第2話『目覚めて、朝』


 いつの間にか背で眠ってしまった少女を運びベッドに寝かせたクライフは、割れた窓ガラスを片付けながら少女を介抱するシズカに「どうするつもりなんだ?」と声をかける。


「どうするも何も、あなたはどうしたいのですか?」

「どうしたいもなにも、助けてくれと言われれば助けてあげたいと思う。しかし、何から助ければいいのか、何を助ければいいのか、そして――」

「『殺してください』なんて、こんな少女が口にする言葉ではありませんからねえ」

「歳だけだったらシズカも同じくらいだろう?」


 もっともシズカのほうは平気で『殺す』くらいは口にしそうだが、そこは黙っておく。同じくらいの歳クライフは見たが、十代であろうというだけで、このレーアという少女のほうが若そうだった。

 シズカはクライフが目を逸らせてくれている間に、少女の身体をざっと改める。

 やはり歳は自分よりも若く、十代半ば。体つきは成熟に向けてどんどん発達していく途上だろう。背は平均よりやや高め。髪は淑女然とした栗色の長髪が背まで伸びており、これは寝かせる際に枕のわきへと流されている。

 手足を見るに、「これは」とシズカは短く声を漏らす。

 少女にしては、やや筋張った発達を見せる内の筋肉。力を込めなければ女性のそれと変わらぬが、鍛えられたと思しきその手足。内腿や下腹部、腋なども揉み解すように確かめる。そんな少女の指先までも細かい傷が無数に走っているのを見ると、シズカはひとり頷く。

 よく知る体つきであり、傷だった。


「環状通りの向こう、一般街区から走ってきたのでしょう。よく体力がもったものだと思いますが、どうやら普通の子女にしては鍛え方が成っている様子です」


 シズカがレーアの体を隠すように自分の上着をかけながら言うと、クライフも振り返り、その言葉を吟味する。


「あのディーウェスとかいう夫人も、只者ではなかった。貫かれた腕を取られてなお、肩を外して逃げおおせるとは。シャールの女はみんなあんなに強いのかい?」

「そんなはずあるわけないでしょう」


 鼻で笑われるも、シズカとて生半な少女ではない。その生まれ、その宿運、近衛というものに修まっているだけに、彼女とて他の者たちと同じく特筆すべきものを備えている。それを知るだけにクライフも苦笑に留める。


「彼女が起きるまで、私もここにいることにしましょう。椅子に座って寝るとして、あなたは床でいいでしょうか」

「吝かではないが……まあ、いいや。彼女を取り返しにあの夫人が来ると思うか?」

「近衛の介入を受けてなおこの双剣亭に向かってくるようなら、少し考えを改めねばなりませんが。まあ、寝ていても気が付きますから大丈夫です。これでもこのシズカ、近衛の中でもそのような仕事は得意中の得意でございます」

「よく知ってる。……さて、じゃあ俺は表道具を抱えて寝るとするか。灯りは消しておいてくれ」


 枕元の落葉を手に、隣の部屋に面した壁に寄り掛かるように座り、目を閉じる。


「物怖じしない御仁ですわね。……まあ、知ってましたけど」


 灯りを落とし、暗い室内で外の気配を夜の街の匂いとともに感じつつ、シズカはベッドに寄せた椅子に腰かける。

 近衛に配属になってからは、ときおり街中に入り込む怪異物かいいぶつとの戦いの他は、衛士たちの手伝いという、歯ごたえの少ない力仕事や荒事がかりであった。が、先の一件――魔女の一件からこっち、クライフと組むようになってからは人間相手や獣相手だが、実に退屈しない任務が続いている。こんなに自分の技術が活かせる戦いがあったであろうかと驚くばかりであった。

 少なくとも彼女自身、自分の技術は凡そ人を陥れて殺傷たらしめるものがほとんどであると納得している。それを活かすとなれば、近衛として、姫の、国の暗部を担うことが大きな仕事となる。

