第11話『見張ってろって、言われた』
港から疲れ切って通る傭兵街は、昼間の騒ぎがまるでなかったかのように静まりかえっている。
軒並んでいた店舗も扉を閉じ、出店の多くも庇を下げて畳まれていて、ひっそりとした暗い道をクライフは静かに歩いていた。
傭兵たちの宿舎の多くも、扉を閉じ、売り込みをかける地方へ出かける準備をしているのだろう。本当に静かなものだった。
双剣亭に戻ったときは、そんな夕飯時を過ぎた静かな時間だった。
宿の灯は道にも漏れている。どうやらまだ扉は閉められていないらしい。道の脇を見るが、そこにあった屍は血だまりなどもすっかり片付けられていて、痕跡すら見つけられない。
「ただいま帰りました」
一声かけて入り口をくぐると、カウンターで今日の収入を勘定している店主がびっくりしたように顔を上げる。
「無事だったのかい」
その心配げな声に、クライフは苦笑する。
「とんでもない。巨漢の衛士に襲われましたよ」
「へえ、あの男だろうな。うちにも来てなあ。悪いと思ったが、昼間のことを根掘り葉掘り聞かれてしまって、ついあんたのことを話してしまったんだよ」
「役人相手ですし、仕方がありませんよ」
そう言って、クライフは店主の隣に少し間を開けて座る。
「このガランの衛士って、あんなに猛者ぞろいなんですか?」
「あのデカいのは初めて見るなあ。ああ、普通の衛士はあそこまで変じゃないさ」
「変じゃない……と言うと?」
「肩んとこは見たかい? あの金の三本鎖は近衛のものなんだよ」
「よく見てはいなかったな。近衛というのは、貴人のお側役かなにかで?」
何も頼まずに話を聞くのも悪いと思い、軽い酒を注文する。店主は厨房に向けて注文を徹すと、洗い物をしていた奥さんが陶器のコップと片手樽に満たした薄い酒をカウンター越しにクライフに渡す。
「ああ、金は良いよ。今日はもう締めてしまったし、宿代に込み込みだからねえ」
懐に手を伸ばしかけていたクライフにそう言うと、店主は金勘定の手を休めて「そうだなあ」と蛾の舞う天井のランタンに考え込むような目を向ける。
「シャールに来たばかりだから知らないだろうが、うちの国は王様の下に、二人の王子さまと一人のお姫さまがいらっしゃるんだ」
そこで店主は今さっきクライフが戻ってきた道の方を指し示す。
「この先、港の向こう、外れの海岸の先にそのお姫さまがずっと長いこと住まわれていてね。あのデカ男は、金の三本鎖の衛士は、そのお姫さまの近衛なんだ」
「姫君が、住まわれていらっしゃる? ……宮殿ですか?」
「いや、こればかりはなあ」
店主が金勘定を止め言葉を濁す中、クライフは酒を注ぎ、ひとくち喉を湿らせる。弱い酒だ。ほんのりとした果物の酸味がする程度のものだった。
「帝国中央には、王様。北の国境には第一王子さま、西の大海岸には第二王子さまの宮殿があるんだけどな。……まあ北と西は侵略の激しい場所で傭兵の引く手あまたな戦地でもあるんだが」
そこで勘定を再開した店主の立てる硬貨のチャリチャリとした音がしばらく続いた。
しかし、クライフは待つ。
「姫さまはなぁ……」
ため息交じりだった。
「姫さまは、ずっとあそこに住んでいらっしゃる。まあ、うちらのような何も知らないただの臣民が、姫さまは可愛そうだとか、そんなことを思うのも不遜なんだろうが、まあ、色々あってねえ。近衛は、そんな姫さまが持つことを許された、数少ない権力のひとつなんだよ」
「数少ない――」
ふと、考える。
近衛は、私兵に近いものなのかもしれない。
その私兵が、数少ない権力のひとつという。
「国の事情はいろいろあるさ」
そういう店主に、クライフも頷く。
「ともあれ、ひっそり暮らしている姫さまがいることを覚えておいてくれれば良い。この国の、業みたいなものさ」
「わかりました。――で、つかぬ事を伺いますが、『
「ほっ」
心底驚いたがなるほどと納得したかのような息を漏らし、店主はふむふむと頷いた。
「知ってるよ。倉庫街の先、港を少し東に行くとすぐ分かる。文字通りの青い屋根の尖塔が建ってる。分からなかったら、港の水夫たちとか、まあ誰に聞いても知ってるから、聞くと良い」
「ありがとうございます」
燐灰石の尖塔とは、クライフの言う働き先のアテ、そこの名前である。明日はそこに向かうと決め、クライフは残りの酒を注ぎ、呷り、席を立つ。
「大変だな」
心底心配顔の店主に、クライフも肩をすくめる。
「働かないと、食べていけませんから」
「……働く?」
「ええ」
「……なるほどなあ」
店主の反応は、やや不可解だった。しかし大した食い違いではあるまいとクライフは片手樽とコップを一段高いところに置く。
「朝は食べていくかい? そんなに早い時間には行かないんだろうしな」
「ええ、いただきます。色々ありましたが、ともあれ明日から新生活ですよ。不安で胃が痛いですが」
「なんとかなるやね」
腰をパンと叩かれる。激励だろう。
階段を上り、自室へと戻る。
案の定、荷物は動かされた形跡があった。ベイスはじめ、近衛とやらが家捜ししたとみて間違いはないだろう。
「近衛か。しかし、なんで王族の私兵が、獣にこだわる……?」
分からない。
ともあれ、武装を解きゆっくり寝ることを決めたクライフは、すべて明日と区切りを付けて大きく伸びをするのであった。
翌朝。
