第16話『喧嘩の買い方』




 ネズミ退治の剣士。

 昼も過ぎる頃には意図的に流されたその言葉と、街を往くクライフを結びつける者がちらほらと出始める。近衛が、衛士やガランに出入りの騎士団に流したそれは、尾ひれが付いて流れまくっている。


「この俺でも聞いてるくらいだ。ほんとにあっという間に広がってるな」

「ほんとですか」


 宿の主人からそれを聞かされたクライフは、鶏肉の煮込みを食べながら「早いなあ」と感心していた。

 あの小熊亭の宴、その翌日。

 あの席で決まった囮の餌情報を、「噂をばらまくならお手の物よ」と胸を叩いたイーモンが、さっそく――どのように撒いたのか――非常に効率よく広めてくれたらしい。


「傭兵街ではちょっとした噂になっている。あのネズミ、傭兵街を通るときに、名うての戦士をものともしなかったらしくてね。俺が君に助けて貰う直前に、功名目当てで返り討ちに遭っていた奴らがいただろう。うちの水桶倒した奴らな。あいつらは四人で小さな傭兵団をやっていたらしいが、生き残った一人が件の『ネズミ退治の剣士』を探してるそうだ」

「本人がですか?」

「いや、本人は治療院で寝たきり。探してるのは、そいつに頼まれたという誰からしい」

「誰か、ですか」


 食事を終えたクライフの食器を下げながら、主人は「さてねえ、どうもここでやられたから、この近くにいた奴だろうと探してるらしいんだが」と、店の前をクイと顎で指し、「俺はまだ見てないなあ。なんでも、腕を見込んでの誘いだろうという話だが」と首をかしげる。本当かどうか分からないのだろう。


「聞かれたら、俺だと答えてください」

「いいのか?」

「ええ」


 そうでなければ、話が始まらない。

 たとえその誰かではなくとも、彼の存在は少し有名になって貰わねばならないのだ。


「食い終わって早々出かけるのかい?」

「ええ。少し、頑張ってみようかと」

「頑張る? 何をだい」

「喧嘩の買い方」





 敵は傭兵街を注視しているだろう。

 そう断言したのはベイスだった。果たして敵の警戒と慢心がどのように揺れるのか、クライフは装備を調え、囮となることでこれを揺さぶらんとしている。

 曰く、「近衛が賞金を与えた」。

 曰く、「その剣は無双の名剣」。

 曰く、「腕前は折り紙付きの、傭兵団に属していない剣士」。

 ここまで揃えば、出歩くだけで喧嘩をふっかけられる。特に、面子大事の、評判大事の傭兵家業、腕試しや因縁は引く手あまただろう。がはははは。

 そう笑ったのはベイスだった。宿の主人にクライフが言った、喧嘩の買い方を頑張る……というのは、このことにある。

 名と力量が響けば、否が応でも人の口にのぼる。

 噂と実力が伴えば、否が応でも一目を置かれる。

 どのみち名を売らねばならぬ剣士家業、ここで名を売っておけば、仮に――いや、クライフ自身決めたことだが、エレア姫の配下になるにあたり、箔が付くのではと考える。

 特に、大いに目立て、というのはベイスの指示だ。


「大いに目立て、といわれてもなあ」


 宿を出て、傭兵街を歩き回ろうとしたときだった。

 出店の若い男や、客として屯する武装した男たちの視線を感じる。露骨といってもよかった。クライフが見られていることに気がつき視線を投げると、ある者はゆっくりとそれを外し、あるものはじっと見返しながらとなりの傭兵同士でボソボソと――値踏みだろうか。

 これはまた、話が早いことだと頷く。そのまま屋台のひとつに立ち寄ると、食べたばかりではあるのだが、小銭を取り出すと棒状に焼いたパンをひとつ手に取る。

 そして「もらうよ」と小銭を渡す。

 露骨なクライフの接近に店の若者も、近くにいた傭兵たちも、言葉も出ずにいる。それに構わず小銭を台に置くと、クライフはそれに齧り付く。


「毎度」


 遅れて台の上の小銭を受け取った若者が礼を言うと、クライフは気にせずにパンに齧り付く。二口三口と囓りながら、屋台に備え付けのパン切り包丁を手に、パンに切れ込みを入れる。


