第24話『娼婦たちの騎士(1/3)』

第七話 『娼婦たちの騎士』


   *


 イリーナたちが領都執務宮、通称『バレンタイン城』に幽閉され、三日が過ぎ去ろうとしていた。失意の中でも、きっとあの騎士は生きているに違いないと信じ続けていた娼婦たちに、殊更に諦めが染み到るには十分な時間が無常にも過ぎ去って行ったのである。

 当初、イリーナはすぐにバレンタインと謁見かと思われていたが、時期柄なのか意図的なものなのか、未だにその話すら出ない状況であった。

 質素であるが整った部屋に五人が住み、この執務宮の離れという一画においての自由こそあれ、彼女たちは事実上飼い殺されている状況であった。


「キアラだ」


 と、名乗って部屋に入ってきたのは、名乗ったとおり、白百合騎士団団長キアラ=ブレアスフェルマーその人であった。


「……諸所、動きがあったので伝えに来た」


 一様に押し黙る娼婦たちに、キアラは淡々と、クライフの処分を伝えた。

 激昂が起きることは覚悟していた。

 しかし娼婦たちは静かにその事実を受け入れただけである。


「そんなのおかしい」


 オリビアが、話の内容を正確に把握していたかどうかはわからないが、彼女の一言が恐らく彼女たちの意見の総意でもあるのだろう。


「イリーナ、今宵、バレンタイン様がお会いになられるそうだ」


 通達を人任せにしても良かったのだが、キアラは自分で進んでここへ来た。

 あの騎士との約束だったからだ。

 命をかけて護らねばならぬ約束である。


「……あとで人をよこす。身の回りの世話を頼むと良い」

「そんなの、いらないわよ」


 ヴェロニカが言うが、キアラは静かに首を振る。

 察したようにヴェロニカがため息をついた。


「そっか……お目付け役か。あの糞婆」


 聞かなかったことにし、キアラは踵を返す。


「あとは、その者を通して伝えてくれ」


 去り往くキアラに、娼婦は誰も頷かなかった。

 ただ、静かにオリビアが、「そんなの、おかしいよ」と、呟いている。

 その耳に届くか届かないかの呟きを背に、キアラは一画を去る。


「そんなことは、分かっている」




 日は、落ちた。

 バレンタインは私室で、静かに南方の戦況報告を聞いている。報告をする大臣のケネスは、淡々と『事実』のみを選び、並べていく。


「要するに膠着状態か」

「敵は緑葉の強奪が目的だったのではと」


 ケネスの報告に、布陣と上面地図を見比べながら彼は頷いた。


「予想通りではあったな」

「はい」


 バレンタインは現在の状態を維持し、前線の強化を指示する。

 了解の旨を示し、ケネスは卓上を片付けると速やかに退出していく。

 バレンタインは疲れた体を椅子に沈め、大きく大きく息を吐く。

 ここ数日、友人の姿が見えない。

 騎士の、あの騎士の訃報を察知し、去っていったのであろうか。

 彼の最後の弟子を、あたら死地に追いやったのは自分である。見限られてもおかしくは無い。名誉ある戦いの中ではなく、秘する任務中の果ての、拭い切れぬ不名誉の極みともいえる処分である。

