夢をわたる

夢をわたる

 夢に落ちた。

 眠りながら、これは夢だと理解する。色も匂いも、音も質感もある明晰な夢が、精霊の血によるものだということも知っている。

 小さい頃から頻繁に夢を見ていた。そんなものだと気にもしていなかったが、現実に近い質感の夢は珍しいのだと何かの拍子に知ってから、母の血の介入を疑っていたが、実害がないので放っていたのだ。

 夢からは逃れられない。シャイネはただ、どこの誰のものかもしれぬ記憶を覗き見、体験することしかできない。

 他人の夢をわたる力を制御することはできなかった。身体は寝ているし、夢に落ちる予兆も決まった周期もないので、防ぎようがないのだ。精霊の血は、どうしてこうも趣味の悪い能力ばかりをもたらすのか。

 気分のいいものではないし、一晩眠ったとは思えぬほど疲弊するので、何とかして対処したい。

 夢に落ちるたび、目覚めたらすぐに母を頼ろうと思うのに、雑事に紛れてしまう。所詮、夢にすぎないと軽んじているからかもしれない。そしてまた夢に落ちてうんざりする繰り返しだった。

 心細い気分で、周囲を見回す。

 緩い坂道を上っていた。見覚えのない街並みだが、道路には石畳が敷かれている。四頭立ての乗合馬車が脇を通り過ぎ、舞い上がった砂埃を払う。坂の上に目をやれば、陽の光に白く輝く城と両翼を守る塔が街を見下ろしていた。

 夢に落ちて、見たことのない場所に放り込まれることも初めてではない。世界にはまだ見たことも訪れたこともない街があって、そこに生きる誰とも知れぬ者の経験を追いかけるのは心躍ることでもあるが、面識さえない誰かの私的な一面を覗くのは疚しく、誰にも打ち明けられなかった。

 夢というのは、過去の経験の再現なのだと牡鹿の角亭にやってきた学者の先生が言っていた。


「だからね、泳げない者が大河を泳ぐ夢は見ないし、剣を使えない人が剣術大会で優勝する夢も見ないだろう」


 頬を赤く染めた学者先生の舌はよく回り、話題は尽きず面白かったが、そもそもどうして夢を見るのか、どうすれば途中で夢を終わらせることができるのか、シャイネが知りたいことは教えてもらえなかった。

 夢の中でのシャイネの視点も様々で、夢の主と一体化していることもあれば、その場を俯瞰していることもある。夢を追っている途中にも変化するので、酔う。

 今は夢の主の目を借りている。街は区画が整えられて活気がある。巡回の青服の姿はなく、代わりに大きな辻には揃いの制服を着た二人組が立ち、往来に目をやっていた。自警団にしては装備が整っているから、騎士だろう。

 坂道を上りながら、夢の主は肩越しに背後を窺った。


「冷静になれよ、アーレクス。喧嘩しに行くわけじゃないんだから」


 返答はないが、斜め後ろを歩く男の黒髪が揺れた。頷いたらしい。

(ぎゃあああ)

シャイネは憚りもなく悲鳴をあげ、頭を抱えた。どうせ誰も聞いていない。目元が若く険を含んではいるものの、背後の黒髪の男はゼロその人だったからだ。

若き日のゼロは辻に立つ男たちと同じ制服を着ていた。金属がこすれる音がするのは、帯剣しているからだろう。

(ゼロだよこれ……。アーレクス、って言った。うん、そうだ、本命君がアーレクスって呼んだって……)

 そして夢の主の声は、レイノルドのものだった。

 ク・メルドル。記憶。ゼロ。本命君とレイノルド。糸が延びて次々につながった後、ぐしゃりと絡まる。

(なんで。何なのこれ。今までこんなこと、なかったのに)

 知己の夢に落ちたことはなかった。だからどんな悪夢を体験しようと我慢できたのだ。けれど、これは――きついかもしれない。起きたあと、どんな顔で話せばよいのだ。この夢の光景をまるきり忘れている彼と。

(んー、つまりここは、ク・メルドルで、ふたりは知り合いで……うわああああ、これはだめだ。僕が内緒で見ちゃいけないやつだ)

 葛藤には構わず、夢は進む。坂を上りきって左手に曲がり、女神教の神殿に足を踏み入れた。紫紺の制服の男が二人、槍を構えて入口を守っているのは他の街と同じだが、番人はレイノルドとゼロに目礼し、無言のまま奥へと通した。

