第22話『乱れる麻縄のように(8/8)』

   *


 それからの丸一日は、とても平穏だった。

 明け方には数人を残して宿の大部屋で雑魚寝である。

 宿屋夫婦を除けば、クライフを除きみな女性ときている。

 出産の興奮冷めやらぬかと思いきや、白百合騎士団の若い女たちは疲れ切ったかのように眠りについた。クライフはイリーナに付き添い、初乳を授乳させるのを手伝ったり、夜鳴きする赤ん坊を必死にあやしたりと忙しく動き回る。

 不思議と、そこは父性本能とも言うのだろうか。

 イリーナの子供にこの上ない保護欲を掻き立てられるのだ。


「可愛いでしょう?」


 イリーナは微笑む。


「寝ていなくて大丈夫なのですか」

「あらいやだ、口調が戻っていますわよ」


 むくれるイリーナを半ば無視し、クライフは寝入る赤子の手を指先でつつきながら微笑む。


「確かに可愛いですね」


 イリーナも落ち着いたようにため息をつく。


「子供は可愛くないと生きられませんから」


 今は閉じられているが、この大きな目が保護欲を掻き立てるのだろうなぁ、とクライフは漠然と思う。


「また少ししたら起きてお乳の時間ですか」

「母親になったら、それこそ交代なしの一日常駐、連勤という職務につくのです」


 大きく張る胸をさらに張って、イリーナは得意げに笑う。


「世の母親には頭が上がらないですね」

「それはそうですよ、全ての女は母の娘、全ての男は母の息子ですもの」


 母というものはすごいんですよ。

 彼女は微笑む。


「んー……」

「どうしました?」


 イリーナは再びむくれてプイと顔をそらす。


「クライフさん、口調が戻っています」

「それは仕方が無いでしょう……」


 プイ。


「…………母親になったと思ったら、急に子供っぽくなられましたね」


 プイ。


「…………ふぅ」


 クライフは諦めたように頭をかく。


「キアラのいないところでだけだ」


 にっこり。


「それで、何を考えていたんだい?」

「この娘の名前です」


 ……ああ。

 クライフは今更ながらにそこに思い至る。


「そう言えば……そうだな」

「男の子だったらクライフにしようと思っていたんですが」


 とたんに複雑な表情をするクライフ。


「まあ、女の子に俺の名前はちょっと……ね」


 そのあたりはオムツを交換したエレナもクライフにしっかり報告している。


「どんな名前がいいのかしら」

「……その、お父さんにもお伺いを立てたらどうだい?」

「領都までまだ、急いだって二日はかかるんですよ? 何日も名前が無いなんて可哀想だとは思わないのですか」

「いや、そうだけど」


 クライフは赤ん坊の柔らかい頬を小指で軽くふにふにしながら困ったようにうーんと唸る。


「ポーラとか、ジェシカとか、ロカとか、マリアンとかありますが、それ以外の名前で頼む」

「まあ、なんで?」

「母と姉の名前なんだ」


 イリーナは「あー」と、分かったのか分からないのか判断がつかない様子で頷いている。


「しかし頭を抱える問題だな」


 クライフは赤ん坊いじりをやめると、鎧を着込み始める。


「母親はイリーナなんだから、君が良いと思う名前をつけてあげると良い」

「んー、わかりました。まったく、お父さんは子育ても母親任せにしてちっとも手伝ってくれないんですのね」


 胸当てを止めながらクライフは咳き込んだ。


「誰がお父さんだ」

「あら、私たちは仲間で兄弟なんじゃなくって?」


 少し考えてクライフはふてくされながら言う。


「じゃあ俺はお兄さんじゃないのか?」

「お父さんよねー」


 イリーナはにっこりと我が子に微笑む。


「ね、キアラ」


 笑顔でとんでもない名前をつけるイリーナ。


「お、おい、なんて名前をつけるんだ!」

「キアラちゃんがおきちゃいますよ」

「ああ済まない……っておい」

「元気な子に育ちますわ」

「たくましく育つことは間違いなさそうだが、それは……ちょっと」


 ――ゴンゴンゴンッ。

 強めに扉が叩かれ、二人は大部屋の入り口に目を留める。


「……少しよろしいか? 『お父さん』殿」


 白百合騎士団団長、キアラが不機嫌そうに立っているのを見、クライフは咳払いをひとつして鎧をしっかりと着込み終える。


「じゃ、少し行って来ます、イリーナ様」

「はい、いってらっしゃい」


 ――にっこり。

 クライフは口調を戻し、なんとか取り繕う。

 部屋を出、階段を下りる際にキアラが揶揄するような視線を向けているのに嫌でも気が付いた。


「……なんだ」

「いや、誰がどう聞いても夫婦の会話をしていたなってね」


 キアラは冷たく言い放つ。


「あれは彼女の遊びだ、俺は決して……」

「ふん、でれでれしおって、情けない」


