冬の大祭 (3)

 アンリに借りた金で旅人らしく身形を整えた。髪を切り、古着を買い揃え、風除け布を巻く。砥石や薬など最低限の荷物を作ると、何とかそれらしく見えるようになった。

 祭りを控え、宿屋街には大勢の人がひしめいていたが、古着屋や雑貨店の賑わいは他の街に比べてずいぶんと控えめだ。

 繁盛しているのは鍛冶屋だが、長剣や槍、戦斧などの武器らしい武器はまばらで、さほど上質とも思えぬ短剣ばかりが陳列されていた。どうやら、住民たちが護身のために求めてゆくらしい。棚の隅に追いやられ、無造作に立てかけられている刺突剣を目にして足が止まった。

 ディー、と声になりそこねた叫びが嗚咽に変わり、慌てて立ち去る。ディーもエニィも、どこでどうしているのだろう。半精霊のものだからという理由で刺突剣を殴る蹴るするやからはいないだろうが、きっと心細いに違いない。こちらに召ばれて間のないエニィの不安はいかばかりか。今すぐに抱きしめて、僕はここにいる、大丈夫だと伝えたかった。

 宿屋街を端から端まで歩いたが、宿はどこもほぼ満室で、神都を訪れた夏の終わり頃とは大違いである。魔物の存在を忘れているとしか思えぬ賑わいには馴染めそうもない。

 道行く人々は楽しげにさえずり、笑い声をあげて無邪気にはしゃいでいた。今がどれほど危険な状態なのか知らないのだろうか。街にいれば安全だと信じているのだろうか。それとも、女神の街が魔物に攻め滅ぼされるはずがないとでも?

 あたりを見回せば、そこここに義勇兵を募集している旨の立て札が出ている。

 いわく、冬の大祭にて大規模な魔物討伐隊の派遣を行う、ともに女神の都を守らんとする志ある者を待つ。

 討伐や義勇兵の話はある程度広まっているのか、傭兵や狩人らしき姿も目立った。宿城を訪ねたが、当たり前と言うべきか、見知った顔はない。みなの無事を願うばかりだ。

 宿を引き払い、神都神殿に向かった。門を守る青服に来意を告げると、訓練場へ行くよう指示された。すっかり案内に慣れた口ぶりからするに、結構な数が集まっているらしい。

 訓練場を覗くと、臨時雇いの者らしき姿が五十ほど、思い思いに得物を手にしていた。訓練用の木剣を打ち合わせていても、外見がばらばらであるからかどうにも締まりがない。

 青服を捕まえて義勇兵として訪れた旨を告げると、小隊長らしき紫の制服の男がやって来て、幾度か打ち合った。それだけで討伐隊に編入されることになったのだから拍子抜けする。

 これが神都神殿の必死さの表れなのだとすると、あっさり潜入できたと喜んでばかりもいられない。

 さほど心配はしていなかったが、正体を見破られることも、怪しまれることもなかった。半精霊の逃亡については周知されているようだが、お尋ね者と目前の少年が同一人物だと結びつける者は皆無だったのだ。

 青服らの中にはキロンやベーターの姿もあったが、糸を解いた今、ことさらに注意を向けられることもない。

 わずかな支度金を懐に収め、急ごしらえの宿舎を見て回った。宿舎とは名ばかりの大部屋で、二十人ほどが入れそうな板間に炉が備えてあるだけのみすぼらしい造りである。当然、傭兵たちの入りは今ひとつだった。これなら市中から通うほうがずっと良かろう。

 おのずと、宿を取りそびれた者や懐に余裕のない者、シャイネのようなわけあり者が集まることになる。馴れ合いを良しとする連中ではないから、気楽だ。目の光にだけ注意すればいい。

 殺風景な部屋の隅に寝床を確保して、旅暮らしの頃に比べてずいぶん軽くなった荷を置いた。脚を投げ出し、天井を仰いで息をつく。腹の打ち身は随分ましになっていた。赤黒くまだらになっているが、湿布を当てておく以外には何もできない。

 カヴェでもこんなことがあったな、と懐かしく思う。

 レイノルドに出会った日だ。ゼロとヴァルツが青服に痛めつけられた傷の手当てをしてくれた。

 気分はどうだ、吐き気は、目眩はと甲斐甲斐しく世話をし、砂が残らぬよう丁寧に傷を洗ってくれた彼の表情を、手の温もりを、シャイネはまだ覚えている。半精霊だからという理由で殴られてよいはずがない、と言ってくれたことも。

 ゼロは覚えているだろうか。

 覚えていてもいなくても、シャイネがすべきことに変わりはなかった。いらないと言われるまではそばにいると、王たちの前で啖呵まで切った。あのときの気持ちに嘘はなかったし、今も変わらない。

