第3話『孤剣、南へ(3/4)』

   *


 未明である。

 夜露を拭いながら胴震いする馬に鞍を掛け、髭を豊かに蓄えた、猛禽のような瞳の男が、鈍色の鎧を着込みながら土を蹴って焚き火を消している。

 彼は一息ついて背後に控える数十人の部下を振り返り、顎をしゃくって指示を出す。

 北に緑葉を臨む、グレイヴリィ領境の平野である。馬で少し行く低い陸を越えると、バレンタイン領である。


「早暁、攻め入る。朝駆けで目当ての街を落とすぞ」


 平野部に堂々と陣を張り、北に対して睨みを利かせる、グレイヴリィ領の軍隊の一部隊である。

 各々が赤黒い布を左腕に巻いている。

 数十人の男たちは勿論、正規の兵隊でも、騎士でもない。未だ領土間の緊張が波打つこの大陸に、無数に残る傭兵たちの集まりである。戦国終わりし時代になっても、戦の火は消えず、各領主に雇われ、他領への睨みや表立つことが出来ない様々な仕事をこなす何でも屋の集団である。

 収入に見合えばどんな非道でも正義でも、金額の範疇で一通りこなすのがこの大陸の『傭兵』たちである。

 一際、この左腕に赤黒い……己が血で染めた布を巻く傭兵団の風評は、大陸無数の傭兵団の中でも群を抜いて高かった。あらゆる意味で。

 有象無象の無法者ばかりの、戦うことしか出来ない外れ者の中で、他とは違うとびきりの『傭兵』の象徴として、己が血で染めた布を左腕に巻くことをはじめた男がいた。

 それが数十人の部下を従える巨漢の男、カーライルである。

 彼が左腕に布を巻きだし、各領主に売り込み、その確りとした仕事振りを見せ付けていった結果、彼の武勇に便乗し真似ようとした輩が多く現れた。彼はその噂を聞くたびに、面倒臭がることもせずにその者を殺した。殺して、殺しぬき、十年も経つといつしか赤い布を左腕に巻くことを禁忌とする風潮が傭兵たちの間で流れ始める。

 その頃合を見計らい、カーライルは己が見込んだ者に声を掛け、試し、生き残ったものに赤い布を与えた。

 この『カーライル傭兵団』の各々が左腕に巻く布は、カーライルに試されたときに己が血を拭った布であり、純真無垢な暗い契約の証でもあった。

 さらに十年も経つ頃には、今のような大兵団に成り上がっていた。

 武勇は武勇を呼び、鉄の掟に縛られた精強無比な傭兵団は各領主から引く手数多である。

 今回のグレイヴリィ子爵の北方バレンタイン領土侵攻に、どれほどの力が注がれているかが見て取れる。

 バレンタイン側の遠見の斥候や見張りが、彼らの赤い布を確認していたら、その動揺は計り知れなかったであったろう。しかし幸か不幸か、わざと見つかりやすい平地に陣を張り火を焚いた彼らの思惑にはずれ、緑葉側にさしたる動きは感じられることは無かった。


「いささか肩透かしになるかもしれんな」

「隊長」


 カーライルに歩み寄る男が、一声掛けて耳打ちする。


「変わりなくこなせ。貴様の部隊は、例の南区画の娼館を片っ端から落とせ。怪しい女は皆殺しにしろ。後腐れなく、な」

「了解しました」

「犯すのはその後でもかまうまい。略奪は許可するが、自警団を落とした後だ」

「いつもどおり、ですね」

「いつもどおりだが、いつもどおりじゃない」


 カーライルは北に眼を向ける。


「俺たちはいつものように遊撃部隊だが……」

「その実、深すぎる楔となる。ですか」

「そうだ」


 多くは語らず、手振りと首肯のみで数十人の男たちが寸毫の乱れも無く騎乗し、整う。


「よし、全隊進軍。今回は静かな殺しを心がけろ」


 応える数十の金属音に、カーライルは満足げに頷き、騎乗した。


「敵は一国。落とせば北の別大陸への路が手に入る」


 騎馬たちは、乱れることなく北を目指した。

 夜陰に乗じ、払暁の一番闇の増す瞬間を見計らっての接近であった。

 事前の示威行為が全くの無駄であったため、それならばとより確実で人の死ぬ作戦へ変更したに過ぎない。

 緑葉の街を囲む広大な外壁の傍にまで接近すると、傭兵の四五人が騎乗したまま長弓に矢を番え、内引いて一呼吸で放つ。風を切って飛来する五本の矢は、大陸王家の定めた高さ限界にある見張り台に立つ二人の影に突き刺さった。声も無くその場に崩折れる二つの影に、カーライルは感情の篭らない瞳を向ける。