 しかし、ここにきてその認識が少し変わってくることが多くなった。

 この未熟な凄腕の剣士と組み、これを補佐することで、彼女自身が自分自身の認識を改めるようになってきた。


「陥れるなら、やっぱり陥れても心が痛まない奴らを陥れるべきですよね」


 とかく、この剣士はそういうものを引き付けるのか、はたまたそういう奴らがこの剣士を引き寄せるのか。この数か月というもの、彼女は自分の技術を疎むことがなくなっていた。

 馬が合っていたということもあり、彼女はこの仕事が好きになっていたのだ。


「ともあれ、厄介なことには変わりませんが」


 目を閉じる。半分寝て、半分は起きている。

 この深夜、飛び込んできた少女が一体どんなものを持ち込んだのか。明らかになるのは朝だろう。彼女を洗うのは、それからでいい。すべてを疑うのは自分の仕事だ。

 腰の短刀を感じる。

 いつでも抜けるように、柔らかくの仕掛け直す。

 それが自分の役目と言わんばかりに。

 そんな彼女を薄眼で見つつ、クライフもまた息を乱さずに目を閉じる。考えていることは同じだった。


「厄介ごとか……」


 内心ため息をつくが、すぐに疲れからか、一気に眠りへと落ちる。ここはシズカに甘えることにしようと頭の片隅で思うも、すぐに寝息を立てるのであった。






 朝。

 身じろぎとともに目を覚ますとレーアは眩しさを感じてその刺激に目を閉じる。


「おはようございます。よく眠れましたか?」

「んぁッ」


 その声に身を起こすと、かけられていた近衛の上着がふわりとシズカの手に戻る。


「……私、助けてもらったんですか?」

「昨夜のことを覚えていらっしゃるのであれば、あれ以上のことはまだ。切り抜けはしましたが、あなたを助けたかどうかは分かりません。あなたが安心するまでは、まだ何とも言えない状況と存じます」


 静かに語る近衛の少女に、レーアはゆっくりと自分を顧みる。サンダルは脱がされ、きれいに足も拭われており、寝起きの頭にも介抱されたことがだんだんと馴染んでくる。


「あの、ありがとうございます」


 たぶん、今しがた目を覚ました壁際に座る剣士と、自分に微笑む近衛の少女に、レーアは礼を述べる。


「生きる基本は、寝るところ、飲食するところ、排泄するところです。お水はそこの水差しに。ご不浄は出て左の先を下りたところです。……まずは、一息つけましょう」


 そう促され、剣士が階下から持ってきたコップで水を飲む。どうやらその一杯で喉の渇きを意識したのか、二杯三杯と続けて飲む。体に水分が行きわたる感覚に、レーアは大きく、大きく息をついて天井を仰ぎ見る。


「落ち着きました。ありがとうございます」


 コップを返しながらレーアは改めて礼を言い、ベッドに腰掛けるように居住まいを正す。寝ていたベッドは、恐らく剣士のものだろう。


「あの、お姫さまの剣士というのは――」

「双剣亭の姫直属遊撃隊だったら、ここであってる」


 クライフが持ってきたパンを差し出しながらそう答えると、レーアは肉を存分に挟み込んだそれを受け取りながら、「では」と立ち上がりかける。

 クライフはそれを「食べながらでいいよ」と抑えると、少し離れて同じベッドに腰掛けてシズカに思い切り頭を引っ叩かれる。


「淑女と同じベッドに腰掛けるとは、恥を知りなさい」

「すまない、不躾だった」


 痛みをこらえてシズカと席を交代しながらクライフは謝る。それを「はあ」と頷きながら、正面に移った剣士クライフをじっと見やる。

 背負ってもらった記憶がうっすらとのこっている。骨太で締まった体つきだが、細身というよりは意外と無骨な二の腕をしている。締まった体幹と、すらりと伸びる足も恐らくそうなのだろう。戦士傭兵の類の体つきだが、対してその面には、厳しさよりも冷徹さを感じるような表情。男らしい眉が切れ長の目の上で、やや引き締められている。小脇に抱えられているのは彼の剣だろうか。