 僕は、僕の思う通りにする。ゼロは、ゼロが思う通りにすればいい。

 それが重なれば、選んだ道が同じであれば、どんなにか幸せだろう。

 違ったっていい。違って当たり前だからこそ、同じであることが嬉しいのだから。

 気を緩めると脳裏に居座り、立ち去ろうとしないふてぶてしい男の思い出を振り払って、街で包んでもらったチーズ入りのパンと、燻製肉をもそもそと口にする。アンリが奮発してくれたので良いものが買える。大祭に備えて体調を整えねば。そのほかのことは、終わってから考えればよい。

 宿舎の薄い壁越しに、傭兵たちや青服が剣を合わせる音や気合いを込める声が聞こえてくる。

 下っ端の青服たちが石卵を使う計画について知っているとは思えないが、神殿内部の動向くらいならば把握しているだろう。耳聡い者であれば、いとし子にまつわる噂や、アズライトがその後どうなったか知っているかもしれない。

 まずは情報を集めたい。目立たない程度に社交的に振る舞う価値はあるし、何ならまた糸を繋いだっていい。

 夜が更けると、一人二人と義勇兵たちが姿を現した。連れ立っている者はない。何となく火の周りに集まり、誰かが買ってきた発泡酒を回し飲み、言葉少なに横になった。

 目が覚めたのは身を切るような寒さゆえだ。周囲は暗いが、夜明けは近そうだ。

 故郷の冬とは比べるべくもなく、こんな寒さは寒いうちに入らないが、まるきり平気だというわけでもない。手足を伸ばし、強張った身体をほぐしつつ外に出た。風はないが、霜が降りて歩くたびにさくさくと音がする。

 思い浮かぶのは、大鍋でくつくつと煮えるスープや、香り茶で割った蜂蜜酒、雑穀を混ぜた薄焼きのパンに挟む果物の砂糖漬けや木の実、油漬けの小魚、暖炉で炙って糸を引くチーズ。どれも故郷で食べたものばかりだった。

 訓練場の隅に火が焚かれており、数人が手を延べていた。目を眇めて素早く灯りの輪に紛れる。下手に動かず、明るくなるまではここで身体をほぐすだけにしておく方がよさそうだ。

 朝も早いのに、暗い訓練場をゆったりと走ったり、素振りをしたりと、勤勉な者もいる。目礼を交わし、腹が痛まない程度に身体を捻り、伸ばす。

 外で体を動かすのは久しぶりだ。閉じ込められたり、垂直の壁を伝い降りたり、女装させられたり、地下へ潜らされたり。神都に着いてから、ろくな生活をしていない。ずいぶん衰えてしまった。魔物と戦うには不安だ。

 腰にディーの重みがないのも心細い。実際の戦場は神都の外だから、精霊をべる。かれのいない不利を多少は補えるだろうが、魔物の動向がちっとも伝わってこないのが不安で仕方ない。義勇兵、カヴェ神殿、シン・レスタール神殿と頭数を揃えたところで、果たして勝てるものだろうか。

 老齢にさしかかった青服が、焚き火の脇を突いている。しゃがんで何やらごそごそしていると思ったら、ほっくりと湯気のたつ芋が差し出された。


「温まるからな」

「ありがとう」


 甘藷はねっちりと甘く、どういうわけかほのかな塩気もあった。まずい甘藷は食べるほどに口の中の水分が奪われてゆくものだが、これはしっとりとまとまり、喉を滑り落ちてゆく。現状の神都で高級な芋が手に入るとも思えないから、焼き方だろう。


「塩水に浸けておくと、ちょっと塩気がきてな。うまいだろ」

「すごくおいしい。……あのさ、街の外がどうなってるか、誰か把握してるのかな」

「外? 魔物か」


 そう、と頷くと、青服は薄く笑った。髪は半分以上が白く、指には節が目立つものの、体は引き締まって姿勢がいい。長く剣に生きてきたようだ。


「アーレクス様が戻られてから、ずいぶんましになったな。騎士だったと聞いたが、ありゃあ実戦を経験してるからこその指示だ」

「前はそんなにひどかったってこと?」


 青服はひひひと笑うのみだった。


「油断はならないそうだ。誰も魔物の包囲を経験したことがない。そりゃそうだわな。けど、アーレクス様が初めて仰ったんだよ、自分の命は自分で守れ、できれば大切な人も守れと。地に足のついたことをわしら下の者に言いなさる、つまり、信用がおける。大盾やら投石器やら、備えてらっしゃるしな」

「へえ……そんなもんなの。もと騎士ってことは、そのアーレクスって人はけっこう強いのかな」

「まずまずな。剣の腕もだが、態度で示されるところが安心できる。というか兄ちゃん、口の利き方に気をつけろな」


 はいはい、と当たり障りなく流しておく。ゼロがうまくやっているらしいのは朗報だった。何かと人付き合いを面倒くさがっていたのに、やればできるじゃないか。


「魔物はずいぶん数が多いって聞いたけど、これだけの兵で勝てそうなの?」

「さてな。勝ちに行こうとすりゃあ、きっと勝てるんじゃないか。少なくとも上の方は勝つ気でいるぞ」

「なるほど、そうかあ。気持ちをちゃんと持たなきゃね」


 しばらく世間話で時間を潰した。陽が昇り、シャイネの体がすっかりぬくもった頃、青服は勤務を交替して去って行った。

 話を聞く限り、青服たちはゼロのいとし子就任を歓迎しており、頭ごなしに無理難題をふっかけないために人気もあるようだった。

 剣をよく使うし、たいてい居場所がわかる。神殿の奥に引きこもっていないから、意思の疎通に困難がなく、気安い。服の色で態度を変えない。魔物討伐に関して楽観的なことは言わないが、静かな気迫を感じる。