(誰何もされない。それほど親しいか、親しくなくとも名前を知られているか……)

 夢の主、レイノルドと背後のゼロは案内もされぬまま、迷うことなく神殿の内部を進む。何度もここを訪れているのだろう、確かな足取りだった。しかし彼らが乗り気ではないことは重い沈黙から察せられた。


「……団長」

「なんだ。兄と呼んでくれる気にでもなったか」

「……無駄口を叩く気分じゃない」


(もうやめてーほんとやめて勘弁して)

 団長って。兄って。近い関係、どころではない。理解が追いつかずに赤熱する頭と、下世話な好奇心の釣り合いがとれない。つらい。逃げ出したい。目覚めたい。


「おれが何かしたら……しそうになったら、殴ってでも止めてくれ。自制できる自信がない」

「わかってる。アレクシアはおまえを逆撫でするのが巧い。それだけ覚えておけ」


 二階に上がり、一番奥の扉を叩いた。さほど待たされることなく、黒い長衣ローブ姿の男性に招き入れられる。

 乾いた血のような褐色の絨毯が敷かれた室内、扉の正面に重厚な執務机が置かれ、その向こうに黒髪を見慣れない形に結い上げた女性がいる。彼女も黒い長衣をきっちりと身につけていた。扉を開いた男性よりも若いが、部屋の主であるならば、神職の長、大司教であるに違いない。

 夢の中だからか、神殿の周囲の嫌な空気を感じることはなかったが、それに心から感謝するほど、室内の雰囲気は悪かった。挨拶も社交辞令もなく、誰もが剣呑な視線だけを投げ交わしている。

 こうしてこの四人が顔を合わせるのは初めてではないようで、幾度か場を持ちつつも穏便な落とし所が見つからず、無為に時間を過ごしている。そんなふうに感じた。


「ですから、団長殿」


 これ見よがしなため息とともに、言い聞かせる口調で語り始めたのは黒衣の男だった。風采のあがらない、と評するのが相応しい、特徴のない顔立ちだった。中肉中背、髪は白いものが混じった茶。彼だけが飛び出て年長である。とんでもない才能が集まっている場なのだと、今さらながらに気づいた。

 若く優秀な人材がいても、滅びてしまった街。それとも、若く優秀な人材がいたから、滅びたのか。ゼロとレイノルドだけが生き延びた理由は何なのだろう。探せば他にも見つかるのだろうか。


「異端の者を国の中枢に近づけるのはどうかと、猊下は仰っているのです。なにも半精霊ごときに騎士の位を授けずとも、他にも剣を使うものはおりましょう」

「半精霊であっても、女であっても、腕の長さの長剣を使いこなし、入団の試しに合格したのであれば、騎士なのです。みちを説き、大義をかざす我々が例外を認めることはできません」


 答えたレイノルドの声は低く、凪いだ海を思わせる。シャイネに半精霊との関わりを語ったのと同じ声だった。


「騎士を騎士たらしめるものは、生まれや外見ではございません」

「しかし、万一……」

「司教猊下。我らは騎士でございます。規律と誇り、そして王家への忠誠のためならば生命を賭することも厭わぬ、この覚悟と誓いをお疑いか」

「わたくしは、閣下らのお志を疑っているのではないのです」


 黒髪の女が、組んでいた指を解いて答える。歩み寄る姿勢など少しも感じられない、冷ややかな声だった。

 居心地の悪さに身じろぎする。緊迫した会話は聞いていて気持ちのよいものではないし、教団の者から半精霊と呼ばれるのは、我慢がならなかった。

 だが、気が乗らなくても、嫌な感じがしても、抜け駆けであったとしても聞かねばならない。ゼロが失い、レイノルドが語ることを控えた過去の一部を。

 レイノルドは、シャイネがゼロの連れであることを知っていた。しかしゼロが記憶を失ったことは知らなかったようで、このずれが混乱を解く鍵である気がする。もし何の関係もない話であれば、忘れてしまえばよいことだ。

 ゼロを差し置いてシャイネが過去を覗き見ることには罪悪感も後ろめたさも自己嫌悪もあるが、それで事態が良くなるのならば、精霊の力も悪いものではない。何かしら良い結果をもたらすのでなければ、この能力を受け止められる自信がなかった。

