静穏の彼方へ (4)

 一度立ち去ったのち、ユーレカは薄焼きパンに卵や肉を挟んだ食事と温かい茶を持ってきてくれた。彼女が出入りする他には、人の気配がない。


「隊長は今、おふたりの身柄についてバスカーと折衝しています」

「折衝って……どういうことなんですか。僕らが捕まるようなことをしたってことですか? レイノルドさんは何を考えてるんです」

「じきに参ります。直接お話をなさってください」


 栗毛を揺らし、ユーレカは出ていった。施錠の音はなかったが、真意はわからない。ゼロを見ると、ひょいと肩をすくめた。


「考えてもわからんことはわからんさ。……食べれそうか?」

「ううん、いらない」


 茶器を両手で包む。湯気のたつ茶は飲めないけれど、冷えた手を温めるのには役立つ。そのまま、ゼロが食事を平らげるのを見守った。食欲はちっともないが、美味しそうに食べる人を見るのは好きだ。それがあるから、牡鹿の角亭での日々を切り抜けられたのだと思う。


「しかしなあ、神殿長だろ。石を手に入れてどうするつもりなんだろうな。神殿長にもなると、石を使えるのかな。というか、あいつと話してて気分悪くなったりはしなかったのか?」

「そういえば、なかったなあ。立場そのものより、その人が精霊をどう思ってるかで変わるのかも。でもバスカーはそんなの関係なく嫌だし、いやそうじゃなくて……そうなんだけど」


 レイノルドと直に話したことのうち、ゼロに話したことと話していないこと、夢で知ったことがごちゃごちゃになってきて、まずいなあと思う。下手に喋ると、ゼロに隠していることがたくさんあるとばれてしまいそうで恐ろしい。

 いっそ、話してしまうか。レイノルドが以前、ク・メルドルの騎士団長だったこと。半精霊と結婚していたこと。ゼロもまた、半精霊と愛を交わしていたこと。大司教を姉と呼び、どうやら名のある家の生まれだということ。

 問題は、話すと楽になるのは秘密を抱えたシャイネであって、ゼロではないということだ。彼が積極的に過去を探しているならばまだしも、実はこうなんだよと一方的にまくしたてることは思いやりではなかろう。

 知ってしまったものの重みをも引き受けねばならない、それが嫌ならば早く精霊の力を御せるようにならねば。それがこちらからしてみればいわば抜け道を使う、責任というものだろう。精霊の力は万能ではないし、それを行使するのはシャイネ自身だ。楽をしてすべてを得るというわけにはいかない。


「あんたさ、何か聞いてないのか。昨日。ずいぶん仲良くしてたっぽいじゃないか」


 話を向けられ、ぎょっとする。さすがに鋭いというべきか、当然の流れというべきか。嘘と方便を交えてそれらしい作り話をする技能はない。ゼロほど口が回らないし、きっと顔にも出てしまう。喋るか喋らないか、どちらかだ。


「えと、護衛のような仕事をしてるって聞いたよ。半精霊の知り合いがいたんだって。世間はそんなに広くないのかなって思ったなあ」

「半精霊の知り合いね……おれのことは、何か?」

「そんな話はなかったと思うけど……レイノルドさんは僕とゼロが連れだって知ってただろうけど、僕はレイノルドさんが本命君だって知らないもの」


 そうだった、とゼロは頭を抱える。彼も混乱しているらしい。


「待て待て。わかんないことって何だ? まずは、バスカーが石の存在をどこで知ったかと、誰がどんな意図で石をあそこに置いたか」

「レイノルドさんも何が目的なのかわかんないよ。バスカーに雇われてると思ってたけど、もしかすると違うんじゃない? ええと、つまりゼロがバスカーの依頼を受けたから様子を見に来たとか」

「……とすると目的はおれか。因縁ってやつだな。何かしたのかな……やべーな、女関係とか金のいざこざだったらすげえこじれるやつじゃね?」


 女関係と言えなくもないのが微妙なところだ。鋭いというよりは、野生の勘に近いのではなかろうか。


「その場合、僕は先に帰っていいのかな」

「はは、水くせーな。遠慮しなくていいからつきあえよ」

「僕みたいな良い子の前ではできない話かも」

「笑顔で言うな」


 話が逸れた、と二人して茶を飲む。わからないことだらけで、いっそ清々しい。


「バスカーとレイノルドさんの関係も謎だよね。あの時、踏み込んでくる頃合いを見計らってたのは間違いないと思うんだ」


 屋敷には護衛がほとんど残っていなかった。レイノルドとユーレカの腕をもってすれば、いつでも間に入って来れたはず。それを、扉の前でしばらく押し問答していたということは、機を窺っていたという以外にない。


