第24話『熱き国バードル 3』

 土の出来が良い地域と極端に乾燥が激しい地域との差が縮まり始めて、数十年。未だ名目上は続くシャールとの戦いからこっち、内政に励むだけでは到達できない発展をバードルは見せていた。

 若いタリムは知らないが、優れた耕作技術と堆肥に代わる新しい混合肥料が確立されてからは上下水の発展も合わさり、都市部はもとより村落に至るまで食と水に困ることはなくなったという。

 シャールの国力とは比べるべくもないが、バードルは風土に即した大成長を遂げたと国学者は見ている。事実、抗争中であるにもかかわらず商人たちから得る情報はそれをしっかりと裏付けるものであったし、そうでなければ困るとばかりにシャール王子ゴルドも頷くばかりであった。

 山と平野と、砂漠と砂丘。

 岩場の多い海岸線は漁村も少なく、港にできるほどの場所もない。開発するにも当然発達しておくべき技術がない。


「まだまだ、貧しい国だ」


 現状の困窮こそないが未来の展望も薄い昨今、国力の回復の次が期待される中、件の魔獣の進路変更による災禍である。

 あれよと国王と父からすべてを任されたタリムは、自室でゴードンに着替えを手伝わせながら、肩の荷のあまりの大きさに、今になって潰されそうな自分を意識した。


「とんでもないことをした」

「タリムさま、お話はそれからどうなりましたか」

「うむ」


 タリムは部屋着でソファにくつろぐと、灯りの炎に目を落としながらしばらく考え込む。そして「ふむ、しかし」と何かを考えなおすと、すっくとばかりに立ち上がる。


「シャールには、私に先立ち使者を送る。このタリムが来る満月の夜、北の門より向かうことを知らせるためらしい。二十日後、だな」

「王都からならば、肥沃の平野まで十日、向こうの準備に同じくらい。二十日……それくらいはかかりましょうや。出発はすぐにでしょうか」

「うむ。……しかし、その、ゴードン」

「なんでございましょう」

「新しい服を用意しなくともよいのだろうか。いや、そのような暇はないのかもしれぬが、いや、仕立てからではなく丈直しくらいならば、ゴルド殿下にお目通りするに足るバードルの威光を示せる召し物を用意できるのではないか。どうか」

「そうでございますな」


 兄が遺灰となったのを知るはずの少年が、いまはその悲しみを背負う重荷と昂揚感に浮ついている様子を、老翁は頷きながらほほえましいと思った。若い心の切り替わりは、強さの証でもある。


「――フェドルさまのものが、確か」

「兄上のものか」


 血に染められた衣装の、予備である。

 裾などを直す時間はあるだろう。


「頼む」

「御意」


 ゴードンは下がった。

 廊下を去りゆくその足音を聞きながら、タリムはソファに腰を下ろし直す。深く腰掛け、体を預けるように背を持たれかけ、天を仰ぐ。


「喉を、真一文字にか」


 そっ首晒している今の状況は、兄の、レドリック=ハウトの最後を連想させる。声を上げることすらできなかったのであろうか。


「誰が、邪魔をしているのだろう」


 政争には未だ疎い自分の身で、果たしてそこに思い至れるかどうかは分からないが、確かに邪魔をしたいと思う輩が介在してきたのだろうという、かすかな確信。

 だが誰だ。

 そんな疑問も、すぐに引き返してきたゴードンの声でわきに追いやられる。


「どうした」

「タリムさま、閣下からの書状が」

「書状? ――父はまだ王宮か」


 使者から渡されたという簡易な書状には、こう書かれていた。

 肥沃の野で、シャールのものを待て――と。


「それにこれは」


 国璽が納められた小箱だった。

 その重みに取り落としそうになったのをゴードンが慌てて支える。


「国璽だと!? よもや、和平の調印までこのタリムにせよとのことか」

「つまりは陛下もタリムさまに一任すると? そんな、ありえません。あまりにも放任ではありませんか。閣下も閣下です、このような大任を、いまだ世に出ぬタリムさまにいきなり……ありえませぬ」

「期待の表れだと信じよう。……しかし、そうなると文官も武官も同行してほしいところだが――そのようなものはないな。密使は密使ということか。しかし、好きにせよとはまた剛毅な。国璽を以てどのような約束事を結ぶか分かったものではなかろうに。ゴルド殿下が……またはこれを悪用しようとした者がいたら、どんな条約条規が結ばれるか。そんな危険性くらいは私にもわかる」