 階下から表に出ても彼女の態度は硬かった。


「そんなことよりクライフ、どうなんだ?」

「何がだ?」

「彼女の体調だ。昨日の今日で言うのもなんだが、後産も無事済み、移動が可能なら馬車を用立てる準備があるのだが」

「そうだな」


 クライフは厩舎に向かいながら頷く。


「柔らかいものを敷き詰め、急がず進めば恐らくは大丈夫だろう」

「そうか、では早速手配しよう。とはいえ、交易用の荷馬車に取り付けるものがこの村にもあったので、それを使うだけなのだがな」

「さすが騎士団序列高位、徴発はお手の物か」

「馬鹿を言え、ちゃんと対価は支払っている」


 豪勢なことだ。


「……領都へ、帰ろう。クライフ」

「そうだな、はやくバレンタイン様に娘さんの顔を見せてあげたいしな」


 本音を言えば、彼は息子の顔が見たかったのかもしれない。

 いや、女の子であると知って逆に安堵するかもしれない。


「どちらにせよ、心待ちだろう」

「そうだな」


 クライフたちはウェンディと厩舎近くの川辺ですれ違った。


「おはようございます、騎士様がた」

「おはよう」

「精が出るな」


 地下から汲み上げた水と川の水は、この村では分けて使っている。

 同じ清水だが、地下水のほうが飲料用に多く使われている。

 すれ違う際に聞くと、どうやら川魚がいるのといないのとでは味に差が出るそうだ。

 川には魚だけではなく、多種多様の生物が住む。

 地下水は、大地の味が色濃く出るそうだ。

 そんな普通の会話をしながら、別れる。

 彼女も、これから夫と子を成し山村での人生を歩んでいくのだろう。


「そうだキアラ」

「なんだクライフ=バンディエール」

「……いちいちフルネームで呼ぶな」


 咳払いひとつ、気を落ち着ける。


「南方グレイヴリィのことだ」


 キアラはフムとひとつ頷くと、さもありなんと一応態度を改める。


「目立つ動きは聞かされていない。本来、今回の緑葉侵攻こそが目的であった可能性は否定できないそうだ」

「中央王都は納得するのか」

「大義名分は依然不明だ」


 ――キーリエ様直属といえども全ては知らぬか。


「私は、あまり帰りたくは無いのだ」


 目線で聞き返すクライフに、キアラは苦笑を返す。


「領都に帰れば、私はまた騎士として、『主君』の命で動かざるを得ない」

「キアラ」

「私はお前と戦いたくは無いのだ、クライフ」


 クライフは「お互い様だな」と軽く返すのみだ。

 最後の山場は、領都にある。

 二人は確信していた。


「このままクローヴァー渓谷を抜け、領都近郊へ入る。そして、お前の任務も終わる」

「短いようで長い旅だったよ」


 なりたての騎士には辛い任務だな。

 彼は正直に吐露した。


「白百合騎士団、キアラ=ブレアスフェルマー」


 クライフにフルネームを呼ばれ、キアラは足を止めて向き直る。その表情は軽い驚きに彩られている。


「よく私のフルネームを覚えていたな」


 まぁな、と彼は頷く。


「頼みがある、キアラ=ブレアスフェルマー」

「伺おう」

「俺にもしものことがあれば、可能な限り、彼女たちの力になってあげてくれ」

「クライフ……」


 それはすがすがしい表情だった。

 騎士は微笑むのでもなく、悲観するのでもなく、かつ飄々とするのでもなく。

 自然と彼女に頭を下げ、そう言った。


「カイデンの証を受け取った以上、半端な真似はできない」


 キアラはその決意の顔に、先だって聞いていた『剪定』にまつわる話を思い出す。


「カイデン……とはなんだ?」

「そうだな、師匠から全て教えてもらった……といったところか」

「その印が、その剣か」

「ああ、片刃の戦場剣、通称は『落葉らくよう』――」

「らくよう……」

「葉が落ちることを意味するらしい。師匠の愛刀だった品だよ。修行時代に、よく言われたな。お前が一人前になったら、この剣をやるって」

「なるほど、それがカイデンというやつか」

「もっとも、餞別代りという感じは否めないところだ。しかし、良いところで間に合ってくれた。ありがとう、キアラ」

「礼など無用だ」


 ぶっきら棒に言うキアラに苦笑交じりに笑い返すクライフ。

 ちょうど厩舎に差し掛かったあたりだ。


「じゃあ、馬車の用意は俺がしておこう」

「騎士団の編成と準備は私ということか」

「準備が大変なのは人数の多いほうだからな」

「なあに、うちは練度が違う。そちらよりも徹頭徹尾規律良く動くぞ」


 だろうな、と騎士は内心一人頷く。


「とにかく、昼には出発しよう。購入しておけるものは今のうちに買い揃えておけ」

「分かっている」


 クライフは頷いた。

 ようやく、領都への帰路に着くのだ。

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