 キーリエの怨念は、いつのまにケネス……近衛の中にまで染み渡っていたのであろう。

 自分は、君主として力不足な存在なのだと痛感する。

 そんな沈痛を表す彼の部屋から退出したケネスは、去る際の足取りとは打って変わり、重く進まぬ自分の両足を拳で叩き叱咤していた。

 バレンタインに見せた布陣は、嘘である。

 君主に内密に、龍鱗山脈南の一画を完全に空けているのだ。

 今は壊滅した騎士団が陣を張っているはずの、小さな空白地帯。

 それこそがキーリエが最終的に企てる策の要であった。

 ケネスは、しでかすことの、しでかしてしまったことの大きさに、震えた。

 足の歩みは遅くとも、目指す場所へは数分とかかからない。

 執務宮の北の離れ――現在キーリエがサーシャと生活する夫人の住まいである。


「キアラ殿」


 夜間の門を守護するのは一般の白百合の騎士である。

 しかし、キアラが直々に立っているということは、つまり、あの日と同じような展開を望むものが待つ夜なのである。


「ケネス大臣、キーリエ様が中の応接室でお待ちになられています」

「わかった」


 頷き、ケネスはなれたように離れの敷地の門をくぐる。

 すると、警護するかのように白百合の団長までもが後をついてくる。


「君もかね」


 もはや策謀の一端に共犯となった彼女も、キーリエは巻き込もうとする動きがある。

 白百合騎士団は、彼女の私設親衛隊という騎士集団なのである。

 ケネスの言葉に頷くキアラに、ケネスは足を止めて女騎士に正対する。


「キアラ殿」

「はい、何でしょう」

「貴殿はこれ以上、その手を汚してはいけない」

「…………」


 ケネスの言いたいことを推し測るように、キアラは沈黙した。

 二人はそれぞれ周囲に注意して声を潜める。


「……ことが、一娼婦の子をどうにかしようという話だけで済むというならば、話は別だろう。しかし、それだけではない。貴殿は引き返さねばならない」


 強く言うケネスの瞳は真摯なものである。


「どういうことでしょう」

「私は、今君に刺し貫かれ死ぬほうが幸せかもしれんということだ」


 数呼吸考え、しかしキアラは首を振った。


「私も、騎士でございます」


 キアラは、頑なに己が主君へ尽くすことを選ぶ。

 それを感じ、その理由も知るケネスは諦めたように頷いた。


「お互い、天国には行けぬな」

「天国も地獄も、すでにこの世にございますれば」

「……そうだな」


 大臣は頷き、女騎士を伴い、離れは応接室へと向かった。




 そこでキアラは、今回の一件の恐ろしいまでの根深さを垣間見たのである。


   *


 それが動き始めたのは、執務宮が寝静まる満月の晩であった。

 その日は夜半から気温が上がり、蒸し暑く寝苦しい様相を見せていた。執務宮で働く全ての使用人が詰め所や待機室へと引きこもると、ケネス率いる近衛第二部隊が城内の警護にあたることになる。

 本来の近衛、トーマス率いる第一部隊も、ケネスらの策によって龍鱗山脈南の防衛線へと赴いている。警戒は南方のみという状況的安穏に付け込み、いま領都中枢は彼らの独壇場となっている。


「見よ、見事な満月ではないか」


 キーリエは離れの時計塔、その尖塔に設えたテラスから身を乗り出さんばかりに天を両腕で押し頂くようにし、哄笑寸前の含み笑いをもらしている。


「今宵、王都北方領の勢力が変わるのだ」


 キーリエは背後に控えるケネスに首肯する。


「もはや、後戻りはできぬのだ」

「心得ております」


 月を愛でるキーリエからは影となり彼の表情は伺えない。しかし、その手に握られた書簡は封を開けられており、そこに書かれていた内容は彼を彼女の言葉がなくとも後戻りできぬ状況へと背中を押していたのである。




 ちょうどその頃、領都の外壁を望む平野で同じように煌々と輝く満月を見上げる者がいた。身の丈の大きい、真紅の鎧を着込んだ大柄な、髭を豊かに蓄えた、猛禽のような瞳の男である。その腕には、赤黒い布が巻かれている。

 カーライル傭兵団団長、カーライルである。


「……ここまで負債が募ってる。一気に落とすぞ」


 二十数人の部下たちは静かに頷いた。

 意図的に空けられた防衛線の穴を縫い、彼らは緑葉近郊から北上し、龍鱗山脈を抜け、領都まで迫っていたのである。

 その途中、二人の副団長のうち、一名の死体は確認した。

 残り一名も侵攻路から少し外れた山村で討たれたとの報告を得た。

 部下も、過半数が死亡である。

 本来ならば傭兵団が縮小、あるいは壊滅という憂き目寸前という体たらくである。

 しかも、そこまでしでかしてくれた『たった一人の騎士』も、彼らの雇い主たちの手によって謀殺されたと聞いている。


「在野には、化け物が多いことよ」


 カーライルは最後の仕事に取り掛かる。


「執務宮を落とす。バレンタインは殺せ、濃紺の鎧の近衛第二部隊は『敵ではない』から無視だ。無論、略奪も強姦も無し……だが逆らう者、刃向かう者は即座に始末しろ」


 いつもどおりの任務確認が終わると、カーライルは先陣を切って馬を飛ばす。

 二十数騎のカーライル直属の第一部隊が、領都へ侵攻を開始した瞬間であった。




 同じく、青白い満月に照らされ、影を廊下に落としながら、バレンタインは東の離れへと足を向けている。一年ぶりに会う娼婦と対面を果たすためである。ケネスや、暗にキーリエからも、日中の謁見はもとより召致もならぬと釘を刺されている。到着の知らせと子の死亡がもたらされ、しかも噂を避け三日という日を開けた末の逢瀬である。