「石の話か……具体的な譲渡のやりとりと、アレについての話が始まる前か」

「そうそう。ということは、バスカーが石を手に入れるのはまずいし、僕たちが石のことを知りすぎるのもまずい」

「そうなるな。あいつがおれとの因縁の他に、石を欲していたとすれば……自力で回収できそうなものだけど」


 首を捻る。どれだけ捻ったところで、知らないことは知らないし、わからないものはわからない。判断材料があまりに少ない。


「実は人違いでしたー、とかで帰してくんないかな」

「……あんた、真面目そうに見えて結構投げやりだな」

「だってもう気分悪いし寝込みたいし。ああそうだ葡萄酒があるんだ」

「はいはい。じゃあな、早いところけりつけて戻ろうぜ。美味いもの食ってゆっくり休むんだ。な?」


 あしらわれているのはわかったが、ごねても仕方ない。もう一杯、お茶をきゅっきゅと飲み干して腹をくくったところで、またも間合いを見計らったように扉が鳴った。


「お待たせしました」

「すまない、遅くなった。……具合は?」

「ええと……大丈夫です。とりあえずは」


 レイノルドは白いたっぷりしたマントを外し、無雑作にまとめて長椅子の背にかけた。ユーレカと並んで腰を下ろす。隣のゼロの気配が尖り、シャイネも呼吸を整えた。


「バスカーと話がついた。魔物狩りの依頼に対する成功報酬は早駆けが戻り次第宿に届けさせよう。石については、白紙になった」

「白紙?」

「バスカーが手を引いたということだ」


 え、と口が丸く開いたのはゼロと同時だった。


「バスカーが手を引くって……石を諦めたってことか。どうやって。何を引き合いに出したんだ」

「引き合い?」

「交換条件を出さずに、あの悪党が欲しいものを諦めるかよ。しかも何だ、値段のつかないものなんだろう、あの石ころは」


 言い募るゼロに、レイノルドはうっすらと笑みを浮かべた。ユーレカは表情を変えずにいるが、この場に同席しているということは、彼の目論みも石のことも承知していて、なおかつ独走したり余計な口を挟まないと評価されているということになる。それは相当すごいことなのではないか。


「そこまで知っているのなら話は早いな。こちらはバスカーの邸宅に何人も間者を放って様子を探っている。だから奴が悪名轟かせているその所以のほとんどはこちらでも把握できているんだ。あいつが魔物狩りの依頼を宿城に出したことも、君たちが依頼を受けたこともね。こんな時、対等な話し合いの場を設けるのに役立つから」

「……なるほど、執事か。それで? あんたはこの石をどうするつもりだ」

「君たちの言い値で……金貨二百枚で買おう」

「はあ?」


 素っ頓狂な声を出したのはシャイネのみで、ゼロは真意を探るように目を細め、レイノルドとユーレカはどうとも取れる表情のままだった。ここまでの展開は思い通り、ということだろう。


「そんなことをしなくても、あんたはあの夜おれから石を奪うことができたはずだ。石が欲しいなら、洞窟に潜って取ってくりゃよかったって話でもある。おれらを待たずとも、あんたや青服たちなら十分石を手に入れられただろう。そうせずに、カヴェ神殿がわざわざ金貨二百枚を出す意味と理由を教えてもらわないと、納得できないな」


 驚くばかりのシャイネとは違い、ゼロはレイノルドの調子に巻き込まれず、踏み止まっている。何とか力になれればいいのだが、回転の速度がまったく違う。下手に口を挟むより、黙っていたほうがいいだろう。


