第25話『娼婦たちの騎士(2/3)』

  *


 街道を、馬を飛ばして五日と五晩。

 南方最前線からそれこそ飛ぶようにガレオン総騎士隊長は、単騎領都へと帰還を果たした。ぐるりを巡る外壁を前に、馬上から門番の惨殺死体を見下ろす。


「死にたてか……」


 軽く黙祷し、馬を町にいれ、中央街道を北にひた走る。

 満月はすでに中天、暗く浮かび上がるバレンタイン城に、いままさに危機が訪れんと判断したガレオンであるが、最前線を腹心に任せてまで単騎戻った判断に感謝した。


「ケネスめ、やってくれたな」


 いや、これは婦人の策謀か。

 彼がこの陰謀に気が付いたのは、南に派兵されたときである。

 ――ことを緑葉の君に引き付けておき、一気に領都にて事を起こす。

 そう断じたのである。

 まず、騎士団全てを龍鱗山脈を越えて配備という時点で中央が手薄となる。しかし、この布陣もおかしくは無い。彼が変であると思ったのが、傭兵部隊での先陣という部分である。

 どうとでも言い逃れができる状況である。

 グレイヴリィの関与が無いといえば、無いともいえる状況は作り出せる様相だ。

 結局、彼は己が勘に全てを託した。

 勘とは、経験に裏打ちされた立派な才能なのである。


「見えた!」


 と、同時に正門が開いているのを確認する。接近するにつれ、橋げたで死ぬ兵士の姿が見て取れる。

 ――仇はとるぞ。

 ガレオンは馬に鞭打ち、全速力で城内へと踊りこんだ。




 ――……。

「…………」


 キーリエの上気した笑顔を手で制し、いったん話を切ると、カーライルは謁見室の椅子から音も無く立ち上がる。


「どうしたのじゃ」


 貴金属や希少石の入った小袋を手にしたカーライルは、それを懐に入れると爆発的な殺気を打ちはなった。


「ひぃ」

「まさか貴様、わらわを……」


 その殺気に当てられ、息を飲むケネスとキーリエに、カーライルは苦笑する。


「違う」


 彼が殺気を放ったのは、彼女たちへではない。まともに向けられた殺気は、心の臓をも止めるだろう。


「お客さんのようだ」


 ――どうやら楽しませてくれる。


「準備は進めておいてくれ」


 ケネスは静かに頷いた。


「ネズミ……いや、龍を倒したら戻る」


 キーリエは、はっとした。


「まさか……しくじったか!?」


 カーライルは首を振った。


「俺が生きている限り、それは有り得ん話だ。安心して待て」


 巨大な二本の鉈を持ち、謁見室を去るカーライル。

 きっちりと余分な褒章は受け取らずに、規定の金額だけを懐に納めるあたり、彼の徹底振りがうかがえる。


「もはや邪魔者はおらぬはずだが……」


 首をかしげるキーリエ。

 ケネスはふと、思い至ることがあり窓辺を覗く。

 謁見室は三階。

 眼下に、広場が見渡せる状況である。


「――あっ!」


 ケネスは思わず叫んでいた。憚らず、心のままに叫んだ。

 弾かれたようにキーリエが窓辺へ駆け寄る。

 そこには、信じられない光景が広がっていたのである。




 満月に、雲が掛かり始めていた。

 湿り気を帯びた風が執務宮の隅々を掃って行く。

 ガレオン総騎士隊長が中庭に到着したとき、想像していないものが転がっていた。


「腕に赤い布、カーライル傭兵団か」


 地に伏し、夥しい流血の中で死ぬ、二人の傭兵の姿であった。

 馬から降り、死体の傍らに屈みこみ、検死に入る。


「『鉢飛ばし』に、『合撃』か……」


 何事か呟き、ガレオンはすっくと立ち上がり、背後の大扉に目を向ける。

 雨粒が、ぽつりと頬を叩いた。

 湿った空気を震わせるように、重い扉が内側から開かれていく。

 ――傭兵団長のカーライルか。

 ――総騎士団長のガレオンか。

 お互い、一目で相手の素性をぴたりと把握した。

 ガレオンは油断無く自然体である。

