邂逅 (8)

「企む、とは随分だな」

「違いますか」

「違わない」


 ユーレカが精霊に偏見を抱いていないことも、レイノルドにとっては好都合だった。彼女の剣もマジェスタットの精霊封じのものであり、精霊を恐れず、過度に感情的になることがない。

 立場上、精霊が現れたと聞けば捜索の指揮は執るが、半精霊がガンディに殴られたと聞いて不愉快そうにした彼女こそが、本当のユーレカである。

 アンリ司祭や神官たちの前で、完璧に副神殿長の仮面を被れる才能も稀有なものだ。

 剣の使い手として、上官として、それから、一人の男として。彼女の信頼と憧憬と忠誠が自分自身に捧げられていることを、心から誇りに思う。

 それらの感情の裏側にある、彼女の気持ちにだけは気づかない風を装っているが、聡い彼女のことだ、見抜かれていたとしてもおかしくはない。

 ――何て、愚かで愛おしい女だろうか、ユーレカは。

 信頼が強すぎるあまりに、愛を囁くことを恐れ、女を誇示することを恥だと感じている、孤高の女。

 彼女は、何があってもレイノルドに服従するだろう。誓いなどなくともわかる。思い定めた人物に従い、傍に在り、背を守ることこそが、ユーレカの幸せなのだ。

 だからこそレイノルドはユーレカを使う。彼女が動きやすいように、持てる能力全てを発揮できるように。彼女のために立ち回り、舞台を整えることが役目だ。

 それを教えてくれたのは、亡き妻だった。


「責任を負う。それが、使うということよ。人も精霊も同じ」


薄らいだ記憶の中、朧げに彼女が笑う。


「隊長」


 団長から隊長へと呼び名は変わったが、かつてと同じく部下に恵まれたことやユーレカとの出会いには、どんな言葉を重ねても足りぬほど感謝している。

 レイノルドにも、思惑はある。生きる目的、野望といってもいいかもしれない。今はアレ、すなわち女神教の秘宝たる破壊の石卵の入手だ。

 それを達成する手段としてカヴェの神殿長になったわけだが、ユーレカという使える部下を得たのは予想外の僥倖だった。

 彼女を巻き込むことに、多少の罪悪感はあった。彼女の一生をめちゃくちゃにする可能性も十分にある。――それでも。

 限りない信頼がきらめく赤紫の眼を見つめ、レイノルドは命じた。


「私と共に在れ、ユーレカ」

「……は」


 目を伏せ、低く了承のいらえを返す副官が顔を上げる前に、立ち上がる。

 占有を望む傲慢を、ユーレカは許した。

 自分はきっと、愉悦に歪んだ、醜い表情を浮かべているに違いない。


「夜番以外の者は帰宅させたな。では今日はここまでだ。明日動く、かもしれない。動かないかもしれない。何が起きても対応できるように配置を頼む。私はアンリの子守に行く」

「承知しました」


 歯切れのよいユーレカを残し、礼拝堂を出て神殿の奥に向かった。人気のないひやりとした空気が、興奮の熱を奪ってゆく。

 レイノルドに子はないが、大きく成長した厄介な子どもが、この支部神殿には一人いるのだ。さてどうしてくれよう、と顎を撫でる。




 規模の大小はあれど、神殿のつくりはどこでもほぼ同じだ。

 一階の礼拝堂や青服たちの詰所には、誰でも自由に出入りできる。一方、神官の研究室や神殿長の執務室、資料室がある二階は、部外者の立ち入りが厳しく制限されていた。

 神殿長という立場ゆえに執務室が与えられているものの、滅多に使わない。彼の居場所は、一階の詰所か、神殿裏の修練所、あるいは街のどこかだ。執務室は専ら、喧噪を嫌う会計係が書類や算盤を広げている。


「これは、神殿長殿。どうされました。今日は非番だったのでは」


 アンリの取り巻きの一人だった。裾が床につく赤い長衣ローブを着た神官は、わざとらしく驚いた顔をしている。


「精霊の捜索についてだ。アンリ殿は」


 呼ばれてもいないのに何をしに来た、と刺々しい空気を纏う男を躱した。相手をするのは時間の浪費に他ならない。

 カヴェ支部神殿において、治安維持、神事の各部門の長であるレイノルドとアンリが水面下で火花を散らしていることは、秘密でも何でもない。対立の構図はそのまま、青服と神官にもあてはまる。

 この神官も、アンリに忠誠を誓い、青服たちを粗野な者として見下す一人だ。

レイノルドが青服たちを束ねあげて街の巡回を強化し、神殿の独立を守るために癒着を断ち、青服と商人の距離が健全に近づいた結果、古株の神職たちは商人たちが見境なくばら撒いていた賄賂を受け取ることができなくなった。小遣いが減って恨まれているのである。小さいことだ。

 彼はレイノルドを待たせて、司教の執務室に入った。しばらくして、勿体をつけて扉が開かれる。


「お会いになるそうです」


 当たり前だろうが、という怒声を飲み込んで、レイノルドは部屋に足を踏み入れた。身体が傾ぐ毛足の長い絨毯は、何度来ても慣れない。

 執務室は決して機能的とはいえないが、趣味は良いほうだった。これで趣味が悪ければ、ユーレカが黙っていなかっただろう。


「随分余裕のあるお出ましだな、レイノルド」


 アンリはにこりともせず、机の向こうでこれ見よがしなため息をついた。

 漆黒の髪に同じ色の眼。歳は二十六。礼儀を知らず、口の利き方がなってないのは昔からだ。

 実年齢よりも幼く見えるアンリは、一見して両家の子息であるとわかる顔立ちである。陽射しを嫌う白い肌、飢えや貧しさを知らぬ薔薇色の頬。漆黒の眼に宿る光は、いつもふてぶてしい。アーレクスと同じ顔なのに、雰囲気が違いすぎるためにちっとも似ていない。

