第19話『乱れる麻縄のように(5/8)』

   *


 鎧の重さを感じさせない疾走。

 遠くに確認する炭焼き小屋は、早くも黒煙を吹き上げその火勢は勢いを増して小屋を覆いつくさんと舌を伸ばしている。

 遮蔽物の少ない小高い丘を駆け上り、クライフは木立が途切れる吹き抜けへと出た。


「何!」


 瞬間、足元が何かを引っ掛けたと認識した瞬間、左右から風切る羽音とともに数本の鉄の矢が高速で飛来する。掛かった足にもつれるように前転していなければ、左右から体を刺し貫かれていたであろう攻撃だった。


「罠まで仕掛けられているのか」


 焦りとともに「遊びだ」と言っていた赤龍の顔が去来する。

 ずいぶんと準備をしていたのだろう。

 一目散に駆けてくる獲物が罠に掛かることを期待していたのだろう。そして突破することも期待しているのであろう。さらに、罠があることをちらつかせ、その足の歩みを遅めようという意図があるのであろう。


「舐められたものだ」


 クライフはそれでも疾走を続ける。

 体重を殺すように重心を安定させ、自分が通るであろう道の、踏まぬであろう不安定な足場を飛ぶように疾駆する。いくつか仕掛けらしき細い糸が張られているのは確認したが、おそらく単純な仕掛けのみだろう。炭焼き小屋が目前になったとき、それは確信に変わる。


「良く来たよ、騎士」


 嬉しそうに赤龍は笑う。


「貴様が赤龍か」


 クライフは剣を抜き放ち、正眼に構える。


「遠くで見ていたが、綺麗な刃だなぁ」


 言いつつ、赤龍も大きく両手を広げ、全てを覆い隠さんとするような、覆いかぶさらんとするような構えを見せる。

 隙だらけだった。

 隻眼の死角に回り込むように移動し、軸で追う赤龍の体移動と視線を誘導した瞬間、弾かれたように騎士の体は反対方向に飛び退る。視界から消えた騎士の体を追おうと赤龍は振り返り――白金の刃を紙一重で避ける。振り下ろされたクライフの剣が勢いを殺さずに跳ね上がる。逆袈裟を斬り上げるが、これも紙一重で避けられる。逆袈裟に振り上げられた切っ先を真っ向唐竹割りに雷の如く斬り落とす。

 それも長身に似合わぬ体さばきで空を切らされてしまう。


「火の回りが、早いよな」


 赤龍は呟いた。


「炭焼き小屋だけに、燃えるものには困らなかったよ」

「貴様……」


 赤龍は再び両腕を大きく広げる。

 クライフの剣の間合いである球体状の空間を抱きかかえるかのように。

 ――焦るな、クライフ。

 自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、焦りは澱のように心に溜まり、燻る。

 赤龍は正確にクライフの間合いを計り、回避に全てを費やしている。騎士を倒さなくとも、娼婦は死ぬ。これは時間を稼ぐための、彼の遊びであるのだ。


「踏み込みも早い。お前は強いよ」


 赤龍は頷き続ける。


「兄さんよりかは弱いだろうけど、俺よりは強いな」


 クライフの斬撃をかわしながら言う。


「まともに戦おうとするなら、俺も覚悟が必要だろうが」

「ごちゃごちゃと……」


 空を切る。


「間合いを外し、逃げるのは得意なんだ。絞め殺す次くらいに、な」


 クライフは燃え盛り始める小屋を目の端に捉え、片目の赤龍を気迫の篭った瞳で射抜くや、半眼で捉える。


「…………」


 今の俺に、できるだろうか。

 クライフは自問しながら、低く落とした重心を上げ、佇立に近い状態まで構えを上げる。

 両足を前後に揃え、体の正面に垂直に刀身を立て、拝むような格好で軽く上体を倒す。


「早くしないと、あの娼婦、死んじゃうよ」


 クライフは気の圧縮を始める。


「……というかさ」


 赤龍はぼそりと呟く。


「もう殺して打ち捨ててるって発想、出ないの?」


 その言葉が終わらないうちに、五メートルあまりの距離が一瞬で詰まる。重心の移動に体を追従させる瞬間的な体移動術を発揮し、騎士の剣は上段からその間合いを詰める体移動以上に鋭い一閃で振り下ろされる。