 ここまででレイノルドとゼロの接点はわかった。彼らに深い関係があったから、レイノルドはゼロの前に姿を現し、しかし殺さなかったのだ。

 大司教は続けた。


「あの姉妹――半精霊の姉妹が、いつ何時人ならざるものへと変貌するのか……人を裏切るのか。わたくしは、マリエラとイシュレアを信じることができないのです」


 おっとりした口調だからこそ、含まれる敵意に総毛立つ。レイノルドが言っていた「逆撫でする」ということだろう。つまり計算づく。調子を合わせてやる必要はない。


「姉上。それは、団長とおれへの侮辱とみなすが、よいか」


 言い含められていたにも関わらず、ゼロは激昂した。シャイネの知る彼はここまで短絡的ではないが、記憶を失ったせいだろうか。それとも単に年をとって丸くなっただけか。

いい意味では瑞々しい感性、悪く言えば落ち着きがない、年若いゼロは整ったおもてを歪め、敵意をむき出しにしている。


「アーレクス。あなたはウォレンハイドを継ぐ者です。立場をわきまえなさい、よりにもよって……半精霊を娶るなど」

「家に迷惑はかけない。もとより、家を継ぐつもりなんてない。姉上だって、アンリだっているんだから、おれ一人が欠けてもどうってことはないだろ」


 半精霊を、娶る。半精霊の姉妹。レイノルドとゼロに血の繋がりはなく、それなのに兄と呼ぶということは。

(亡くなったっていう奥さんこそが半精霊で、ゼロも半精霊と結婚してた……ってこと? えっえっ、ほんとに? それでまた僕と出会ったって、半精霊のが良すぎない? 世の中って広いものじゃないの?)

 それでも、半精霊と婚姻関係にあったから、ゼロはヴァルツに助けられたのではないか。あるいはヴァルツとも親交があったのではないか、ということは予想がついた。ク・メルドルが滅んだ後にヴァルツが動いたのは偶然や興味本位ではない。倒れていたのがゼロだから助けたのだ。

(マリエラと、イシュレア……)

 レイノルドだけでなく、シャイネ自身にとってもこれは夢だ。夢で見たこと、聞いたことのすべてを覚えていられるとは限らない。出てきた名前を覚えていたくとも、目覚めた後のことは何も保証がないのだ。

 この四人が、半精霊を騎士団の一員として認めるかどうかについて話しているのはわかった。半精霊の姉妹。女神教と国とのすれ違い――まるきり、さっき聞いた話ではないか。

 護衛のような仕事、とレイノルドは言い、ゼロは「団長」と呼んだ。騎士団長。強いはずだ。


「大司教猊下。妻が騎士となったのは、半精霊だったからではなく、騎士たるに相応しかったからです。マリエラを侮辱するに飽き足らず、王の叙勲までを蔑ろにされるおつもりか」


 レイノルドの口調にも火が点る。あの冷静な人も怒るのだ、という新鮮な驚きと、半精霊の名誉を守るための怒りだという理解は漣のようにシャイネを揺さぶった。


「あなたがたがどんな女性を伴侶に選ぼうと、知ったことではありません。しかし、それが国を揺るがす可能性がある以上、わたくしは半精霊が騎士となることを見過ごせませんし、ましてやウォレンハイドの男子が家を出て、半精霊と結ばれるなど……汚らわしい」


 しゃっ、と金属が鳴った。今度こそレイノルドが振り返る。ゼロの構えた精霊封じの剣は見覚えのある、風が宿った長剣だった。


「やめろ、アーレクス。神殿内だぞ」

「団長はマリエラを貶められて平気なのか。マリエラもイシュレアも何も汚れてなんていない。汚れてるって言うなら、アレクシア、あんたこそだろうが!」


 ゼロが叫ぶ。


「家が何だ? 女神教が何だ? 家なんかどうなったっていい。おれはイシュレアと共に生きる。邪魔はさせない……決して」


 泣きながらゼロが吐露する――シャイネにはゼロの涙が見えた。乾いた目の奥、燃えさかる炎を閉じこめた氷の涙が。


「あんたが、おれたちのことをどうこう言えるのか。家の庇護を受けて、威光だけを甘受しておいて、そのくせ不自由を嘆く。何も動こうとしないまま不平ばかりまき散らして、それが許されるのもウォレンハイドの娘だからだろうが! 都合の悪いことには目を瞑って、何言ってやがる」