「順を追って話してもらえるかな。大丈夫、僕らは商家や傭兵からではなく一般からの依頼を受けて動くのが仕事なんだ。小さいことでも、大きいことでも、まずは話してもらえないかな」


 だが、そんな彼からの言葉には温かみがあった。気遣いがあった。


「ああ、お金のことは気にしないでください。ほとんどの場合、姫さまの経費から支払われますから。あくまで、公務の一環として、私たちは動きます。裁量が任せられているので、どうかご安心を」


 シズカの言葉にもも、淡々とした温かみ。

 レーアは肉を挟み込んだパンを両手に、じっと肩を落とす。


「歌が、私たちを変えてしまうのです」


 静かに、思い出す。


「私たちはディーウェス夫人の歌をきっかけに、もう一人の自分が目覚めます。暗殺者としての私が」


 目の前の剣士の眉が引き締まる。

 シズカはなるほどと、頷いている。予想がついていたのだろう。


「子供を暗殺者に仕立てる組織のうわさは聞いたことがあります」


 シズカが険しい顔のクライフに言うと、レーアは驚いたように顔を上げる。


「噂ではありません。本当にあるんです。みんな、変な薬を飲まされて。忘れてしまうんだけど、わたしはおかしいと思って、飲まなくて。食べなくて。ここまで逃げてきたんです」

「なぜ、今までそんな組織が潰されずにいたんだ」

「ガランに本拠がないからです。彼女が逃げてきたのは、このガランにある育成所でしょう。レーアさん、あなたは歌を聞かされた場合、自分がどこで何をしたのかを覚えていられますか?」

「い、いいえ」


 レーアはとっさに答えるが、しかし「でも、今はうっすらと」と、再び顔を伏せる。


「つらいことは思い出さなくてもいい」


 クライフが、パンにかじりつきながら頷く。

 だが、レーアは記憶をたどるにつれて、自分が子供であることを利用し、あらゆる警戒をくぐり、潜伏し、死ぬことで利益をもたらす人物の首をいくつも斬り裂いてきたのだ。むせ返るような、陶酔するような血の匂いを思い出す。

 その様子を伺うクライフは、この少女が殺人をこなしてきた確信と、殺人そのものに忌避感をあまり覚えていないのではないかという疑問を持つ。それほどにレーアという少女が持つ雰囲気は、歌というきっかけのあるなしにかかわらず、ある意味泰然としていたからだ。

 恐れているのは禁忌さつじんではなく、自らの死と、恐らくは「姉妹の死」だろう。それだけではないかとさえ思えてくる。

 かえしてシズカは殺人への忌避感は確かにあると感じていた。自分の遺志で行っていない殺人を不本意とする、暗殺者の目線での不満。それを感じていたのだ。


「ガランに本拠がないと言ったね」


 クライフの問いに「ええ」とシズカは頷き「なにぶん対応が衛士、とりわけガランのみではなく領主をまたいだ範囲の問題なもので」と返す。


「もっと、いるんですか」


 レーアは、気が遠くなりかける。

 自分が住んでいたあそこは、あの施設は、あの町は、末端の末端だったのだ。


「本拠は北西、古い言葉で広場を意味する『アゴラ』の街に、本拠があるという噂です。しかし、そのアゴラも二十年前に滅び、イツァーク鉄山士領に併合されて以降、杳として知れませんが。そのイツァーク領も獅子王子の領土に併合され、今や『獅子の瞳』の郊外を守る要害です。さてもさても、我ら二人で、いやアカネも入れて三人であたるには、少々大きすぎる問題かと」

