第17話『鈍色のマルク』



 水追いの広場に足を踏み入れるのは初めてだった。

 広い。丸い広場の広さは大店数件が商品を並べるにたる広さで、二百人が腕を横に広げ整列できるほど。今し方通ってきた東の入り口の他に、北と南、そして西にも同じような通り。北からの大通りに沿うように水路が引かれており、広場もまた、丸く水路に囲われている。流れる水は同じように、東西に、そして南の海へと流れている。

 その水路を越える小さい橋を渡ると、一回り小さい広場へと渡ることができる。水に浮いた丸盆のような場所だ。石畳は削り削られ、すり減っている。足場としては充分だろう。

 広場そのものを囲むのは、八方に建つ三階建ての、重厚な建物だった。平坦な壁面ではなく、どの建物も意匠のように手が入れられている。


「赤獅子か」


 その建物に掲げられる団旗。北東の赤褐色の建物、広場に面した格子戸は開けられており、総数十二の窓からは広場を――クライフを見ている。

 赤獅子の詰め所だけではない。八方の建物からも、広場の周囲、水路の外側に立つ幾人もの武装した男たちの瞳が彼を見ている。

 あまり質のよいものではなかった。

 殺意に染まった視線には慣れてはいたものの、値踏みという視線にはなかなかに慣れるものではない。

 騎士見習いであった頃の、同期の仲間を見るような『値踏み』ではなく、そこには殺せるかどうか、利用できるかどうかという色が濃い。


「まるで闘技場だな」


 周囲の傭兵たちが聞けば言い得て妙だと頷いたことだろう。そう、ここは闘技場でもあった。


「おお、来たか」


 北側の橋を通って、制服姿のウラルがやってくる。声をかけられて気がついたが、先ほどとは声も変わっている。こちらの落ち着いた低い声が本来のものだろうか。そう思わせようとしているだけなのかもしれない。


「噂の的、クライフ=バンディエールどの」


 舞台の中央で二人は向かい合うと、ウラルはあのにんまり顔、クライフはやや渋面で周囲を見回す。


「自分みたいな新参が大きい顔をすれば、こうなることは分かっていたつもりだったんですが、なかなかきついですね」

「殺す殺される関係じゃないからさ。覚悟の度合いだよ」

「わざと喧嘩をふっかけるような真似、あまりしたくはないものですね。――剣士の我を通す、意地のようなものなら別ですが」

「ははん、さてはあんた――」


 さてはあんた、元騎士だな? という言葉をウラルは飲み込む。彼の勘はこのクライフという青年の端々から感じるそれは、明らかに騎士のそれだと感じていた。


「さてはあんた、ケンカしたことないな?」

「十五のときから、同輩からはふっかけられる方でしたけど、自分からは。その後は教官や先輩たちのもと、手合わせと訓練でぶつかりますから、その後はもう細かいことはみんな気にしなくなりましたけどね」

「ははは、まあそういうもんだ。が、枯れるにはまだあんた若いだろうに」

「焚き付けてもなんもしませんよ。ともかく、鈍色のマルクとの立合いには臨みますけれど」

「ああ、その鈍色のマルクだがな。――ああ、来た。あれだ」


 ひときわ重い、がしゃりという金属音。赤獅子の傭兵団、その詰め所の両開きの重い扉から現われたのは、噂の『鈍色のマルク』であろう。身の丈は、ベイスに勝るとも劣らない。だがその横幅は広い。いや、でかい。内なる筋肉が板金を押し広げんばかりで、話に聞くように、腕も足も太い。いや、でかい。