「不抜けどもだな」


 手振りすると、疾駆する騎馬団の中から突出した二つの騎馬が、壁際で重い弩弓を城壁に放つ。

 太い縄つきの鉄鉤が打ち出される。

 見張り台の木柵に鈍い音を立てて絡まり、鎧を着けていない男が腰の短剣ひとつで縄をよじ登り始めた。彼らの姿はすぐに見張り台までたどり着き、闇にまぎれて消えうせる。

 一連の動きを馬を止めることなくこなした彼らは、大きい鉄門扉の前までくると止まり、隊列を整えなおして武器を構える。カーライルが手振りと目線で指示を出すと、馬も人も呼吸すら忘れたように静まり返る。

 時の止まりきったかのような状況の中、北の龍鱗山脈の東の稜線に、青白い筋があわられる。

 夜明けである。

 同時に、鉄門扉が重い音を立てる。

 ゆっくりと軋みを上げて開きはじめる門扉の内側には、先ほど見張り台によじ登った二人の男がいる。閂を外した二人は、カーライルの指示で静かに、しかし速やかに侵入を果たした仲間たちを見送ると、己が残した馬を回収しに戻り往く。

 街の自警団が殺害された見張りと門番を発見するのは、一刻後、緑葉に傭兵団が猛威を振るい始め、対応に追われている頃であった。




 彼女が異変を感じたのは、いつもどおりに路上で引っ掛けた客との逢瀬を一通りこなした後の、明け方であった。その少し前、娼館『夜霧』の二階でまだ若い大店の息子と夜通し睦み会っていたヴェロニカは、先に寝てしまった男の傍らで半裸のまま生あくびをかみ殺していた。