 離れには、あの夜霧の娼婦たちもいるという。

 騎士は、本当に良くやってくれた。

 残念でならず、彼女たちに謝罪せねばならぬと彼は一人沈痛を背負っていたのである。

 全ての発端の責任と、何もしなかった男の言い訳に過ぎぬと彼は考えている。

 しかし、それを吐露し謝罪しなければ、かの騎士に申し訳が立たぬでは無いか。

 目的の場所へは、すぐについた。

 見張りも、つけているはずの使用人の姿も無い。


「私だ、イリーナ」


 バレンタインは、重い扉の前で静かに声をかけた。

 静まった室内。

 おそらく声は届いているだろう。

 軽く気配が動き、ノブの金具へ手が掛かる軽い音が聞こえてくる。

 扉の奥の気配は、ためらうように手をかけたまま、動かない。

 バレンタインも、ノブに手をそっと置く。


「イリーナ」


 搾り出すような呟きだった。

 すると、その声に応えるかのように、ドアが内側から開けられていく。

 室内は暗く、小ぶりのランプひとつが広い室内を淡く照らしている。

 その明かりを背に、イリーナが旅先であつらえたと思しき粗末な衣服を着て自分を見つめている――その表情にバレンタインは強く打たれたように体を振るわせる。

 その暗い、影を落とす表情は、あくまでも、あの懐かしいおっとりとした微笑だった。

 彼が安心する、あの微笑であった。


「許しておくれ……」

「お久しぶりでございます、バレンタイン様」


 膝を折る彼を支えるようにひざまずき、イリーナはそっと彼の頭を胸に抱き寄せる。


「さあ、どうぞ中に。みなお待ちでございます」

「うむ、そうだな」


 領主が立場は、今は捨てよう。

 男が、迷惑をかけた女の家族に謝罪するのだ。

 それが、今の私のとる責任なのだ。

 バレンタインは立ち、促されて部屋へと入る。

 脇の大きなソファーの前に、立ち上がった四人の女性が控えていた。

 彼女たちは領主に静かに一礼をする。


「アンナ、迷惑をかけた」


 バレンタインも目礼を返す。

 部屋の中は、月明かりも届かぬ暗さだった。東の離れは、日は当たるが夜はなお暗い。


「皆に謝罪がある。まずはこの一件、許して欲しい」


 バレンタインは、王都に住まう諸侯へ対するように、膝を追って恭しく一礼し謝罪をする。それは領主が一介の娼婦に対して行うことは沽券にかかわる大問題である。しかし彼はやった。そばに誰がいても、恐らくやったであろう。それだけの覚悟と、後ろめたさがあったのだ。


「もういいよ、領主様」


 ヴェロニカがその姿を見て、一言そういって座る。


「すまない」


 バレンタインは起立し、もう一度暗い部屋を見回した。

 か細いランプがひとつ。

 大きな明かりも据え付けられているというのに、彼女たちは使おうとしない。――彼女たちなりの弔意の表れなのであろうか。まるでこの広い部屋を染める闇に、たった一人立ち向かうか細い明かりに、かの騎士の面影を重ねているのかもしれない。