「アーレクス」


 レイノルドが剣を取り上げる。長衣の男が青い顔をして一歩を踏み出し、アレクシアと呼ばれたゼロの姉が机を叩いて立ち上がった。


「王もそりゃあ、振り向いては下さらないだろうよ!」


 言葉は何よりも鋭く、速い。びしり、と亀裂が入る音が聞こえた。




「おい! 大丈夫か!」


 ぐらぐらと肩を揺すられ、目を開けた。

 寝台で寝ていたはずのゼロがシャイネを抱きかかえて揺さぶっている。

 今の、ゼロだ。急速に覚醒する。悲鳴を飲み込んで、滴るほど汗をかいていることに気づいた。


「うなされてたぞ。寝言ははっきりしてたけど……大丈夫か。変な夢でも見たのか」

「僕、何か言ってた?」

「大司教猊下ーっ、て。気でも違ったのかと思った」

「あー……そう。大丈夫……まともだから。たぶん」


 寝込みたいほどだった全身の痛みが消えていて、何とも言えない気分になる。襟ぐりを持ち上げて服の中を見てみると、絵の具で塗ったように広がっていた青痣や赤みの大半がなくなっていた。頬の腫れも痛みも、すっかりよくなっている。

 部屋の中はまだ暗く、ゼロの傍らの手燭のみがぼんやりと暗闇を照らしている。か細い灯りに精霊が揺らめく。炎が首を傾げたのだ。だいじょうぶ? と。


「うん、何でもないよ」


 答えると、ゼロがぎょっとしたふうに身を強張らせた。精霊、と言い繕うと、ああ、と頷く。


「あんたには、おれの見えてないものが見えてるんだな」

「見えてる、というか……目で見てるわけじゃないけど」


 注いでくれた水を一気に干して、ようやっと息をつく。


「腫れは引いてるな。まだ青いけど。寝ながらおまじないをすることもあるのか」

「……まあ、それなりに」


 曖昧に答えるしかなかった。夢をわたるのも精霊の力、おまじないをしたことになるのかもしれない。

 自分のことなのに何ができるかわからない、どうなっているかもわからない、なんてレイノルドやゼロからすれば考えられないことなんだろうなと思う。彼らはきっと、頭のてっぺんから爪先まで、身体の全部を把握しているに違いない。そうでなければ、ぬかるんだ道を無音で歩けやしないだろうから。


「はっきりしないんだな。まあ、傷が良くなったのはいいんじゃないか。……いや、大司教猊下ってことは、女神教の夢か? あんたにとっちゃ、良くはないか」


 うん、と当たり障りなく頷いて、もうあまり夢の内容を覚えていないことに愕然とする。とてつもなく重要な夢を見たのに。昔の話だ。ゼロとレイノルドが義兄弟で、ク・メルドルの騎士で、半精霊がどうのと揉めていた。もう名前も思い出せない。

 そう、半精霊。ゼロとレイノルドは半精霊と結婚したような口振りだった。街と共に半精霊もまた亡くなり、そしてまたヴァルツと、シャイネと出会ったのだ、ゼロは。


「……汗かいたから、着替えてくるね。あと……起こしちゃったならごめん」

「気にするな」


 いつでも食べてどこでも眠れる一種の図太さは、旅暮らしには重要な素質だ。あまりに繊細すぎては、さまざまな環境下で暮らせない。

 隣の部屋に戻って、服を着替えた。レイノルドから譲り受けたこの服を、過去にも半精霊が着ていたのだと思うと、巡り合わせの途方もなさに気が遠くなる。

 半精霊を妻にと選んだレイノルドがカヴェの副神殿長と親しいのは不思議だ。どこで、何があって知り合ったのだろう。

 落ち着こう、と干し杏を一粒食べて、部屋の隅の暗がりに呼びかけた。


『……母さん』

「はーい。久しぶりー」


 呑気な声とともに闇が裂けて、小柄な少女がするりと姿を現した。肩の高さで整えられた赤毛、双眸は金茶。自分と同じ輝きにとてつもなく安堵するのはどうしてだろう。


んでよかった?」


 もちろん、と母ヴィオラはシャイネよりも年若い笑顔で頷いた。背もシャイネの方が高い。時々複雑な気分になる。母の姿はあくまで仮のものだが、この年格好で子どもを産んだのだ。産婆も驚いたことだろう。