 カーライルは死んだ二人に目をやり、首をかしげる。『ガレオン、貴様の仕業か』と言った具合だ。それに対し、ガレオンは首を振る。


「一人は、俺が知る限り最も偉大な剣士が殺ったものだろう」

「……もう一人は」


 カーライルが聞き返し、ガレオンは真っ向から斬り下ろされ、血溜まりに沈む傭兵を指す。


「こちらは……不肖の弟弟子の仕業だな。気が乗っておらぬから刃が被せる斬撃に僅かに負け、よれてしまっている」


 カーライルはやれやれと呟きながら首を回す。

 こきこきと音を鳴らしながら、静かに中庭へと降り立った。


「龍と見たのはお前か。鳳凰と小ネズミも迷い込んでいるらしいな」


 大きな鉈を、両手に構える。


「まずはガレオン、貴様だ。そして城内の小者を殺し、偉大な剣士とやらも殺し、仕事を終え……また一から出直すこととしよう」

「箔がつけば、グレイヴリィに高く買ってもらえそうだしな」

「そういうことだ」


 ガレオンも、腰から長剣を抜き放ち、腰の後ろから短めの剣をも抜き放つ。


「ほう、貴様も二刀を使うか」

「双剣騎士団の名は、伊達ではないからな」


 互いに、自然体。

 五メートルの距離は、殺気に満ち溢れ、微かな切欠で一方へと流れる。

 その均衡が破れた瞬間に、勝負は決まるかに思われた。


「その勝負、待った」


 その声が掛からなければ、一瞬後にはお互いが間合いを詰めていたであろう。

 気を逸らさず、しかも気を崩さない、絶妙の間合いでその声はかけられた。


「先生」


 ガレオンは東の離れのほうから歩いてきた片目の老人に目を向けると、数歩下がり目礼をする。対して、カーライルも満ち溢れんばかりの殺気を押し込め、小柄なその老人に目を向ける。


「……何者だ、貴様」


 問うカーライルの額には汗が滲み出す。よほどの熟練でさえ、彼に対峙しただけで疲労を味わわせることは難しい。このときカーライルは自分たちが相手にしていた何者かの底深さを垣間見た気がした。


「邪魔をしないでいただきたい」


 ガレオンは正直に老人へ文句を言う。


「数十年ぶりに会った師匠に、それはなかろう」


 老人はカーライルに正対し、ひとつ頭を下げる。


「決闘に水を差して、相すまぬ」


 飄々と言う物言いに、カーライルも苦笑せざるを得ない。


「いや、かまわん」


 傭兵団長の言葉に、老人はもう一度礼を言った。


「うちの者と戦うなら、まずは弟弟子のほうからというのが筋であろうと思ってな」

「弟弟子だと……?」


 カーライルはその言葉にガレオンへと首肯する。


「我が領内、北方の辺境区に赴任していた新米騎士でな」


 ガレオンは答える。


「商家の三男坊に生まれ、多くの姉に甘やかされて育ったが、家を出て騎士になりたいと発起した筋金入りの朴念仁と聞いている」

「そんな男が、俺と張り合うと?」


 それには老人が答えた。


「何を言うか」


 そして大笑し、生真面目な顔つきで静かに語る。


「その者は、生きて帰れぬであろう任務に立ち向かい、緑葉から領主の子供を授かった娼婦だけでなくその仲間までをも脱出させ、貴様の部下を尽く切り伏せてきた男だぞ」

「なんだと、まさか、生きていたというのか」


 カーライルは瞠目した。

 老人が道を譲り、曇った月光の降り注ぐ広間に降り立ったのは――。


   *


 東の尖塔から、五人の娼婦と一人の領主。

 ――そして一人の赤子が眼下の中庭を見下ろしていた。

 母親の胸で月に手を伸ばしている我が子を、バレンタインは愛しげに撫でている。

 娼婦たちは、雨足の強まってきたテラスで濡れるのも構わずに、眼下の戦いを見守っていた。一人の騎士の戦いを。戦いの決着をつけるために。




 東の離れを災禍が襲ったときの話である。

 娼婦たちを弄ばんとする三人の傭兵を斬り伏せ、姿を現したクライフに、そこにいる全ての者が目を見開いた。幽霊を見たような驚きに満ちる部屋に、そのとき響いたのが、彼が背負っていた赤ん坊の泣き声だった。