「体拭いて、こいつ追ん出して、昼まで寝るかぁ」


 申し訳程度に服を調え階下に降り、帳簿を整理しているアンナに一声掛ける。


「はいお疲れさま」

「エレナは? お湯と手ぬぐい欲しいんだけど」

「今はもう休んでる。娘抱いて寝てるわ」

「んー……」


 年少組の生活サイクルは、自堕落とも取れる夜の商売人たちのそれよりも堅気寄りである。


「お日様が昇るんで、あたしゃそろそろ寝たいのよ」

「彼はまだ寝てるの?」

「早く起こさないと朝市に遅れるかな」


 口実をつけて早く追い出さないことには店が閉められない。つまり、ゆっくり休めない。


「……起こしてくる」


 アンナは「ご愁傷様」と、二階の客に内心苦笑する。


 ――――――――っ。


「ん?」


 と、ヴェロニカは階段から振り返る。


「何か言った?」


「いや、別に――」


 ――――――――っ。


 首を振るアンナが、そして何かに気がついたように玄関のほうに眼を向ける。


「声?」

「どこかで客と揉めてるんじゃない? 無理に客を追い出そうとしたヤツがいるとか」

「あんたじゃないんだから」


 苦笑交じりに応えるアンナが、やれやれと腰を上げ、外に向かう。何かのトラブルだったら、寝る前に収めてやらないと落ち着かないこと甚だしい。


「ほっとけばいいのに」

「そうもいかないでしょ」


 アンナはドアを開け、外を伺う。

 朝もやのかかる通りに、数人の男たち――酒場や娼館の用心棒も兼ねた自警団の、腕っ節自慢の男たちが慌しく駆けて行く様子が伺える。


「やっぱり、何か揉めてるのかね?」

「おおかた、ぼったくろうとしたら客にごねられて、大事になってるんじゃないの?」


 つられて様子を見に来たヴェロニカも、アンナの横から顔を出して呟いた。

 そこに、先ほどの男たちの一団からわずかに遅れて夜霧の前を通りかかった男がいた。

 アンナは年若い自警団の彼を一声掛けて捕まえる。


「揉め事でもあったのかい?」


 路の先は南、娼館や賭博場のある方向だ。


「武器を持った男たちが、用心棒と揉めたらしい。死人が出てる」

「うえぇ」


 押し殺した呻きを上げたのはヴェロニカだ。


「奴ら何をトチ狂ったのか、女にまで手をかけやがったって話だ」


 二人の顔が青ざめる。

 揺るがない歓楽街の喧騒の裏にある、確固とした自警意識と、その自治実績は、多くの荒くれ者どもに守られている。暗黙の治安が破られ、男たちが総出で事の沈静に当たっているとなれば、事を起こしたものが誰であろうと即座に片付くはずである。

 だが事態の認識を間違っていた彼らを待ち構えているのは、軒並み命を奪われるほどのしっぺ返しであった。


「すぐに片付く。今夜の店には影響はださねえよ」

「……殺されたのは誰なんだい?」

「わからん、とにかく店閉めて大人しくしていてくれ」


 男の言葉に頷こうとしたアンナだが、瞬間、ヴェロニカともども息を飲む。

 聞きなれない、そんな、肉を貫く音、骨を砕き染み出す血の音。男の肺と心臓を胸骨ごと貫いて彼女たちの眼前に現れた血塗れた矢尻。殺人の威力を持つ異物に押し出された肺の空気を喉から搾り出し、一瞬うなだれたかのように頭をたれ、あおられるように背中から後ろに倒れふす男。

 反射的に扉を閉めようとした瞬間、死体となった男の背後に弓を構えた男は、速射を以って第二射をアンナに放つ。


「ひっ」

 速射ゆえに精度は落ちたが、風を切り凶悪な音を立てて扉に突き立つ矢。

 押し殺しきれなかった呼気が悲鳴となって漏れ、アンナは下半身に力が入らなくなったかのようにその場にへたり込んでしまった。ヴェロニカも自警団の男の死体と、今まさに突き立った矢、そして……そして左の二の腕に赤い布を巻いた男が三本目の矢を番えながら小走りに駆けて来るのを見、凍りついたように歯を鳴らした。


