第15話『俺のおごりだ』



 ベイスの懐は一気に軽くなった。

 小熊亭という可愛らしい名前からは想像できないほど、この店の料理は濃く重く多い。酒が良く進み良く合う料理がこれでもかと出されてくる。

 席に座れば、黙っていても料理が運ばれてくる。飲み物を頼めばすぐに出てくる。払いはひとり当たり一律の値段で、店に入るとまとめて払わされる。

 ベイスの財布から幾ばくかの金員が店に流れると、奥まった席に案内される。人数はベイスを始め、アリス、イーモンにヴァル、そしてクライフだった。

 巨漢と共にガランを見て回ったクライフは、彼の意外な甲斐甲斐しさに感心した。総ては歩き回れてはいないが、港の中心から方々に伸びる道を各街区の構成と共に説明を受けた。


「ともあれ皆の衆、今日は良く集まってくれた」


 グラスを片手にベイスが四人を見回し、堂々と手を腰に言う。


「今日の宴は、明後日の糞野郎どもを迎え撃つために英気を養い、且つ! これが重要だが、糞妖女をなんとしても探し出し事の裏を調査する! なんとしてもだ!」


 張りのある声だが、店の特色から傭兵たちも多いため、誰もこちらを気にしていない。


「ということで、今日は楽しんでくれたまえ」

「うぉーい!」


 ヴァルが杯を掲げて口を付け始めると、次々に料理が運ばれてくる。


「よし、まずは喰おう。喰いながら、情報交換と行こう。ああ、ちなみに他の四人はまだ紹介していなかったな。あいつらは今頃、俺たちの代わりに尖塔と奥をお守りしている」

「しかし本当におごりとは。ありがたくいただきます」


 クライフは礼を言うと、口を酒で湿らせ、炙り肉に齧り付く。

 パリっとした皮の下から、甘い肉汁があふれ出す。焦げるくらいに良く焼かれているが、中は柔らかい。これに、細かく削ったチーズをかける。


「ああ、やっぱりこれだよなあ」


 イーモンも同じように肉に齧り付く。


「アリス、お前はもうちょっと喰わんと大きくなれないぞ。ほれ」


 ベイスが取り皿に手ずから肉をとりわけ、果物酒をちびちびやっているアリスの前に、でん、と置く。


「こ、こんなに食べたら次が入りませんよ。それに、私はもう大きくなってこれなんです。お気になさらず」

「そうか、じゃあ俺もこっから喰うか。はははは」


 アリスの皿から肉をつかむと、そのままばりばりとかみ砕くベイス。困った顔のアリスもそこから嬉しそうに肉を取るが、その様子がなんだか親子のようでクライフの頬も緩む。


「食べながらで良いから、聞いてくれ。今日の聞き込み部隊の情報と、俺たちが今までつかんでいた情報をすりあわせよう。まずは、謎の女からだ」


 そのベイスの言葉をアリスが引き継ぐ。

 敵の情報に、クライフも身構える。


「これが、『女』というだけで、みんな見た人物像が別々なんですよね。飲んでた親父は『色黒のはすっぱな女』って言ってたし、給仕の女は『黒い長髪で色白の美人』と言っていたし、他の証言も共通したところはほとんどないですね。ただひとつ、男も女も、『どこかで見た誰かに似ている』と証言してます。そこが鍵かと」

「どこかで見た誰か、か。それも、見覚えがあるような女……に似た誰かに見えるってことだとしたら、こっちの認識を乱してる可能性があるな」


 イーモンの言葉にクライフは訪ねる。


「認識を乱す? その――」

「ああ、簡単な魔法だろう。敵国の刺客か何かだろうか」

「自分はまだその魔法という概念や効果を理解したとは言えませんが、その認識を乱すというのは、文字通り、見ているものの認識をねじ曲げている、幻術みたいなものでしょうか」

「幻術。いいね、的を射ている。どうやら、こそこそ動くなりに、こそこそしたことをしてるようだ。つまり、見てる本人に、知ってる誰かに似た誰かと自分を錯覚させているんだろう。証言がばらけるはずだ」


 イーモンもクライフの言葉にそう追従する。


「俺もヴァルも隊長も、元は前線の兵士だったからな。こういう小細工を労する敵や、獰猛な魔獣との戦いはお手の物なのさ」


 クライフの「……アリスは?」との問いに、彼女自身「教えない」とにべもない。


「仲良くなれば教えてもらえるような甘い女じゃないぞ、コイツは」


 ベイスがポンポンとアリスの頭を叩き撫でる。


「撫でないでください」


 と言ってる割には、肉を食べながら拒否はしない。


「話を戻しますが、金払いは良かったそうです。礼のネズミ男の食事代は、現金でまとめて支払ったそうですし。まあ、金額はしれてますが、うだつの上がらぬ貧相な男に飯を食わせるなんて、何か裏があるに違いないですよ。まあ裏があったんですがね? 何をどう仕込まれたらあんな魔物に変生するのやら」

「――悪いものでも喰わせたのかもしれんな」しみじみと、ベイスは呟き、「変生とは、言い得て妙だな。飯を食わせる。つまり、欲求を満たしてやりながら、別のモノを仕込む。欲を満たしてるときは、毒も入り込みやすいからな」

