第17話『乱れる麻縄のように(3/8)』

   *


「葉脈から離れ、緑葉周辺から平野部に陣を移せ……と?」


 ガレオン総騎士隊長は一通の書簡を受け、陣幕の中でそれを確認し、しばし沈黙の後にそう呟いた。


「グレイヴリィ侵攻予想路であることは確かだが、先んじて敵部隊の斥候が鳳龍橋付近の陣をひとつ突破し、領内を侵攻中であるという情報もあるというのに」


 敵集団に突破された陣の補強は重点的に行われた。そこも侵攻予想進路だったからだ。


「そこを、空けろ……か」

「いえ、総隊長」


 副官の一人が声をかける。


「空けるのではなく、平野部を固めろという指示書ですが」

「そのとおりだがな」


 ガレオンは苦笑した。


「指示された日数でこれだけの陣を敷くには、どうしたって葉脈南端の騎士団を動かさざるを得ないのだ。それにな――」

「それに?」

「この指示書が、ケネス大臣からというのがどうもな」


 副官は言葉に詰まった。

 文武両官の不和は、大きい国だけではなく領土内でも必ずささやかれる噂である。

 しかしそのような噂は、火の無いところに立たぬ煙のように、されるべくしてされるものでもある。

 バレンタイン領のそれも、当たらずとも遠からずである。


「よかろう」


 ガレオンは頷いた。


「葉脈の騎士団を平野部へ。彼らもそのほうが戦える緊張感で士気も左右されよう」

「了解しました」


 ――どうせ戦いは起こらぬだろうがな。

 ガレオンはそう読んでいた。


「現場の指揮はお前に任せる」

「総隊長」


 眉をしかめる副官に総隊長はにやりと笑う。


「防衛に徹しろ。下手にこちらから南方に攻め入ることは禁ずる」


 副官は諦め、頷いた。

 中央王都の意図が読めぬ今、バレンタインつぶしの一環として仕掛けられている戦いという疑惑は強い。


「あと、緑葉も攻める必要は無い」

「緑葉もですか」

「戦線の維持を第一に」


 だが、と続ける。


「敵が北の門から出るようなら徹底的に叩き潰せ」

「了解しました」


 頷き返し、ガレオンは陣幕を出る。


「誰か、馬だ。馬を持て!」


 陣幕の中で、副官は大きいため息をつく。

 副長、副官という立場の者は、みんなこうなのだろうか。


「レセル」


 陣幕の中に顔だけ入れ、ガレオンは副官のレセルにもう一度笑いかける。


「世話をかけるな」

「いつものことです」

「言ってくれる」


 レセルは肩をすくめる。


「お気をつけて」

「うむ」


 ガレオンは使いに引かれた馬に一挙動で跨り、一路北を目指した。




「ほほう、陣が西へ移動か」


 禿頭の巨漢が緑葉東の山林で斥候の情報を聞いて頷いた。


「ふむ、指示通り……か」


 先行部隊にはあのいけ好かないもう一人の副部隊長ビスタルがいたはずだが。


「あいつは強行突破か、やはり」

「はい」


 部下の一人が答える。


「戦線が補強されていましたが、日を空けずに西への配備が命じられたらしいのです」

「騎士どもも大変だな」


 禿頭の巨漢、カーライル傭兵団の二巨頭のうち一角、ビスタルと双璧をなす歴戦の傭兵。名をバドラスと言う。通常より五倍以上は柄の長い直刀を使う技巧の士である。


「この分では、救出部隊の騎士どもに手を焼いている頃だろう。なにせ、俺の部下を七人も倒しのけた部隊だからな、精鋭なんだろう」


 バドラスは鼻でひとつ笑う。


「助けに行ってやるか」


 飛ばせば二日。

 敵娼婦救出部隊が急いでいたとしても、龍鱗山脈で捕まえられるだろう。


「で、足止め工作は?」

「行われているようです。しかし」


 腹心はひとつ付け加える。


「どうやら、その救出部隊なのですが――」


 言いよどんで続ける。


「たったの、一人だそうです」


 バドラスは、一瞬ぽかんと呆けた顔で腹心を見つめる。


「何の冗談だ?」

「いえ、冗談ではありません」


 腹心は小さい書簡を手渡す。


「伝書か」


 ひとつ頷き、受け取り、中身を確認する。

 読み進める彼の瞳が真剣味を帯びる。


「例の大臣からの、か」

「はい」

「序列最下位……たった独りのガキだと?」


 それがわが精鋭を? と続けると、腹心は頷いた。


「あくまでその内容を信じるなら、ですが」

「山伝いの狼煙、伝鏡はどうだ」


 伝鏡とは、鏡による光の反射を使った遠距離の通信のことである。事前の配備に時間がかかるが、その情報の伝達の速さは伝書鳥のそれを大きく上回る。彼ら傭兵団は緑葉侵攻の計略がバレンタイン内部の協力された手引きで組み始められたとき、龍鱗山脈などを隔てる情報網の確立を進めていた。


