第7話『兄妹』



 暗殺という業務が成立し始めたのは、シャール勃興期の遙か以前であったという話が伝わっている。誰しも自分の手を汚さずに邪魔なものを殺したいと思うことはまま考えるもので、犯罪という行為に対するタガを外せる思考を持った者が、純粋な善意でこれを商売にしようと思い至っても、そのこと自体は不思議ではなかっただろうとディーウェスは思った。

 双剣亭の傭兵クライフ=バンディエールと近衛の女にレーアを奪われたことは、その実、予想外のことであった。想定外のことであった。

 投じた煙幕に乗じて身を翻して逃げを打ったときに、おそらくあの剣士だろう、彼が投じた獣の角が強かに右脇腹を背から縫うように穿っていた。筋肉を多少貫通させたものの、内臓は損傷に至っていない。それが幸いだった。血痕やそのほかの証拠を残さぬよう、硬く引き締め、『車輪の蔵』へ戻るまで手当てをしなかった。右手尺骨の傷と合わせ、想定外、予想外の痛手だった。


「相国谷を越えて北に消える」


 戻ったディーウェスは蔵の主として長年このガランに根を張って生きてきた夫役の部下にそう命じると、大部屋に移り六人ばかりの少年少女を起こし、小さい鈴の音と共に歌を――旋律を口ずさむ。

 歌。

 その旋律を聞いた三人の少女と、三人の少年は、起き抜けの表情とは違う、重く沈んだ巌のような佇まいで立ち上がる。


「歌はいいわぁ」


 陶酔しながら、ディーウェスは尺骨の角と脇腹の角を引き抜き、「押えておきなさい」と少女のひとりに命じると、脇腹の傷を押える彼女にそこを任せ、傷口に軟膏を塗り込むと腕にきつく包帯を巻き付ける。痛みはすぐに消える。命を失いかねない麻痺の毒を薄めたものが練り込まれているそれを、脇腹にも塗り込む。


「おまえたち、荷物をまとめて馬を奪い、相国谷を抜けてばらばらに鐘撞き堂に集まりなさい。ここは棄てます」


 その夫人の言葉に、六人はそろって頷いた。

 そこにあるのは、大人の目をした六人の子供だった。


「パトラ、シャロン、あなたたちは幼い。カールとジョッシュについて、谷を抜けるまでは今夕にガランを発ったゼファール商会について行きなさい。いまなら商隊に追いつけるでしょう。あとは通じてる者を介して、虎口丘の大河を越える前に各自北を目指すこと」


 頷く四人。


「エリーゼとボルホフはふたりで行動。少し遅れて様子を伺いつつ、同じく虎口丘の手前で分かれ、それぞれ北を目指しなさい」


 頷く二人。


「いいわ、可愛い子供たち。衛士の巡回を上手く躱して行きなさい」


 六つの影は小さな鞄を担ぐと暗灰色のフード付のマントを目深にかぶり着ると、足下をブーツで固め、足音も小さく『車輪の蔵』を後にしていく。


「……効くわね」


 塗り込めた軟膏の、じんじんとした熱と、鎮痛の感触。

 ディーウェスは自分が調剤した薬物の効き目を我が身で感じることを、久々に感じていた。

 かつては、自分もそうだった。

 が消えてからは、様々な子供にを作っていくのが彼女の仕事のひとつになった。

 薬による意識の操作と、刷り込みと、歌による引き金を作ること。

 長く、永く、受け継がれてきた、指揮者としての技術。

 彼女が――彼らが行っているのは、血族のなかで練り上げるような、一族をそのまま別物へと変生させて行くような鍛錬ではない。あくまでも道具と行動によって便利な人材を作り上げる仕組みそのものだった。

 いかに帝政シャールといえども、この子供が集まる仕組みそのものを裏返せば、いかにも命は軽くなる。

 彼らの一端は、そこに目を付けた末端のひとつだった。


「くべたぞ」


 子供たちの編み込みのサンダルをまとめて竈の火に放り込んだ夫――部下のアラン=ディーウェスが一声掛けて入ってくる。彼はカラッポになった子供部屋の七つのベッドを見回し、「さみしくなったものだ」と肩をすくめる。四十半ばの職人的な風体だが、その言葉のなかに温か味はない。


「こっちも大丈夫」


 傷の手当てを終えた夫人――ペリーヌ=ディーウェスが同じようにローブを目深にマントを着け頷く。荷物は少ない。


「地下が見つかると思うか?」


 アランの問いに、ペリーヌは考える。

 子供たちに技術を施していた施設は、地下にある。入り口を隠しているだけに、崩せばかえって発覚する。露呈して困る物証は多いが、手口に至るものは獲得できない範囲で抑えてある。見つかっても構わないが、見つからないに越したことはない。


「見つかる……でしょうね」


 勘だが、あっさりと見つけられる気がする。いや、そこはかとない確信があった。


「暫くは今の子たちでなんとかするしかないということか」


 アランは頷く。こちらも、目立たぬような服装だった。

 この長年にわたり蔵を支えてきた商売人は、今を以て元暗殺者の外道へと帰り咲く。


「俺たちはどうする?」

「鐘撞き堂で落ち合いましょう」

「わかった」


 寄り添い、ペリーヌは踵を上げるように背を伸ばしキスを交わす。

 地下も崩さない。

 火も放たない。

 証拠も残し、罠も張らず、五つ数える間もなく、車輪の蔵の住居からは人の気配が完全に消えることとなった。






 昼を回る前に環状街路を越えてやってきたベイスたちが見たものは、はたしてそのカラッポの住居と、そこそこ実入りの良さそうな酒蔵と、まっとうな取引の証拠が残った社屋だけだった。