 レイノルドがアンリと初めて会った時、彼はまだ十にもなっていなかったが、年長者を敬うといった常識的な態度からは程遠く、尊大だった。それだけならば子どものしたことだと、鷹揚に構えていられたかもしれない。しかし、アンリの態度に長姉アレクシアは口を覆って笑い、アーレクスは申し訳なさそうに目を伏せた。

 これで友好的な関係を築こうと思えるほど、レイノルドは人間ができていないし、若かった。殴るのを堪えた代わりに、彼の服の隠しに百足むかでを仕込むことを自分に許した。

 苦労知らずのお坊ちゃま、とはユーレカが下した的確な評である。


「精霊はまだ見つからないんだろ。雨の中、青服たちはご苦労だったけど、結果が伴わないのが残念だよ」

「私の優秀な副官の指示に口を挟んで業務を妨害する者がいなければ、今頃精霊は地下牢にいるだろうにな。まったくもって残念だ」


 アンリは眉を上げた。おだてれば木にも登り、貶せば烈火のごとく怒る。母鳥に餌を与えてもらう雛ならばまだしも、仮にも支部神殿を預かる者がこんな調子では困る。純真なのではない、馬鹿というのだ。


「相手は旅人なんだろう、何故宿を検めないんだ」


 そうすれば簡単に見つかるではないか、と言わんばかりの口調に頭痛を覚える。彼は昔から変わらない。自分の考えが最善最良であり、希望は必ず叶い、従わぬ者は無能で怠惰であると思っている。


「アンリ、それができれば苦労しない」


 公の態度を取ることさえ馬鹿らしくなった。お前はいつまで出会った頃の糞ガキのままでいるつもりなんだ。怒声を呑み込む。


「考えてもみろ、今は何時だ? 宿は全部で何軒ある? 夕食時の宿屋街がどれほど混雑するか、知っているか?」


 彼は口を開かなかった。本当に知らないのだろう。


「夕方はどこも一番忙しい時間帯だ。客は誰もが腹を空かせて殺気立っているし、従業員も手一杯だ。そんなところへ私たちが大挙して現れたとして、協力してやろうという奴がどれだけいると思う」


 息を継いで、腕を組んだ。そこを何とかするのがお前の役目だろう、と無言のままにアンリが上目遣いに見上げてくるのを、逆に睨みつける。


「それから、報告だ。石の件がバスカーに漏れているのは知っているだろう。旅人が


それを回収したようだ。まだそれが何であるかには気づいてない」


「当たり前だろ。石卵のことを知る人間が、この世に何人いると思ってるんだ」


 不機嫌に吐き捨てたアンリの言葉に、知らず、笑いが零れる。彼がはっとした様子で息を呑んで視線を逸らした。胸の内がどす黒く染まってゆく。


「そりゃあ、公にはできないだろう。ク・メルドルが滅びた原因が単なる痴情のもつれで、つれなくされた女が女神教の秘宝たる石を使って街ごと吹き飛ばしました、などとはな」

「……レイノルド、ぼくは」

「恥ずかしくて、そんなことは公表できまいよ、アンリ・ウォレンハイド。街一つを巻き添えに無理心中を図った底抜けの馬鹿が支部神殿を預かる大司教、しかも名家ウォレンハイドの長姉だなんて、誰にも言えるはずがない」


 怒り、という言葉では到底表すことのできないこの激情を、絶望を、虚無を。レイノルドが失ったものの尊さを、あの夜に失われたあらゆるものの重みを、彼は一生理解できまい。女神教を重んじないク・メルドルの空気が合わぬと、神都に舞い戻って呑気に暮らしていたお陰で滅びを知らぬ彼には。

 その断絶がレイノルドを苛立たせる。彼に感情をかき乱されることが不愉快で、しかし無関心を貫くには近くにいすぎた。かつて仰せつかった剣術指南のお役目は、教え子の少年の成長の喜びを多少なりとももたらしたから。


「アンバーに連絡を取れ。石はアーレクスの手に渡った」


 アーレクスの名を出すと、アンリの表情がはっきりと憎しみに彩られた。まったく、どこまで愚かなのだろうか。


「懐かしの兄弟再会ってわけだ。良かったな、アンリ?」

「あんな奴、兄と思ったことはない」

「アーレクスもそう思っているだろうよ。だが残念なことに、あいつは昔のことを覚えていないらしい。それでも石を手にし、おまけに精霊まで連れている。……出来のいい男だ」


 アンリが目を剥いた。彼は面差しの似た兄と比較されるのを最も嫌う。アーレクスが型破りな人物なので、反感は相当のもののようだった。

 常に一番でありたいアンリが優秀な兄を不当に憎むのは、彼自身の甘えだ。兄だから。年長だから。長男だから贔屓されている。それがどうした、と言ってやりたい。


「その、旅人というのがアーレクス? 今日の騒ぎの精霊がその連れ……?」

「お前の幸せなおつむは何を考えていたんだ?」


 心からの嘲笑と罵声を浴びせ、アンリが屈辱に震えているのを一瞥し、踵を返した。


「精霊捜索の指揮は私が執る。腑抜けは黙って見ているがいい、司教殿」


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