「みつけたぞ、『夜霧』だ!」


 カーライル傭兵団の男は、道向こうに声を上げ、疾駆する。

 その弓が満月に引き絞られたとき、ヴェロニカは初めて悲鳴を上げた――。


「いやぁあああ!」


 傭兵は舌打ちをし、矢をヴェロニカに向ける。

 その目が細まり、弦が矢を弾く瞬間、ひとつの影が肉弾となって男の体を弾き飛ばした。弾かれるはずだった矢は不用意に揺れた重心のため、あらぬ方向に無様に飛ばされる。

 虚を突かれた猛烈な体当たりで弾かれ、傭兵はたまらずに二三転し、しかし直ぐに体を起こす。


「なに?」


 そこに現れた一人の若い戦士風の男に、赤布の傭兵は一瞬目を見開き、次の瞬間弓を捨て、腰の大鉈を引き抜いて身構えた。


「遊びすぎて本隊に置いて行かれた坊ちゃんか?」


 戦士風の男、クライフは青い顔、震える手で腰間から太刀を引き抜く。


「剪定騎士団、クライフ=バンディエール。お相手仕る」


 剥き出しの殺気を叩きつけられ、初の実戦を意識。

 通りの方からの足音が増している。

 クライフに焦りの色が浮かぶ。

 傭兵はクライフの未熟な焦りを看過し、一足飛びで踊りかかってきた。

 驚き見開かれたクライフの眉間に大鉈が振り落とされる。

 瞬間、血を噴いて仰け反り倒れたのは、傭兵の男だった。

 半歩右に体を移し、下段から跳ね上げた太刀の切っ先が男の左頚動脈を抉り飛ばしていたのである。


「……がっ」


 己の足元で、出血で意識と命を失った男の搾り出すような言葉を、クライフは未だに真っ青な顔と、驚愕に狭窄した視野で聞いていた。

 ――彼の人生において初めての殺人は、叩きつけられた殺気に反応した無意識によって行われていた。

 胃の奥から湧き上がってくるものを感じ、咄嗟に嘔吐を押さえ込み、クライフは己に活を入れる。


「『夜霧』の人ですね。領主バレンタインの命により、イ……貴女たちを助けに来ました」


 いまだ腰を抜かしている二人に駆け寄り、活を入れるように肩を叩く。


「ひっ」


 ヴェロニカがもう一度息を飲む。


「…………囲まれるだろうな」


 周囲にひしめく異様な気配の集団に、クライフは歯噛みする。


「入って。急いで準備をしてください、イリーナさんたちを起こし、一部屋に集まって!」


 二人を館に押し込みながら、クライフは扉を閉め、施錠する。


「こうなったら、斬り開くしかないか」


 右手に血刀を引っさげたまま、クライフは呟く。

 そんな彼を、彼女たちは引きつった笑みで見返す。

 驚愕と恐怖が染み入ると、人は笑ってしまうものだと、クライフは思い出す。


「話は聞いています。イリーナさまがお世継ぎを身篭られたこと、アンナさんが……」


 そこでクライフは年増の女性の顔に微笑む。


「アンナさんがみなの面倒を見ていること」

「あ、あなたいったい誰なのよっ」


 凍った感情が取り戻されていくと、普段の勝気なヴェロニカの性格がよみがえってきたらしい。


「救出部隊です」

「部隊って、あなた一人だけ?」

「……はい」

「あの連中は何よ!」


 クライフは眉根を寄せ、口を真一文字に引き締める。

 言い難い事だが、言う必要があるだろう。


「南のグレイヴリィ子爵が、こちらに侵攻を開始しました。領土にいる騎士団は、雨滴の大河周辺から領境を守るように陣を張り、ガレオン総騎士団長の麾下にあります」

「そんな」


 これはアンナである。


「そんな大事、私は……私たちは何も聞かされてないわよ!」


 アンナの言葉も、もっともだ。

 しかし、今全てを、領都のやり取りを話す暇は無い。


「緑葉の自警団と一部大商人たちの自治との兼ね合いがあり、領都は緑葉の守りを恣意的に彼らに任せることにしたのです」


 クライフはそこかしこに気配を感じ、歯噛みする。


「急いで出発の用意を!」


 クライフが叫んだ瞬間、玄関横の窓ガラスが打ち破られ、鎧姿の男たちが躍り込んでくる。

 その腕に確りと赤い布を確認し、クライフは舌打ち混じりに剣を構えなおした。

 傭兵たちは二人。

 クライフは階段側に娼婦二人を押し出すと、背後に匿うように太刀を中段につけた。

 ――たしか、彼女の寝室は三階だったか。


「……行けますか?」


 背後の二人に聞いた瞬間の隙を見逃されるはずも無く、傭兵たちの巨体が押し倒さんばかりに肉薄する。

 組討をしかけようと意図する傭兵の短刀を、突き出された瞬間に、クライフは腰をずんと落としすかさず半身になり、顔の横で刷り上げるように短剣を受け流し、そのままの勢いで振りかぶり、頭蓋に刃を叩きつける。

 刃幅の半ば以上も切り込み脳髄に損傷を与え、一瞬にして意識を失いつつある敵の内懐に飛び込み、重心を崩して腰に乗せた投げを打つ。投げられた体は直後に控えていた男の行動を阻害し、その一瞬の隙で振り向きざまに跳ね上げられたクライフの刃をかわすことが出来ず、残った男は右耳から右眼窩、眉間まで横薙ぎの一閃を叩き込まれ即死した。

 流れるような動作で二つの命を奪い去り、しかし不思議と息も乱すことなくクライフは背後の娼婦二人に振り返る。


「早く。急いで!」

「わ……わかったわ」


 襲い来る非日常の光景に、かえって冷静になったのか。ヴェロニカの気持ちが大きく揺れることによって感情を取り戻したのがアンナに功を奏したのか。二人は急ぎ階段を駆け上る。不思議とこの殺人を行う若い騎士を疑おうともしなかった。

