半魔 (3)
宿に戻って食事を済ませてから、薬草の仕分けと下処理をするべくゼロの部屋に向かった。
採取袋を開き、種類別により分けて細かな土や汚れを落としてから、窓際に広げる。単調な作業を手伝いながら、できるだけ何気なく切り出した。
「というわけで簡単に説明しておくとですね」
「いきなりだな。おれが聞いていい話なのか」
事情が気になっているに違いないのに、ゼロの方がよほど自然な受け答えだった。へこたれそうになる。
「いや、そりゃまあ、個人的なことだからあんまり大っぴらにはしたくないんだけど、びっくりしてるでしょ、半魔とか出てきて。父がどうこうとか」
「カヴェでさ、一世代上の旅人に話聞きたいって言ってたあれだろ」
「あー……そういうこともあったね」
なんでこんなときだけ大人の対応なんだ、と腹が立った。八つ当たりであることは十分に承知していたけれど。
「話に出てきたスイレンっていうのが僕の父で、狩人だったんだ。カヴェを拠点にして魔物を狩っていたんだって。天雷って二つ名で呼ばれて、ちょっと有名だったみたい。それで、人型……クロアと遭遇したときに、父は人のかたちをしているなら話が通じるんじゃないかって考えたらしいんだ。もしかすると、人型は半魔なんじゃないかって考えたのかもね。後は、クロアが言ったとおり。仲間割れしてそれっきり」
「死にかけてた親父さんを助けたのって」
「母だよ。どうやって父のことを知ったのかまでは聞いてないけど。父は脚が不自由になって旅を止めた。北に移り住んでから僕が生まれて、今は読み書きとか簡単な剣術とかを教えて暮らしてる」
ふうん、とゼロは手を止めずに平坦な吐息を漏らした。何を考えているのかさっぱりわからない。
「僕はさ、武勇伝っていうの? 父の旅暮らしのことを聞いて育ったから、自分もいつかは旅に出るんだって思ってた。でも、それでどうするとか、どうしたいとか、どうなりたいとか、考えたことがなくて。父さんの足取りを追うのも面白いかもなんて、その程度だったんだけど、でも」
「うん」
「脚のことは事故だって聞いてたんだ。それなのにディーは何があったのか教えてくれないし、カヴェの宿城のご主人が、ずうっと昔に父と組んでいたことがあって、だいたいのことを教えてくれたんだけど……聞いた話を繋げれば、事故なんかじゃないってわかった。わざとやられたんだって。それで、人型と遭遇したときに組んでた人たちを探してるんだけど……ね、僕、ちゃんと話せてる? 何言ってるかわかる?」
「わからなくはない」
素っ気ない答えがありがたかった。筋を通して説明することなどできそうになかったし、そもそも筋など存在するのかすらわからなかった。
あるのはぐつぐつ煮えたぎる、中身の定かでない鍋だけだ。そんなものを頼りに行動するのは危険だ、落ち着けと冷静な部分が囁くが、何をどうすれば冷静になれるのか、筋道立てて考えられるのか、ちっともわからなかった。
「それでここまで来て……そいつらを見つけてどうする。復讐か」
クロアと同じことを尋ねられ、やはり答えに窮した。
「わからない。まだ見つけてないし」
「そうか」
ゼロの過去にまつわる話を聞いたとき、シャイネはこんなに冷静でいただろうか。ただ耳を傾けるだけの存在でいられただろうか。自信がない。
「疲れただろ、甘いものでも飲んで少し寝たらどうだ」
手にしたままだった薬草がゼロの手に移る。強く握りしめていたせいで茎がしんなりしていた。
「そうする。……ありがと」
井戸端で汚れた手を洗い、閑散とした食堂で冷えた柑橘水をちびちび飲んだ。柑橘の蜜漬けを炭酸水で割ったもので、暑さの厳しいこの地方では香り茶などとともに好まれるのだという。
甘酸っぱさと強めの炭酸が腹に落ち着いても、クロアが語ったことやゼロに話したことがごちゃまぜになってとても眠るどころではなく、シャイネはディーを掴んで宿城に繰り出した。
ディーは沈黙を保ち、促しても生返事を寄越すばかりで埒があかない。半魔との再会はかれなりに思うところがあったのだろう。
かれはかれ、シャイネはシャイネだ。ハリスらを探し出してどうするのか、決断のときは迫っている。
――復讐か。
ゼロとクロアの言葉が蘇る。復讐。父は脚の怪我について詳しく語らなかったが、それは復讐を諦めているからだと思っていたし、語られない過去はシャイネが家を出るための格好の動機になった。
雪と氷に閉ざされたノールはこぢんまりとした住みやすい村だったが、精霊を召び、目に見えぬかれらと親しむシャイネは村の外に憧れた。半精霊とただびととの隔たりを見知ってからでさえ、何もない故郷で約束された安寧を貪るのではなく、どこかにあるかもしれない場所を探していたいと思った。半精霊であることを尊ばれ、そのままでいいのだと受け入れてくれるところを。
しかし、両親の庇護下たる故郷を出て、存在すら定かではない理想郷を探したいとはどうしても言えなかった。愛されていることは十分に知っていたし、感謝しているし、家族を大切に思ってもいるから、居場所を探すためにノールを出たいと望むことは、重大な裏切りであり、とんでもない親不孝に思えたのだ。
だから、父さんのような旅人になりたい、足取りを追ってみたいと当たり障りのないことを掲げ、父に代わっての復讐をこころの言い訳にした。
ハリスたちを許せないと思う、その気持ちに嘘はない。嘘ではないから、なおのこと
