第13話『師から託されたもの』
「おはよう諸君。……なんだ、ヴァルとイーモンしかおらんのか」
「遅く起きてきて早々、あんまりな物言いですね」
「だな」
ベイスがすっきりとした格好で現われるやいなや放った言葉に、内勤で詰めているヴァルとイーモンが揃って不平のまなざしを向ける。しかし当のベイスは素知らぬ顔だ。無視ではなく、言っておいて自分自身の言葉に興味がないと言った体だった。
「どうだイーモン、久しぶりに髪を整えたのだが」
「油べっとりじゃないですか」
「ヴァルよ、このおろしたての制服の着こなしはどうよ」
「ああ、それは似合ってます。どこのオーガかと思いました」
「はっはっはっはっは」
そうだろうそうだろうと、頷くベイス。
「おうお前ら、ちょっとアリス探してこいや」
「無茶言い始めましたよこの隊長」
文句を言いたげな部下二人の睨み付ける。
「ちょいと野暮用でな、姫さまに呼ばれてるから探してる暇がないんだ。お前らちょっと探してこいや、な?」
「探して来いって、昨日の男を見晴らせてるんでしょう? もう許したんですか?」
「隊長、帰りに酒買ってこいって俺たち走らせましたよね? まだコキ使うんですか?」
二人の質問にベイスは「そうだ」と答え、「昨日の今日であんなことを言っておいて、顔を合わせるのがなんか嫌だからな」と開き直る。
「でもなんでそんなに嬉しそうなんです?」
というイーモンのいぶかしげな視線には、「浮かれてなどいない」と務めた無表情で答えている。
これは怪しいと二人は顔を合わせる。
「でもまあきっと長官がらみだな。今日は奥だろう? イーモン」
「少し前、奥に向かったときに何かあったんだと思うわ、ヴァル」
「黙れ。いいからとっとと探してこい。帰り際に酔い覚ましの果物も買ってこい。おらおら何してる早く行かんか」
二人は直立、礼を返す。
「は。ただちにアリステラを迎えに行って参ります!」
「は。帰りがけに酸味だけ強い旨味もないアレを買ってきます!」
ほほうと眉根を寄せるベイスの文句が弾ける前に、二人は出入り口へと向かう。
そしてイーモンのその手が扉にかけられたとき、その姿勢のまま二人はピタリと止まる。そしてノブを指で押下しながら、ゆっくりと外に開く。
「おっと」
そして外から聞こえた声に、ベイスも「ん?」と顔を上げる。二人はその声の主の足音などを聞き、勢いよく押し開けようとした扉をゆっくり開けたのだろう。
そして二人は、外の主に道を開けるように、扉を少し大きく開けながら、ゆっくりと扉の左右へと下がった。
ベイスは唸った。
「……何でお前がここに」
そして扉の前で、こちらもぽかんと口を開いたクライフも、ベイスのその言葉に首を振って応える。
「……俺は、燐灰石の尖塔に用事があってきただけだ。そうしたら、アリステラというあの少女が、ここだと」
髪をテカテカと整えているこの巨漢が、昨日の巨漢、ベイスであると数瞬遅れて気がつくと、クライフはそう言ってやや背後を気にして肩をすくめる。
「燐灰石の尖塔だとォ!?」
ベイスの圧の利いた問い返しに、イーモンもヴァルも顔を見合わせて唸る。
「ずいぶん古い言い回しだなイーモン」
「前女王時代の言い回しだなヴァル」
それもそのはず、クライフに言われた瞬間、ベイスは彼が何を言っているのか一瞬理解しかねた。が、それが王女、はては女王に仕える近衛の通称であることを思い出す。
「いかにも、近衛の詰める、この建物を指す言葉だ。人々が、近衛と直接的に呼ぶのをはばかるときに用いた通称だ。古い古い言い回しだ。……誰に聞いた、その名」
ベイスは組んでいた腕をだらりと垂らしながら問う。
その仕草にクライフは、昨夜自分がへし折ろうとしたあの腕は、そんなに痛めていなかったのだと少し安堵した。
そして懐から、刺激しないようにゆっくりとあの紹介状を取り出す。
三人の目が、その白い封筒に向けられる。
「自分が、師から託されたものです」
言葉を改め、クライフはベイスに歩み寄り、それを差し出す。
ベイスの目にも、その表に『燐灰石の尖塔へ託す』と、やや重い文言が癖のある強い筆跡で書かれていた。
「……預かろう」
クライフは素直に渡す自分に少し驚き、ベイスも素直に受け取った自分に軽く驚く。
やや、厚い紙だった。裏返すと、赤い蝋で封がされており、細かい文様の押印が見て取れる。
猫と、薔薇? この印は――。
そうベイスが思いをはせようとしたとき、じゃらりという重い音が四人の耳に聞こえてきた。
鎖を引きずるような音が近づいてくるや、ヴァルとイーモンは黙って跪き、ベイスもはっとなり、奥の扉に向かいかかとを合わせ、紹介状を手に姿勢を正す。
一瞬で張り詰めた空気に、クライフもやや脇に立ち、控える。
「ふふ、みんないるというのは本当のようね」
姿を現したのは、コティだった。そしてその後ろからもう一度鎖の音が聞こえたと思った瞬間、胸に手を当て、三人は敬愛の礼を取る。クライフは近衛の礼に、まさかと心を構える。
そのとき、開けられた扉から一羽の白い茫洋とした小鳥が舞い込むと、そのあとから駆け込んできたアリステラがイーモンたちと同じく即座に控える。
――小鳥?