 などなど、控えめに言ってもべた褒めである。これだけ慕われていて、ゼロの意志が末端まで浸透しているなら、神都神殿の青服たちがことさらに使い物にならぬとは断言できなかった。

 けれども、ただ勝利するだけではいけない。アズライトに勝利を捧げねばならないのだ。神都神殿内の権力争いは魔物討伐よりも厄介だろうが、彼女が新しい王であると全員が認めなければ、少なくとも表だっての対立をなくさねば、また繰り返すのみだ。

 ゼロが何をどう考え、どんな結末を望んでいるのかが知りたかった。ク・メルドルを経験した彼が何も考えていないはずがない。

 すっかり明るくなると、訓練場には次々に人が集まってきた。本来ここで鍛錬に励むべき青服たち、傭兵や狩人たち。義勇兵に行動の制限はなく、大祭当日の朝に集合と言われているのみだが、開放された訓練場に顔を出してそれとなく情報収集するのが、旅慣れた者に共通したやりかただった。


「精が出るな」

「そちらこそ」


 若い青服たちは大祭への期待か、あるいは昇給や昇格の約束でもあるのか、目を輝かせて強く団結していた。動きも敏捷で、威勢がいい。その様子に、負けん気の強い傭兵たちも影響されているようだった。互いを牽制し、実力を見定めようとするやり取りがあちこちで交わされている。


「魔物って、どのくらい集まってるんですか?」


 雑談のさなか、何気ないふうを装って尋ねる。答えたのは頬にそばかすの残る青服だった。


「たくさん、だ。千なのか万なのか、わからない。地平が黒く霞む日もあるくらいさ」

「え、そんなに」

「びびってんのか? 心配するな、俺たちにはアーレクス様がついてるんだぜ、魔物なんかに負けるかよ」


 へ、と間抜けな声が出た。


「今回の討伐隊の指揮官は、アーレクス様なんだよ。よその神殿になんか負けてられないぜ。いいとこ見せないとな」

「え、ゼ、アーレクス、様って、いちばん偉いんだろ。そんな人が指揮に出てくるの」

「いやいや、自分だけ安全なところにいるわけにはいかないって仰ってな。さすが、違うよ。お前達も働きが認められれば、臨時報酬が出るらしいぜ」


 いわく、俺たちみたいな下っ端にも気安く声をかけてくださる。剣の相手にもなってくださる。視察を欠かさず、不便がないか常に計らってくださる。もう神都は安泰だ、などなど。

 青服に触発されてか、傭兵たちまでもがゼロへの期待を膨らませている。そのためか、青服と傭兵たちはおおむね友好的に付き合っていた。火のそばでは小石を使って布陣や戦略についての予想がなされ、それは違う、これはこうだ、いやそれも一理あるが、と講釈や武勇伝が飛び交う。


「一昨日は、勝ち抜き試合の最中にアーレクス様が急にやってきて、混ぜてくれって言うんだぜ。あれは嬉しかったな」

「噂どおり、強かったしな」


 なあ、と頷きあう男たちを見るに、ゼロは本気でこのちぐはぐな集団を率いて魔物に勝利する気でいるらしい。異存はないが、無謀だとは感じる。

 有象無象がてんでばらばらに魔物に戦いを挑んでも、勝ち目は薄い。騎士団に身を置いていた彼だからこそ、それを十分に承知しているはず。かの騎士団を率いていたのはレイノルドで、希有な手本を目の当たりにしていたのだ。

 和やかな雰囲気のせいか、宿舎での傭兵たちの振る舞いはきわめて常識的なもので、こういった場所につきものの小競り合いやもめごとはほぼなかった。女性の姿も徐々に増えている。

 青服たちとこうして話し、剣を交わすなど、つい先日までは想像もしなかったことだ。

 青服という名札を取り外し、蓋を開けてみれば何でもない、ひとりの人間がいるのみで、それはシャイネにも当てはまる。肩書きや身分、生まれではなくて、ただのひとり。

 偏見にとらわれていたのは、自分も同じだったのだ。こびりついた垢が落ちてゆくように、心が軽くなるのがわかった。

 神殿からゼロが訓練場の様子を眺めているのも何度か目にした。誰かが冗談でも口にしたのか、周囲の青服たちと笑いあっている。氷の無表情を浮かべていた男とは別人のようだ。

 たぶんきっと、彼には考えがあるのだ。そうでなければ、寄せ集めの集団を率いて魔物に立ち向かうなんて面倒なことを引き受けるはずがない。

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