第3話『詰所へ向かって』


 足の疲れを気にしたレーアが起き抜けの動きのまま双剣亭を出たのが、それからしばらくのことだった。シャールにおいて帯剣して出歩く際の作法として、しっかりと傭兵と分かる格好――鎧を着こんで階下に降りてきたクライフは、宿の主人に窓の修理を頼み、表で待つふたりの少女の後に続く。


「昨夜それを持っていたら、あの女を取り逃がすこともなかったでしょうに」


 ほとほと残念そうに言うシズカに、クライフも「はいはい」と、ひらひらと手を振って流す。


「ともあれ、これからレーアさんにはエレア姫と会っていただきます」

「ええっ」思わずレーアが後退さり、「謁見ですか」と立ちすくむ。

「そんな堅苦しいものではありません。近衛の調べを受けていただいた後に、姫さまの調べを受けていただきます。なので、身なりのことはご心配なく。なあに、着ているものは近衛の制服ですが、無精者ばかりですから近衛も。あなた自身に問題がなければ、処分されることもないでしょう」

「物騒な物言いはやめないか」


 クライフがさすがに止める。

 しかし、その言葉は真実だろう。

 こと暗殺者という一面を持つ可能性がある人間を引き合わせることに、実のところクライフは内心やや反対なのだ。特に『奏者』という単語をこぼした少女は、直接的であれ間接的であれ、クライフに、ひいてはエレアに害する者である可能性が高いからだ。それでもこの邂逅が意図的であるか偶発的なものであるかも含め、近衛と姫の調べを受けさせることは必須だと、シズカとも意志をすり合わせている。


「姫なら、君のもうひとりの君を詳しく調べられるだろう。もっとも、近衛の調べが済んだらの話だけどね。大丈夫、少女を相手にそんな無体はしない連中だ。心配することはないよ。……今日の面子めんつは?」

「アカネとベイス隊長です」

「アカネか」


 レーアに微笑んでいたクライフの顔が一瞬ひきつる。


「怖い人なんですか?」


 促されるように歩き出しながらレーアは問うが、「ん……」と言葉に困るクライフ。


「悪い子ではないですよ? ただ少し不思議なだけで」

「不思議?」

「ええ。その行動と思考がですが」

「は、はあ」


 通いなれた道を歩きながらのシズカの言葉を聞きながら、クライフはレーアの横顔にそっと視線を落とす。不思議と評されるまだ見ぬアカネという近衛の存在に、戸惑いを隠せない様子だった。が、その歩み自体はしっかりとしたものになっている。昨夜あれだけ走ってきたにもかかわらず、痛みも疲れもすっかり抜けている様子だった。

 そんななか、レーアを挟むように歩くシズカの顔が彼女の肩越しに伺える。じっとりとした視線をクライフに向けている。


「クライフさん、レーアさんの胸を覗き込んでいるのですか?」

「ああいや、誤解だ」


 胸を隠すように身を引きそうになるレーアに向けてクライフは言うが、シズカは自分の左へレーアを隠すと、彼と肩を並べるように位置を入れ替える。


「不躾な視線、女は気が付くものですよ」

「良く知ってる」


 苦笑する。


「とにもかくにも、あなたの事情を斟酌するのが先決。あのディーウェスという女がどこで何をしていたのかは、今は比較的どうでもいいことです。どうせ、昨晩の内に痕跡を消してどこかへ潜伏しなおしていることでしょうから。――今まで潰してきた他の拠点と同じように」


 だから慌てて討手を出す必要はないのですと、彼女は頷いている。レーアもクライフを彼女の肩越しに見上げるが、彼もそういうものだろうと首肯している。


「だとしたら、エリーゼたちは……」

「あなたの言っていた、姉妹たちですね? 利用価値があるのですから命は無事でしょう。そう簡単に手塩にかけた手駒は殺しませんよ。ご安心を。もっとも、『仕事』に駆り出されていないかと聞かれたら困るところですが」

「逃げおおせる距離を稼ぐまでは、下手な真似はするまい。シズカ、あまり怖がらせる真似はよせ」

「ですね。逃げおおすために仕事をする可能性はありますが、まあ低いでしょう。今のところ、まだ公的には何も動いてはいないのですから」


 続けて素直に謝罪をするシズカ。


「歌というきっかけはともかくとして、まずは詳しいことを診てもらおう。話はそれからだ。憶測で仕方がないだろう」


 これは自分への釘差だなと、シズカは素直に受け入れる。憶測で言うなとなれば黙らないところだが、仕事仲間クライフから『揺さぶるな』と、レーアの反応を見るために言葉で責めるなと言われたら、黙るしかない。