 駆け上がるその途中で、ヴェロニカは「あ!」と声を上げる。


「どうしました!」

「……客、まだいたんだ」


 ヴェロニカの待機部屋には、昨夜からの商人の息子という客が寝ている。この騒ぎでも起きないくらいに『疲労』しているのは容易に想像がつく。

 アンナは歯噛みした。


「あの人も起こさなきゃ」

「オリビアとエレナは?」

「イリーナの部屋っ」


 クライフは一瞬考え、ヴェロニカに言う。


「お客さんがいるのは二階の部屋ですね?」

「ええ、そこの――」

「俺が行きます。みなさんは上で準備を!」

「わ、わかったわ」


 上へ消えていく軋みを聞きながら、割れた窓の向こうの気配を探る。

 あと数人の気配がする。

 手練れを三人倒されたせいか、もしくは先ほどの二人が倒されたことが知られていないのか、それ以降の襲撃の気配が無い。クライフは今のうちにと、ヴェロニカの待機部屋……いまだ客が残ると言う二階の奥に向かう。

 階段を軽快に踏み越えて疾駆する。

 目的の部屋の扉に手を掛け、室内に駆け込む。

 狭い部屋であった。乱れたベッドの上に、幸せそうに寝こけた男が静かな寝息を立てている。情事の後の生々しい気配などに眉根を寄せながら、男の肩に手を掛けて揺り起こす。


「起きてください、その……お客さん!」


 革の手甲とグローブが、男の肩に食い込む。鍛えられていない商人の放蕩息子は、夢現ながら苦痛の声を上げる。


「んぁ」

「起きてください。このままだと死にますよ」

「んぁ!?」


 ガバっと跳ね起きる放蕩息子。呆れたことに、下帯もつけていない全裸であった。

 続いて見慣れない鎧姿の男――クライフと、その右手に明らかな血糊と何らかの組織片を付着させた鈍色の太刀を確認するや、無数の感情が瞳に揺らいで絶句し、真っ青になる。


「こっ、これは……!」

「落ち着いて。私は領都から来た騎士です。グレイヴリィの領土侵攻が始まり、その傭兵団らしき一団がこの緑葉の街に対して侵入、破壊工作や虐殺を意図した戦闘行為を繰り広げています。緑葉南のこの地域が、本日未明から戦場となっており、おそらく自警団がその事態の収拾に当たっていると思われます。貴方は身の回りのものを整理し、いつでも逃げられる準備をしていてください」

「せ、戦争だって!?」

「自分を見失うと死にますよ。落ち着いて支度を整え――」


 男の肩を支えつつ、鼻に感じた異常なに気がつく。


「そう来たか……!」


 クライフは男を立ち上がらせ、急がせる。


「敵はこの館に火を放ったみたいです」

「なな、なんだって!?」


 男の動揺ぶりは当然であったろう。


「こうしちゃいられんっ」


 慌てて着替えだす男に、クライフは一応の見切りをつける。


「慌てて外に飛び出すと、狙い撃ちにされます。決して私が血路を切り開くまで外に脱出はしないように!」

「あんたはどこ行くんだよ!」

「三階に、彼女たちが残っています。脱出の指示を出さないと……」

「足手まといだ!」


 昨晩愛を語らった娼婦に対する、朝を迎えた客の感情はこの程度なのであろう。

 クライフは口篭るも、扉に向かう。


「任務ですから」

「知ったことか、俺は逃げるぞ……」


 クライフは男を置いて、三階に急いだ。

 油を使ったのか火矢を使ったのか、どうやら敵側は実に用意周到にこの夜霧の面子を、とりわけイリーナ殺害に力を注いでるらしいことが伺える。

 敵領主の世継ぎを孕んだ娼婦。

 占領後の後腐れをなくすために、領主の血統はことごとく処分されることは目に見えている。

 しかしその情報の流れが速すぎると、クライフは断じている。


「確かに、この一件の根は深そうです……先生」


 三階に降り立ったクライフは、扉が開け放たれたままの一室に飛び込んだ。


「きゃぁ!」


 見知らぬ少女が悲鳴を上げる。


「エレナ、この人は騎士様よ」


 アンナに取り成された少女に、クライフは頷いてみせる。

 そしてベッドに腰掛けるお腹の大きい女性を確認すると、膝を付き、略式ではない臣下の礼をとった。


「イリーナさま、この状況下ですので御挨拶を省く無礼をお許しください。剪定騎士団クライフ、イリーナさま救出に馳せ参じましてございます」

「あらあら、御丁寧に」


 ゆっくり頭をさげるイリーナに、慌ててクライフも礼をしなおす。自若とした対応と思ったが、どうやらこのイリーナという女性は領主バレンタインの正妻キーリエとは反対の性格らしい。いかにもおっとりとした顔つきで、慌てる様子は微塵も無い。