 あるいは、この国璽は偽物なのかもしれない。

 いや、おそらくは偽物なのだろう。

 そうあってほしい。

 タリムはそれでも、卓上に恭しく置き直す。箱とそれに刻まれたバードルの紋章に対して粗末な扱いを彼が許さなかったのだろう。


「まいったな」


 ああ、なんで自分はこんなにも

 タリムは静かに息を吐く。ため息にならなかったのは侯爵の血だろうか。


「タリムさま、明らかにこれは――」

「いや、よい。……シャールからの使者を待て、か」


 だが、使者? 肥沃の平野には誰が来る。

 シャールが乗ってくるならば、暗殺の背後にシャール無しという証のために、否が応でもタリムの命は守られるだろう。その点においては、この一点に於いては問題はない。なぜならば、国璽の有無はタリムを扱うことでの利益につながるからだ。

 この小箱に入った金印が総てを決める。


「まて。そうなると、何らかの調印が為されるまで私は帰ってこられぬのだろうか」

「そうなるでしょう。よもや、国璽を置いたまま帰国はできぬでしょう。おそらく、それなりの身分を用意され、シャールにはひそかな客分として迎えられるかと思われます」

「懐柔する時間も与えるということか。ふむ……なんというか――」


 虎口に飛び込みすぎたか。

 そう思わざるを得ないタリムであった。




 かくして、本物の国璽のひとつをタリムに渡した国王とハウト侯爵は、やや落ち着いた様子で杯を傾け合っている。時刻は夜半。おそらく侯爵はこのままはなれに宿泊してから帰宅につくのだろう。


「やりすぎとは思わぬでもないが、これで宮中のごみも浮き足立てばそれでよい。しかし、魔獣か。鉄がほしいのう。――火龍国から傭兵を雇うのは? 隣国の戦闘士は人知を超えた強さと聞くが」

「戦闘士ですか。いや、あちらの戦士たちは皆、火龍国の中でしか生きられぬ肉体ですゆえ。そのあまりにも強力な肉体調整が徒となり、癒し手なる秘術を体得した者の支えなくしては数か月と生きられぬ化け物にございます。――かつてシャールより流れ、根付いた秘術の申し子。その外道さゆえにシャールでは絶えた秘術。確かに、その奪取も考えねばならぬでしょうが」

「火龍の者は皆、閉鎖的であるからな。蛮族どもめ」


 火龍国について商人たちが語ることは少ない。いかに商売とはいえ、その内地まで深く赴くことができないからだ。各街道に設けられた街での交易は盛んだが、『魔獣の道』に近しい場所、とりわけ群生地点などはそれこそ生粋の火龍国民か戦闘士たちのみしか立ち入ることしかできない――いや、生きることができない魔境魔窟であった。


「地獄に生きているのです。正気ではいられぬでしょう。しかし、なぜそこまでして住むのか。やや、難民はお断りではありますが」

「移民なればそれなりに使えるのだが。そうなればなったで、火龍国はそれこそ魔界と化すだろう。戦闘士に打ち取られてなお漏れいずる魔獣にさえ、あのシャールが手を焼いているというのに。いいのだ。触らぬ神に……だ」

「金の卵を産む鶏とはいきませぬか」

「まずは一歩一歩だ。かつてキルリアスがこの地に我らが王国を築く礎となったように。あの不毛の時代から蘇ったように。一歩一歩だ、ハウト侯。性急な行動は、必ず支障をきたす。特に人のやることならば」


 にやりと笑う国王、ゲゼル。

 その笑みは、どことなくあの奏者の導師と似ているところがあった。


「タリムは、うまく使われるでしょうか」

「だろうよ。使と、申し伝えておいたわ」


 シャールへの返答である。

 何かが起きるだろう。

 何も起きないことはないだろう。

 そしてその多くは、このバードルに益成すものであるだろう。

 そう、王族ではなく、バードルこのくにに。


「自棄ではない。自棄ではないのだ」

「陛下、では――」


 ゲゼルは頷く。


「聖地の兵を増強せよ。装備は良いものを、情報は新しいものを、共有は即座に。こちらとて、開拓者の魂を見せねば先祖に合わせる顔がないではないか」


 ハウト侯は「ですな」と、首肯する。

 いや、利益はもたらしてもらう。この我らに。

 その表情をおくびにも出さず、彼はひとつ、美味そうに杯をなめるのであった。

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