冬の大祭 (4)

 大祭の朝は、地面からの冷え込みが厳しいものの、青空がすっきりと澄み渡り、風もない見事な快晴だった。

 義勇兵と青服は訓練場に集められ、十人ずつの班に分けられた。誰がいつの間に調べたのか、兵たちの武器に偏りがないように編成されている。

 各班には最低一名の射手がおり、大剣や大斧を背負った屈強な者も組み入れられている。この班を最小単位として、魔物に挑むとの説明があった。小回りが利き、負傷者を庇えるよい案だ。実際、狩人たちはそうして魔物を狩っている。


「おい、そこの」


 紫紺の制服の男に呼ばれた。服の色からして、青服を顎で使う立場にあるはずだ。呼びつけられる覚えがない。


「僕ですか」

「そうだ。これを預かってきた」

「僕に? 僕はシャインですが、本当に僕宛てに?」


 男は困惑顔のまま頷いて、細長い布包みを差し出した。使い走りをする身分ではなかろうに、と訝しみながら手に取った瞬間に、中身がわかった。あ、と吐息が白く転がり落ちる。


「確かに渡したからな」


 誰から、と問うまでもなかった。そもそも、紫紺の制服に用事を言いつけられる者がどれだけいるだろう。一礼して男を見送った。

 興味深げに覗き込んでくる傭兵たちに背を向けて、包みを開く。懐かしい重みだ。この質感を求めていたのだ。柄を、鞘を撫でさする。


「ディー」

『おう。無事で良かった。エニィも、まあ、なんてこたない』


 何ヶ月ぶりかに手にした刺突剣は震えていた。強い怯えと戦いを前にしての昂揚、あるじの手に在ることの喜びや信頼が伝わってくる。大切な半身にして、父の愛情そのもの。


「行こう、ディー。大丈夫だね?」

『あんたのほうが大丈夫じゃねーだろうが。いつも言ってるだろ、オレはレンさんになんて言い訳を』

「わかったわかった。後でね」


 今までディーを保管していたのは誰なのか。

 かの人は、どうしてシャイネの居場所を知り得たのか。

 答えはただひとつ、燦然と胸のうちで輝く。




 大祭がどういった内容なのかシャイネは知らなかったが、青服や傭兵たちによれば「大したことはない」「これといって何をするわけではない」らしい。いとし子のありがたいお話があり、女神の創世にまつわる詩が吟じられ、市長(がいるらしいのだ、驚いたことに)のお言葉、子どもたちによる合唱や劇、毎年醸される地酒の振る舞い。なるほど、とりたてて珍しいものではなさそうだ。

 街には色とりどりの花や布が飾られ、露店が立ち並ぶ。めかしこんだ人々が陽気に通りを歩き、辻では踊りの輪に加わる。流行歌の歌い手に真摯な眼差しを向け、曲芸を披露するきらびやかな一団には拍手と喝采が降り注ぐ。

 神殿の敷地にも露店が並び、酒や菓子が振る舞われていた。大神殿に続々と人が押し寄せるのを横目に、シャイネら義勇兵は訓練場に班ごとに集まり、戦場で用いられる太鼓やラッパの合図を覚えさせられていた。

 アンバーの説教と女神の加護を祈る儀式が終われば、青服と義勇兵の混成軍は裏手から街を出、戦いに備える。祭りのためだけではなく神都神殿はざわめき、落ち着きを失くしていて、嵐の到来を感じさせた。

 大神殿からは歓声が地響きとなって伝わってくる。儀式が最高潮を迎えているようだった。魔物に怯むな、と煽ってでもいるのか。

 兵たちの様子もさまざまで、冗談を放って周囲を和ませる余裕のある者もいれば、眉間に皺を刻んで武器の留め金を何度も確かめている者もいた。大方は、出遅れまいと集中力を研ぎ澄ませている。

 シャイネは腰に戻ったディーの鞘を撫でながら、神都を出る瞬間を心待ちにしていた。


『これほど体が欲しいと思ったことはねーな』


 低いつぶやきに、かれの恐怖を想う。周囲に頼れる者のない状況で、どれほど恐ろしい思いをしただろう。もしも体があったなら、力の限りに抱きしめてやれたのに。もう怖くない、心配せずともいいと、手を握り、背をさすって。