 クライフは立ち上がると、報告する。


「館に火が放たれました。敵は慌てて出てくる私たちを狙い撃ちにするつもりでしょう」

「じゃぁ、出られないじゃない」


 ヴェロニカの苦悶に、クライフは頷く。


「出なければ、焼け死ぬでしょう。相手は待ち構えているだけでいいのですから」

「あの……騎士様」


 声を掛けてきたのは、アンナである。


「ではいったい、どうするのですか?」

「妊婦連れの私たちが窓から脱出するなどとは思っていないでしょう。ですので、彼らが待ち構えているのは主に玄関の正面でしょう」


 上がる前に確認した気配が動いていたのもそのあたりだった。


「二階の窓から私が出ます。周囲を見張る少数の敵を倒し、次に正面の主力を倒します。皆さんは準備をそこそこに切り上げて、玄関わきまで退避してください。声をかけたら中央通を迂回し、東回りに水門まで行ってください」

「騎士様は?」

「敵を排除した後、追いかけます」

「そんな、あなた死んじゃったらどうするのよ!」


 聞いていたヴェロニカは、声を荒げる。


「少なくとも、死ぬつもりはありません。もし死ぬことになろうとも、囮となって敵の目をひきつけます」

「そういうことじゃないでしょう!?」


 クライフは困ったように苦笑し、しかし真摯なまなざしで激昂寸前のヴェロニカの視線を受け止める。


「任務ですから」

「ばか!」


 そっぽを向いて荷物の整理にかかるヴェロニカ、既にイリーナとある程度の物を整理したエレナ、アンナは小さい子供のカバンを用意しているところだった。


「……こんな小さい子供まで」


 クライフの呟きに、アンナは苦笑する。


「私の子ですよ」


 言われて、クライフはアンナの子、オリビアに驚きの目を向ける。

 娼婦だとて、木石にあらず。人の身なれば子も成す。

 イリーナも領主の子を……と思い、剣を鞘にしまいつつ、クライフは数度頭を振って咳払いをする。


「初めまして、騎士様。オリビアです」


 お辞儀するオリビアに、クライフも膝を折り、目線を合わせて挨拶をする。


「初めまして、オリビア。クライフ=バンディエールです。急いで準備して、お母さんの言うとおりにするんだぞ」

「うんっ」


 良い子だ……と、頭をなで、クライフは立ち上がる。


「時間はもう無いでしょう。急いで一階に!」


 返事を聞くことなく、クライフは三階を後にし、先ほどの放蕩息子の部屋に戻る。


「ひぃ!」

「私です」


 すっかり着替えた男は、一抱えの荷物入れを抱えてベッドにへたり込んでいた。


「いいですか、一回しか言いませんので良く聞いてください」


 男は頷かなかったが、構わずクライフはその部屋にある窓を指差して言う。


「そこの窓から飛び降りて見張りを片付けます。そうしたら貴方は身軽でしょうからそのまま窓から逃げてください。正面には主力の弓兵が潜んでいるはずですから、決して表通りには行かずに……なんとか逃げてください」

「え、あ、おい!」

「幸運を!」


 クライフはそのまま窓を開け、数瞬の遅れなく虚空に身を躍らせた。

 ――いた!