「ぎゃあ!」


 左腕を肩口から切り落とされ、赤龍は憚らずに絶叫を上げる。

 確かに避けたと確信したが、騎士の寄せ身と打ち込みは雷のように早かった。気が付いたときには薄い刃が肉と骨を容易く断ち割り、すっぱりと切り落としていたのである。

 返す刀で止めとばかりに第二撃を放とうとするが、クライフも今の神速ともいえる寄せ身の無理が右の太ももを激痛というかたちで襲う。


「ぬぁ――」


 第二撃を繰り出せぬまま硬直し、騎士と赤龍の間合いは再び五メートルほどの距離で膠着する。


「痛い! 痛い!」


 赤龍は夥しい鮮血が迸る傷口を押さえながら、燃え盛る小屋へと駆け寄る。


「逃がすか!」


 イリーナに危害を加えんとする予感が騎士の脳裏に去来し、痛む足をおしてその後を追う。しかし赤龍は燃え盛る小屋の板壁に傷口を押し当て、乱暴な血止めを施し、騎士に向かってカァと牙を剥かんばかりに威嚇する。

 血肉の焦げる嫌な臭いが漂い、騎士はいったん躊躇する。

 その隙を見て、赤龍は声にならぬ叫び声を上げて丘向こうの林へと脱兎の如く逃げ去った。

 ――逃げたか。

 クライフは深追いせず、即座に炭焼き小屋の扉を開け、中を確認した。まさか、もう手遅れということには……という一抹の不安も、中央の柱に腕を縛られぐったりとしたイリーナの姿を確認したとたんに霧散する。


「煙がひどい」


 中と外から火を放ったのだろう。

 大きめの小屋だが、ほとんど火が回っている。早く彼女を解放し、脱出しなければ命が危ない。気を失っているおかげで呼吸が浅いので、煙を吸い込みすぎている心配は無いかもしれないが、些細なことでも母体には影響が強い。

 クライフは駆け寄り、短剣で彼女の縄を切りながら意識の確認をする。


「イリーナ様! 大丈夫ですか!?」


 意識を戻す前に脱出しようと妊婦の体を大事に抱えた矢先のことだった。

 ――ガコン。


「何!?」


 叩きつけられるように木戸が閉じられ、閂をかけたような音が響いた。

 騎士は駆け寄り扉を押すが、びくともしない。

 二三度体当たりするも、一向に壊れる様子が無い。どうやら、補強されているらしい。双龍の罠、なのだろう。


「しまった……」

「騎士様、ここは……?」

「気が付きましたか」


 複雑な思いでクライフは声をかけた。

 気を失う前はクライフが勝利を収めたときで、いま気を取り戻したとき、それはまたも絶命覚悟の状況なのである。


「……確か、気を失って」


 クライフは駆け寄り、火勢の弱い方へ彼女の体を丁寧に移す。


「今扉を打ち破ります、しばしお待ちを」


 クライフは猛然と扉に体当たりを敢行する。手薄そうな窓際は炎が燃え盛り、薄い窓にはしっかりと進入防止の板が皮肉にも脱出をも阻んでいる。脱出するには、ここを突破するしかなかった。