『エニィと一緒だったからさ。オレがごちゃごちゃ言うとだめだろ』

「がんばったねえ」

『そうするしかなかったんだよ』


 えらいえらい、とディーを褒めつつ、そういえばアズライトやレイノルドは自分が義勇兵に混じっていると知っているだろうか、アンリは報せてくれただろうかと首を傾げる。

 逃亡した半精霊の代わりに、新たな贄が選ばれているはずだった。アンバーのためなら、と進んで命を差し出す者もいるだろう。どうなっているのか、アンリからの接触がないのでやきもきする。

 一度呪卵が放たれたなら、止めるすべはない。討伐に赴く兵たちが死んでゆくのをただ眺め、そしていつかはこの身も卵に喰われるのだろう。

 使わせてはならない。卵を使わせてはならないのだ。

 どうやって止める? 卵はいまだ神殿の手の内にあり、贄は周囲にごまんといる。今さら奪還を試みたところで、魔物を前にしての状況では不可能だ。

 ままならなさに、強く地を蹴った。よい案は浮かばないが、神都の行く末を憂えて集まった者たちの命はアンバーの野望よりはるかに重い。むざむざと潰えてよいものではないのだ。


「始まるぞ」


 列が動き始める。祭りの賑わいに比べて随分地味な進軍だ。大人ふたり並んで通るのがやっとの裏門を出て、街を背に、南向きに陣をく。

 平原に出るや、息苦しいほどに精霊の気配を感じて涙ぐんだ。目前の何でもない光景の、色、厚み、鮮やかさ。それらすべてが深く豊かに胸に迫った。ディーが喜びに沸き、どこか遠くでエニィがむせび泣く。

 ひめさま、と精霊たちの気配があちこちで騒ぎ、喉がむずむずした。早く彼らに応えたい。

 太陽は薄青の空に輝き、湿った冬の風が枯れ野を駆け抜けてゆく。魔物たちは黒々とした帯となって地平を覆い、あまりの数に呻かずにいられなかった。周りからも罵倒が次々にあがるが、青服たちは顔色をなくして狼狽えるばかりで、止めるどころではない。

 神殿も多くの人員を集めたが、多く見積もっても二千、カヴェ、シン・レスタールの両隊を足しても魔物の数には遠く及ばない。ゼロはどう戦うつもりだろう。

 ふと目をやれば、神都の外壁に沿って巨大な櫓が組まれており、アンバーや神都の重臣たちはそこから戦況を見守るようだった。ご丁寧に天幕まで用意されている。

 飛行する魔物の襲撃を防ぐためか、櫓の周辺と外壁には弓兵や銃士が重点的に配置されているが、天高くから急降下してくる魔物には対応しきれまい。

 長い平和に浸っていた彼らが、果たして魔物の脅威をどれほど我がこととして理解しているのか。戦慣れした傭兵たちがうまく気を利かせてくれるといいのだが。

 アズライトの姿は天幕にあるが、ゼロの姿はどこにもなかった。エニィの声が聞こえたから、街の外に出ているのは確かだ。

 神都軍は櫓を守るべく、外壁と平行に広がった。長槍を携えた騎馬兵を先頭に、何重にも兵が並ぶ。シャイネは二列めで、騎馬兵と先頭列の弓兵たちが突入した後に前進することになっていた。華麗な布陣とは言いがたい。裏門の狭さを思うと、負傷者を神都に運ぶのにも苦労しそうだ。

 一方、カヴェとシン・レスタール隊はそれぞれ神都の西と東で待機しており、騎馬兵らの突撃に呼応して挟撃するかたちだ。両翼から魔物の進撃を阻む算段だが、彼らの背を守る者はなく、魔物に側面を突かれると一気に不利になる。

 南の空に目を戻すと、黒い点が悠然と旋回している。鳥型、あるいは羽虫だろう。魔物狩りの鉄則どおり、空を飛ぶ魔物はまず第一に落とすべきだった。

 クロアとイルージャもどこかにいるに違いない。魔物を召んでいるのは半魔なのだから、彼らを退却に追い込むか、あるいは倒せば良い。まったく言うは易し、である。

 きょろきょろと周囲を見回しているうちに、同じ二列目、西寄りに群青と紫の制服が固まっていることに気がついた。同じ班の青服の袖を引いて尋ねると、ああ、と彼は朗らかに笑った。