 重装野郎。

 その名の通り、頭の天辺からつま先まで、金属の鈍色に覆われている。手入れは行き届いてはいるものの、使い古しの印象は否めない。が、分厚い。それだけは分かる。

 そして、武器。

 鉄芯を束ね金輪で締めまとめた、シンプルで凶悪な、鉄の棒。身の丈ほどのそれを、片手で担ぎ歩いてくる。

 そしてそれをまるで小枝のように打ち振るい、しごき上げる。

 鉄の兜の下からは、戦意に溢れた瞳がクライフを見据えていることだろうことは、ひりひりする空気で分かった。

 総重量はどのくらいあるのだろう。

 足音立ててやってくる鈍色のマルク。

 北の橋を渡り、二人の前にやってくるにつれ、その巨体、その偉容、倍にも感じられるほどに見える。

 くぐり抜けてきた死線の数は尋常なものではないのだろう。

 ゴン。

 鉄棍の石突きを石畳に落とし、垂直に立てたそれを、クイとクライフに傾ける。指先をまとめた手甲の先が彼を指し示す。


「ご指名とは恐れ入った。俺はマルク。ただの、マルクだ。ふたつ名を付けられるほど俺はまだ強くないんでな」

「クライフ=バンディエール。……引くに引けぬ事情で立合いを臨む」

「ははははは」


 マルクは笑う。快活な笑いだった。


「なら仕方がない。仕方がないから、本気で立ち合うか」


 傾けた棍を、ウラルに傾け直すと、すっと手を離す。

 倒れ来る鉄棍を抱えると、ウラルは両手でそれを持ち直す。かなりの重量なのだろう。


「ともあれ本気でかからないと殺されそうだ」


 クライフも落葉をウラルに預け――。


「ちょい待った」


 ウラルは棍を支え直しながら落葉を受け取る。


「じゃあよ、俺は少し下がってるからな。――おい!」


 ウラルは赤獅子の入り口の前に立つ傭兵。あの屋台の前にいた中堅の傭兵が、右手に棍と左手に剣を携えてやってくる。片手で運べるほどには軽いのだろう。


「あの方は?」


 その傭兵に目を向けながらのクライフの問いに、マルクも目を向けながら「ああ、あれか」と首肯する。


「赤獅子の相談役だ。ああ見えて古参中の古参だ。新参、お前のことを確かめろと言われてる」

「気に入られた?」

「そうともとれるし、そうじゃないようにも思える。難しいもんだな傭兵家業も。俺もそうだが、結局のところ腕っ節と立ち回りしか俺らは信用しないからな。んま~、信頼に至っては死線の先にしかないから、どっちにしろ……そうそう、これ」


 相談役の傭兵から棍を受け取りマルクはしごき上げる。


「コイツしか信じない。魂もかけるし、矜持も乗せる」


 そんなマルクの言葉に、相談役も「はは」と笑い、クライフには刃を潰した長剣を鞘ごと渡す。


「改めてくれ、新参さん」

「拝見いたします」


 それを受け取り、柄、留め具。抜き、刀身を改める。刃は潰してあるというより、はじめから研がれていない印象を受ける。使われている金属は本物と同じである様子。強度も同じだろう。直剣で、長さは七〇センチほど、柄も両手で握ってあまりある。かつて彼が使っていた長剣と似通ったもので、手に馴染む柄の感触から、正直な作りであることが窺える。


「訓練用ですか?」

「叩けば骨くらいは砕けるぞ」

「お借りいたします」


 剣帯にそれをくくりつける。落葉のそれとは多少勝手が変わるものの、問題はない。直刀であろうとも、術の赴くままに戦うのみだった。


「新参、お前にも分かるようにシャールの流儀を教えとく。殺さなきゃ、まあ怪我くらいしても構わない。治る怪我に収めればよし、それができなきゃお払い箱。わかりやすいだろう?」


 手加減ではない。ただ力任せの戦いしかできない者には用はない。背中を預けられる信用と信頼を裏付ける技術をも見たい。

 そういうことなのだろう。


「降参すればおしまい。……ああ俺は、新参、お前がけしかけてきた立合いとは思っていない。むしろ、これは近衛への貸しと思ってる」


 相談役という男は、そうにやりと笑い、片手を上げて北の橋を渡る。その先でウラルの肩をぽんと叩くと、その隣で壁を背に腕を組み見物といった体だ。

 肩をこきりと鳴らしながら、マルクは棍を担ぎ上げる。

 クライフもそのまま後ろに下がる。


「じゃあ、やるか若いの」


 マルクも下がりながら言う。

 お互いの間が十メートルほどになる。


「では――」


 クライフは長剣を抜き、柄を自分の胸元に、刀身を垂直に立てる。

 始まりの合図はない。

 申し合わせたかのように、すでに始まっている。

 左半身になった鈍色の塊から、赤黒い棍がクライフの喉元にぴたりと向けられている。石突きを右手の中に収めるように、肩幅に緩く垂らした両手で支えている。重さを支える両膝も、それを感じさせぬ柔らかいものだった。

 まるで重く古い巨岩から棍が突き出しているような印象だ。

 クライフは胸の前で立てた剣、眉間の間の刃からじっと、やや顎を上げ、視界を大きく緩く取る。右足は、半歩前。左足は、かかと同士を直角に添えるように、左に開いている。体は正対、ほぼ佇立。その泰然とした立ち姿に、マルクの目には根を張る若木に映る。