「騎士様、…………クライフさん」

「はい」


 体当たりを繰り返しながら、クライフはイリーナの言葉に答える。


「貴方だけでも、なんとしても生き延びてください」

「それはできません。生き残るなら、皆一緒にです」

「ですが、貴方だけならもう大丈夫でしょう!?」


 いつになく強く、そして悲しみに彩られた悲鳴だった。


「もう私は良いんです、執拗にこれだけの命が散り、無関係な貴方が手を汚し、命を懸けるなんて間違ってるわ……」

「………………」

「私が諦めれば、もうみんな助かるのでしょう……?」

「それ以上言うな、イリーナ」


 騎士は体当たりの手を止め、イリーナの元に寄ると、立膝に屈みこみ、その顔を真摯な表情で見つめる。


「これは、俺の母さんの言葉だ。……この世でもっとも弱いのは女だが、この世で最も強いのは誰だと思う」


 イリーナは悲しみをたたえた瞳で騎士の強い相貌を見つめ、静かに分からないと首を振った。


「この世でもっとも弱いのは女だが、この世で最も強いのは――母になった女だ」


 クライフは彼女のお腹に、優しく手を当てる。


「いま君が諦めたら、この子の命も諦めることになるんだ」


 打たれたように、イリーナは顔を上げた。


「俺は諦めない。……仲間だからね」


 立ち上がり、体当たりを再開する。

 轟音、熱、そして落ち始める梁。

 限界は近そうだった。


「……師匠、力をお貸しください!」


 やにわにクライフは剣を抜き放つ。

 ――こうなれば、閂を断ち割るしかない。

 しくじれば、二人とも……いや、三人とも死ぬ。

 バドラスの頭蓋、赤龍の肩をいとも容易く断ち割った剣である。扉の粘りに打ち勝てば、閂を断つことは可能だろう。

 大上段に構える。

 充満する煙を吸い込まぬよう、呼吸を止める。


「いやぁ!」


 ――ゴガッ。

 剣閃。

 再びクライフは熱く熱を持ち始めた扉に猛然と命をかけた体当たりを仕掛ける。

 肩当を通して重い衝撃が走り、弾かれたかのように扉が外に吹き飛ぶ。


「イリーナ!」

「はい!」


 駆け寄るイリーナを炎と煙から庇うように外へと踊りこみ、瞬間、クライフは無意識のうちに抜き放っていた剣を弾き上げていた。

 ――ガイン!

 重い衝撃とともに弾かれた矢が、燃え盛る小屋の壁に突き刺さる。

 片手でも打てる十字弓を手に、赤龍が悔しげな顔をゆがめて木立の間に逃げていく。先ほどの逃走はこの罠を仕掛けるための布石に過ぎなかったようだ。


「さすがに逃げたか」


 しばらく燃え盛る小屋から距離を置き気配を探ったが、赤龍は完全に逃走を果たしたらしい。四肢の切断は致命傷だが、あの強引な血止めと今の一撃である、油断はできない。恐らく存命し、次の機会を青龍とともに練るだろう。