「わかった、初めから話そう。君たちも気になっていることだろうから。そもそもあの石が何なのかについては、知っているようだし省くよ。アレを携えて、アンリ司教が神都から派遣されてきた。半年ほど前のことだ。彼はゆくゆくは大司教になるべく各地を巡って……まあ、研修のようなものと考えてくれ。ところがどこからか、石についての情報が漏れた。漏れただけじゃなく、尾鰭がついて噂が広まってしまった。主に商人たちにだが」

「高額で売れるとか、七つ集めると何でも願いが叶うとか、持っていると幸運に恵まれるといった胡散臭いものがほとんどでしたけれど、人の口に戸は建てられないものです。噂が広まると、その石を一目見たいと人々が神殿前に集まるようになりました。業務に差し支えますし、盗もうという不届き者が現れないとも限りません。司教は神殿の外に石を隠すことに決めました。皆には石は神都へ戻したとでも言うつもりだったのでしょう」


 言葉を引き継いだユーレカが膝の上で拳を握る。およそ初めての、感情の発露――怒りと苛立ちだった。


「え、それで……あの洞窟に? 全然、安全とは思えないんですけど……」

「そうだ。洞窟は昔、治る見込みのない重い病や傷を抱えた者、流行病に罹った者を隔離収容するためのものだった。施療院ができてからはそんな非人道的なことはなされなくなったが、悪い印象がつきまとう場所だから誰も近寄るまいと司教に入れ知恵した奴がいたわけだ。司教はカヴェに赴任したばかりで土地勘がない。じゃあ任せると言ってしまった。石は洞窟に隠され、それらは余すことなくバスカーに伝わった。神職の誰かが買収されたらしい」


 何だそれは、と言いたいのをこらえる。無責任な司教も司教だが、入れ知恵した者も相当だ。バスカーと神殿の水面下の駆け引きも垣間見え、うんざりする。彼らはもっとだろう。


「バスカーは洞窟に人を遣ろうとしたが、場所が場所だからな、用途を知っている者は不吉だとか、病が伝染ったらどうするとかで嫌がったらしい。金で雇った者はどうしてかことごとく失敗して、それが洞窟の呪いだという話に発展して、そうこうしているうちに洞窟に魔物が棲みついてしまった。後は君たちの知る通りだ。バスカーは魔物狩りの名目で旅人を雇おうと考え、さらには追っ手を差し向けて石を奪おうとした」

「初めから石を回収するって依頼にすれば、そんなに何重にも人を雇わずに済んだのに」


 思わず愚痴がこぼれる。


「バスカーは石の存在を隠そうとして判断を誤ったんだろう。最低限、信用のおける者だけに金を積んで言い含めるべきだったのに、漏洩を恐れるあまり危険性を分散させてしまったってことだ。……それはともかく、バスカーに石を渡すわけにはいかないので、私が動いた。青服たちを率いて魔物狩りに向かわなかったのは、バスカーを刺激しないためだ。あちらと全面戦争になっても、武力では我々が勝つだろうが、神殿とバスカーが争った、という事実を作りたくはなかったのだ。あれはつまらん人間だが、この街を維持するためにはなくてはならない人物だ。我々も同じだがね」

「バスカーもこの街の力の均衡については承知しているはず。まさかそんな武力を求めるほど愚かだとは思えなかったのですが……欲に目が眩むと、何をするかわからないということですね」


 長い話を何とか咀嚼した。なるほど、筋は通っている気がする。矛盾はないが、事実かそうでないか判断することはできない。


「待て。おれを逃がした理由は? 昨日、こいつを助けた理由も」


 ゼロの刺すような質問に、レイノルドはちらりとシャイネを見た。知っているのか、と問いかける視線に意表を突かれ、最悪なことに目を逸らしてしまった。

耐えなければならない一瞬だったのに、過去の因縁を知っていることを知られてしまった。

 視線がゼロに戻り、レイノルドが言葉を選んだことがシャイネにはわかった。しまった。下手を打ったと後悔しても遅い。


「あの時はバスカーが黒幕なのだと君に思わせたかったのだ。それとも、石の秘密を明かして女神教の者だと正直に名乗り出ればよかったかな。それに、君は」


 言葉の途中で、扉がめちゃくちゃに叩かれた。何事かと身をすくませる。


「レイノルド! ぼくに隠れて何をしている!」


 廊下からの怒声に、余裕を保っていたレイノルドとユーレカの眉が揃って跳ねた。

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