「龍鱗山脈に突入はしたようです」

「そうか」


 あのバカは猪突猛進、闘いは上手いが用兵や先見の明は鈍い。


「雨滴の大河の東か、西か」

「西です。ひげ街道でしょう」

「ふむ」


 バドラスは頷いた。


「残りの部下を集めろ。鳳龍橋の部下も回収し、北に向かうぞ」

「了解しました」


 彼らは鳳龍橋でクライフに部下が倒されたことを知らない。いま橋に残るのはビスタルの二人の部下である。


「……さてさて、どの情報が正しいのやら」


 バドラスはため息をつき、己が愛馬へと跨った。




 双龍、バドラス、そしてキアラ。

 クライフたちの許に、三つの意図が集結していく。

 四つ巴。

 乱れあった麻縄のように、事態は交錯して行くのであった……。


   *


 そして、その夜が来た。

 これから先も、皆が忘れることの出来ない、その夜が来た。




 あと、一日。

 青龍に言われた、毒の発症まで、あと一日。

 体にしみこんだ毒素が牙をむくのは、明日の夜。

 ろくに疲れの取れない体だが、目だけは冴えていた。

 あの男は言った。


「明後日の深夜、言われたとおりに行動しろ」


 ――と。

 それまではただ待つだけの指示。

 気が狂いそうだった。

 狙われているのはイリーナで、私じゃないはずなのに。

 恨みはしたくない。

 大事な姉妹だし……。

 しかし、青龍の出した指示は、そんな的違いな恨みすら吹き飛ぶ内容のものだった。


「ねえ、どうしたら良いの……」


 ヴェロニカは唇を噛み締め、独り苦しむ。

 ウェンディは巻き込めない。

 いや、巻き込まれているからこそ何もいえない。

 もっと言えば、ヴェロニカは彼女に巻き込まれたのだ。

 ――いや。

 考えるのはよそう。

 頭を振ったとき、馬蹄の音が聞こえた。

 それも複数の。


「……え?」


 そこで彼女は、信じられないものを見た。

 山脈の早い日暮れの名残の中、薄闇に終結する十数騎。

 その腕には赤いと思われる布が……。

 ひときわ大きな禿頭の巨漢が、窓辺で見るヴェロニカの姿を確認し、ニィと笑う。

 目が合ったヴェロニカは、恐怖と戸惑いで息を呑むばかりであった。

 その瞬間、二階の部屋にクライフが駆け込んできた。


「囲まれています」


 ――こんな状況は緑葉脱出のとき以来だな。

 その後に、オリビア、アンナ、エレナが続く。

 彼女たちはイリーナを起こし、事情を伝えている。


「ヴェロニカ、窓辺から離れるんだ!」


 クライフが声を飛ばす。

 彼は鎧を素早く着込みながら装備を整える。


「聞こえるか、新米騎士!」


 バドラスの大音声だった。

 クライフは、その声に「なるほどな」と頷いた。


「今はまだ何もしない。顔を見せろ」


 クライフは立ち上がり、ヴェロニカと入れ替わりに窓辺に立ち、開け、バドラスと顔を合わせる。二階と馬上の二人の視線が交錯する。


「ビスタルをやったのは、お前か」


 バドラスは巨大な槌を放り投げる。

 地に落ちるそれには見覚えがある。

 名乗りあったあの傭兵の物だ。


「一番隊隊長、ビスタルの物か」


 バドラスは快活に笑った。


「やっぱりそうか」

「こちらも質問させてもらおう」

「なんだ」


 クライフは腰の短剣を確かめながら言う。


「新米騎士と言ったな」

「ああ」


 視線が交錯する。

 先ほどの思いが確信に変わった。

 新米騎士……領都中央の情報が末端、それも敵側に漏れている。

 おそらくキーリエ側からの情報が流れ、交換されているのであろう。


「しかし、本当に独りか、驚いた」


 クライフは答えない。

 すでに囲まれた今、絶体絶命である。

 顔を出している今、狙撃を注意するが……その気配は無い。


「……どうだ、お前」


 バドラスは勤めて明るい声で言う。まるで友人に声をかけるかのように。


「俺と一騎打ちせんか」


 これには部下からもどよめきが漏れる。


「バドラス隊長!」


 そう叫ぶ副長をバドラスは手で制する。


「こちらに油断は無い。周囲は固めてある。拒否すれば娼婦ともども村民皆殺し。どうだ、俺を倒せば撤退するぞ」


 そんなクライフに向けられた言葉に、彼は眉を寄せながら答える。


「俺が倒されたときは?」

「その腕に赤い布を巻いてもらおう」


 仲間になれということか。


「随分と買われたものだ」

「お前が負けたら――それでも生きていればの話だ。死んじまったらそれまでだな」


 バドラスは独り頷く。


「そのときは娼婦だけ殺して任務終了、俺たちは撤収だ」


 ――損な話じゃあるまい。

 バドラスは誘うように破顔した。