「厄介な相手だ」


 傭兵は、容赦は無くともまだ正攻法だった。

 しかし、彼らは違う。


「クライフさん……」


 安心して腰が抜けたのか、イリーナはクライフの足元でほとんど倒れるようにその手にすがり付いている。


「クライフさん……」

「どうしました?」


 その顔が苦悶にゆがみ、苦しげな吐息が漏れている。


「どこか怪我でも……火傷か、いや、煙を吸いましたか!?」


 イリーナは苦痛に身をよじりながら首を振る。


「――……れる」

「はい?」

「う……」


 妊婦は張り裂けるように叫んだ。


「う、産まれる!」


   *


 クライフが苦悶するイリーナの体を慎重に抱え、急ぎ足で宿に戻ったとき、駆け寄ってきたアンナとエレナ、そしてヴェロニカは苦しげなイリーナの状態に声を失う。


「どうしたんだい、まさか……」


 怪我や火傷を心配する全員に、クライフは大きく一言叫ぶ。


「お湯を沸かして、早く!」


 一瞬、白百合騎士団含む全員がぽかんとその意味不明な言葉に首をひねったが、騎士の下半身を濡らすイリーナの羊水の滴りに全てを察知したようだ。


「産まれるんだね!?」


 イリーナは苦悶の表情のまま幾度も頷いた。


「な、なんだと!?」


 一番声を上げて驚愕を叫んだのはキアラだった。


「こ、ここで産むのか!」


 狼狽するキアラにアンナが険を隠すことなく噛み付く。


「破水が始まってるんだ、ここで産まなきゃどこで産むって言うんだい!」

「う、ううむ……」


 アンナはエレナに宿の厨房で湯を沸かすように指示し、返す刀で白百合騎士団団長キアラにもツイと顔を向ける。


「清潔な布と毛布、村からかき集めておいで!」

「む、貴様……!」

「阿呆! そんだけ女が雁首そろえておいて怖気づくんじゃないよ! いまから命を懸けて命を産み出そうとしてるんだ、もたもたしてると張り倒すよ!?」


 まさに一喝。

 キアラはじめ白百合騎士団の女たちは一斉に騎乗し、村の方々へと飛ぶ。


「産婆がいたら連れといで!」

「りょ、了解した」


 キアラも騎乗し、村長宅へと飛ぶ。

 散っていく二十数騎を見送り、アンナはクライフへ顔を向ける。


「男のあんたは産所作りだ」

「わかった」


 騎士は頷き、一階酒場部分にイリーナを運び入れた。




「……ほほう、何か動きがあったようだが」


 弟め、しくじったか。

 青龍は不甲斐ない弟を責めようともせず、にんまりと笑った。彼にとっては弟もおもちゃのひとつなのだ。

 最初から期待などしてはいなかった。


「それにしても、何があったのだろう。……まあいい、お楽しみはもう始まっているのだからな」


 青龍は宿から離れる影を確認し、満足そうに頷くのであった。




 宿の一階、酒場部分は大変な騒ぎであった。

 喧騒と死体が散逸する宿周辺に近寄る村民は無かったが、二十騎の白百合騎士団総員、それにイリーナ、アンナ、エレナ、そして宿主のコルムと妻のウェンディがせわしなく動いている。

 まともに動いているのは厨房のコルムとイリーナに付き添うアンナくらいのもので、白百合騎士団の乙女たちは騎士の威厳はどこへやら、集めた毛布などを抱えて右往左往している。姦しくざわめきが飛ぶ中、ヴェロニカは幼いオリビアを連れて外へと出て行った。アンナも経産婦の経験でイリーナを助けなければならず、娘のオリビアを構うことができないため、何も考えずにヴェロニカに任せた。


