第9話『まずは一発ぶん殴ってから』




 ガランの港は茜色に染まっている。

 西に沈む陽は茫洋たる大海に燃え沈みつつ、暗い影を東へと引いている。

 比較的大きい通りが合流する広場には篝火が焚かれ、出店の多くも屋台にランプや屋号の入った提灯を吊り下げ始めている。

 一般客の多くが集う広場は、東西に更に四つほど設けられていて、どこもかしこも盛況であった。


「着かず離れず監視をしていますが、あの傭兵、観光三昧ときています」


 アリスは屋台の影からクライフを睨み付けたまま、背後のベイスにそう報告する。


「ほんとにあれがやったのか?」

「宿屋『双剣亭』の主人の言った通りの人相、装備です。あえて嘘をついているなら話は別ですが」

「部屋にあった荷物は改めたのか?」

「本当に最小限の生活用品と糧食。これと言って身元を明らかにするものはありませんが、港の官吏が彼を良く覚えていたそうです」

「片刃の長剣だったそうだな」


 アリスは頷く。


「ここから仕留めますか? 今なら首を貫けますが――痛いッ」

「アホ言ってると、もう一発殴るぞ。俺たちは無法者ではないのだからな」

「身元が不確かな傭兵ですよ? とりあえずぶん殴ってから話を聞くほうが安心だと思いますけどね」


 アリスの物言いにベイスの本能は頷きかけるも、「いや」とそこだけは力強く押さえ込む。


「昔じゃないんだ。……それに、近衛の皆で押さえ込めば問題あるまい。目的が何であれ、このシャールの法において、彼奴めはなにも悪いことはしていないのだからな」


 ぽんぽんと優しくなでるように制され、もごもごと何かを言いたげだったアリスもひとつ納得したかのように頷く。


「昔じゃないんですよね」

「そうだ。――だからって足を狙うのも無しだぞ」


 ぴしゃりと釘を刺され、むすっと頬を膨らませる。

 二人はその間もじっとクライフなる人物を見つけたままだ。表情は厳しくもなく、気の抜けたものでもない。ただ、監視している。

 若い。

 自己申告の調書を見ると傭兵とのことだが、単身その身を立てんと青雲の志を以て海を渡ったとみるには、その装備はいささか特異すぎる。


「あれだ。金持ちのお坊ちゃんか?」

「……隊長の想像力の底が知れましたね」


 うぐ、と黙るベイス。


「犯罪者ですよ。若くして国を追われるほどの」

「お前いつもそれだな。――ん?」


 視線の先のクライフが腰を上げる。


「宿に戻るか否か」


 ベイスはフムとひとつ唸る。


「じれったいですね。なんで囲んで尋問して引っ立てないんですか? こんな付かず離れずつけ回すだけなんて、私たちらしくありませんよ」

「そのあたりはもっともな話だ。……まあ、俺も見つけ次第そうしようとは思ってたんだが」

「じゃあなんで?」


 とアリスが漏らしたとき、二人の背後から柔らかい足音が聞こえる。


「私が来るまで待てと命じたからよ」

「長官」


 二人はクライフから目を離すことなく、上司へと礼を取る。

 宿の店主から事情を聞いたベイスが急ぎコティのに報告に上がると、前もって指示があったのか、ベイスには自分が行くまで監視をとだけ厳命した。


「若いわね」


 ぼそりとコティは呟く。


「僭越ながら、私も肉体の若さでは引けを取ってはおらぬと自負します」


 そこで張り合うのかとアリスはややがっかりしたため息をつく。この隊長の我の強さには惹かれるものがあるが、張りどころが彼女の好みとは少し外れたところにある。

 コティは「はいはい」と流しながらベイスの長剣の柄をポンと叩く。

 それが意味するところを図りかね、ベイスは――いやそれよりもアリスが「どういうこと?」と疑問を口にする。


「物になるようなら、うちで雇うことを考えるそうよ」

「姫殿下の判断ですかッ」


 途端に姿勢を正すベイス。


「物になるかどうか、試せ……と?」

「そういうことになるわね。こんなことを頼めるのは、ベイス、あなたしかいないの」


 腕を試す。

 言いがかりなどを付け、逃げられない状況で無理矢理に力で反撃を誘う場合、得てして、反撃された仕掛け側が死ぬ場合も多い。無論、仕掛けて倒された場合には文句も言えない。

