邂逅 (6)

 顔半分を青く腫らしたシャイネが半泣きになっている横で、ゼロも泣きたい気分だった。

 青銀の眼、剣をそれなりに使う。泥濘を足音を立てず歩くなんて、そうそうできることではない。おまけに竹の葉の匂いのする煙草ときた。

 そう、煙草だ。風で運ばれてきたあの匂い。


「背丈は。肩幅はどれくらいだった」


 自信なさげなシャイネが手で示したのと、ゼロの記憶にある本命君の体格に大きな相違はない。背が高い他にはこれといって目立つ体型ではなかったし、傷や痣などの特徴もなかったが、レイノルドという男が本命君であるのは間違いないと思えた。

 シャイネに取り入って宝を奪うつもりか。あるいは半精霊を味方に引き込もうというのか。こちらの状況を知るために接触したというのもありえる。


「そうだ、なあ、ヴァルツ。これ、何かわかるか?」


 我関せずといった表情でシャイネの背を撫でているヴァルツに、雑嚢の底に隠してあった石の卵を見せた。怪我だ何だですっかり忘れていたが、彼女なら何かわかるかもしれないと期待を抱いていたのだ。

 ひゃっと悲鳴を上げて、シャイネが飛び退く。腹と背を庇っているところを見ると、あの辺りにも怪我があるのかもしれない。後で見てやらねば。

 石の卵は沈黙したまま、光を放つこともない。ヴァルツは輝く翠の眼を眇めた。眉間に皺が寄っている。


「また厄介なのを拾ってきたね……。よくもまあこれだけ次々に面倒を背負しょえるものだ。しまっておいて。危なくはないけれど、うーん、何と言えばいいのか……私たちにとって良いモノではないから」

「何だそりゃ。金目のものか?」


 ヴァルツは首を傾げる。銀髪がさらりと流れて、光が溢れた。表情が歪んでさえいなければシャイネと並んで、一幅の絵のようなのに。


「金銭に換えられるものではないと思うけれど。それの価値がわかる人間はそうはいないと思うし、使える者も限られているし」

「まだるっこしいな。わかるように言えよ」

「道具だよ。私たちから見れば女神が作った武器。世界を均すための」


 はあ。曖昧なため息をついて、シャイネと顔を見合わせる。疑問符が飛び交う。


「つまり、これはこの世を創るために女神が用いた道具なんだ。喩えは悪いけれ

ど……粘土遊びをして散らかった作業台を綺麗にして、粘土を元の一塊に戻す野蛮な道具だ」

「全然わかんない……」


 シャイネの小声の抗議にゼロも賛同するが、詳しい説明はなかった。そんなものがどうして洞窟にあったのか、バスカーがその存在をどうやって知ったのかは謎のままだ。


「それは、自然に生るものではないんだろ? ということは洞窟に移動させた誰かがいるってことだ。そういうものの管理は女神教がやってるんじゃないのか? 何がどうなってるんだかちっともわからん」

「一般的に知られてることじゃないんだったらお金にもならないし、誰にでも使えるものでなくちゃ意味がないし、バスカーは何でそんなものを欲しがるんだろ。今でさえ、女神教よりもずっとお金も権力も持ってるんだよね」


 少なくともゼロはそんなモノの存在は知らなかった。一般常識ではないはずだ。あまりに深く関わっていたから、忘れてしまったという可能性もないではないが、過去に騎士であったらしい自分が女神教と繋がっていたとも考えにくい。精霊や半精霊贔屓だったようだし、どちらかといえば女神教とは疎遠だったのではないか。


「わかったことが増えても、全然何も見えてこないっていうのは苛立つな」

「見方が間違ってるのかな」


 冷静なことを言うシャイネは、随分眠そうだ。そろそろ休ませた方がいいだろう。ヴァルツが精霊を召んでゼロを食堂に下ろし、二人ぶんの食事を取り分けてもらった。

夕食時だというのに、食堂は空席が目立つ。味も店員の態度も普通以上なのだが、立地が悪いためか、それとも食事の選択の幅が狭いからか、この宿が満室になることは稀だ。ゼロの他にも三組ばかり長期滞在の旅人がいるが、飛び込みの客はあまり見かけない。気楽でいいのだが、お節介ながらに経営状態を心配してしまう。