その小鳥が部屋の中でふわりと円弧を描くように飛び、そして、重い鎖の音の元へと、ふわりと舞い降りる。
コティはその少女に道を開けるように壁際で控えつつ、クライフに静かに言葉を投げかける。
「控えなさい。こちらは――」
「よい」
その少女は、臣下の言葉を抑え、頭ひとつ以上高いクライフの元に、重い、重い鎖を引きながらやってくる。
手甲から伸びるような鎖の拘束、足枷、頷くことも叶わぬような大きな首かせ。その総てから鎖が伸び繋がり合い、ぼろぼろの赤いドレスを身にまとうその肌を傷つけている。足下は、裸足だ。
しかしその囚人のような少女からは、凜としたものが伝わってくる。長い髪は後ろでまとめられ、それでも腰まで美しく伸びている。
「シャール王女、エレアです。このような姿でごめんなさい、クライフ=バンディエール」
自然と、彼は跪き礼を取っていた。腰の落葉を鞘ごと外し、右手に持ち背に回す。顔は伏す。
「突然の訪問、ご容赦ください。エレア殿下」
脳裏に、色々あるのだと言っていた宿の主人の言葉が思い返される。何も知らぬ者が可愛そうと不遜なことは言えないと言っていた、あの言葉が。
「楽に、クライフ=バンディエール。――ベイス」
「は!」
ベイスはエレアに、クライフが携えてきた紹介状を手渡す。
「燐灰石の尖塔の長である私がお預かりします。……ふふ、しかし、猫に薔薇の紋章ですか」
エレアは懐かしそうに目を細めた。決して自由には動かせない手で、鎖を持ち上げながらその封筒を矯めつ眇めつ見る。
「古めかしい言い回し、腑に落ちました。長旅の間、よく蝋封が解けなかったと思いましたが、先代女王の印であればそれも頷けるというもの。――中を改めても?」
クライフは顔を伏せたまま、頷いた。
それを受け、エレアは右手人差し指でその赤い蝋封に触れる。
ピン……というやや高い音と共に、それは紙から剥がれ彼女の指先に移る。
「なるほど、本物のようね」
猫と、薔薇。その紋章が浮き出たそれを指に乗せたまま、ふっと、息を吹きかける。剥がれ飛んだそれは、光の粒子となり中空に溶け消える。
「ふふ。顔を上げなさい、クライフ=バンディエール。あなたの身元は、この瞬間、私エレア=ラ・シャールの預かりとなりました」
「感謝いたします」
顔を上げるも、目は伏し気味に、しかしはっきりと感謝を述べる。
「先代女王が使っていた、紋章の指輪。それで封をした書状が届いた。なんという巡り合わせだろうか」
先代女王の、紋章。
ベイスも、唸った。そのような物を、非正規の手段で入手できる物ではない。魔導シャールが女帝の信用と信頼を顕す道具ならば、悪しき者が手にすれば、その者共々砕け散るだろう。
言葉には出さないが、このクライフという剣士に向ける目は、疑いのそれから未知のそれに変わっていく。
「さて。……これは」
中には、折りたたまれた二枚の便箋。書かれている文章は、封筒に書かれていた筆跡と同じ。
しばらく読み進めるエレア。
その表情が、深く、重い物に変わる。
エレアはもう一枚めくり、静かに読み進め、確認し終わると、大きく息をつく。
「これをあなたに渡した者は、右目に傷を?」
「はい」
クライフは懐かしい師匠の顔を思い出す。
「中には……古い、古い約束が書かれていたわ。指輪の持ち主が、先代女王と交わした約束が」
「約束でございますか」
顔を上げ、彼女を見上げるクライフ。
その目に、エレアは頷く。
「シャールの女王が望むとき、必ず力を貸すという約束。しかし、あなたの師匠は、それを果たせなかった。先代女王が、若くして倒れたから。それを機にシャールを離れたそうですが――」
「はい。このシャールの遠く南、十の風の物語が根付く士族たちの国に」
「――なるほど。あい分かりました」
エレアの言葉に、イーモン、ヴァル、アリステラも、顔を上げる。
「ふふ。あなたの師匠という方から、約束は代替わりしたので、落葉を継いだあなたを好きに使えと書いてありました」
「好きに使え、ですか」
言いかねない。
「近衛はこのエレアの私兵です。が、落葉を継いだ者とはいえ、近衛はこの国の兵。あなたを近衛に取り立てることはできません」
ですが、とエレアは微笑み続ける。
「好きに使えと言われれば、好きに使わねば失礼に当たります。――クライフ」
「は」
「このエレアに仕え、歴代女王に纏わる因習を追って欲しい」
「因習――」
色々あるんだ。あの言葉が、再び聞こえる。
言葉の意味を飲み込むクライフに頷くと、エレアは近衛に目を向ける。
「ちょうど良い。明後日、兄上たちの『回収屋』が来る」
「なんですと」
ベイスは声を荒げそうになる。
「姫さま、もう満ちたのですか」
巨漢の絞り出すような悲痛の問いに、やはり静かに彼女は頷いた。
「この国の基盤を保つため、外敵を討つために、私の力を吸い取った宝玉を回収しに来る者がいる。クライフ」
「……は」
「あなたに立ち会って貰いたい。その後、私に好きに使われるかどうか、あなたが自分で決めて欲しい」
息をのむ近衛。あのコティでさえ、眉根を寄せている。
断るという選択肢もあるだろうが、師からの重く勝手な期待と、ここで目を背けることはできぬと言う強い決意が、彼をひとつ頷かせるのであった。
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