「アゴラ――」


 考え込むクライフ。

 それを話を整理しているものとみて、シズカはこほんと咳払い。


「追うにしても領土をまたぐ上に、獅子王子が前線に気を張っている昨今の状況を鑑みて、本腰が入っていない状況なのは確実です。第二王子がほこる捜査組織が介入しようとしましたが、上手くいかなかった様子で、いまや姫も触らぬ腫れものです」


 手を引いては? という遠回しな提案だった。このレーアという少女を保護しておくのは前提として、彼女の姉妹をどうこうするまでは視野に入れておく。深追いはしない。その意図が、レーアにもわかった。


「覚えていることは、ある?」


 窺うようなシズカの言葉に、仕方がないという諦めを飲みこみ、レーアは目をつむり思い出す。記憶の断片をつなぎ合わせ、ひとつひとつを思い出す。


「確かに、私たちの仕事はガランでは行われていなかったと思います。見覚えがあるのは、馬車での移動と、大人たちとのやり取りと、大河を望む船――ああ、確かにガランではないですねこれは。そして、塩の山の中で首を掻き切った青年のこと。ディーウェス夫人の歌で切り替わったもうひとりの私が、緑色の苦い薬で眠ると――」


 言葉が途切れる。

 頭を振って思い出す。


「私に戻ってるはずなのに、もうひとりの私が頭の中で戸惑うのがわかったんです。ああ、目覚め切っていないんだと思いました。そして、思い出せるだけもうひとりの記憶から、今の状況を知ったんです」

「なるほど、大変でしたね」


 とかけるシズカの言葉も、境遇ではなくその僥倖に向けたものだったのだろう。


「それで、逃げなくてはと思ったんです。落葉の剣士のもとに」


 そのとき、シズカもクライフも、ふと顔を上げる。少女の顔へと。


「それで、ここに?」


 剣士の問い。それにレーアはしっかりと頷いた。


「もうひとりの私は、歌うように覚えていました。落葉の剣士、お姫さまの剣士、一般からの依頼で動く凄腕の傭兵。赤獅子、鈍色、砕いたパン屋。石釜の角を港に下り――六百階段降りたなら、白石踏んで鷹の像――折れて左の双剣に――」


 歌うように諳んじるレーア。


「パン屋の石釜って、鈍色のマルクが喧嘩で壊したあの?」


 シズカの問いにクライフが頷く。


「壊れたままというか、壊したまま店の目印にしたあのパン屋だろう。六百階段からこっち、双剣亭への目印通りだ。しかし、なぜ、そのもうひとりの君が知ってる? 少なくとも二か月前にはなかったからな、あの石釜は」

「それは、標的だったからだと思います」


 レーアは頷く。

 今自分は、自分自身がクライフを殺す刺客になりうることを告白したのだ。しかし、クライフもシズカも「ふむ」とあっさりと受け流す。


「確かに、恨みは買ってますものね、あなた」

「誰が頼んだか、だな」


 それには心当たりはなかった。


「ただ、ディーウェス夫人は定期的に訪れるローブの男の頼みとこぼしていました。義理あって金にはならないと」

「ローブの男?」

「夫人は、『導師』と言ってました」


 クライフが、じっとレーアの言葉をかみしめる。


「ほう」


 なるほど、そうか。

 ――動くか、『奏者』。

 まずは、燐灰石の尖塔に赴こう。

 これは、姫案件だ。


「よし、この依頼引き受ける」

「またまた勝手な」


 嫌な予感はしていた。しかしシズカはこうなることも覚悟はしていた。


「ともあれ、腹が減ってはなんとやら。それ食べちゃってくれ。今日は君に逢わせたい人がいる。ああ、あとあれだ、余計な心配はしなくてもいい。君がどうこうなったら、責任を以て止めてあげるから」


 クライフはその落葉の柄を一度ポンとたたく。

 ――殺してでも。

 その思いが、レーアには少し嬉しかった。

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