第8話『笛』
十年二十年でも、ここまでの減り方はしないだろう。
重量がかさむ酒蔵の地下に作られた石室は思いのほか頑丈に作られており、そこへ至るための石段も三度の折り返しを経て階下へと降り立てるほどの深さで、相当昔から使われていたのだろう、足で削られたへこみが語るそこの歴史は古そうだった。
先導するアカネが火口から火を移した短い松明を灯すと、そこかしこに油を用いるランプがいくつも目に入る。
「これはすごいわね。……ニャ」
「嫌な感じがします」
アカネの後ろから恐る恐る付いていくレーアが、揺れる炎に浮き上がる――それでも奥も見通せぬ暗い室内に、息をのむ気配が後続のシズカにも聞こえてくる。
「ゆっくりと目を慣らしてください。……アカネ、この大部屋と、四つの小部屋にランプがあります。罠がないようなら灯してください。油が残っているかどうかは分かるでしょう?」
「承知……ニャ」
と、後ろのレーアを一瞬気にするも、アカネは鳴き真似の如く猫のようなしなやかさで、すり減った石段をさっさと降りていき、さっそく大部屋と言われた部屋に灯を灯していく。油の有無は匂いで分かるのだろうかと、クライフは少し感心した。
「黒煙が上がらないいい油だな」
「そこには留意してるのでしょう。なにぶん地下室ですし、外部との換気を考えたのなら、予算の掛けどころなのは確かです」
「漉して、調合したものか」
「お詳しいのですね」
「まあ、少しだけ」
そんなシズカとクライフのやりとりをどこか遠くに聞きながら、レーアはゆっくりと階段を降りていく。恐る恐るという足取りを支えるために手を付いた壁の感触すら、記憶にはない。ここは本当に慣れ親しんだ蔵の、地下……なのだろうか。
「ご存じかも知れませんが、地下に『部屋』を作る技術はたいへんに特殊なもので、城など築城に関わる職人や、掘り進むにあたっては鉱山技師などの技術が必要でしょう。崩落の危険もあるので、これだけの広さを確保しているとなれば、相当強靱な支柱が設けられているはずです」
「それでも足音で気がついたのかい?」
「空気の流れだって、音は奏でますよ」
ふふ、とシズカは笑う。手の内はなかなか見せない。
「あの、剣士さん」
と、大部屋に降り立ったレーアがおずおずとクライフを振り返る。
「クライフでいいよ。どうしたんだい?」
一歩歩み寄り、周囲を見回す彼女と同じように彼も辺りを伺う。
「……こいつは、相当だな」
クライフの呟きに、レーアは身をすくめる。そう。彼女は降り立ったその視線の高さから見たこの光景に、軽く記憶をくすぐられたのだ。クライフが「相当だな」と評する、この光景に。
床は、平石。その上には大きな大きな、広く白い布が敷かれている。家具の類は皆その上に置かれているが、その中身は異質だった。やや細いガラスの瓶に、ガラスのふたがしっかりと締められた、液体。色は無色透明なものが多い。それが二十数本並べられた棚の下には、密閉が目的であろうことが容易に分かる金属製の箱。中身はおそらく羅紗などをキツくまとめ入れた運搬用に誂えた作りで、液体瓶が入っていると思われる。薬研、火元のランプ、蒸溜に使うガラス管と細身の水差し。
「さまざまなお酒を扱う中、酒精を純粋に抽出する術を思索していたのでしょうね。いっぱしに形になっています。……あとは、これはよろしくない。あまり見ない方が」
とシズカはレーアを手で制する。
見たい気持ちもあったが、レーアはその気遣いに従った。直感なのか実体験なのか、シズカが彼女を制した先にあるそこには、あまり「よろしくない」ものがあるのを感じたからだ。
しかしシズカは顎でクライフを呼びつけると、整理された机の引き出しを大きく開けて、中を見せる。
何が入っていたのかは言葉には出さないが、目で確認する。
ふと、クライフの眉間に深いしわが寄る。
