第1話『真夜中の邂逅』


「これが、今回の報酬となります」


 双剣亭の一室で、クライフの前に立つ近衛姿の少女が、左手の皮袋の中に右掌でもてあそんだ金貨と銀貨を摘み入れながら、ひーふーみーよーと、数えている。


「俸禄を頂いてなお、どんどん生活が苦しくなるのは気のせいかな」


 鎧も脱いだ部屋着の姿で、クライフか皮袋に落とし入れられていく貨幣を目で追いながら、ふと不満げに漏らす。


「このシズカ、姫さまよりお預かりしたクライフさんへの報酬・俸禄を、しっかりと管理運営する義務がございます。ゆえに、経費差っ引いたこの金額に文句がおありのようでしたら、それは直接、姫さまに仰っていただかないと」

の部分が、ものすごく気になるんだがな」


 エレアが遊撃剣士クライフに充てた繋ぎ担当兼助手が、このシズカという少女だった。他にももうひとり、アカネという同い年の娘がいるが、彼女は今は燐灰石の尖塔にいる。シズカもアカネも近衛の七人のうちのふたりで、魔女の一件以降、なんだかんだとよく顔を合わせるうちに組ませられることになった。


「深夜にもかかわらず男の部屋に入りびたり、金勘定をしてあげる私の苦労も考えてください」

「明日でもいいじゃないか」


 しかし、シズカはきれいな黒髪を背中でまとめ直しながら、ポイっと左手の皮袋を彼に放り投げる。背はさほど高くはないのだが、その威圧感たるやクライフも一歩引くほどだった。


「男なんて、渡したら渡しただけお金を使う生き物です。ましてや俸禄を管理する組織にも属さずに、雇われ一辺倒で生きてきたと思しき男なんて、自由にできるお金を手にした途端に散在に走るのは火を見るより明らかです」


 実家の商売柄、財布のひもは固い方であると自分でも思っていたが、ふと皮手袋を衝動買いした手前、強くは言い返せなかった。柄を握って手の内がぴしゃりと決まる良い品だっただけに、そこそこ値が張った。

 そんな咎めるような切れ長の目を向けてくるシズカに、クライフは肩をすくめてみせる。降参の合図だった。

 食事は双剣亭、この宿なら姫の払いで食べられる。宿泊も同じだ。いわゆる衣食住の保障はあるが、それ以上は稼がねばならない。月極めの俸禄と、彼が遊撃的に請ける仕事の報酬がそれにあたる。そのもろもろの管理が、このシズカに任されている。もともとクライフに勝ち目はなかったのだ。


「男なんてというくせに、シズカ、君は男と付き合っ――すまん」

「賢い判断です。あまり近衛を甘く見ないよう」


 後ろ腰に手挟んだ短刀の柄から手を放しながら、満足げに頷くシズカ。彼女は「まだ十と八、まだまだ先がございます。慌てる歳ではございません」と付け加える。


「で、こんだけか。金色のがいくつか見えるのが救いだな」


 革袋の口を紐で綴じながら、彼は大きく伸びをした。


「ともあれ、お疲れ様でした。これで西へ行く商隊は心置きなくヘムレン峠を越えられるでしょう。……で、これは相談なのですが」


 とシズカは自分のポーチからここ二晩、クライフが峠で倒した四足獣の角を数本ごろりと取り出すと卓の上に並べはじめる。


「……見覚えのある物だな」

「クライフさんが親玉を仕留めている間に取っておきました」


 さらりと言ってのけるが、それは換金価値のある代物だということはクライフも気が付いている。


「個人的な相談で申し訳ないのですが、これを私に譲ってほしいのです。いえ、ただでとは申しません。その分の色はつけておきました」

「俺への報酬から君の支払い分を入れたってことか?」

「そうなります」

「丸々全部おれの報酬じゃないか」


 というクライフの文句も聞かずに「そうともいいます」と流し、すかさず並べた角をしまい込むシズカ。「あの獣の角は重心がよく締まっており、丈夫なうえに投擲用に加工すると高値で売れるのです」とにっこり笑う。