早朝ともいえる時間に起き上がりはしたものの、海を渡る前にしていたような、なにかをしなければならないという強い状況ではない今の自分に、呆けたようなため息をついてはじっとものを考えるように腕を組んだり、顎を撫でたりする。
自分が組織の中でいかに活かされていたかを、船を下りてからふと痛感する。
「まずは仕事だ」
紹介状を彼に託した師匠は、剣で生きるクライフが剣で生きていけるような場所を、『燐灰石の尖塔』という場所を示した。
そこがどんな場所で、どんな仕事をしているのかは分からない。分からないが、クライフならばという師の意思も感じられる。
戦の倣いとはいえ、ひとりの男の、多くの男たちの傭兵としての夢を屠ってたどり着いた国。このシャールできっとできることがあると、彼自身強く信じたかった。
「燐灰石の尖塔は、港の東だったか」
思い返す。
近衛のベイスと拳を交えた場所から、さらに東なのだろう。ガランは広い。港の主要施設と周辺の傭兵街などの街を含め、さらに周囲には住民や漁民の集落が点在している。船から臨んだときには見えなかった先に、そこはあるのだろう。
出先に赴くため、しっかりと着替えてから、武装を整える。紹介状は封が外れぬよう、硬い紙に挟み込み、懐に。そして鎧。落葉を腰に。前腕と脛の装甲を体を動かして馴染ませる。
こんなものかと支度を済ませ、階下で食事を終え、宿を出る。
「……おや?」
宿を出たところに待ち構えるように佇んでいた少女に気づき、クライフはふと足を止めた。
少女。そう、クライフにとっては見覚えのある少女だった。衛士の、いや、近衛の黒い制服。そんな彼女の腰には、畳まれた半弓と、矢。つまらなさそうな顔で、あの夜にベイスが投げ寄越した長剣をぎゅっと抱えながらフンと彼を見据えている。
「まだ俺に用なのか?」
失敗に終わったとはいえ、目の前の少女はクライフの命を奪いかねない一矢を放った弓兵であった。彼は許したが、あの闘争の邪魔をした少女がこうして彼の前に現われること自体、予想が付かなかった。
「見張ってろって、言われた」
「昨夜からずっとか?」
頷くアリス。
「仕方がないじゃない、隊長があんな顔で言うのだもの。あんな顔にさせてしまったんだもの。……どのみち、あなたを放っておく訳にはいかないのよ、こちらとしても」
「それはいいが、君、寝てないんじゃないか?」
少女を刺激しない間合いまで歩み寄ると、元気のない顔に疲れたようなまぶたの腫れとクマを見つける。努めて開こうとしていた目はきっと赤みが差していることだろう。
「みないでよ」
ふと顔を背ける。
そんな少女の相貌が、思いのほか若いことに気がつく。二十歳をやや過ぎたクライフよりも、若いかもしれない。
「弓の腕前には、自信があるようだね」
あの夜の一矢を思い返し、静かに評じる。
言われた少女は一瞬、はっとした表情でクライフを見上げるが、すぐに胸を長剣を強く抱きしめてきっとばかりににらみ返す。
「嫌味ですか? ええそうでしょうね、あの魔物を射抜けなかった私に対する嫌味ですか」
「お、おいおい、待ってくれ、そんなつもりはないんだ」
慌てて取り繕うが、そこもやはり疑問だった。
「あの弓でも、射抜けなかったのか」
クライフは半歩下がり、もう一度彼女の姿を目に納める。
華奢に見えるが、体幹はしっかりしている。半弓とはいえ腰の鋼矢を伺えば、獣の体表は貫けそうなものではないかと思う。第一、彼女が放った一矢は逸らせただけで腕が痺れたのを併せて思い出し、クライフは再び唸ってしまう。
「あの手合いには、たまにいるのよ。隊長の、この長剣だってはじき返したんだもの。私は、この目で見たわ」
「魔物、か」
比喩だとクライフは、まだ少し思っていた。しかし、あの落葉の刃が徹ったときの、あの手応え。血糊の塵化。かすかに引っかかりを覚える。
「……この剣はね」
クライフは、落葉の鯉口を、ゆっくりと押し開ける。クン、という音と共に、はばきと柄本の刀身が鞘から覗く。
「俺の師匠から受け継いだ、大事な剣でね。もしかしたら、曰くや由来があるのかもしれない。近衛の君たちが求める答えがあるのかもしれない。でも、大事な剣なんだ。渡すことはできない」
「……これが」
刀身に目を落とすアリス。
不思議な文様――刃紋だった。異国の剣と見える。
「港でこの剣を見たという男の証言と、確かに一致してるわね」
諦めたように、アリスは大きく息を吐く。
「いいわ。ともかく、隊長の怒りが治まるまで監視しろと言われてるから、今日はあなたについて行くわよ」
で、どこに行くの? とアリスは問いかける。
「新しい働き口さ」
端的に、そう答える。
「『燐灰石の尖塔』って、知ってるかい?」
「は、はぁ?」
クライフは懐から、鎧の下から器用にあの紹介状を取り出すと、アリスに見せる。
眉根を寄せてその表書きを見るアリス。確かにそこには、やや豪胆な文字で『燐灰石の尖塔の主人へ』とある。
「…………よく、知ってるわ」
アリスはギリと歯がみするが、クライフはそれには気がつかず、「そうか」と一息ついている。
「案内しましょうか? どうせ一緒にいないといけないんだし、逃げたところで逃がさないけどね」
「そういうことなら、お言葉に甘えよう」
なんということだろう。
アリスはもう一度大きいため息をつき、彼が付いてくるものという速度で、港へと向かうのであった。
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