「なにがあったのか、ゆっくり話してくれ。我が子と、かの騎士がどのように生き…………散っていったのかを」


 イリーナは頷いた。

 彼女に促され、領主は娼婦たちと同じ席に着いた。

 夜は長くなりそうだった。



 それは、予感であったのかもしれない。


   *


 騎馬が疾走する。

 南の門を守護する兵士たちは、二十数騎の荒波に一瞬で飲み込まれた。

 首をはねられ、胸を射抜かれ、眉間を潰され、尽く一瞬で命を奪われていった。


「門を開けろ」


 カーライルが声をかけると、内側から部下が門扉を開け放つ。

 緑葉を落としたときと同じ手口である。

 中枢とはいえ、騎士団無き今、練度も士気もたかがしれている。

 そのまま中央街道を北に疾走し、荒々しく執務宮正門を同じように落とす。

 死神の鎌が、ついに領都を捕らえたのだ。

 満月は、煌々と彼らに影を落とす。


「頃合いだな」


 カーライルは部下に命じ、一本の合図矢を高く打ち上げさせる。

 甲高い音を発する笛を設えた、風を切ることで鳴る合図のための矢だ。

 ピゥと長く音を発し、天へ上り、そのまま中庭の泉に落下する。


「伝わっただろう――よし、行くぞ」


 カーライルは騎馬のまま正門を突破し、城内へと侵入した。

 途中立ちふさがった兵士をなぎ倒し、部下三名に命じて使用人たちの住む一画を抑えさせると、もうすでに中枢機関は彼らの手に落ちたも同然であった。

 北の尖塔周辺や執務宮資料庫周辺に控える近衛第二部隊は動かない。

 ここまでは順調であった。

 ――手引きされ落とす中枢などは、この程度のものか。

 落とされるべくして落とされるなら、当然か。

 カーライルは中庭に残りの部下を集結させる。


「城内は」

「尖塔を除き、一般兵士は全て殲滅いたしました」


 団長の短い言葉に、部下も短く答える。

 カーライルはひとつ頷くと、執務宮本館、正面の入り口に目をやる。複数の気配に気が付いたからだ。

 その気配の主が姿を現せたとき、さしものカーライルも苦笑交じりに一礼する。


「馬上にて失礼、キーリエ殿」

「ふむ、仕事は順調のようだの」


 暗い赤に身を包んだキーリエである。彼女はケネスを引き連れて中庭にてカーライル傭兵団を出迎えたのだ。


「して、目標はいずこに」


 カーライルの言葉にキーリエはあごをしゃくって東の尖塔を指す。


「件の娼婦も一緒にいるはず……好きにするが良い」


 カーライルは首を振る。


「仕事の最中に隙は見せられん」


 しかし、と繋げる。


「かの娼婦を殺害することも仕事のうちだが、始末はするのか?」

「もう腹の子はいない、前払いはしてあるが、好きにしろ」


 カーライルはフムと頷いた。


「手分けをして城内本館および執務系統を抑えろ。各々の判断で動き、制圧。のちにバレンタインの首級を土産にグレイヴリィに戻るぞ」


 南方への帰還はケネスが開けた陣の隙から行われることになっている。

 約束は果たされるだろう。

 カーライルの背後には片棒を担ぐグレイヴリィも蠢いているのだ。

 城内に八方散ってゆく部下を確認すると、カーライルはすでに興味を失った様子で辺りを一度見回した。


「北方のこぶが、こうも容易く落ちるとはな」

「もはや我慢も限界ということ……」


 傭兵の言葉に女は首肯した。


「そっちの大臣は乗り気ではなかったと聞いたが、いかにして陥れた、魔女よ」


 魔女と呼ばれたキーリエはほくそ笑む。


「宮中は陰謀の坩堝。皆が足を引っ張らんと、足元しか見ておらぬ者が多いところよ」

「腹芸と顔色も伺ってるようじゃ、周りは見えんか」


 ふむと頷く。


「噂のガレオンとやらと戦いたかったが……この様子では無理かも知れんな」


 武勇に箔をつけるのは傭兵の義務だ。


「南方を抜けるとき、双剣騎士団の陣を抜けるか」

「よ、よせ!」


 思いついたかのようなカーライルの言葉に、ケネスが気色ばんで叫ぶ。カーライルの強さは風にしか聞こえてないが、ガレオン総騎士隊長の強さは彼は目の当たりに味わっているのだ。


「面白くないが、まあ良かろう。やつがこの地で騎士をやっているならば、いずれは俺と戦うことになろう」


 グレイヴリィしかり、他の諸国もこの北方大陸への玄関口を狙っていないということは有り得ないからだ。


「バレンタインが潰れれば、賊軍となる騎士団は周囲の敵。俺たち傭兵以上に胡散臭い連中になってしまうだろうが……多くの騎士は耐えられまいな」


 中央奪還のために総決戦となることは想像できる。


「しかし、奪還の旗印であるサーシャ姫はグレイヴリィの後見付きとなっている、か」


 キーリエはその言葉ににんまりと笑みを浮かべる。


「もう主人に多くを求めるのはやめただけのこと。南方と中央に阿るほうがサーシャも幸せになろうや」


 カーライルは興味も無くフンと鼻を鳴らす。


「女が考えることは分からんな」

「男が考えることも分からんものさね」


 男は答え女も返す。

 ケネスはこのときすでに国を、領土のものを裏切る算段に完全に乗っていた。

 ガレオンはこぶであるし、中央と南方からの政策への横槍も、諸侯貴族への圧力も増している。いまの老いたバレンタインからは消え去った老獪さ、そして若さと強かさに見切りをつけ、彼はキーリエの示す外部からの軍事的転覆という謀に是を示すことになったのである。