「あれは、アーレクス様だ」

「はあ? 馬鹿なの?」


 思わずこぼれた本音に、班員の視線が針のように突き刺さる。慌てて言い訳を考えねばならなかった。


「だ、だって、アーレクス、様は神都の守りの要だろう? こんな前線にしゃしゃり出てくるご身分じゃないはずだ」


 苦し紛れの言葉だったが、誰にも疑われなかった。この一週間で、シャイネは神都に不慣れな田舎者だと、すっかり知れ渡っていたのだ。

 わかってないな、と青服は歯を見せる。純朴な眼差しにはきらきらと輝く星が浮かんでいた。


「アーレクス様御自ら前線に立って、我々を鼓舞してくださるんじゃないか」

「ありがたいことなんだぞ」


 大迷惑だ、と叫びたい気持ちを遠くへ蹴飛ばし、そういうものかと頷いておいた。

 しかし、わざわざ狙われに行くなんてゼロは正気だろうか。魔物は彼めがけて押し寄せ、混戦となるだろう。先頭の列ではなく二列目にいたのは多少の自重の表れかもしれないが、それにしても無謀としか言いようがない。

 もしかして囮のつもりか。魔物が考えなしに彼を狙うなら、それを逆手に取って魔物の動きを操れる。危険は伴うし、悪手には違いないが、もしも本当に半魔をおびき寄せるために前線にいるのなら、彼には勝利するあてがあるのだろう。決して、捨て身の突撃などではないと思いたかった。

 シャイネとて、他人のことばかり考えていられる状況ではなかった。自分自身、ゼロ、アズライト、そしてミルとリアラ。守らねばならないものはあまりに多く、対してこちらの身はひとつしかない。欲張ろうにも、この手があまりに小さいことは身に染みている。


「合図だ」


 誰かが囁く。櫓の脇に据えられた大きな太鼓がどろどろと鳴り、騎馬兵と先頭列の兵が勇ましく吠え、前進した。応じて魔物たちも動き始めたようで、遠くが土埃で霞む。

 兵たちは飛来する鳥型や羽虫に矢を射かけ、地に落ちたものを騎兵が蹂躙してゆく。まだ小型、中型の魔物ばかりで、手こずっている様子はない。シャイネは汗ばむ手を握ったり開いたりしながら、歯がゆい思いで前進の合図を待つ。

 魔物たちもこちらと同じく、横に広がった隊列をとっている。そのまま前進してきたため、壁と壁のぶつかり合いといった様相を呈していた。


「互角くらいか?」

「いや、押してるぜ」


 魔物に押され、後退する班を別の班が移動、援護して穴を塞ぐ。魔物側も同じで、予想通り混戦の様相を呈した。となれば、消耗戦だ。魔物は半魔が倒れぬ限りはいくらでも補充が利くが、人間はそうもいかない。圧倒的に不利である。

 と、街の両翼からカヴェ、シン・レスタール両隊が地響きをたてて魔物に迫った。

 カヴェ隊の先頭を駆けるは濃紺の制服、レイノルドだ。神殿長みずから先陣を切るのか、と目を剥いているのはシャイネばかり、周囲は状勢をひっくり返せと沸き立っている。神殿長が振り返りもせず果敢な突撃を行うのだから、後続の青服たちも尻込みはできまい。矢のごとき速度で魔物の群れに肉薄した。

 レイノルドが精霊封じの剣を振るい、魔物を蹴散らしてゆく。歩兵中心に構成された後続の隊が的確に魔物の息の根を止めてゆくさまに勇気づけられたか、神都軍も再び武器を振り上げた。

 一方のシン・レスタール隊も負けてはいなかった。こちらは青服と傭兵の混成軍、馬を駆る者が多く、速度ではカヴェ隊を上回る。縦横に駆け回る騎兵たちが魔物の壁を突き崩し蹴散らし、そこへ神都の兵が殺到する。


「いいぞ!」

「いけるな、これは!」


 兵たちの頬が昂揚に染まる。出撃はまだかと武器を振り回し、雄叫びをあげる者まで現れ、待ち望んだ二列目前進の太鼓が鳴るや、全員が腹の底から吠えた。鞘が払われ、鋼が陽光に照り映える。