 先に動いたのはクライフだった。

 棍に引き寄せられるように二歩ほど滑り寄る。

 動かぬマルクの間合いの手前で止まろうとした矢先――。

 棍が、ぴたりと点のように見えていた棍の先が膨らんだ。

 そのまま真っ直ぐに突き込まれた一撃を辛うじて右斜め前に半歩踏みだしたものの、左の肩を消し飛ばされるかのような打撃の強さに踏込みきれずに真横に弾かれる。

 それでも倒れ込むようにはならず、追い打ちの棍を前へと突き出す切っ先で抑えながらズイと踏込む。腰から入る切っ先の重さに、重装鈍色のマルクは脇を締め左足を引くのではなく、右足を踏込むかたちで迫り来るクライフを己が左に弾き飛ばさんとする。

 一瞬の拮抗。

 棍は左手を支点とし、胸で上げた左拳によりクライフの腰を持ち上げるような角度に瞬時に切り替わる。

 落ちる棍の先。突き出した切っ先の下を潜り込む棍の半ばを、落とした切っ先で追いくぐるように下段で留め、滑らせるように刀刃を上に返し、鈍色の左拳を、その指ごと断たんと斬り上げる。

 ガツン。

 瞬時に拳ひとつ落とされた鈍色の左籠手、体側に付ける右拳、そして剣士に正対するように回される腰。棍は瞬時に斬り上げるクライフの剣を受け止める形となる。棍は垂直に立ち、滑り来た刀刃は十字にがっちりと止まる。

 一瞬。

 押しつぶす棍の圧力が高まった。

 クライフは右に、マルクの左に踏込もうにも、未だ間合いはやや遠い。鈍色の籠手を右腕で押し上げようにも、踏み込み片手になった瞬間に体を崩されることは明白だった。そうなれば、打ち下ろしが来る。それで終わりだ。

 刃を返し棍の上を滑らせて拳を断とうとすれば腰を引いて打ち下ろされる棍に頭蓋を砕かれる。

 圧力は横へ。

 完全に右足を前へと踏込んだマルクの薙ぎ払いが、クライフの体を弾き飛ばす。二人にとって、二人とも体幹を保ったままでいられたのは幸運だった。

 崩されることなく滑り後退したクライフ。そこはマルクの一足一刀の間合いであった。左足を踏込み打ち下ろし、または右に凪ぐ、左袈裟に叩きつける、いかようにもできるはずであった。

 しかし、マルクは棍を垂直に立てるだけで様子をうかがっている。右足は前で、左足はその後ろで左につま先を開き、柔らかく立っている。

 クライフは左足を前に、剣の切っ先をぴたりとマルクの喉元に付けている。

 奇しくも、構えがお互い入れ替わる形になっている。今度はクライフが守りの、マルクは攻めの構えだった。


「重い」

「早い」


 どちらの呟きだったであろうか。

 クライフの間積もりを凌駕する間合いの広さ。

 マルクの予想を凌駕する剣の重み。

 そしてお互いの早さ。

 速度ではない。攻撃の、力の道行きの早さだ。

 脱力することで生まれる最短最速最大の力。

 内心、舌を巻く。

 ここに来ると、周囲で見物を決め込む者たちから瞠目のため息が漏れる。この瞬転の攻防でどのような駆け引きがあったのか分かった者が、果たして何人いたか。

 ――頭蓋を割らねばならないか。

 マルクは石突きを柔らかく握り、左の拳はやや下げた位置まで滑り下ろす。その棍はクライフの長剣が有する間合いを凌駕する凶器と化す。

 ――頭蓋を割らねばならないか。

 クライフは頭ひとつ以上高い鈍色の頭蓋を割らんと、切っ先を上げる。右の拳を目の横に、柄頭を柔らかく握るように長剣を垂直に立てる。

 共に、攻撃の構え。

 巨漢鈍色のマルクが振るう棍は、加速がなくとも頭蓋を砕くだろう。

 クライフの刀刃も体を乗せた一撃で頭蓋を浸透せしめるだろう。

 間合いはマルクのほうがクライフの予想よりも一歩ほども広い。半身の片手打ちになれば更に伸びるだろう。この位置でも危ない。そこを踏込まねば勝機はない。

 かつて長物を扱う達者と戦ったこともあるが、あのときは自身の長剣を犠牲にして勝利した。しかし今回は、あのような勝ち方はできない。かつての強敵よりも膂力が強く、かつ、それだけではない難敵。あの目論見は通用しないだろう。さらに剣を突き刺す大地は今回石畳ときている。

 逡巡、膠着は、一拍だった。

 ずいとばかりにマルクが仕掛けてきた。左手を上にした諸手上段からの打ち落とし。

 覚悟を決めたクライフの踏み込み。同じく右手を上にした諸手八双からの斬込み。

 クライフの左側頭部上方から落ちてくる棍は、その左手側側面を彼の渾身の剣に合しされる。

 頭が砕かれるか、籠手を斬られるか、衝撃で沿った棍とたわむ刀身がガチリと噛み合い、棍を削るようにその半ばまで食い込んだ刀身。湿った音と乾いた音が同時に響き渡り、へし折れた棍もろとも長剣が折れ砕ける。