「その肉と野菜も貰うよ」

「あ……はい、毎度」


 小銭を追加し、屋台の籠に入っている、スライスされた燻し肉と青い葉物を切れ込みに挟み込む。


「ちょっとばかり懐が温かいから、今日は奮発だ。……そっちの飲み物も貰おうかな」

「はい、どうも」


 金払いの良さに若者も表情が和らぐ。おそらく商人街の中にある、食品卸の若者か、加工業者の息子だろう。彼はクライフに、果汁の漉し汁を、片手樽に入れて出す。

 酸味の強い、甘い汁だった。


「この前はここに店を出してなかったんだけど、あんた、ネズミ退治の?」

「おとといのか。まあ、そうなるかな」


 クライフの首肯に、若者もちらりと傭兵を一瞥する。


「噂だよ。みんな知らないかって聞いてくるんだ。あれだろう? シャールの獣。でかいネズミっていっても、五人はそこら喰ったっていうじゃないか」

「そんなに?」

「死んだ人間はもう少し多いって話さ。でもたいしたもんだよね」


 と、若者はクライフの腰に目を留める。


「ソレで、一刀両断。名うての剣士だって話だけど、どっからきたの?」

「遠いとこから。……ともあれ、衛士にはあれで名が売れたから、次はいくらで売り込むかという話になるんだけどね」


 落葉の柄をポンと叩きながら笑う。


「団に入るつもりはないのか?」


 こちらは横合いから顔を覗かせる中年傭兵の言葉で、つられて見れば、使い古した長剣と、板金を部分部分に用いた革の鎧、そして浅黒く日に焼けた総髪のしかめっ面。


「そんなもの着て歩いているんだ、傭兵家業なんだろう? 若そうだが、いまは独り者か?」


 おそらく、前線とこのガランを定期的に行き来する傭兵団の目利き役だろう。どうしても減っていく団員の確保が主な仕事になる。クライフのような個人は珍しいらしいが、元は団に所属していた流れ者や、人員の吸収にも似た、団そのものからの引き抜きなどは日常茶飯事と聞く。

 そのため、傭兵たちは自分が傭兵であるということを殊更に喧伝するため、鎧などの武装をし、「そんなものを着て歩く」ことが半ば習慣となっている。所属はともかく、武装して歩き回るということは、シャールにおいては等しく傭兵家業を営んでいるということになる。

 この中年傭兵が声をかけてくるのは、自然なことなのだろうとクライフも考えた。考えたが、素直に答えても面白くはない。

 いままでの人生において、自分から相手の疳に障るようなことをしたことはない。しかしクライフは相手が望むだろうという言葉ではなく、やや拍子抜けにも思える方向で返し始める。


「団にはもう所属している」


 クライフはパンを平らげると、そう告げて飲み物も一気に飲み下す。


「どこの団だ」


 そう聞く傭兵に、「剪定――剪定傭兵団さ」と答える。成り行きに任せると思ったにしては、未練が残るような言葉選びに苦笑する。


「少なくとも俺より弱い団の元には下らぬし、俺より弱い奴にも用はない。とりあえずだが、今はまだひとりでもいいんだ」


 言って、ああ自分は嫌なヤツだなと内心頷く。


「団員の腕が見たいってことか?」

「ひとりがいいと言ってるだけさ」

「そうは聞こえなかったがね。――おい」


 と、傭兵は控えていた若手の傭兵――これも装備は似たようなものだった。彼を引き連れ、去り際に「赤獅子傭兵団だ、またな」と言い残して去って行った。


「赤獅子、か。聞いたことは?」


 クライフは店の若者に聞くも、返ってきたのは意外そうな顔だ。


「知らないんですか? あの獅子王子のお気に入りですよ」

「獅子王子? 王子……というと、二人いる王子の――」

「ゴルド王子ですね。聞いててヒヤヒヤしましたよ。赤獅子にあんな口叩くなんて」

「知ってたら遠慮したなあ」


 首をぺしりと叩きながらため息をつく。


「やっぱりあれかな」

「呼び出しくらいあるんじゃないッスかねえ」

「まあそうなるよな」


 さて、と頷く。


「これもまた、修行ってやつなのかねえ」

「知りゃしませんて。ああそうだ、赤獅子についてなんですが、このまえ入団したっていう三十そこらの重装野郎がいましてね」

「重装野郎?」


 そうです、と若者は頷く。


「身の丈はこーんくらいあって、肩幅も猪首ででーんと広く、手足の太さなんか子供の胴体くらいあるんですよ。そいつが倍の厚さの全身鎧姿で、鉄芯を束ねた身長と同じくらいの鉄の棒を振り回すんだそうで。通称が『鈍色のマルク』」