 返してクライフは歯噛みした。


「返事を聞こう」


 バドラスの問いに、クライフは一度だけ娼婦たちを振り返る。

 不安げに身を寄せ合っている。

 あのイリーナも、ことここに至って不安を隠せずにアンナに縋っている。

 クライフはバドラスに振り返る。


「ほう」


 その表情に、バドラスは一歩退くように体を反らす。

 伊達ではないか。


「一騎打ち、承知仕る」

「決まりだな」


 副長は嬉しそうに呟くバドラスを横目にため息をつく。


「よし、広がり円陣を組め。……騎士よ、聞こえるか!」


 前半を部下に、後半をクライフに向けて副長は叫ぶ。


「これは儀式だ。逃げようと思うな! 狙撃手は山村にあまねく配備している! これから私がそちらに向かう。準備を整えて待て」


 クライフは頷き、踵を返す。

 心配そうな顔の娼婦たちに、笑顔を返す。


「すみません、私が体調を崩さなければ今頃は……」

「イリーナ様、それはお互い様です」


 すっきりとした表情で笑む騎士。


「私があの男と一騎打ちし、倒せば良いだけの話です。話としては、ひどくすんなりとした話ですよ」

「でもあなた、剣が――」


 アンナが心配したように言うが、クライフは首を振って笑う。


「こいつが残っています」

「でもそんなに短い剣じゃ……」

「短い剣ですが、長剣とは違う戦い方が出来ます。長剣では出来ない素早い打ち込みと、半身になることで間合いも長くすることが出来ます。こいつでの戦い方もみっちり教えられていますから、安心してください」


 騎士は娼婦たちの近くで微笑む。

 しかし、彼女たちからはそんな騎士が遠くに思えてしまう。


「クライフ……あんた」

「ヴェロニカ」


 クライフは彼女の肩に手を置く。

 びくりと身をすくめるが、彼女は泣きそうな顔をクライフに見せる。


「これが終わったら、悩みを話してくれ」

「え!?」


 深くは聞かずに、クライフはドアに目を向ける。


「開いている」


 騎士の言葉に答えるかのように、先ほどの副長が入ってくる。

 若い男だった。クライフよりは十歳は上だろうが、精悍な顔立ちの男だ。

 彼はぐるりと娼婦と騎士を見て、万感の思いで頷いた。


「良くここまで戦ったな」

「俺がここで死ぬようなことを言うんだな」

「まあな」


 副長は苦笑した。


「いくら領主の命令とはいえ、下賎な商売女のために命をかけるほどなのか? お前ほどの男が、あたら命を散らすのは忍びない」


 傭兵独自の観念なのだろう。

 倫理ではなく純粋な強さで評価は下される。


「女一人を殺すのに軍勢を差し向けるほうも、どうかと思うがな」

「確かにな。だが、これも仕事でな」

「だろうな」


 苦笑しあう。

 副長は騎士の装備を見て頷く。


「やはり剣は折れていたか」

「まだこいつが残ってるさ」


 短剣を手に言う。

 ただ、わずかな時間の観察だが、バドラスという男が背中に背負うあの武器は、およそビスタルのそれを上回るものだろう。短槍の柄の先に長剣が付いているようなものだ。

 短剣で相対するには、いささか分が悪いかもしれない。

 間合いを無にする秘策――もう使えないか。


「おい、行くぞ」


 副長は娼婦に声をかける。

 有無を言わさない口調に、イリーナも不調をおして立ち上がる。


「……俺としては、今ここでこの娼婦の腹を割き仕事を終えたいところだ」


 呟くそれに、クライフは一歩間合いを詰める。


「だが、それ以上に物好きなのかもしれない。お前がどう戦うかを見てみたい」

「勝者の余裕は、実際に勝利を手に収めてから出すものだぞ」

「……そうだな」


 副長は全員を促し、外に出る。

 そこには大きな円陣が組まれていた。

 騎馬二十数騎で出来た、おそらくは一騎打ちの戦場。


「娼婦はここで大人しくしていろ」


 副長は一言も発することができない娼婦たちを残し、クライフを戦場へと誘った。

 近隣で徴発されたであろう篝火が焚かれ、あたりは明るく照らされている。

 舞台は粛々と……整い始めていた。




 それを樹上で覗く二つの影。

 双龍である。


「ほう、あの騎士やはりこうなったか」

「兄さん、こっちもそろそろだよ」


 青龍は頷いた。


「これで、短剣一本であいつと戦い、勝利したとしたら――」


 赤龍は兄の言葉にほくそえむ。


「お前のおもちゃとしては申し分なかろうな」

「ひひっ」


 青龍は北に目を向ける。


「俺のおもちゃも、もうそこまで来ているようだしな」

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