「仕方がないな」


 クライフも思わずからからと失笑してしまう。


「ともあれ、遊撃立ち上げからここまでバタバタしていたけれど、ようやく落ち着いたな。シズカも、ここが暇なら尖塔に戻れるんだろう?」

「明日いっぱいは休みをもらいますが。……あ、無断で依頼は受けないように。すべて私かアカネを通すこと。いいですね?」

「俺の直属はエレア姫だけと聞いていたんだけどなあ」


 彼はもうひとりのアカネの顔をも思い浮かべる。シズカに似た少女だが、姉妹ではないらしいその少女。彼女もまた、ある意味、シズカ並みに強かだった。

 彼女らには、巷にはびこる薬の一件からこっち、幾度となく助けられてきた。無碍にはできないし、するつもりはなかった。癖のあるやり取りは嫌いになれなかったし、なにより踏み込んでくる距離感が心地好かったという面もある。


「じつにこの三か月で十五の依頼をこなした剣士。先月の活躍からこっち、評判は上々です。名のある無名くらいの価値が出てきたかと。そろそろ口伝手で依頼が飛び込んでくる頃合いですが、はたしてどうでしょうかね」

「ウラルあたりの手引きかな」


 いくつもの顔を持つ近衛の中堅を思い出す。最近会っていないが、向こうはこちらを見ているのだろうか。


「ともあれ、これで手を打ちましょう」


 シズカから投げよこされる銀貨を手に、クライフは首をかしげる。


「一枚? ちょっと安いんじゃないか?」

「がめつい男は嫌われますよ。嫌いになってもいいんですか?」

「怖いからいいや、これで」


 こっちは枕元の棚の上に置く。財布にしまうのも億劫なほど、眠気が押し寄せてきている。生あくびをすると、シズカもコホンと口元を隠す。つられたのだろう。


「送っていこうか?」

「よろしいんですの? ……もっとも、このガランにおいてそうそう近衛を襲おうなんて輩がいるとは思えませんが。ああ、ああ、いいのです。それでも女なのだからと送る気なんでしょうが、正直、静かな夜の街を肩を並べて歩くには、少々気疲れしてしまいます。ひとりで帰りますわ……って、聞いてます?」


 あくびを繰り返すクライフに尋ねるが、彼も眠気が高まってきている。今日はもう切り上げた方がよさそうだと、彼女も区切りをつける。

「ともあれ、お疲れ様でした。失礼いたします」

「じゃあ、また。何かあったら連絡する」


 手を振って灯りを落とすクライフを尻目に、シズカも「では」と部屋を出る。勝手知ったる双剣亭の二階、夜目が効くこともあって危なげなく階段を下り、炊事場の裏から簡易鍵を落として出る。

 あくびをかみ殺すようにしながら施錠をし直すと、表へとまわり、夜空を見上げる。

 静かな夜だった。

 衛士たちの巡回も、一刻ごとの定期巡回のみだろう。こと、ガランの治安の良さは場所柄か、特に良い。第二王子の治める領都、『翡翠の目』ザンジヤードに勝るとも劣らないと言われている。

 ともあれ、夜の街。傭兵街という半民半官の傭兵たちが集う街とはいえ、クライフの心配するように、決して女性がひとりで出歩く街区ではない。女も買わぬ、酒も飲まぬといった、品の良い傭兵ばかりではないのだ。

 気を引き締める。


「私も双剣亭に部屋を取ろうかしら。でもそうすると息がつまりそうですし」


 ――彼の息が。ともあれその方が何かと都合もいいのだが、そうそう上手くいくものではないだろう。

 足を港へ、近衛の詰所に向けたときだった。


「……声?」


 振り返る。

 シズカは遠くに聞いた。

 鍛え上げられた血族の耳が捉えたかすかな悲鳴。


「こんな時間に、女性の悲鳴?」


 そう感じた瞬間、彼女は駆けだしていた。






 傭兵街が目前に見えたとき、レーアはふと息を抜きかけてしまった。

 普段住まう街から見れば、職人街からすでに一般人があまり立ち入らぬ街。祭りのときに顔を出す港への立木を植えた目抜き通りはおぼろげに分かるが、このあたりはすでに記憶の外、過去に見た地図の中でのみ知る街区。