 見たことも無いような漆黒の鎧に身を包み、彼は不思議と似合っている背負い紐から赤ん坊を下ろし、丁寧に、優しく母親の元に返す。

 あまりの出来事に、言葉も無く我が子を抱きしめ泣き崩れるイリーナ、そして呆然とした後で自分を取り戻したバレンタインの顔を見ると、騎士はこの上なく優しく微笑み、一言――。


「任務、遂行いたしました」


 そう言って頭を下げた。

 瞬間、四人の娼婦が騎士に飛びついた。

 エレナは有無を言わせずクライフの唇に己がそれを押し付け、歯が少し当たるのも気にせずに思うさま吸い、舌をねじ込んだ。そんな騎士とエレナをヴェロニカが一緒に抱きしめ、オリビアはクライフの足にしがみつき、アンナは騎士の頭を優しく撫でるのであった。


「やれやれ、お熱いことだな、クライフ」


 そして彼女たちの熱い歓待が一段落したのを見計らい、廊下からひょいと片目の老人が顔を出す。


「師匠、こちらはあらかた片付きました」

「そうか」


 鷹揚に老人は頷き、室内へと入る。

 バレンタインは友人がいつものように自然な笑みで笑いかけて来るのを見ると、安堵したように再び膝から崩れ落ちた。


「少し目を放した隙に、危険な目にあわせてしまったな」


 老人の謝罪にバレンタインは首を振る。


「我が眼が節穴であっただけのこと」

「獲物を前に舌なめずりして欲をかく小者で良かった」


 老人の言うように、彼らが真っ先に仕事を優先させていれば今頃は無残な状況となっていたであろう。娼婦たちは騎士と赤子の生存を知らぬまま、失意と陵辱の中で死んで行ったであろうことは明白である。


「もっとも」


 老人はヴェロニカの尻をひと撫でしながら微笑む。


「そんな体を見せ付けられては、欲をかくなというほうが無理か」


 かかと笑う老人に、尻を撫でられビンタの一撃をかまそうかと右手を振り上げた体勢のまま、ヴェロニカは自分が大きく胸元をさらしていることを思い出して、振り上げた手を素早く戻して胸を隠した。