 シズカはレーアがエレア殺害を目論む刺客であるという考えを持っている。同時に、クライフ殺害のための刺客とも考えている。いつでもレーアを殺傷できるよう、その位置はしっかりと確保している。クライフとの間に入ったのも、それが理由の半分を占めている。


「では、行きましょう。ここを下ります。港に直接行くと、やや遠回りなんです。近衛の詰所なんて、ふつうは来ませんものねえ。特に環状通りの外側の人は、あまり港には来ませんものね」

「はい」


 レーアは頷く。忍公的に広げた入り江を囲むように大きく放射状に、円形に、広く発達した港町ガラン。内側の商業街区と外側の居住街区を隔てる環状の大通りが一本通されている。火除けの街づくりの名残でもあり、ガランに人が集まり発展してきた象徴でもあった。

 その環状通りを隔てた外側、居住区。多くの街と同じような作りの街並みの、広い街区。そこはクライフもさすがに不案内だった。縦断しようとしても歩きで二時間はかかる街の、その外側の街区から走ってきた少女を見ると、剣士はやや考えるようにフムと唸る。


「俺が生まれ育った町が、町境ごといくつもすっぽり入るような大きさなんだな、このガランは。考えてみたら、街しか知らずに生きていく人も多いんだろうな」

「当たり前じゃないですか。生活が街の中で完結してる人のために、商人たちが要るんです。こと流通に於いては戦場ですよ、このガランは」

「わたし、本当に何も知らないんですね。ずっとガランで生きてきたけど、こっちにはほとんど来たこともありませんでした」

「環状通りを越えると多少物価が下がりますから、入用なものを探すときは職人街まで出るのも面白いですよ。ただ、傭兵街に出るとガラの悪い連中が増えますから注意です。悪さをする者は恐らくいないでしょうが、嫌な思いはするかもしれません」


 そうでなければ、衛士たちが睨みを利かせている意味もない。

 衛士は人間を相手にし、近衛は怪異物を、相手にする。

 そんな街づくりの中で生まれた分業だが、それもこのガランあってのもの。街が、国が大きく広くなっていくにつれ、人々の生活も犯罪も多様化するにつれ、分業のさらなる分業細分化も必要なのではないかという動きもある。

 帝王の許しの元、第二王子の統治領が革新的なものを行っており、第一王子である獅子王子は古色蒼然とはいかないまでも、伝統に応じた支配体制を貫いている。

 ――という話は聞いているものの、クライフにはピンとこない。

 縦横無尽に垣根を越えて戦える『遊撃隊』なるものをこれ幸いにと作ったエレアの考えは、おそらくそのあたりにあると思われる。

 そんなことを考えているうちに、右手に海を臨むあの開けた場所に出た。


「うわああ……」


 波と風を感じると、レーアの口から嘆息が漏れる。

 遠くから望む海ばかり知る彼女が見る、近い海。


「さ、この先です。見えますか? あそこです」


 シズカが指し示す先、林野の陰から見え隠れする先。まだ少し歩くと就けるだろうそこに見える、青い、青い屋根。

 燐灰石の尖塔。近衛詰所、そして姫の御所だった。


「確か、ベイスとアカネが詰めているんだったか」

 クライフは呟く。

 あれからベイスとはことあるごとに飲み歩く中になっている。砕けた調子で語り合える中で、近衛に顔を出すと決まって美味い店に誘われる。さらに言うと、五回に三度は決まってアリステラに邪魔されるのだ。

 あの四角な男がどんな反応をするのか考えると今から少し胃が痛む。


「ああ、すまん。怖い人たちじゃないから、安心して。少なくとも、無体な真似だけはさせないから」

「はい」


 クライフの言葉とシズカの後押しでそう答えるレーア。

 だが近衛の、偉い人たちの集まるところ。それに、姫さまとの謁見。その緊張感が、腹の奥へと溜まっていく。不安に変じる冷たい重みに、彼女は息を落ち着かせるように呼吸を整える。

 大きく二回、小さく二回。それを繰り返す。

 慣れ親しんだそれは、心拍並びに手足に至る緊張を見る間にほぐしていく。

 ――ああ、やはり。

 剣士はシズカに頷く。

 この少女は知ってか知らずか、自分を律する何らかの術を叩き込まれている。それを意識的にも無意識的にも行うほどの達者でもある。

 それが伝わってきた。


「さあ行こう」


 途轍もない旅路への、思えばこれが最初の一歩なのだろう。

 無意識に腰の落葉に左手を添えるクライフは、漠然とそう思うのであった。

 

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