「赤獅子、鈍色、砕いたパン屋。石釜の角を港にくだり――」


 歌うように覚えさせられた、そこへの道筋。

 新井自分の息が妙に大きく響く夜の街。

 傭兵相手に店を向けたパン屋の一角を曲がると、なだらかな階段が蛇行しながら街を割り下っている。眼下に見えるのは、傭兵街。見下ろすように望むその先へ急ぐ。


「六百階段降りたなら、白石踏んで鷹の像――」


 胸の中で繰り返す。

 一段あたりが広く浅い六百階段を駆け下りながら、レーアは息を整え脛を飛ばすように一層力を込めて駆ける。

 傭兵たちが列をなして行き来できる大きく東から南へと下る幅広の石階段を下りきるまで数分。足への負担が辛くなったのか、傭兵街名物の白い石畳にたどり着いたときに、思い切りへたり込んでしまっていた。

 目的の鷹の像まで、あと少し。


「折れて左の双剣に――」


 落葉の剣士は、そこにいるのだ。

 もう少し。もう少しなのにと、立ち上がろうとして萎える両足の腿を思い切りつかむように支える。上がった息はなかなか元には戻らず、駆けだす元気も、歩く気力も潰えてしまう。


「エリーゼ……」


 妹の名を胸に、壁に手を付きなんとか立ち上がり、天を仰ぐように両腕を広げる。肺を大きく開けるように胸骨を広げ、深く静かに大きく大きく呼吸を整える。

 行ける。

 両足に力を込めると、レーアは駆けだし――。


「どこにいくのレーア」


 その声を聴き、ぴたりと足を止めてしまう。息も。体も。そして、想いも。


「ディーウェス夫人」


 絞り出すような呻きが、それでも振り返るレーアの口から漏れる。


「名前をまだ憶えているようでは、記憶の消去がうまく機能しなかったようね。大丈夫よ。戻って、しっかりと処置すれば、もう逃げようなんて思わなくなるし、なによりあなたが逃げたことでエリーゼが、あなたの大切な妹があなたの分まで人を殺さなくても済むようになるのよ」


 決意は、凍った。


「い、嫌! そんな、戻りたくない!」


 悲鳴だった。

 出払った傭兵たちの本拠に残った者も、この時間、聞く者はいないだろう。たとえ聞こえたところで、誰も出てはこないだろう。善良中立な傭兵だが、そのくらいで顔を出すようなお人好しで生き残っている者はもっと中心地にいる。外れにいる、今を生きるにひたむきな者たちは、厄介ごとにタダで顔を出すようなまねはしない。それは衛士の仕事だからだ。

 ディーウェス夫人と呼ばれた三十ほどの歳の女も、そこをよくわかっていた。

 だからこそ、六百階段を下り、傭兵街にたどり着いたこのときに声をかけたのだ。


「歌ってもいいのだけれど……」


 と、ディーウェスはにこりと、それは朗らかに笑みを浮かべる。真夜中、月と星灯りの中、それは場違いで歪な太陽のように彼女の目から心臓を凍てつかせた。


「歌」


 と、レーアはそれだけを口にし、がっくりと膝をついた。もう歩けない。走れない。根こそぎ奪われた。気力が、勇気が。たったひとつの『歌』という言葉に。

 それを聞いては、自分は自分ではいられない。

 そのように作られてしまっていた。

 ディーウェスは彼女の心が折れていく様を、ゆっくりと、じっくりと見て、待って、そして楽しんでいた。

 口元の愉悦を隠しきれずに、大きく身を悶えさせる。


「さあ、帰りましょう」


 そして優しく手を差し伸べる。哀れな少女に。自分からの慈悲として。

 一歩レーアに踏み込んだ瞬間、その差し伸べた右腕に一本の獣角が勢いよく突き刺さった。その半ばまで尺骨を貫いたそれは、重みを伴いディーウェスの体を数歩後退させる。

 痛みこそ存分に走っているのだろうが、ディーウェスは数歩後ずさると、白石畳の向こう、夜闇の中から現れたひとりの近衛の姿を見て舌打ちする。


「思わず打ち抜いてしまいました。悲鳴を上げるようなら謝って事を済まそうと思いましたが、悲鳴を抑えて血止めをしつつ警戒するとは、これは『まずはぶん殴ってから話を聞く』という近衛の教えもまんざら馬鹿にはできませんね」