 こちら側の束縛を嫌う精霊が、シャイネをお腹に宿したままあちらに帰ることなく過ごしたということが不思議だし、そうまでして産んでくれたことは何よりも嬉しい。

 だからこそ、半精霊と指さされることは哀しく、腹立たしいのだった。


「おやつ持ってきたよ。あと、チーズと去年の冬の葡萄酒と」

「わざわざ? ありがとう」


 焼き菓子を広げ、葡萄酒の皮袋を傾ける母の隣に座る。召べばすぐに来てくれると知っているけれど、頼りすぎては家を出た意味がない。リンドにいたころは意地を張って一度も召ばなかったから、三年半ぶりか。


「父さんは元気?」

「うん、いつも通り。シャイネは? 元気?」


 元気、と答えるが、顔には殴られた痕があるし、弱っているのは見ればわかるだろうし、そもそも何事もなければわざわざ母を召んだりはしないわけで、元気は元気なんだけど、と付け加える。


「変な夢を見て困ってるんだけど、これ、どう使えばいいの。僕に使いこなせる?」

「回数をこなす、かなあ。……役に立たない答えで悪いけど。精霊を召ぶのだって、すぐにはうまくできなかったじゃない。そういうもんよ」

「そっかあ……そうだよねえ」


 焼き菓子はお裾分けで頂いたという。木の実や干した果物が刻んで混ぜ込んであって、美味しい。ざくざくと頬張る少女の姿の母が身内ながら愛らしかった。

 精霊は人の姿をとって半精霊という子を育むが、生まれた子は眼と能力以外は人間の親に似る。シャイネの金髪も顔立ちも父スイレンそっくりで、ヴィオラに似ているのは眼だけだ。父が精霊だというリアラは、母親似ということになる。


「んー、じゃあさ、母さんは誰の夢に落ちるか、好きに選べる? 途中で止めたり、違う人の夢に移ることはできる?」

「そりゃあ、まあね。何だってできるし、シャイネだってできると思えば何だってできるんだけど」

「おまじないみたいに? ……ああ、ええと、森の王に教わったんだ。僕は半分が精霊だから、怪我も病気もすぐ治るって」

「あー、そだね。ヴァルツがそんなこと言ってた。あたしからも挨拶しとくから、仲良くやるのよ」


 ヴァルツと知り合ったことにはもう少し驚くかと思ったが、意外に軽い。精霊たちのつきあいがどうなっているのかシャイネは知らないが、思いのほかざっくばらんなのかもしれない。

 でも、と母がふと真面目な顔をする。


「夢を渡るっていうのは、過去を覗くことよ。軽い気持ちでやっちゃいけないし、受け止められないことには首を突っ込んじゃだめ。わかるよね?」

「うん」

「大丈夫、すぐに慣れる。怖がらないで、自信を持って。あんたはあたしとスイレンの娘なんだよ。これって凄いことだよ」

「自分で言うんだ」

「そりゃあもう」


 朗らかに笑って、ヴィオラは壁を指さした。その向こうにはゼロがいる。何となく人恋しかったし、一人になるなと言われているのがわかったのであちらで眠ったけれど、戻るべきだろうか。どんな顔をして?


「あっちの男前は紹介してくれないの?」

「男前かな」

「見る目ないなあ。あれは男前」

「知ってるなら紹介しなくていいじゃないか。時間も時間だし」


 そっか、とあっさり引き下がる。母はゼロの過去を知っているのだろうか。かつて半精霊を妻にしていた男。彼がシャイネに巡り会ったことは偶然なのだろうか。


「夢を渡る。相手の闇を支配する。派手さはないかもしれないけど、使いようはいろいろあるから。悪用と無理だけはしないこと。いい?」

「わかった。ありがと。……がんばるね」

「ほどほどにね」


 ヴィオラはシャイネをかたく抱きしめた。ほっそりした背に腕を回すと、記憶にあるよりもずいぶん頼りなく感じた。母が縮んだのではなくて、故郷を出たときよりもシャイネの背が伸びたのだ。

 こころは。技術は、どうだろう。

 焼き菓子とチーズの包み、葡萄酒の皮袋をふたつ残して、母は闇に溶けて消えた。あとでゼロに分けてあげよう、と荷物をまとめたところで、寝台に放りっぱなしだった手芸店の包み紙が目に留まる。

 ゼロのところに戻るのは止めて、買い揃えた色糸と革紐で飾り紐を編むことにする。懐かしい。夜明け前の暗闇のなか、シャイネは黙々と指を動かした。

 故郷の雪の静けさ、両親の温もりを思い出しつつ没頭するうち、夢のことは完全に抜け落ちてしまった。

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