「姿を消してるのは、子供が六人、大人が八人か」


 ヴァルとイーモンが馬の行き先を追っている中、ベイスが軽く聞き込みをして得た結果が、それだった。


「子供は、年長者のカール、ジョッシュにボルホフ。年長者のエリーゼに、年少者のパトラにシャロン。この六人が、仕事をするための商売道具だろうクソッタレめ、仕込んだ奴らはぶっ殺す」


 獣の呻きだった。

 聞き込んだ子供の人相と、消えた大人――これは協力者を含めた組織の一端を担う者たちだろう。その者たちの細かい特徴をベイスは書き込み、がりがりと頭を掻きながら呪詛を込めて千切り、クライフに渡す。


「ディーウェス夫婦、名はアランとペリーヌ。偽名だろうが、ガランではずっとその名前だ。もしかしたら本名かもしれない。お互いこのガランで生まれ育った幼なじみで、同じく、ここみたいなところの出身だ。クソッタレめ、ぶっ殺してやりてえ。ガランに臭い根をずっと張ってやがって、絞め殺す。殴り殺す。斬り殺す」

「その憤りも分かるが、この人相、変わることは考えられるか?」


 クライフは四枚ほどにわたるその紙片をめくりながら問うが、ベイスは唸りながらも「変わるだろう」と答えるものの、憤懣やるかたなしと拳を握りしめている。


「子供のサンダルは焼かれている。火を放つなどの騒ぎは起こさなかった様子で、彼らがいなくなったのに気がついたのは、商売連中の問い合わせからだ。あの足で消えたんだろう。見事なもんだぜ」


「手がかりは?」


 紙片を確認しながら聞くと、答えたのは二階から降りてきたアカネだった。


「焦りの臭いが残ってた。あと、特殊な薬物。治療と鎮痛に使ったのか、ジギの香りが強かった。ありふれたものだけど、ちょっと泥臭い生ものの臭い。あれは生き物の毒かもしれない。いろいろ混ざったものが残り香で確認できたわ。あと子供の匂いが七人分。レーアのものの他にも確認済み……ニャ」


 覚えてきたのだろうなぁと口には出さず、クライフは話を向ける。


「夫人の手当の名残か。――どこに逃げたのかは?」

「それはヴァルとイーモン次第だな。まあ、北は獅子の瞳。そこには丘と大河を越えて行く必要があるが、先々でも足取りは追えるだろう。……とりあえず、追いつくことが目的じゃねえ。潜伏先の、そのまた仕事先でいぶり出すのが目的だからな」

「わかってるさ。そのために、アカネとシズカがいるんだから」

「何を言ってるんです、荒事は男の勲章でしょう?」


 シズカが倉庫から戻り、踵を合わせてベイスに向かう。


「巧妙に隠された地下室を発見いたしました」

「石室か」とベイス。


 シズカは「はい」と頷くと、皆を伴い表へと出る。

 外で待っていたレーアがクライフを見つけると、おずおずと寄ってくるが、その表情はやや暗い。いつもいる、いつも待っていたあの兄弟の姿がないことは、やはり相当のショックであったのだろう。


「この人たちの人相、間違いはないかい?」


 それでもクライフは彼女に紙片を渡し、促すようにシズカの後から酒蔵へと入っていく。


「ここは、変わりませんね」


 そんなレーアは少し見慣れた風景に安心したのか、紙片に書かれた文字に目を落とす。事務仕事の手伝いのなか、文字は読める彼女だが、それを追って行くに従って涙がにじんでくる。

 あの巨漢の筆致から、消えた者たちを克明に残そうとする文言と気遣いがにじみ出ているからだ。いつも元気に挨拶をする少女、歯は生え替わる途中で下の歯が揃っておらず、ものは奥に押し込むように食べている――これはシャロンだろうか。歩く姿に膝を内に向ける癖があるというのは、ジョッシュの項目だ。

 これはカール。これはジョッシュ。これはボルホフ。これはパトラ。これはシャロン。これはエリーゼ。

 事細かに書き込まれている。

 人相からしぐさまで。


「レーアさん、よろしいですか?」


 その彼女をおもんぱかるように声を掛けてきたのはシズカであった。彼女は酒樽をいくつも載せた木板のパレットをどかした後に現われた、これも石床を巧妙に組み合わせた跳ね上げの入り口と、現われた階段を指し示す。


「ご存じです?」

「わたしのほうは……」


 首を振るレーア。

 隠し部屋。もうひとりの自分ならば、知っていたであろうか。

 もうひとりの自分。消えた兄妹たちも、もうひとりが目覚めた上で逃亡したのだろうか。


「良く気がついたな」


 そんなクライフに、シズカは自分の耳をちょいちょいと指さす。足音の響きから導き出したのだろうか。


「中の安全は確認済みです。……アカネ、頼みます」

「あいあいー、ニャ」


 アカネが一歩階段を降りようとして、ふとレーアを見つめる。

 一緒に降りるか、との問いかけだろう。

 彼女は頷く。紙片を胸に。

 一緒に見て、一緒に追うのだ。

 兄妹たちを。


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