「この爺さん、狙ってやったの?」

「かかかかか」


 こほんと咳払いをして、クライフは寄り添ってくるエレナをそっと離し、しがみ付いて腿に顔を摺り寄せてくるオリビアを剥がした。

 多少の名残惜しさを隠そうともしない彼女たちを前に、クライフは老人へと頷き、居住まいを正した。


「若干の時間がございます、現状と……あれからどうなったのかを説明いたします」

「堅苦しい奴だ」


 老人の言葉を無視し、クライフは言葉を続けた。


「御子を抱え、逆鱗の奈落へ身を投じたとき、さすがに死を感じました」


 全員が絶望を感じた瞬間である。みなの慟哭が渓谷に吸い込まれるように消えたときだ。


「しかし、この師匠が、前もって近衛第二部隊の動きを察知し、ことの顛末をある程度予想していたおかげで命拾いをしたのです」

「どういうこと?」


 胡散臭そうにヴェロニカが老人を睨み付けて呟く。


「鬱蒼たる山林の木々の方々に、投網を幾重にも張り巡らせていたのです」

「あくまで安全策のためだったが、どうやら一番の効果を発揮した」

「それでも木に串刺し、逸れて墜落死など、生還の可能性は五分五分だったでしょう」


 悪運もまた強さだと老人は言う。


「わざと網も外れるようにしてあり、落下の勢いを上手く殺すことにつながりまして」

「なるほどねえ……」


 アンナの頷きにバレンタインが思い出したかのように口を開く。


「そうか、ここしばらく居なかったのは動いてくれていたためか」


 老人は方目を細めて頷いた。


「あの落下でも、この子は泣きも起きもしませんでした。ずいぶん肝が据わってらっしゃるようですよ」


 ひとつ笑い、クライフは続けた。


「現状を師匠の話から総合して整理いたしましたが、内乱に近い状況、それも中枢転覆の動きが濃厚でしょう」

「するとこの者らは」

「十中八九、ケネス大臣が引き入れたカーライル傭兵団のものです」

「緑葉陥落の先陣だな」

「ええ、彼らは南方グレイヴリィが雇った正式な傭兵です」


 なるほど、とバレンタインはことここに至って全てを理解した。


「全ての引き金は、私の不徳か」


 妻にもっと目をかけるべきでしたな。

 老人は静かに言った。


「場内に潜伏した敵兵力は、二十と少し。あらかたは師匠と私で片付けてございます」


 クライフは老人に向かい頭を下げ、バレンタインの指示を仰ぐように跪く。


「残りは、首魁カーライル。……それと――」


 言いにくそうなクライフに変わり、領主は一言よいと言い頷いた。


「妻を頼む。これ以上はもはや中枢に隠すことが出来ぬだろう。いまなら詰め腹を切るものは私だけで済む」


 クライフは頷いた。


「ケネスも、思えば辛かったろうな」


 バレンタインはクライフに目を向け、その両肩に手を乗せ、しっかりと顔を見て、大きく頭を下げる。項垂れているとも言ってよい。


「クライフ=バンディエール、貴殿の騎士の身分はすでに剥奪抹消されている」


 経緯を省略し、ある程度の事実を全て伝える。

 その現実にクライフが絶望するのではと心配顔の娼婦たちは、意外にもあっさりと受け入れて動じないクライフに少々苛立ちを覚えるくらいだった。


「あんた、もう少し怒っても良いのよ? だって、なりたかったんでしょう、騎士に」

「いいんだヴェロニカ」


 クライフは照れながら、言おうか言うまいか迷い、やはり伝えようと言葉を繋ぐ。


「俺は、君たちの騎士であった。その事実だけで充分さ」

「ほんと、馬鹿なんだから……」

「こればかりはな」


 バレンタインは沈痛な面持ちで繋げる。


「クライフ殿、貴殿に頼みがある」

「お伺いいたしましょう」


 領主といち人間の会話である。


「……全てに片をつけたら、この国から消えてくれまいか」


 全てを丸く治めるには、それしかないだろう。

 彼が消えなければ、内乱の中枢を結ぶ線が消えることはない。


「承知仕った」


 堅苦しい言い回しかとも思ったが、クライフははっきりと了解する。


「だから、もうこれでお別れだ、みんな」


 娼婦たちに息を呑む気配が伝わった。


「俺がここを出たら、もう戻っては来ない。ほとぼりが冷めるまで、何年もかかるだろうし、俺が生きているのが知れたら、故郷の家族にも迷惑がかかる。このまま死んでいなければならないんだ」

「そんな、おかしいよ」


 オリビアが首を振って言う。

 幼女の頭を撫で、娼婦たちの騎士は困った顔でごめんな、と呟く。


「子供の頃、実家の近所にぶどう畑があったんです。そのぶどう園のそばに小さい森がありまして、そこでよく十の風の一族が話すおとぎ話を集めた本を読んで、いつか騎士になろうと思ったものです」


