第3話 左手は添えるだけ

自動車の前で立ち尽くしていると、中年男に後ろからどやされた。

「おい、さっさと運転席に乗れよ!」

びくびくしながら自動車に乗り込む。運転免許証を取ってから一度も運転したことはない。

「あの……どうすれば?」

「あとはハンドルに手をおいて座ってりゃいいから!あ、途中でトイレ行ったりするなよ!」

試しにハンドルを持ってみると、車載スピーカーから電子音声が再生された。

「運転手を検知しました。発進します。」

そう言うなりするすると自動車は走り始め、中年男はミラー越しに遠ざかっていく。

メーターに目をやると"自動運転中"と赤く点灯していた。


それからはずっと狭い窓から外の風景をみていた。たまに自動車が停止し人を乗せる感覚があるが、運転席とその他の座席は完全に仕切られていて様子をうかがうことは出来ない。

暇なのできっかけになったウェブサイトの内容を思い出してみる。そういえば、

「座ってるだけで大丈夫!あとは機械が全部やります!」

「ハンドルを握ってるだけで楽々収入!」

「時代の最先端!自動運転手募集!」

などといったポップが踊っていたことに思い至る。


そうか、これが自動運転か……。

今となっては技術的にそれほど目新しいものでもなくなったが、自動車とは無縁の生活を送っていたので気づかなかった。

結局、自動運転は事故の際の責任問題を処理することができず、完全な自動運転は現行法では許可されてないはずだ。

しかし、問題はそれだけだ……だったら、グレーゾーンを突けばいい。


それは、責任を取るためだけの形式上の運転手を立てることだ。

本当に法的に問題がないのか怪しいが、だからこそあんなうさんくさい広告だったのだろう。

もし事故を起こしたらどうしよう……そんな思いが頭をよぎったが、これまでのところ自動運転は完璧そのものだ。

当たり前だ、ペーパードライバーの自分が運転するより機械に任せたほうがよっぽど安全に決まってる。


安心しきった俺は後ろ手に組もうとハンドルから手を離そうとすると、

「運転手を検知できません。製造元である当社は責任を負いません。自動運転は自己責任です。」

といった電子音声が流れ始めるのであわててハンドルに手を戻す。


日本では未だに印鑑文化が残っているが、同じようにハンドルに手を置く文化も残るのかもしれない。

俺はうんざりしながら改めて窓の外に目を向け直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

責任屋さん 上林暗正 @shimobayashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