ハリスたちが見つからなければいいと思うこともある。見つかれば何らかの決断を下して、そして一度はノールに戻らねばならないから。事の顛末を父に語らねばならないから。
きっと、父も母も怒るまい。本心を打ち明け、流れて暮らしたいのだと訴えても。それなのに
わけもなく泣きそうになって、風除け布を整えるふりをしてごまかした。泣いても何も解決しない。立ち向かうしかない。
宿城は昼時を過ぎても賑わいに満ちていた。カヴェよりも大きな掲示板は大小の紙片で埋め尽くされている。正面に陣取った二人連れの旅人が指さしながら何やら話し合っていたので、脇からざっと眺めたが、とても一目で把握できる量ではなかった。
宿城の主人も忙しそうにしていたが、挨拶に来たと告げると手を止めて応じてくれた。
「南からかい? ああ、『背骨』を越えてきたのか。そりゃあ大変だっただろう。ゆっくりしていきなよ」
「人を探してるんです。ハリス、とだけしかわからないんだけど……四十半ばくらいで、西から来た狩人に心当たりはないですか」
カヴェのシドウに比べて、マジェスタットの宿城の主人はずいぶん強面だった。岩を削りだしたかのようなごつごつしたおもて、体躯は筋骨隆々。鎧を着て戦斧を振り回していても不思議ではない。
「うーん、それだけじゃあ何とも言えねえな。この街で一番有名なハリスさんって言ったら、副神殿長だろうけどさ。歳もそれくらいのはずだし」
「副神殿長……」
武芸に秀で、神殿長とともに青服たちを束ねる立場だ。カヴェ神殿で言うなら、ユーレカにあたる。しかし、ハリスの顔も特徴もわからないのではどうしようもなかった。
「もっと詳しいことがわかれば、依頼にきます」
「おうおう、待ってるからな」
掲示板の前の二人組が場所を移る気配はなく、諦めて宿城を後にして、大通りと街道が交差する噴水広場で発泡水を買った。花壇の縁に腰を下ろし、行き交う人々を見るとはなしに眺めながら刺突剣の鞘を揺さぶる。
「ハリスの人相ってわかる? 髪の色とか、背格好とか」
『あんま目立つ奴じゃなかったから、特徴って言われても……。茶色の髪で、背格好もふつうくらいで……。なあ、ホントに探しに行くのか』
「そりゃあ、ここまで来たんだし。もし会えるなら一発殴るくらいはしないと」
本気か、と尋ねる声はやけに固い。冗談ではないが、本気でもなかった。
『つーかさ、あんたはレンさんそっくりだから、誰が見たってレンさんの身内だってわかる。あんたはあいつらのことを知らないけど、向こうはあんたを見ればレンさんの関係者だってすぐに気づくぜ。今になってあんたが現れるのは連中にとっちゃ非常事態だろうし、束になられちゃどうしようもないんだから、もっと警戒しろよ』
「警戒って……僕が父さんに言われて、それこそ復讐のために元の仲間たちを探してるって思われるとかそういう?」
『そう、そんな感じ』
ディーとのやり取りは誰にも聞こえない。端から見ればシャイネの独り言だが、賑わいに紛れている。人々は広場のあちこちで屋台の軽食をつまんだり、お喋りに興じたりしていて、誰もこちらに注意を向けていなかった。
『ほんとのこと言うと、オレも召ばれたばっかで、こっちに慣れるので精一杯でさ、その時分のことってあんまりよく覚えてないんだよな。どいつもレンさんに比べれば弱っちいし、特にハリスはあんまり前に出る性格でもなくて、その分周りをよく見てたような気がする。慎重ってか……臆病?』
「それは……絞れてるようで全然絞れてないんだけど。見ればわかる?」
うーん、とかれは唸った。
『だって、二十年経ってるんだぞ。もともと印象の薄いやつだったから、どうかなあ……この前の、何だっけ、シドウ? あいつのときみたいに、喋ってたら思い出すかもしれない』
「副神殿長とそんなに長々と喋る機会なんてないよ。あったとしても喋りたくない」
そういえば、この街では青服をあまり見ない気がする。私服で巡回する部隊が多いのかもしれない。厄介だな、とため息をついてから、ここでは青服を恐れる必要はないのだと思い出した。
頭ではわかっていても、本当だろうか、もしかするとミルたち工房の面々だけがお目こぼしされていて、余所者の自分は捕まるのではないか、と悪い想像ばかりが膨らんでゆく。この噴水広場に集まった人々も、眼が光れば一様にシャイネから目を逸らして距離をおくのではないだろうか。
精霊封じの技術が世界的に有名であっても、それを施す半精霊が市井の人々に受け入れられているかどうかは別の問題であるような気がした。それとも、半精霊であろうと何だろうと気にしない人々だけがマジェスタットに住んでいるのだろうか。
マジェスタットは半精霊を歓迎している、とレイノルドは言った。街で一日を過ごしただけだが、今後もここで暮らしてゆくのだとは思えない。肌に合う合わないではなく、自分は余所者で、またどこかへ流れてゆくのだと感じる。
『どうする? また地道に聞き込むのか?』
「そうだね……そうしようかな。マックスとダグラスにももう一度話を聞いてみたいし。ディーも知らない父さんの話、何か教えてもらえるかも」
『あのな、訊くべきはレンさんの話じゃねーぞ』
わかってるよ、と応じつつ、逃げ腰なのは否めない。
早いうちに答えを出さねばならない、考えるだけで喉の奥が苦くなる。
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