「産婆は!?」


 叫ぶアンナにキアラは首を振った。


「南の町にいるが、いまからでは……」


 妊婦がこの村にいればまだいる可能性はあったのだが、南の町での出産のため出払っているとの事だった。


「よし、覚悟をお決め、イリーナ」

「はい、アンナ姉さん。お願いします……」


 一番大きい卓の上に藁とシーツを使い、産所を組上げたクライフは、静かにそこへイリーナを抱え置き、横たえる。


「あとは股が閉じないように固定して。赤ん坊の頭は柔らかいからね!」


 椅子を逆さに立てかけ、縄と手ぬぐいできつく固定し、椅子の足の間にシーツのクッションを作り、イリーナに大きく股を広げさせるように足を乗せさせ、膝頭から固定する。


「……クライフ、あんたは外だ」

「わかった」


 アンナが騎士に外を指し示すと、騎士は心得たとばかりに頷く。ここはもう、女の戦場になるのだ。


「あ、あの!」


 その去り行く後姿にイリーナが声をかける。


「どうしました?」


 緊張で強張る騎士の顔に、妊婦はか細く言葉をつむぐ。


「手を……手を握っていてもらえませんか」

「…………え」


 騎士は肩越しに振り返ったまま凍りついた。


「ちょっとイリーナ、あなた何を言ってるの」

「そうだ、男が産所で、た、た、他人の妻と一緒にいるなどと!」


 アンナとキアラの言葉に、イリーナは静かに首を振る。


「クライフさんの運を、私にも分けてください」


 無事にこの子が産まれてくれるように。

 苦しい表情のイリーナが、すがるように騎士へと手を伸ばす。


「……まあ、イリーナが良いというならそうするか」

「何を言うか!」


 ため息交じりに折れたアンナに、キアラは食いかかる。

 しかしアンナはそれを手で制してクライフへ顔を向ける。


「付き添い頼むよ。あと、白百合の騎士様たちは、順番に警護を頼みますわ」

「う……ううむ」

「キアラ、すまんが頼む」

「分かっている!」


 何が気に入らないのか、キアラは部下数人に指示を出し、持ち回りを決めて宿を警護することにした。副団長が困ったように苦笑し、さらに細かい指示を出す。


「いいかい、隣で手を握って。決して足のほうには来るんじゃないわよ」

「わ、わかった」

「時間が来るまで呼吸を整えさせて」

「あ、ああ」

「イリーナも、苦しかったらこいつの手を握りつぶしちゃってもいいから、思い切り息むのよ」


 妊婦は頷いた。

 騎士はごくりとつばを飲み込んだ。

 そこへ副団長がつかつかと歩き寄り、アンナに畏まったかのような礼をする。


「経産婦殿、私たちは一時的に貴君の指揮下に入ろう。なんなりと用向きを申し付けて頂きたい」

「じゃあ、持ち回りで湯の準備、そして…………祈ってて」

「了解した」

「大丈夫よイリーナ、どんな人間だってこうやって産まれて来るんだ。私だってオリビアを産んだ時だってこうだったんだ。良く知ってるだろう?」


 イリーナは頷く。

 しかしアンナは彼女が不安に苛まされていることを良く知っている。

 自分がそうだったからだ。

 あの時は、腕の良い産婆がいた。緑葉の娼婦町に何人かいる、お抱えの産婆だ。

 今は、経産婦の自分以外は……当てにはならない。

 ――経験を全部思い出すのよ。

 アンナは重圧感に喉の奥が乾くのを感じる。


「――あぁあっ……ぐっ!」

「始まったのか!」

「まだよ、何度かこういうのがあってから、出口が開くの」


 イリーナの手がクライフの腕を痛いほど握り締めている。

 この華奢な妊婦のどこにこんな力があるのかと、騎士は人の必死の力の凄まじさを感じずにはいられなかった。


「痛……!」

「呼吸よ、息を吸って……吐いて……落ち着くの」


 二十数人が見守る中、夥しい水音に全員がはっと息を呑む。


「早いけど、始まったわ」

「だ、大丈夫なんですか」

 アンナはイリーナの産道を確かめながら、柳眉を逆立てて騎士をにらむ。

「貴方が不安がってどうするの、シャンとしていなさい!」

「は、はいっ」

 ぎゅっと、イリーナの手を握り返す。

「色々とあったから、きっとお産が早まったんだわ」

 産み月ではあるが、陣痛が急で、破水も早い。

「頑張って、イリーナ……」


 男が、山林を転げ落ちながらも家屋の裏手にある家畜小屋の前に転がり出る。隻眼、そして隻腕であった。


「うううぅ」


 呻き声を挙げ、切り落とされた左肩の傷口を庇いながら、赤龍は寒村の、唯一明かりのついている宿を遠目に見据える。

 あの娼婦が重傷を負ったのだろうか。

 だとすれば、襲うなら今である。

 この激痛を和らげるのは、あの騎士の血肉と娼婦どもの絶望だ。

 ――このアゴラの双龍が、田舎の貴族に良いようにされたまま終われるはずが無い。

 赤龍は兄青龍の自分を見限るような視線だけは浴びたくは無かった。


「――ぬ!?」


 赤龍は、小道に立ちふさがるように佇立する、月光映える白金の鎧に気が付く。


「貴様か」


 赤龍は片手で「どけ」と払う。


「邪魔だ」


 しかし、白百合騎士団団長、キアラは冷たい視線を赤龍に投げかける。


「貴様らには手を出すな、とは言われてはいたが……」


 ため息をひとつ。


「いま、取り込み中でな」

「構うものか、どけ」


 赤龍は殺気をこめた視線で彼女を射抜く。


「これが殺気か」


 キアラはどことなく楽しむように微笑む。


「その肩、クライフに切り落とされたか。致命傷、しかし傷口を炎で焼いたか」


「……約定違反だぞ」

「もとより、貴様らと約定したものは何一つ無い」


 彼らを雇ったのは、キーリエではない。

 彼女に全てを狂わされそうに追い込まれたケネス大臣の行ったことだ。


「下衆め、傭兵どもを騙し打ちした挙句、我らをも裏切るか」


 赤龍は大きく間合いを詰め始める。


「白百合などと、おこがましい。どす黒く汚らしい性根だ」

「――百合の根は、もとより毒を秘めているものだ」


 キアラは抜剣する。

 右半身に構えると、赤龍から伺えるのは、厚く鎧われた右半身と刺突剣、それに燃え盛る彼女の相貌のみとなる。

 赤龍の技は、その分厚い手の皮膚と、筋肉の限界を引き出す呼吸法が生み出す怪力である。武器を素手で往なし、組討で首の骨を筋肉ごと捻じ切るのだ。鈍い音、悲鳴を上げるまもなく絶命する標的。彼が恐れられる理由は、その筋力の限界を引き出し繰り出される体術に他ならない。