 腕試しとは、そういうものだった。


「承知つかまつりました」


 ベイスは死を了承した。

 いや、それすらも意識の外に追いやった。

 ベイスにとって、コティからのその言葉には容易く覚悟へと誘う力があったのだ。


「殺してしまうかもしれませんが」

「それはダメ」


 コティはそこはしっかりと言い含める。


「殺される覚悟と、手を抜く覚悟、ですか」


 ベイスはしかし大きく頷いた。


「いや、全力で殺さないようにすれば良いだけです」

「援護は?」


 とうてい看過できぬとアリスは半弓を組み立て始める。

 しかしそれは頭に乗せられるベイスの分厚い手のひらでやんわりと制される。


「おいそれと遅れは取らん。このガランに住まう姫君を守る近衛の隊長が、流れの剣士に劣るとでも言うのか」

「流れ者だから要注意なんですよ。何をしてくるかわかったもんじゃないですからね」


 アリスは渋々、組み立てた半弓を担ぐ。手出しはしないというそぶりだが、いざとなればクライフの動きを止めるために射かけることくらいはしてくるだろう。

 コティもそう思っていたし、ベイスもそうだろうと踏んでいる。


「さて、ではいっちょ揉んでやりますかね」


 ガランはすでに濃紺の帳が。

 そこかしこの篝火の中、大きくのびをしてあくびをする剣士がひとり。


「何者かはわからんが、とにかく一発ぶん殴っておとなしくさせたるわ」

「……結局それじゃないですか」


 アリスがため息をついたときには、ベイスはすでに屋台の影から出、のっしのっしとクライフへと近づいている。

 コティは手振りで離れた位置の部下に指示を送ると、アリスへも距離を置いての追跡を指示する。

 さて、ほんとうにどう出てくるのかしら。

 コティも静かに思い、大きく回り込むように追跡を開始するのであった。





 感じていた気持ちの悪さは、杞憂ではなかった。

 物思いにふけるように賑やかな通りを歩いて時間を潰していたクライフだったが、周囲に監視が付いていることには全く気がついていなかった。違和感を感じてからこっち、都度、そこかしこを見るも彼には何もわからなかった。

 思い違いだったかと一息付けたとき、だが勘違いではなかったことを思い知らされる。

 視界に入ってきたその四角い男には、すぐに気がついた。

 クライフよりも頭ひとつは大きい。巨漢である。

 黒い制服に、腰の長剣。衛士とは別の雰囲気をまとった男。切りそろえられた短髪の下の四角い顔が、嬉しそうに笑いを我慢しながら自分を見ているのを感じ、クライフは彼に正対し待ち受ける。


「クライフ、だな」


 間合いに入ったところで、彼は足を止めて聞く。

 クライフは頷く。


「俺はベイス。この街の、このシャールの衛士だ。なあに、今は知ってることを話せとは言わん。が、まあひとつ答えろ」


 衛士という言葉に、クライフは出方をうかがう。

 それを肯定と受け止め、ベイスは告げる。


「あのネズミ野郎を斬ったのはお前か?」

「――」


 威圧。

 声色の変化とタイミングで、的確に敵意を伝える。

 クライフはそれを受け、ひとつ頷く。


「確かに、斬った」

「いやいや、いい、いい。斬ったのはいいんだ。ただ、何で斬ったのかが少し問題でな。どう斬ったのかとか、誰が斬ったのかは、あまり問題じゃない」

「というと?」


 と聞き返し、クライフは左足を一歩引く。

 彼の間合いからベイスは外れるが、未だベイスの間合いにクライフの肩口が残ったまま。

 引いた左腰に、ベイスの視線が落とされる。


「それを寄越して貰おうか」

「落葉を――?」


 腰の物を寄越せと、ベイスはもう一度静かに、威圧を込めて言う。


「それはできない」


 クライフは視線を外さずに断った。


「そうだよな、剣士が得物を寄越せと言われて素直に渡すわけがねえってな。ずいぶんな業物らしいが、そんなに大事なものか?」


 今度の沈黙は、ややきな臭い。


「聞くまでもねえって感じだな。おい、ここじゃ祭りを楽しむ住人の方々に迷惑がかかるから、場所を移そう。痛めつけてから頂戴するのも悪くない。逃げるなよ? 役人に逆らうとロクな目に遭わねえからな」

「どういうつもりだ」


 数を頼んで捕縛なりせず、こうして果たし合いのような話の流れにクライフは思い至る。どういうつもりもない。ベイスという男はクライフの腕を見たい。だから試すと言っているのだ。


「七人いるが、手出しはさせん。堂々たる一騎打ちってやつだ」


 七人。

 その言葉にクライフは周囲を見回そうと一瞬身構えるも、視線はベイスからビシリと動かさない。この男から視線を外すことは危険だと、素直に感じたからだ。

 おそらく仲間が周囲で警戒をしているのは事実だろう。


「人間な、数には勝てねえんだよ。最も、戦い方ひとつだがな」


 からりと笑うベイス。


「ついてきな」


 踵を返し港へと歩き始めるその無防備な四角い背中に、クライフは諦めたように追従する。

 頭の片隅に、あの世話焼きの船長の顔が去来する。だから言っただろう、とばかりにその顔に、クライフはひとつ大きく息を吐く。

 初日からこれだ。

 穏当な生活はないだろうと覚悟はしていた。

 この経緯もいずれは良き道と思えるときが来るのだろうか。

 様々な思いを胸に、クライフはひとつ落葉の鞘に手を当てる。

 この刀だけは奪われるわけにはいかないのだ。

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