「殿下の分析はどうなんですか?」


 イーモンがあの白い小鳥のことを思い出す。


「概ね、予想通りだな。身元が分かったのもあれのおかげだしな。――つまり、あのナリで、あのネズミのナリで、前線でも滅多にお目にかかれない特性を持つ相手だったということが分かったらしい。――つまりは、魔法で産まれたモノは、魔法でなければ倒せない。もしくは、人外の力で無理矢理叩き潰すしかない」


 重い沈黙が落ちる。


「二王子たちが作り出した浸着装甲の使い手のみが、倒せるという、魔獣。魔法獣。魔法生物。これがこのガラン、帝国最奥の街に現われたと言うことは、どういうことであるかは言うを待たない」

「速やかに叩き潰さないといけませんね」


 クライフが頷くと、四人は目を丸くする。


「お前に……クライフよ、お前に言ってもらえるとは思わなかった。いいのか? ああ頼んだはいいが、まだこんな厄介ごとから引き返せるんだぞ?」

「そう言われても、自分としては、できることをしたいと思っています。自分に、この『落葉』でできるのなら」


 確かに、彼としては自分の剣が件の魔獣に効果を現したということは、現状、近衛だけではなくこのガラン全体において、対抗する術が限られてしまっているということだった。

 落葉がなくとも、時間をかければシャールの、この近衛たちは対抗策をいくつも考えるだろう。

 だが、時間はない。

 あの魔物が倒されたことを知れば、敵はまたすぐにでも動くだろう。


「なぜ、魔物は北からやってくるのか」ヴァルは呟く。「非常に長くこの問題には帝国も悩んでいた。魔物の習性という以上に、他国の策謀の一種ではないかとも言われているが、定かではない。ここまでは知っての通りだ」と続ける。

「魔物の性質、か」


 昼の話を思い出す。


「こう考えると、魔物は――その、『わるいもの』はエレア姫を目指してるのではないかと、考えられる」


 これは姫自身の言葉だがな、とベイスは断りを入れて続ける。


「あのネズミ糞野郎も、いったん北に逸れたが、魔物としての自覚が芽生えた途端に南下……港へと向かっていただろう? あれはな、姫を狙っていたんだよ。あの糞ネズミ糞野郎の糞死体を覗いたときに、はっきりとそれが感じられたんだとさ。なんて話だよ、これ以上、殿下を苦しめようとするなんてよぉ。ぶっ殺してやる。ぶっ殺してやる。うう……ぶっ殺してやる」


 途中から鼻声で呻くベイス。しかし酒を飲む手と飯を食う口は止まらない。


「ただよ、ただよ、こればっかりはこっちの有利だと言えることがひとつある」


 ドンとグラスを置き、ベイスははっきりと言う。


「敵は、まさかあの魔獣が倒されるとは思ってもいなかっただろう。次は警戒する。かならず必勝を期して仕掛けてくるだろう。……それまでの時間が、俺たちの勝負所だ。転じて言えば、相手がどこまで、どれだけ手駒を作れるか分からない。数でこられたら、こちらの負けだ。それだけはならぬ。絶対にならぬ。ぶっ殺してやる。ぶっ殺してやる。うう……ぶっ殺してやるッ」


 女給が持ってきた皿を横取りするように、ベイスは茹だった豆を頬張る。塩の利いた青い香りで怒りを静めんと、もさもさと頬張る。


「敵の正確な人数も、戦力も、分からない。だが、策はある」


 イーモンは提案する。


「自分を、この落葉を囮にするんだろう?」クライフは笑う。「話の流れで察した。ベイス隊長が自分を街中引き回したのも、知る人間から見れば『あの魔獣を倒した男』として映るだろう」

「そんなつもりで案内したんじゃねえぞ?」


 そこだけは言っておくぞ! とベイスは重ねて言う。


「俺が考えついたんですよ、今。頭よさげですがこの隊長、人が良いですからね。囮なんて考えてもいなかったでしょう」


 イーモンはさらりと言う。


「で、どうなのよ。やる?」


 と、これはヴァルだ。イーモンとは付き合いも長いのだろう、この提案は彼も一口乗っているとみてもいいだろう。

 アリスは興味深く彼を見ている。


「もちろん」


 頷く彼に、四人は各々、様々な感情を込めて唸った。


「そうか」


 ベイスはそう言うと膝を打った。この一件、隊長である自分の了承の元で行われるものであると、いま部下の尻を持ったということだろう。


「よし、今日はいっぱい飲め。俺のおごりだ!」

「知ってます」


 クライフは杯を上げて答える。

 できることをやる。

 未だ外国であるこの地における正義であるとか、悪であるとかは、正直まだよく分からない。

 だが、人を汚染し、魔物へと変える所業は止めなくてはならない。

 それ以上に、ひとりの少女を助けてあげたいという気持ちが、いま彼に剣を取らせるに充分な要因であった。

 ひとくち酒を飲む。

 魔獣、魔法。

 未だ未知の相手に、自分の剣術がどこまで通用するのだろうか。

 剣で解決できることはあまりにも少ないが、その少ない中には剣でのみ解決できることが確かにある。

 それを信じるしかなかった。

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