 有り得ない場所への潜入、脱出、それらを担うのは彼の怪力が物を言うのだ。


「細い首だ、片手でも捻じ切れそうだ」

「汚い目だな、ひとつ残っていてもしょうがあるまい。潰してやろうか」


 赤龍が間合いを詰める。

 キアラの突きが電光の閃きで三段、繰り出される。

 近い間合いでの攻防が、一瞬で交錯する。

 三段の突きを鎧を着けていない赤龍の胴体へと打ち込むキアラ。そしてそれを体のひねりでかわしつつ、刺突剣の刀身を素手で捕捉しようとする赤龍。

 赤龍はかわし、キアラは武器を奪われること無く構える。


「何回刺した、ん?」


 青龍は撃尺の間合いで体を揺らしている。


「三度とも、俺を貫いていたんだろうが……」

「ふんっ!」

「おっと」


 一気合四連の突きを、今度はかわすだけの赤龍。


「所詮はお嬢様剣法だな、あの騎士の足元にも及ばねえな」

「………………」


 キアラは、不思議とそう言われても腹を立てはしなかった。

 漠然と、そうなのだろうと思った。

 そして微笑を返す。


「失礼をした」


 赤龍は彼女の臭いが変わったのを感じた。

 これは、危険な香りだ。


「では、型ではなく刺突剣の深奥を垣間見せてやろう」

「――!」


 クライフの間合いを正確に見抜き、その攻撃をかわしていた赤龍が、いとも簡単に腕と脇腹数箇所から血流を噴出していた。

 かわしていなければ、腕は筋を、胸は命に到る刺突であった。

 間合いを離す――間合いを寄せられる。

 掴みかかる――避け際に腕の腱の近くを貫かれる。

 赤龍はキアラの近接の間合いにいることは敗北を意味すると本能的に悟った。


「クァア!」


 顔面の包帯に隠していた目潰しを素早く抜き取り、間合いの中に撒く。この一瞬では判読判別不能な粉塵に対し、有能な戦い手はまず身を離す。その隙に間合いを離し、逃走の機会を伺うのだ。


「――!」


 赤龍は思い切り後方へと飛び退る。

 キアラは瞬間、右半身に構えていた体勢を一気に捻るように、勢い良く左腕を掬い取るように前方へと振り上げた。

 ――ずむっ。

 赤龍は、後方に着地し、そのままの勢いで仰向けに倒れ付す。

 五メートル先に倒れた彼の喉首には、投擲用に調整された重い短刀の柄が生えていた。

 キアラが間合いを離そうとした赤龍の動きを読み、呼吸を合わせるように投げ放ったのだ。その短刀はキアラの左腰の後ろに括り付けられており、半身で正対する敵側からは完全に死角となる隠し武器である。


「完全を期するものは、わざと弱点を作る……か」


 近い間合いで戦うキアラにとって、槍などの間合いは不得手であると、大方は予想する。彼女の刺突に間合いを離そうとした瞬間を狙った、彼女必殺の隠し技であった。喉元は、鎧に覆われにくい急所のひとつである。面頬の隙間、顔面でも効果はあるだろう。

 バドラスのそれとは対照的な、近間から遠間に移行する際の技だ。


「クライフには効かんだろうな」


 正攻法や奇手など、あの騎士の動きはここ数日で様変わりをしただろう。

 苦笑しながらキアラは俊足で近寄り、倒れる赤龍の左目に剣を突き刺す。


「うごっ!」

「しぶとい奴であるとは予想がついたが、それくらいにしておけ」


 短刀の下からくぐもった空気が血泡とともに吐き出される。

 脳を破壊された赤龍は、何度か痙攣し手を中空に伸ばしまさぐっていたが、数呼吸もすると静かになっていった。


「…………ふむ」


 キアラは立ち上がり、刀身の汚れを拭き取りながらため息をひとつつく。


「確かに、殺人というものは後味が悪い」


 いくら外道とはいえ……な。


「私も違いは無いか」


 赤龍の死体を道の脇から雨水が通る側溝の、草生い茂るくぼみの中に蹴り入れる。

 ――何をしているのだろうか、私は。

 月光を仰ぎ見ても、あふれる涙は頬を伝い流れ落ちていく。

 女の身で騎士になろうとしたのが間違いだったのだろうか。


「……どうすればいいのだ、私は」


 月は答えることなく、行き迷う女騎士の影を白い小道に落とすだけであった。

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