 矢が風を切って飛び、羽虫や鳥型がばたばたと墜ちる。矢の雨を避けた魔物は、先頭を走る青服が一薙ぎにした。

 後退してくる負傷者を庇いながら歩を進め、牙を剥き出した獣型の喉を突く。違わずに急所を刺し貫いたディーが猛り、シャイネは手首を返して刺突剣を引き抜いた。噴き出す黒い血を避け、さらに進む。


「やるじゃねえか!」


 冷やかし半分の声に左手を挙げ、手放す暇がなかったアンリの短剣で植物型の蔦を払った。再び刺突剣に持ち替えて、突進してくる鳥型の腿を抉る。

 屍を越えゆくほどに魔物は増えた。大剣が、戦斧が、魔物の胴を切断し、鋼のきらめきが舞うたびに魔物の一部が切り飛ばされ、血しぶきが荒野に散る。この世の終わりとはこんな光景ではあるまいかと、場違いな空想がよぎった。

 焦らず騒がず、剣を持ち替えては触手を切り払い、尾を刎ね、目玉を、喉を、骨と骨の間隙を狙った。突き、払い、時に蹴り上げて殴りつけ、刺突剣の柄を打ち付ける。

 唸りをあげる牙を避け、迫る角を躱し、振り下ろされる爪を受ける。

 どれほどの魔物を倒したか、数えるのは早々に諦めた。短剣の刃がこぼれ、鞘に戻していると、西側でどよめきが上がった。見れば、天をも焦がさんと激しく火柱が立ち上っている。

 精霊だ、という叫びと動揺がさざ波のように神都兵に広がる。間をおかず、東の空を旋回していた鳥型が前触れなく三つに分断された。黒い血煙が地に落ちる頃には、青服たちは引きつり、傭兵たちは戸惑い、戦場は静まり返っていた。


「おい……」

「精霊だって?」


 シャイネの班でも、目の前の魔物をいなしつつではあるが、みな困惑気味に視線を交わしている。ここで混乱や恐慌をきたされては困る。たまらずに叫んだ。


「怯むな! 味方だ!」


 何でわかる、と問われて、腹をくくった。もしかすると、この時をずっと待っていたのかもしれない。


『ディー、見せてあげて』

『よし!』


 喜びを隠しきれぬ様子でディーがはしゃぐ。刺突剣が抉った傷口から、鈍色の棘がどっと突き出た。魔物は大きく痙攣して動かなくなる。


「僕もそうだから」


 ぽかんと口を開ける兵たちに背を向ける。細かいことにかかずらっている余裕はない。まさか背後から斬られることはなかろう、たぶん。


「魔物は僕たちの敵でもあるんだ。今は女神教そっちと争う気はないよ」

「あ、おまっ、もしかして、アーレクス様が連れ帰ったっていう……!」


 青服がわなわな震えている。そんなに驚くことだろうか。


「半精霊だよ」


 頭上に迫る鳥型めがけて、火球を投げつける。悲鳴と共に高度を落とした魔物を、矢が貫いた。


「味方なんだろ? つまり、頼りになるってことじゃねえか」


 髭面の傭兵が豪快に笑って、虫型に戦斧を叩きつける。彼に続いて他の傭兵たちも、それもそうかと獣型の群れに備えて身を翻した。さすが実利を重んじる傭兵たちだ、話が早くて助かる。

 所在なさげに突っ立っていた青服二人も、間近に迫った獣型が咆哮をあげるに至って、ようやく剣を握りなおした。


「い、今だけだぞ!」

「帰ったら、貴様、ただでは済まさんからな! 覚えておけ!」

「じゃ、生きて帰ろう」


 獣型に向き直り、黄色く濁る眼に向けて刺突剣を真っ直ぐに突き出した。悲鳴と黒い血が迸る。


「話はついたのかい、シャイネ?」


 耳元で笑みを含んだ声が囁く。背筋が凍えるよりも先に、ディーに引っ張られて右腕を振っていた。鋼が咬んで膠着する。力では勝てない、と剣を引き戻して跳び退った。


「久しぶり。ずいぶん痩せたね」


 黒く長い髪、黒い肌。朱金の眼が細まり、端正なくちびるが優美な弧を描く。旅装から伸びる手は無骨な長剣を握っていた。まるで力みのない姿なのに、どこにも隙はない。冬の低い太陽が剣身を不吉に彩った。

 期待と落胆と、どちらが大きかったのだろう。吐息は白く揺れる。


「クロア……」

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