 着地までの間に、見張りの男の姿を確認する。弓を構えた男が、二階の窓を狙っており、落下するクライフを見開いた驚愕の眼差しで捕らえていた。

 落下する標的を飛び道具で射止めるのは至難の技だ。優れたカーライル傭兵団の男であるが故に、即座に虚空に弓を放つ真似をしなかった。しかし、着地を狙った洞察力はさすがだが、着地と受身を同時に行い転げ迫ってきたクライフに狙いを付けることも出来ず、しかし接近を許したときには矢を放てる距離ではなく、武器を持ち替える暇も与えられずに、口元を手で覆われ、クライフの抜き放った腰の短剣でわき腹から肝臓を存分に抉り抜かれて屠られる。

 ドウと倒れ付した男に馬乗りになり、その痙攣が落ち着くまで口から手を離すことなく辺りを見回す。

 敵は火矢と油を使い、燃えにくい外壁ではなく屋根や屋根裏の基礎部分に火を放ったらしい。

 こうしてはいられないと、男の口元から手をはがし、クライフはその男の死に顔に、胃の底から湧き上がってくるものを感じた。

 しかし辛うじて堪え、空を見上げ、二三度大きく息をする。


「任務だ、集中しろ――」


 つとめて無表情に、クライフは傭兵の使っていた弓矢を手に取る。

 手入れは行き届いているようで、矢筒にはまだ十本近い矢が入れられている。そのうち三本は火矢だった。

 もののついでと、油の瓶も奪い取る。臭いを嗅ぐ。燃え広がりやすいが黒煙を放つ殺し焼くための油だった。


「お、おい!」


 頭上からの声にクライフは振り仰ぐ。

 あの放蕩息子が、おびえた顔で伺っている。視線は死体とクライフを交互に行き来し、今にも泣き出しそうになっている。


「早く。決して表には行かないように」


 クライフは、矢筒を小脇に括りながら、駆け出していた。

 裏手から正面にかかる館の角から伺うと、正面には三人ほどの傭兵が弓を片手に玄関付近を狙っている。

 クライフは彼らの死角に身を移すと、火口から火矢に火を移すと、左手に弓と矢、引火しやすい油の瓶を右手に持ち、深呼吸をする。

 およそ敵の集団まで駆けて十五歩、速射の腕と、投擲の腕を天秤にかけつつ、左手につまんだ矢の炎を見る。


「三、二、一……!」


 角から姿を出したクライフが、傭兵の三人の手前に油瓶を投げつける。

 石畳に当たって瓶が割れ砕け、重く粘り気のある油が彼らの足元に広がるまでに火矢を番え、威力よりも精度を重視した半分の引き絞りから、火矢をそれに放つ。

 瞬間的に瓶の投擲位置から敵の出現を察知した傭兵三人は、咄嗟に矢をその方角に向けるも、足元に叩きつけられた『物』がただの陽動ではなく、自身も使う油の瓶であることに気付き、更には火矢を放たんとするクライフの姿を認識するにいたり、その関連付けが容易な一連の流れに、数瞬の遅れを取ってしまう。

 動揺と遅れは傭兵たちの弓を張りを失わせ、放たれた火矢が油だまりに上手く射込み、引火し、炎の柱を出現させる。

 あっ!

 と、三人がたたらを踏んで顔を覆い後退さった瞬間には、クライフは太刀を引き抜きつつ疾走を開始していた。

 彼らが体勢を立て直す数瞬前には炎の壁を突破し、刃圏に到達し、まずは弓を扱う者特有の、剥き出しの手首へ強烈な打ち込みを斬り込む。返す刀でもう一人の鎧の薄い内太ももに、峰に手を添えた体ごとぶつかる抉りこみで大腿動脈を両断する。残る一人も兜の面頬と顎のすき間から喉を貫き、血潮を上げて悶絶させる。