 顔を腫らしたシャイネは顔を顰めつつも、少しずつ咀嚼して夕食を平らげた。魚のすり身の蒸し物と貝と野菜の炒め物、ふんわりした卵が浮いた汁物、という献立が良かったのかもしれない。ともあれ食欲があるらしいことにほっとする。食わねば回復も遅くなる。

 姿を消したヴァルツに代わり、食後はシャイネが風を召んでくれたが、もつれあうようにして部屋に転がり込んだまま、戸口で丸まって動かない。


「寝台まで行けよ。風邪ひくぞ」


 身体が何ともなければ引きずるなり担ぐなりできるが、今はそうもいかない。シャイネも傷だらけで、顔の腫れが何度見ても痛々しかった。ぱっと見に少年だからこんなになるまで殴られたのだとすれば、男装も考え物だ。それとも、半精霊だからという理由で手を上げる輩には性別など関係ないのか。

 ままならないものだ。確たる存在として生きられぬ息苦しさは、ゼロにも理解できる。彼女が感じている閉塞感や行き場のなさには到底及ばないのだとしても。

 親切にいちいち理由を求めるのもそのせいかもしれない。傷の手当てなど大した手間でもないのに、なぜ、どうしてと食いついてくる。差し伸べられた手に、寄せられた厚意に甘えていた時分もあっただろうに。無邪気ではいられない何かがあったのだろう。

誰もが経験することかもしれないし、半精霊ゆえのことかもしれない。多感な時期、と一言で片付けられてしまうことであっても、信頼できる人や場所が傍にあるのと、不安定な旅暮らしでは心細さも異なるだろう。

 力になってやれるといいのだが、全力で警戒されている。目が合った瞬間にそっぽを向かれるし、近づくと退がられる。嫌われているとは思いたくないが、気に障ることをしただろうかと訝しむ。女性に露骨に嫌われたこともないし、そうそう扱いが下手だとも思わないし……と考え、おれは誰に対して言い訳をしているのかと馬鹿らしくなって、やめた。


「ゼロ」


 よろめいた弱々しい声に呼ばれ、難儀して床に膝をついた。


「何だ、どうした」


 ゼロの剣に視線を投げていたシャイネはごろりと仰向けになって、天井を見上げた。やはりゼロの方には顔を向けない。こいつはおれをきちんと認識しているんだろうかと、ふと心配になった。


「お酒飲みたい」

「……えーと、何だ、つまらん答えを返すと、腫れが引くまではやめとけ」

「ほんと、つまんない答えだ」

「そう言ってるだろ。ほら、飯行く約束、しただろ。酒もつけてやるからそれまで我慢しろ、な」


 なぜおれがここまで譲歩して金を出さねばならんのだ、とも思うが、この面倒臭い状態のシャイネを放っておくことはできなかった。甘やかせばましになるというわけでもなかろうが、今は気を張らずにゆっくり身体を休めるべきで、つまりゼロが折れるのが大人の対応というやつだろう。

 唸りながらシャイネは寝台の側まで這って、先ほどまで包まっていた毛布を身体に巻きつけた。しっかり刺突剣を抱えて、手負いの獣そのものだ。


「わかりやすくヤケクソになるなよ……。そりゃあ、おれは半精霊じゃないから、あんたの受けた仕打ちのこととか、何も理解できないけど」

「でもさ、ゼロもヴァルツも僕に親切にしてくれたじゃない」


 また、どうしてと問われるのだろうか。人の親切を疑わねば自分を守れないほどの経験をしてきたのか。


「あんたが拒んでも、おれはあんたを助けると思うよ。あんたが困ってるのを見たら、だけど」


 何度でも、自分は彼女に手を差し出すだろう。その光景が目に見えるようですらあった。なぜ。それはゼロが知りたい。


「昔のことを覚えてないって話はしただろ。ヴァルツに助けられて、傷を治してもらって、でもおれには何もなかった。身元を探ることもどうだっていい。生きたいかっていうと、実のところそれすらわからん。死にたくはないから生きてるって程度かもしれない」


 言いつつ、寝台に移動して灯りを絞った。暗い部屋にシャイネの双眸がぽっかりと浮かび上がる。蛍のようで綺麗だった。時折瞬くのがいやに艶めかしい。


「そんな空っぽのおれが、どうしてだかあんたが半精霊だってだけで嬉しいって思うんだ。昔何があったのかは知らんし、気持ち悪いって言われても否定はできねえけど、こういう奴もいるってことは覚えといても損はないだろ」