指先ほどの経の小さい穴を広げるような器具と、削り細くした木片に綿を巻き付けたものが十数本。粉末状の何かを畳んで封じたと覚しき見事な油紙の包み。
そして薄く研がれ錆止めの油を塗られて収められた、いくつもの錐。
その薄い刃についた隠しきれない疵の隙間に見える薄白いものは、血液のもたらした拭いきれぬ染み錆。
「他の棚や、そこの椅子……と覚しき拘束台を考えると、ここの調査自体は隊長やお調子者たちに任せたほうが無難でしょう。私たちは手がかりを探すことに専念しましょう。紙束の類いはそれこそいくらでもありますからね」
「わかった。――レーア」
頷きながらクライフは周囲をじっと、ゆっくりと見回す彼女を呼ぶ。レーアはふと顔を上げると、クライフが小部屋のひとつから顔を出すアカネを指さしている。どうやらレーアに声を掛けるのを待っていた様子だった。
「ちょっといいかしら?」
と、戯けずに聞くアカネの手招きに誘われ、レーアはクライフを一度見ると、意を込めてアカネの入っていく一室へと扉をくぐる。
それを見届けると、シズカはそっと先ほどの油紙の包みを開けて中身を確認する。粉末の色、匂い、綿棒を取り出して少量の唾液と吐きかけるとそれを混ぜ、色を確認し、少ししてから匂いを嗅ぎ、「ちょっとクライフさん」と彼を呼び有無を言わせずその金髪を二本ばかり引き抜くと机に並べ、綿棒の先をこすりつける。変化なしとみるや、目を白黒させている剣士の指先から血を採取しようとし――そこは自分の指先を針で刺して綿棒の先に染みこませるように垂らし、少しして油紙の上の粉に少量垂らし練り上げる。
「何をしてるんだ?」
「いえ、少し確認を。剣士の手指を傷つけるわけにもいかず、こうして自分の血液をですね」
「髪の毛はいいのか」
「髪は女の命ですよ」
そういうものかと、クライフは黙る。
「その器具で耳孔や鼻孔を広げ、綿棒の薬を用いて鼓膜の奥、喉の奥の粘膜を恒久的に腫れ上げるようにするものでしょう」
「なんのために…………音か」
「左様にございます。いかにもな手口にございますわ。――この笛を用いて確認しつつ、都度、仕込んでいくのでしょうね」
と、シズカは棚の端に収められた小指ほどの大きさの金属管をつまみ上げる。彼女の言を聞いた後なので、それが浅い切れ込みが入った簡易な笛のようだとクライフも気がつく。
シズカは吹き口を手で浮かせながら、ゆっくりと強く息を吹き込む。
すー……という、彼女の息が抜ける音がするだけだった。
「笛?」
さすがに首をかしげるクライフだったが、先ほどの小部屋からアカネがむっとした顔を覗かせる。
「いま呼んだ?」
「いいえ。これを鳴らしただけですわ」
と、シズカがそれを見せると、「なるほどニャー」と彼女は頷く。
「レーアもびっくりしてるから、それやめてニャー」
アカネの抗議に「はい」とシズカはそれを懐にしまい込み、「とまあ、聞こえる者には聞こえる音が鳴る笛です。たいていは犬なんですが、まあ猫も同じようなものです」と、分かるような分からないようなことを言うと、理解はしていないが納得した顔のクライフの顔に微笑む。
「俺には聞こえなかったな。……シズカ、君は自分で吹いて聞こえたのかい?」
「それはナイショです」
はぐらかす。
「他にも同じような笛はいくつもあります。これは確認用でしょう。子供たちがあくまで道具というのなら、それを用いる外道が使用する器具というのも、また多岐にわたるかと。……どうやら、本当に長い年月をかけて、精錬され単純化した仕組みとしてのここに至ったのでしょう。同じような場所が何カ所もあると思うと、胃の痛くなること甚だしいですわね」
「なんとかしてあげたいな」
素直な吐露だった。
「さて、レーアさんを別室に連れて行ってくれたアカネのためにも、ここは少し踏ん張って家捜しと行きましょう」
「わかった」
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