「確かに重装野郎と言われるだけはあるな。実績は?」

「これがしこたま。四年前に流れてきたんですが、赤獅子ではない他の傭兵団に所属し、第一王子領の前線で十六の巨獣と四の魔獣を殴り殺し、雑魚はもとより百戦錬磨と、これが折り紙付き」

「魔獣、ねえ……」

「傭兵団が下手を打って壊滅状態になったのが去年。本人も怪我を負って、復帰早々に赤獅子が声をかけたという案配」

「事情通なんだな」


 感心したクライフに、若者は肩をすくめる。


「まあ、こんな商売していればね」


 と、口調が変わる。

 今までの客相手の物腰とは違う、やや佇立に近い自然体になると、にんまり笑って屋台に隠していた長剣をちらりと見せる。

 見覚えのある長剣に、「――こんな商売、か」とクライフも額を叩く。


「ヴァルたちからはまだ俺のことを聞いてないと思うが、まあこういう捜査はお手の物。さっきの赤獅子の二人にあんたの情報を流したのも俺だし、さっきの赤獅子の二人にこれからあんたが『水追いの広場で鈍色のマルクと勝負を所望している』と伝えるのも多分俺だ」

「近衛はやることがエグいな」

「あんがとよ。少数精鋭、うちの持ち味。よろしくな、俺はウラル。こう見えても四十手前のおっさんだ」

「見えないな……」


「そういうところも得意でね」とにんまり笑う。笑い皺は確かに歳の深さがあるかもしれない。「――上手くいけば、派手な宣伝になる。ただ歩き回るより良いだろう? いやいや礼は要らんよ。あんたの挑発も大した物だった。手間が省けるってもんだ。いやはやいやはや」


 ウラルの物言いに、さすがに言葉がない。


「ともあれ、得物は持って行け。傭兵街名物の手合わせとなれば、刃を潰した剣や棍棒くらいはそこらじゅうから渡される。ああ、ちなみに水追いの広場ってのは、ここをあっちに行った広場のことだ。赤獅子の詰め所と、推奨の傭兵団の詰め所、このシャールで上から数えた方がはやい上位傭兵団たちの詰め所が見下ろす広場だ」

「手合わせ、か。用は売り込み舞台ってことか」

「そういうこと。まあ、死なないようにな」


 あっさり言うと、ウラルはかがみ込み、ごそごそと素早く近衛の制服に着替えたかと思うと、顔をもみほぐす。

 するとどうだろう、軽い空気は形を潜め、近衛の面々と同じ空気をまとう一人の壮年の男が現われる。顔もやや面長で骨張り、先ほどの顔とは全く違う印象を受ける。


「手合わせを伝えるのは、通例、荒事を容認する手前、衛士の仕事になる。俺は近衛だが、あんたが出る以上、近衛が見てることも知らしめなきゃならん。俺は衛士を捕まえたらさっきの旨、赤獅子に伝える。まあ頑張んな、鈍色のマルクは強ぇぞ」


 そう言い残すや、そそくさと屋台を空にして消えていく。


「俺の監視も担ってたんだろうな」


 クライフが独りごちると、前掛けをした五十半ばほどの男性が入れ替わりにやってくる。


「そういうことでしょうねえ」


 彼はそう言うと、ウラルがあとにした屋台に収まった。


「少数精鋭ですが、配下がいないわけではありませんからねえ」

「すごいな。いったい姫殿下はいくつの目と耳をお持ちなのか」


 ともあれ、行動は決まった。

 トントン拍子にお膳立てが成された以上、彼にできるのはせいぜい派手に目立つことだけだ。


「水追いの広場。……さて、今度もまた巨漢が相手とはな」

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