 共に、へし折れた棍の先と剣先が、頭蓋と籠手の外側を跳ね飛び、石畳を打つ。


「おお」


 どこから漏れた言葉だろうか。

 その嘆息に併せるように丸盆の周囲からざわめきが漏れる。

 マルクは残った棍を下段に構える。

 クライフは辛うじて残った数センチの刀身をピタリと上段に構える。


「そこまで」


 相談役の制止の声がかかる。

 マルクもクライフも、共に数歩後退すると構えを解く。

 その脱力した気迫が、周囲の喝采を招く。

 八方からの瞠目に、さしものマルクも同意せざるを得なかった。


「お互い、自前の得物だったら分からなかったな」


 マルクが快活に笑うと、クライフは肩をすくめる。


「どうでしょう。私は自分の頭が砕けていた様に思えます」

「俺は滑り来た刀身が左手を斬っていたと思う。まあよ、こういうもしもは考えるだけ無駄だ。ほんの少しのかみ合わせでどうとでも転ぶ。細身だが、なかなかやるな新参」


 鈍色のマルクは踵を返す。赤獅子の詰め所に戻る彼は、入れ替わりに橋を渡る相談役に一言二言申し送ると、肩を回しながら建物に消えていく。


「派手に壊したな」


 相談役はクライフに返された剣を見ながら、そう笑う。刀身がほとんど無いせいか鞘に収まっていない。


「良い勝負だった。新参、お前は人間相手ならそこそこ行けそうだな。マルクは重装巨漢、その膂力は獣もかくや。だが、あのマルクとて純粋な筋力や重さはシャールの獣に遙かに劣る。あの巨体を過信した戦士ではない。お前もシャールの敵と前線で戦いたいというなら、いつでも来い」


 そう言うと、帰りがけに折れた棍を拾い上げ、見物の傭兵に声をかけると詰め所に向かい、ウラルから鉄棍を受け取ると軽々と戻っていく。

 落葉片手に小走りに駆けてくるウラル。そのにんまり顔がやや引きつっているところを見ると、なにやらすれ違い際に相談役に何かを言われたらしい。

 彼はクライフの元にやってくると、剣士の両手がやや震えていることを確認する。


「まともに打ち合うからだ」

「避けられなかったんですよ」


 クライフは落葉を受け取ると、腰に差し戻す。


「それで、何を言われたんです?」


 ウラルは頭を掻きながら笑う。


「近衛で使わないならうちに貰うぞ、貸しにしておく、だそうだ」

「総てお見通しってことじゃないですか」

「いいじゃないか。ほれ見ろ、回りの傭兵も、『新参は人間相手ならやれるが、獣相手ならまだまだだ』という評価を得られたじゃないか。少なくとも、ある程度認められて、ある程度侮られるちょうど良い案配になった。少なくとも、無駄に喧嘩を売られることはこれでなくなる上に、名前と評価は跳ね上がるぞ~」


 鈍色のマルクの名声に乗っかる形だがな、と笑う。

 確かにこれは、貸しだ。そして、借りだ。

 傭兵たちの視線を浴びながら、クライフは今更ながらに流れる冷や汗を感じつつ、大きく息を吐く。よくもまあ、刃のない剣が食い込んでくれたものだと、幸運を感じる。それだけお互いの激突が強かったのだろう。


「どっちにしろ、これで敵も動かざるを得なくなるだろう」

「そうですか?」

「ああ」


 ウラルは頷く。


「少なくとも、『人』ではマズいと。ならば……となる。ならぬようならならぬでいいが、来るとなればひと味変わる。誘いだと思われれば思われるほど都合がいい。相手が今何をしているのかは分からんが、少なくとも何もしていないことはないだろうよ」


 近衛のその言葉にクライフも同意する。

 仕掛けてくるなら、今日だ。

 敵が帝国内部の動きに長けているならば、二王子の使い――浸着装甲というものを纏った護衛を引き連れた者たちがエレアの元に来る前に、事を為したいであろうことは窺える。

 浸着装甲は魔物と戦うために二王子が生み出したものと聞く。

 これの介入は避けるだろう。


「よし。休みがてら歩こう。敵の出方を、まずは伺おう」


 ウラルが口調を戻し、促す。

 敵の出方を伺うと。

 しかし、その余裕がなかったことを知るのは、次の瞬間のことだった。


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