 クライフは誰にでもなく、呟く。


「そこに俺の墓を、建ててください。せめて、自分が居た証だけは残しておきたいから」


 母のそばで、とイリーナに苦笑交じりに告白する。

 こんなときに里心を出して申し訳ありませんと。

 それが俺の報酬です、と。


「わかった。一命に代えてその約束守ろう」

「お願いいたします」


 話が一段落したとき、老人はクライフの顔をじっくりと見、言う。


「行くか」

「はい」


 クライフはもう一度娼婦たちの顔を見る。


「アンナさん、母は強いですね。これからも良い母、そして良い女でいてください」


 アンナは己が騎士に寄り、その頬に口付けをし、「御武運を」と耳元で呟く。


「イリーナ、君は俺以上に過酷な子育てという戦いに身を投じる。もうその命、決して手放すなよ。君は幸せにならねばならない。自分が幸せでなければ、決して他の人を幸せには出来ないのだから」

「はい、貴方もお元気で」


 イリーナは子を抱え、まぶしい笑顔で微笑んだ。


「ヴェロニカ、君は境遇や敵というものから決して逃げなかった勇敢な女性だ。俺よりも芯はしぶとく、仲間を優しく包むだろう。もし、これから先、身を固めたいと思ったら俺の実家に頼りがいのある兄貴が居る。お買い得だと思うぞ」

「自分が貰うくらいのことは言うものよ。……でもありがとう、ウェンディのことうらやましいと思ってたの、気が付いてたんだ」


 頷くクライフの唇に、そっと己が唇を寄せる。


「エレナ、少しはわがままを言ってみんなを困らせるくらい図太くなるんだよ。君の気の配り方は優しさに満ちているが、自己犠牲は何も生まない。もっとお姉さんたちを頼っていいよ、きっとみんな待ってるから……って、前にも言ったね」

「ええ、もう大丈夫です。……騎士様の唇の初めてもいただけたことですし。私の『初めて』はしばらく大事に取っておくつもりです。売れてしまう前に……売れてしまう前に……戻ってきてください」


 エレナは己が騎士の鎧の胸に頬を寄せ、「これ、貴方への最後のわがままです」と呟く。


「オリビア、真っ直ぐ生きるんだ。多少辛いことがあっても、道を誤りそうになっても、自分でよく考えて、何が本当かを考えて考えて、一杯悩んで大きくなってくれ」


 うん、と大きく頷いて、オリビアはクライフの手を握り……強く握り……しかし、自分からそっと離した。

 騎士は漆黒の鎧を鳴らし、踵を返す。


「武運を、クライフ=バンディエール。妻を、大臣を頼む。東の保養地があるぞ、と」


 ――隠居を勧める符丁である。


「全力を尽くします。……カーライルは、かならず討ち取ります」

「わしは力を貸せんがな」


 老人は引退した身だから、ここ一番では何もしないことを宣言している。


「免許皆伝の証、戦場刀『落葉』はもうお前が持っているのだからな」


 クライフは頷いた。

 そして、沈黙。


「――それでは」


 騎士は奔った。

 老人がその後を風のように追う。

 娼婦たちは佇み、祈るように目を閉じる。


「……みんな、上だ」


 バレンタインが呟く。


「彼の姿を、見届けようではないか」




 東の尖塔から、五人の娼婦と一人の領主。

 ――そして一人の赤子が眼下の中庭を見下ろしていた。

 母親の胸で月に手を伸ばしている我が子を、バレンタインは愛しげに撫でている。

 娼婦たちは、雨足の強まってきたテラスで濡れるのも構わずに、眼下の戦いを見守っていた。一人の騎士の戦いを。戦いの決着をつけるために戦う一人の男の姿をその目に焼き付けるために。