 シズカであった。

 悲鳴を聞き、双剣亭から少し離れた六百階段下まで一気に走り抜けた彼女は、そこで見た光景に、自分の勘を頼りに――思わず悪人と見た場に不釣り合いな夫人の腕に、先ほど回収した獣の角を打ち込んでいた。


「そこそこの太さですのよ? 痛くないのかしら。……ともあれ、おとなしくなさい。いま呼子で衛士を集めます。詳しくは詰所でじっくり聞かせてもらうとしましょう。そこのあなたもよ」


 と、レーアにも告げる。


「だ、だめ!」


 しかし、レーアはへたり込んだまま、シズカではなくディーウェスへ叫ぶ。

 夫人の呼吸。歌う気だと悟ったレーアは、その両耳をふさごうとし――そして見た。


「虚実あわせてこその、実」


 シズカの呟く静かなまなざしを。


つかまつる」


 ディーウェスの左手後方から音もなく表れた偉丈夫が、貫かれた夫人の腕を角ごと捻じり固めようとする姿を。

 ことに於いて手加減はしない。

 クライフは尺骨を貫いている牙を力点に、それを刀の柄に見立てて振り下ろすように捻じり下す。


「小癪!」


 だが、夫人は己が肩の関節をゴキリと外すと、強引に腕を引き抜き左手で何かをクライフに向けて放り投げるや大きく大きく後方へと飛ぶ。

 刹那、「逃がさないで!」というシズカの叫びと、大きい白煙を伴う爆発が起きるのが同時だった。――いや、さらにもうひとつ。クライフが腰帯から抜いた獣の角を投擲するや漏れた、くぐもった悲鳴。

 白煙からクライフも後方に逃げ飛び、息を止める。

 海風に流されるままシズカと少女を守るように残心していると、それが目くらましの類のものと知る。薬物の類は含まれてはいないだろう。それはシズカの様子を見ていればわかる。その手のものが含まれていれば、この少女はまっ先に逃げてから「逃げて」と言ってくるだろう。

 それでもなお「逃がしたわね」とクライフを小突くシズカだが、彼も「仕方がないだろう。なにぶん、相手の出方がわからない。追うにしても、手練れだぞおそらく」と肩をすくめる。


「手足の一本や二本、斬ってやればよかったんですよ。なんで押さえ込もうとしたんですか。……え? まさか落葉カタナを持ってこなかったの? え? 馬鹿なんですか? 剣士でしょう?」

「眠りかけたところをいきなりあれで窓ガラスぶっ壊しておいて、何も言わずに俺を呼ぶシズカもシズカだろうに。察した分褒めてほしいところだ」

「あれといえば、アレどうしました?」


 あれ、つまりはシズカがクライフを呼び起こすのに使った獣の角の内の一本だ。彼女はそれを彼の寝屋の窓に思い切り打ちこみ、強引に起こすことで呼び寄せたのだ。彼ならシズカの後を追い、援護をすると信じて。


「煙幕越しに打ち込んだ。落ちてないところを見ると当たったんだろう。言うだけあっていい角だ。うまく刺さったという手ごたえはあるな――痛! なんで殴るんだ」

「あれ一本いくらすると思っているんですか! 二本も持っていかれたら大損じゃないですか! ふた月は遊べると思ったのに!」

「……そんなものを俺から買い叩いたのかシズカ」


 目を逸らす。

 逸らしついでに、きょとんとする少女の前に、目線をそろえるように屈み込む。


「大丈夫ですか? あなた、どこから来たの?」


 優しいシズカの声に、クライフは追及をあきらめる。もとよりそこまでの執着はなかった上に、へたり込む少女がじわりと涙を双眸に浮かべたからだ。


「助けてください」


 呟き、続ける。


「殺してください」


 はっきりと。

 少女はクライフを見上げる。きっと、この人だ。近衛の女性が仕える、お姫さまの剣士。落葉の剣士。庶民の願いを受けてくれる、遊撃の剣士。


「話を聞きましょう。まずは……そうね、ここではなんだから、双剣亭に行きましょう。まずは体を休めて。走り通しだったみたいだし」


 見抜いたシズカは、顎でクライフを呼び寄せる。彼も、屈み込んで背を見せる。


「さあ、どうぞ」


 背負うしぐさを見せると、そのとき初めて少女は言葉を詰まらせ、その広い肩に手を、背に体を預けるように嗚咽を漏らすのであった。



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