り返す。国交のほとんどないシャールとバードルだが、肥沃の平野に陣取る傭兵たちが、魔獣魔物との戦いに次いで力を入れているのが、この中継ぎ――仲卸業だった。国同士の間に傭兵が入ることで、灰色の流通が成り立っている。大規模にならぬ限り、お互いの国は見て見ぬフリをしている。傭兵へのお目こぼし、裏の取引でもあるのだろう。
「傭兵が流通の実権を握るような真似はしませんよ」
「特にシャールの傭兵はな。つまらんことをいった。……てことは、バードルに何かが?」
「そこまでは。……ただ、売り控え、買い貯めとなってくると」
「――ほほう」
顔が真顔になる。
「冬ごもりってお国柄でもないでしょうし」
「鉄の動きがあればわかりやすいのですけれどねえ」
「違いない」
ともあれ考えあぐねていても仕方がないのは件の三人の傭兵、三人の子供についてもそうだった。虎口丘の大河を越える前に保護してあげられたらよいのだがとシドは唸るも、それこそ今は捜査に出ている傭兵だよりだった。
そんなときだった。
幌の向こうから砂地を踏む鉄靴の音がし、控えめな声で「傭兵が戻りました。子供もいっしょです。が――」と声がかかる。傭兵頭の声だった。
「子供も一緒?」
と顔を見合わせるふたりだったが、その後に続く言葉に更に目を剥くことになる。
「はあ。しかしその、近衛がふたり、随伴しておりまして。どうやらあの三人ではなく、別の四人である様子です」
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