 老人が道を譲り、曇った月光の降り注ぐ広間に降り立ったのは、漆黒の鎧に身を包む一人の男であった。心気満ち、手足の末端に至るまで闘争の気迫に満ちている。


「……カーライル傭兵団団長、ギリアン=カーライルだ」

「故あって身分は無い。ただのクライフ=バンディエールだ」


 このカーライル相手に、気迫の面でも一歩も譲らないか。

 正対するカーライルは、この若い剣士の情報から分析した強さを修正せねばいかんな、と内心舌を巻いた。


「男は三日眼を離した隙に、おそろしく成長するという言葉があるが」


 カーライルはクライフをガレオンに振る。

 それにガレオンも頷いた。


「正式な騎士叙勲を与えてやれなかったな、クライフ=バンディエール」

「有事ゆえ、いたしかたありません。お気になさらず、総騎士団長」

「畏まるな。……いや、兄弟子だからそれで構わんか」

「兄弟子?」


 クライフは師匠の老人に眼をやると、彼はかすかに頷いた。


「二十年位前に鍛え、領主バレンタインに推挙した」

「自分が宮仕えしたくないから私を押し付けたに過ぎんよ」


 彼らの会話に、カーライルは素直に笑みを見せる。


「なるほど、我が一派がここまで遣り込められた理由が分かったよ」


 そしてカーライルは二刀の鉈を大きく構える。一本は上段、一本は青眼に。


「お前、欲しいな」

「熱烈な告白だな」


 クライフは腰間からすらりと刃厚幅広の戦場剣を抜き払った。

 軽い湾曲を見せる片刃の長剣だ。


「ほう……」


 カーライルはその異国の武器に、正直に「刃厚だが、脆いな」と断ずる。

 鉈を交差させ、挟むように叩き折れる。

 踏み込みとともにそのそっ首もろとも挟み斬ってやれると、即座に判断した。

 対するクライフは右手に持った剣を左肩に担ぎ、左の手のひらをカーライルに広げ突き出している。異な構えであった。


「――――ぬぁあ!」

「――――せやぁ!」


 裂帛の気合が放たれ、二つの体が交差した。

 銀閃の煌きが三条流れ、微かな水音と裂空音が重なり響く。

 二つの体が入れ替わり、互いの振り抜いた刃がぴたりと止まる。

 暫時の静止。

 カーライルは体勢を戻し、直立の姿勢で大きくため息をつく。

 クライフは納刀し、傭兵に一礼する。


「ガレオン総騎士団長」

「なんだ、クライフ」

「……夫人は何処へ行かれましたでしょうや」


 ガレオンはふと北の尖塔を伺う。


「逃げたな」


 そして北の水門を指差す。


「急げ、緑葉の水門と同じ仕掛けがある。一度開けると閉まるまで百も無いぞ」

「失礼……では」

「元気でな」


 去る剣士の背中に、ガレオンは静かに投げかけた。


「……どうかね、うちのは」


 老剣士がカーライルの傍らで聞く。


「恐ろしい使い手ですな。よほど師匠の教えが良かったのだろう」


 カーライルは老人に目礼し、鉈を二本とも地に落とす。


「末期の願い。是非ともご尊名を」


 老人は頷いた。


「――――……」


 老剣士の言葉にカーライルは一人頷いた。


「得心しました。……ここまでだが、悔いの無い人生だった」


 ――ばぅ。

 緊張の意図が切れたのか、弾けたようにカーライルの鎧の脇が裂け、斬割された筋肉の間から内蔵と血が一気に零れ落ちる。


「とどめは要るかね?」


 ガレオンは尋ね、カーライルは静かに首を振る。

 傭兵は仰向けに倒れる。


「ああ、雨か……」


 傭兵は苦しみを味わいながら、ゆっくりと死んで行った。


「ふむ」


 動かなくなったカーライルの目を閉じさせ、老剣士は唸った。

 東の尖塔の娼婦たちを仰ぎ見る。


「良い出会いと、良い別れか……」

「先生」


 ガレオンが強まる雨足を気にしながら声をかけてくる。


「とりあえず、バレンタイン様を……」

「あそこだ、自分で行け」

「……了解しました」


 総騎士隊長は数十年経っても変わらぬ師匠の態度に溜息を漏らす。


「あとは、祈るだけでしょうか」

「成るようにしか為らぬさ」


 ついに、雨は強く降りしきり始め、月はほとんど分厚い雲に隠れている。

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