 右手首を失った男が左手で短刀を抜き放つも、襲い掛かる瞬間に眉間を断ち割られて絶命する。

 大腿を斬られた一人もか細い呻きを上げるだけで、直ぐに静かになるだろう。

 三人の傭兵を斬殺せしめ、クライフは残心のまま周囲を伺う。


「皆さん、もう大丈夫ですよ!」


 玄関に声をかける。

 すると僅かに玄関の戸が開き、オリビアが顔を……出そうとして、直ぐにアンナに引き戻される。


「も、もう終わったの?」


 ヴェロニカが炎の向こうに立つクライフに聞くと、彼は静かに頷いた。


「急ぎましょう、水門まで行けば、脱出できます」

「あっけないのね」


 炎の向こうには死体があるのだろうと、ヴェロニカは思っている。炎があって見えなくて、良かったとも。


「………………」


 ヴェロニカの言葉に返答も出来ずに、クライフはただ速やかに玄関の彼女たちの元に駆け寄る。


「急ぎましょう」


 彼女たちを促し、クライフは館を見上げる。

 ずいぶんと火の勢いが増している。それだけではなかった。見上げると、街の至るところで火の手が上がっているようだった。


「あらあらあら」


 間延びしたような声に、クライフは振り返る。


「人が、死んでますわ」


 イリーナである。


「なにも殺してしまうことも無かったでしょうに」


 その口調は、決してクライフを責めているわけではなかったが、重く圧し掛かるくらいに、彼の肩に重圧を与える。


「………………はい」


 クライフは小さく呟く。


「未熟ゆえ、手加減が出来ませんでした」

「あの、騎士様を責めているわけではないのですよ」


 イリーナは重そうなお腹を抱えながら振り返る。その瞳は優しく、クライフを見つめている。


「さ、行きましょう」

「はい」


 死んだ男の衣服の裾口で剣の血脂を拭い、鞘に収めつつ息をつく。

 身重のイリーナをとりあえず確保できた。

 あとは領都まで護衛していけば任務は終わる。


「そう上手くいけばいいのだが」


 緑葉は大きい街だが、決して広大ではない。傭兵部隊が組織的に展開を完了しているのならば、既に街は事実上、陥落したと見るべきだろう。遊撃的に数人を倒したクライフだが、指揮官や部隊長級の統率者に指揮された兵卒を相手に凌ぎきれるとは思ってはいない。

 この緑葉を、決して敵方に見つかることなく脱出し、距離を稼ぐ必要がある。北にある街境を越えられれば、バレンタイン領騎士団が陣を構える地帯に入ることになる。そこまで逃げ切れば、騎士団の壁が彼らを守る形となるだろう。


「あのぅ」

「ん?」


 さすがに思案していたクライフに、おとなしそうな少女が声をかける。


「君はたしか」

「エレナです、騎士様」


 エレナは興味津々とクライフを見上げるオリビアの手を確りとつないでおり、彼女は彼女で心配そうに彼を見上げている。近くで見ると、やはり雰囲気以上に若そうな少女だった。


「水門に行って、それからどうするんですか?」

「水門には秘密の通路がある。私はそこから緑葉に侵入し、ここまで来たんだ。逆に、ここから敵に内緒で脱出できる。みんなをそこから外に逃がし、とりあえずは街境を越えて味方の陣が敷かれている防衛線まで行くことが目的だ」

「あの人達は、なんで私たちを?」


 クライフは逡巡した。


「お世継ぎを孕んだ娼婦が誰か分からない以上、片っ端から殺すしかないでしょう?」


 と、これは背負い袋を担ぎなおしたヴェロニカの言葉だ。


「ヴェロニカ」


 その言葉に責める色が無いとは言え、アンナは彼女の言葉に眉をしかめる。


「ともかく、相手は『夜霧』の名前を知っていました。第三者が皆さんのことを密告した可能性があります。皆さんがイリーナさまの仲間であると知られている以上、人質として利用されることが考えられます。ですから、皆さんの身は私が守ります、一命に代えましても……必ず」


 改めて彼女たちを見る。

 アンナとヴェロニカは、大丈夫だろう。

 エレナとオリビアは年若く体力もなさそうだ。

 本命のイリーナは身重、しかも臨月間近といった具合。クライフの逸る気持ちに逆らうかのような、おっとりとした和やかな女性だ。

 いかにも目立つこの一団を、水門から逃がすまでは気が抜けない。


「……街の住人も、さすがに騒ぎ始めていますね」

「大きな火事が起こってるみたい」


 アンナが心配そうに空の黒煙を見る。

 そして主人を勤めていた己が娼館が炎の舌に舐められていく様を神妙な面持ちで見上げ、そして俯く。


「もう戻っては来れないかもね」

「急ぎましょう」


 倒れる死体を燃え盛る娼館の玄関へ放り込み終え、クライフはイリーナの手をとり、促すように皆を叱咤した。

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