 キーリエが発端となり、南方は乗った。

 緑葉を恣にできるのは魅力だったのであろう。

 そして、彼女の見返りは、豊かになったグレイヴリィへのサーシャの輿入れである。

 落としてしまえばバレンタインの悪行を捏造することは簡単であり、常に正義は歴史上の勝者にしかもたらされないことを、この国の人間は良く知っている。

 母と女の両立を企み、緑葉の君を母子もろとも殺傷たらしめんと画策。それはほぼ完遂されつつある。あとは自分を蔑ろにした使えぬ夫を亡き者にし、彼に一生の貞節を護りながら娘のサーシャをグレイヴリィに嫁がせる。バレンタイン領を併合したグレイヴリィ領は王国でも随一の領主国家となることだろう。


「こちらの被害は甚大だが、そういうことなら旨味もあろう」


 カーライルは納得したかのように下馬すると、数名残った部下に手綱を任せる。


「城内の鎮圧が終わったら引き揚げるぞ。俺は補給と褒章の算段をつけてくる」

「わかりました」

「終わったら呼べ、こんなつまらん状況、俺は動きたくは無い」


 部下は雇い主の前で正直にもらす棟梁に苦笑した。


「さて、一休みするくらいはかかるだろうか」


 時間を割り出すカーライル。

 納得ずくで金銭と補給物資を引き出す時間くらいはできるか。


「ふむ、では参ろうか」


 キーリエはカーライルを促しバレンタイン城謁見の間へと向かう。

 ケネスは彼らの後について扉を閉めながら、この扉が運命をも現しているかのように、力強く閉めたのである。




「……今、何か聞こえなかった?」


 ヴェロニカはソファーから立ち上がって耳を澄ます。

 暗い部屋は相変わらずで、バレンタインはじめ六人とも卓の左右で座している。

 訥々と語りあっていたのだが、ふとヴェロニカがそう言って立ち上がったのだ。


「何も、聞こえなかったけれど……どうしたの?」


 静か過ぎるのは、周りに誰もいないからだ。

 しかしその中で彼女が思わず立ち上がってしまうほど何かを感じたのは、他の者にも若干の不安の波をもたらすものだった。


「どれどれ……」


 アンナがよっこらしょと立ち上がり、つかつかとドアへと向かい、耳を済ませる。

 これといって何も聞こえないと身振りで伝え、ノブに手をかけてドアを静かに開け放つ。

 廊下には中央、西を向いた窓がいくつかはめ込まれているので、軽く月明かりが差し込んでいる廊下を見渡すことができた。


「なにかあります?」


 エレナがとことこと歩き寄ったとき、アンナは「なんでもないわ」と言おうとした口を開けたまま、短く「ひっ」と息を飲んだ。

 三人。

 南側の廊下に、三人の男が立っていた。

 彼らは顔をのぞかせるアンナに気が付き、身振りで指示を出し合い、一気呵成に駆け込んできた。その腕に、一様に赤い布を巻いた男たちだった。

 鎧の動くあわただしい音がアンナの耳に危機という信号を与えたとき、すでに素早く駆け寄ってきた男がドアに手をかけ、アンナの体を部屋に押し込みながら速やかに他の二名を引き入れる。