 上掛けを整える。シャイネはゼロの言葉を咀嚼しているようだったが、考えてみれば部屋に戻らず、ここにいることが彼女なりの譲歩であるのかもしれなかった。


「……あのさ、僕、最初はゼロのこと、何て言うか……適当な人だと思ってたんだよ。何にも頓着しないで、こだわりもなくて、好きなものもなくて、惰性で生きてる、みたいな」


 床に横たわったシャイネがぽつぽつと言葉を零す。寝台を譲るべきかと思ったが、また言い争いになりそうなので止めた。自分の部屋なのだ、自由にさせてもらおう。


「それを面と向かって言われるとは思わなかったが、間違ってはない」

「うん。僕がこういうこと言っても怒らないし、それってすごく冷静で、自分のことをわかってるからだと思うんだよね。それに……風が、剣の精霊が、居心地悪そうにしていないから。精霊のことを悪く思ってないっていうのは、それだけで……僕も嬉しい。ありがとう」


 礼を言われるようなことじゃない。言うが、シャイネはゆるゆると首を振った。


「ずっと、半精霊だってことは隠しなさいって言われて育ったし、女神教の神殿は嫌な感じがするし、言われた通りにしてたんだ。両親は僕を思ってそう言ってくれたんだろうけど、そのことですごく卑屈になってたと思う。リンドには風の半精霊がいて、その人にたくさんたくさんお世話になったんだけど、リアラ……あ、半精霊のひとね、青服も含めて街中みんなが認めるくらい、狩人として活躍してて、そんな姿を見て、僕もそうなれるかなって思ったんだ」

「今からだろ、あんたは。伸びしろがたくさんあるじゃないか」


 真面目だったわけだ、と頷く。親思いのいい子じゃないか。すれていないと言うべきか。シャイネはくすくす笑った。

 そんなさりげない仕草でさえ女性らしさは薄く、却って色っぽかった。

 ――色っぽい? こんな子どもが? 確かに最近色町には近づいていないが、そこまで飢えていないつもりだったのに、どうかしている。


「ゼロって本当、いい人だよねえ」

「……そうか?」

「そうだよ。今日ね、青服に追いかけ回されて殴られて……生まれて初めて、半精霊だって理由で嫌な目に遭った。これまでは一度もなかったんだよ。どれだけびびってたのか、わかるよね。でも、本当に怖かった。追いかけてきた奴は僕の倍くらいありそうなでかぶつだったし、性別とか歳とか、何にも関係ないんだなって思ったし、生きてるだけで殴られる理由になるっていうのは……正直めちゃくちゃこたえた」


 身体を起こした。シャイネは真っ直ぐにこちらを見ている。

 そう、そのまま吐き出してしまえと無言のままにシャイネの背を押した。話を聞くことしかできないが、最後まで黙って聞いてやるから。そこから、変わっていくのだろうから。


「卑屈になってたから、ゼロのこともヴァルツのことも、すごく疑ってたよ。でも、うん……ありがとう。嬉しかったんだ。嬉しいって思うことも、駄目なんじゃないかって気がして言えなかったけど。ありがとう」

「あんたもいい人だよ。ちゃんと礼が言えるし自分のことを振り返ってる」

「褒めても何も出ないよ」


 声が照れている。何だ、素直ないい奴じゃないかとようやく思えた。嫌われていないらしいことにもほっとする。

 まだ内に抱えているものがあるかもしれない、吐き出したい時に受け止めてくれる誰かが傍にいればいいのにと思う。しばらくカヴェにいるつもりだろうか、たまには食事にでも誘ってやるか。

いつになく先のことを考えてわくわくしている自分に苦笑するが、悪い気分ではなかった。


「……早く良くなるといいね」

「あんたも」

「僕はおまじないがあるからさ。あと……本当にね、剣は大切にしてあげて。すごくいい子だから」

「……もしかして、何か言われたのか」


 ひみつ。シャイネは笑って、頭まで毛布を被った。ゼロも再び横になる。

 商売女とも、ヴァルツとも違う気配が傍にある。手を伸ばしても届かない、けれど存在は伝わるところに。

 近くもなく遠くもない、その距離が今は心地良かった。

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