「嘘……でしょう」

「何者だ、貴様ら! 誰かある、侵入者ぞ!」


 押し返された折れ込むアンナと、誰何と警護を呼ぶバレンタインの声が重なる。


「カーライル傭兵団……」


 エレナの震える言葉に、バレンタインは「なんだと」と驚きの表情を見せる。


「貴様ら、いつ龍鱗山脈を越えた!」

「こいつがバレンタインか」


 傭兵たちの一人が、仲間に尋ねる。


「この離れには男はこいつだけだそうだ。バレンタインと見て間違いはあるまい」


 一人が、バレンタインの下腹部を鉄靴で思い切り蹴り抜いた。

 鎧を着ていない私服のバレンタインは、息もできない苦痛に弾かれ、床をのた打ち回った。咳き込みもできぬ苦痛に、痙攣を引き起こす。


「バレンタイン様!」


 イリーナの悲鳴に、したりと三人の傭兵は頷いた。


「どうやらそうらしい。そしてこちらが件の娼婦か」

「夜霧のイリーナだな」


 イリーナはバレンタインに駆け寄り、その体を起こしながらキっと傭兵をにらみつける。


「お下がりなさい!」

「気が強いな、こいつがアンナじゃないのか?」

「アンナってのは年増の子持ちだ」

「じゃあこいつじゃないか」


 揶揄する、いたぶるような気配が娼婦たちに向けられている。


「ビスタル副隊長が、まさかこんな娼婦たちが雇ったガキにやられるとは思えんな」

「おおかた、色仕掛けでもしたんだろうさ」


 この三人は、ビスタルが橋に残した二人と、その連絡用に緑葉に残していた使い番だった。カーライル本隊に組み込まれた彼らが東の離れにやってきたのは、偶然ではない。一番隊壊滅の汚名をそそぐために遣されたのだ。


「団長は遊ぶなと言っていたが」


 一人が扉のところで外を伺いながら呟く。


「遊ぶくらいの余裕はあるだろう」

「そうだな」


 傭兵の一人が剣を抜き、オリビアの喉元に突きつける。


「あ、あぅ……」

「娘に何をするんだい!」


 庇おうとするアンナを蹴倒し、傭兵は「ほう、こいつが年増のアンナか」と呟く。


「おい娼婦ども、子供が死んだいま、あまりお前たちに用は無い。精一杯楽しませてくれたら見逃してやってもいいぞ。……そこの領主様もな」


 交換条件を突きつけ、彼らは油断無く構えつつも下卑た気配を漂わせる。

 部隊壊滅の憂き目が彼らの立場を限りなく危うくしていた鬱屈がここで漏れ出したのだろう。その矛先は常に弱いものに向けられるのだ。


「まずは、お前」


 一人が剣を抜き、イリーナの喉元に突きつける。


「子供と男を助けたかったら、ぜんぶ脱いで足を開きな」

「や……やめろ……」


 息も絶え絶えにバレンタインは漏らすが、傭兵はフンと鼻を鳴らすと切っ先を彼へと向ける。


「手足の筋を切れば少しは大人しくなるか?」

「やめてください」


 イリーナは立ち上がる。


「わかりました、言うとおりにします」

「それでいい」


 男は一歩引き、彼女の体をなめるように目で犯す。


「子供を生みたての股をよく見てやろう」

「この、悪趣味男!」


 ヴェロニカが叫ぶも、男の一人が彼女の服の胸元に切っ先を突きつけると、彼女の声も引きつったものへと変わる。……彼らの実力を一番見ているのは、今は彼女たちなのである。

 そのまま男は切っ先を下に滑らせると、引っ掛けた服を胸元から切り落とすようにへそまで切り下げた。


「ほう」


 ヴェロニカの見事な双丘と、白い肌があらわになった。


「隠すなよ。……ほう、そばかす顔に似合わん見事な体と肌だな」


 男は知らず生唾を飲み込んだ。


「よし、その卓の上で服を脱いで股を開きな」

「お前もだそばかす」


 イリーナとヴェロニカは、頷きあってソファーそばの卓へと歩き寄る。

 男たちの欲望が盛っているうちは、安全だ。

 少なくとも、時間は稼げるはずだ。

 ……しかし、助けは来るのだろうか。

 あの騎士はもういないのに。

 死んでしまったのに。



 ――ザゥ!



 そのとき、鋭く強い風が吹いたような音と共に、扉のそばで外を伺いながら室内の娼婦たちの痴態を眺めていた男の頭頂から骨盤までが着込んでいた革鎧ごと存分に斬割され、肉塊となり倒れ伏す。

 零れた臓物と血溜まりが絨毯に染み込む前に、二人の傭兵は暗い廊下へとその切っ先を向けた。


「何!?」


 廊下へ殺到する二名。



 ――ドゥ!

 ――ズヌッ!



 二つの音と、それに続いて重いものが倒れる音が続く。

 静かになった廊下、そして、娼婦と領主の視線は廊下へと注がれる。

 傭兵たちが倒れているのであろう。骨盤まで割かれた男の向こうに、もうぴくりとも動かない四本の足が覗いている。

 血振りの裂空音に続き、懐紙で刃を拭う音、そして――。

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