邂逅 (2)


「どういうこと」

『……何が』


 まだとぼけるつもりだ。まだ日は高いから、もう一度市を見て回りたい。靴紐を解くのが面倒で、床に腰を下ろした。


「人型、とか。そんなの、父さんの話には出てこなかったよ? 人型に出くわして、父さんが怪我をして、勝ち目がないって他の人たちが逃げ出したってこと?」

『違う』

「え、違うんだ……じゃあ何があったの」


 またしてもディーは黙った。こうなれば我慢比べだ、とことんつきあってやる、とシャイネも口を閉ざし、半刻ほど睨み合いを続けた後、ようやく静寂が破られた。


『……洞窟であんたらが話してたことは、あながち外れじゃない、みたいだ』

「何の話」

『半精霊がいるなら、ってやつ』

「半精霊がいるなら、半魔もいる? やっぱり人型がそうってこと?」


 だとすれば、半精霊と同じように、半魔も人に混じって暮らしている可能性があるということだ。魔物をべるということだ。


『オレだって、詳しいことは知らないしわからない。でも、あの時見た人型は、半魔って言っていい存在なんじゃないかって思う。魔物じゃないけど、ヒトでもないし精霊でもない。あんなの初めて見た』


 ディーら精霊にとって魔物は間接的な敵である。女神の創った世界を彩る精霊、壊す魔物。草の根を分けて魔物を狩り尽くすといった積極性はないが、目前の魔物には果敢に立ち向かい、助言をくれる。

 しかしかれの声音には、どこかしら人型に対する寛容さがあった。魔物でありながら特殊な存在なのだと、シャイネに知らしめるほどの猶予と判断を保留する慎重さがあった。

 だから、ぴんときた。父は魔物に、人型に傷つけられたのではない。では、誰が? ――その場にいた誰かだ。人間の、共に行動していた四人のうちの誰か、あるいは全員。

 身体が冷えて、総毛立った。失った熱が胸の奥でごうごうと音をたてて燃えている。飛び散る火の粉が瞬時に凍てつき、無数の棘となって苛んだ。


「父さんは……仲間にやられたんだね、ディー」

『……怒るな、落ち着け』

「怒ってなんかない」

『ばか、めちゃくちゃ怒ってるよ、それを怒ってるって言うんだよ!』


 怒ってなどいない。これが怒っているということなら、今まで怒っていると思っていたものは何だ。怒るというのは、もっともっと熱くて暴力的で、激しいものだ。こんな、凍えるほど鋭利な、言葉も浮かばぬような静寂ではない。きっと。


『オレはさあ、あんたが行くところへついてくけど、道中で怪我したり具合が悪くなったりっていうのは、ホント勘弁してほしいんだよ』

「ディー」

『見てるだけっての、けっこう来るもんだよ。オレたちは使われてこそ、なんだからさ』


 父スイレンとディーは言葉のやりとりを交わさずとも、深く結びついている。それだけ父がかれに愛着と誇りを持っていたということだ。強く繋がりあっていても、父は精霊を使えず、使役されなければディーは力をふるえない。目前で何が行われていようとも。

 使われてこそ。ディーの一言を胸に刻む。

 目にしたことを打ち明けずとも、精霊が主思いであることはシャイネもよく知っている。無力さを嘆く悲痛な声を聞くのは本意ではない。主を助けたいと言うかれらの気持ちを、無駄にしてはならない。


「……うん」

『ついでに、あのいけ好かねー男には気を許すなよ。何考えてるんだかちっともわかりゃしねえ』

「ゼロのこと? 気を許すも許さないも、これっきりじゃないか。バスカーの件が片づいたら、東へ向かうつもりだし……ゼロもマジェスタットに行くとか言ってたから方向は同じだけど、別に一緒に行かなきゃならない理由はないよ」


 どうだかねー、とディーは投げやりだ。ゼロのどこが気に入らないのだろう。変わったところはあるが、個性の域を出るものではない。腕は立つし、物知りだし、実用的な薬草の知識も持っている。取り立てて良くも悪くもないと思うのだが。

 それに、ゼロがわけありなのはさておき、ヴァルツが行動を共にしている事実が何よりの安心材料ではないか。


「……東へ行くのは反対しないんだ」

『しねーよ。オレだって、これでもめちゃくちゃ怒ってるんだからな』

「父さんは怒ってないのかな。だとしたら僕が怒るのは筋違いじゃない?」

『あんたの感情はあんたのもんだよ。誰が何を思おうとも』


 おや、と刺突剣を眺める。


「なんか、今日は優しいね」

『はあ? 気のせいだろ』


 憎まれ口を叩く刺突剣を再び腰に提げて、市に戻った。服をだめにしてしまったので、買い足さねばならない。

 宿屋街の市は行き交う旅人でごった返している。露店からよい匂いが漂っていた。

 地方から出てきた者だろうか、見慣れない衣服、刺繍の文様に目を奪われる。おずおずと周囲を見回しては、人波に乗れずにそこらじゅうをぶつける者を避けて通る。

人いきれに負けじと売り子が声を張り上げ、触れれば切れそうな値引き交渉があちこちで行われている。リンドの賑わいをはるかに上回る活気と人出に、胸が騒いだ。

 物流の拠点であるからか、物価は安い。古着屋でも、エージェルで見るよりも手頃な値がつけられていた。薄手の布地だったが、縫製はしっかりしているので驚く。粗悪品かと思ったのだ。

 思わずあれもこれもと手を伸ばしていたのを、店番の娘に笑われて我に返った。


「そんなに買ったら持ち運びに困るんじゃない? うちは助かるけど。カヴェははじめて?」

「うん。あんまり安いから、びっくりした」


 縮れ毛を色鮮やかな布で包んだ娘はシャイネをまじまじと見つめて笑った。えくぼができて、幼く見える。


「女の子だ」

「そうだよ。リンドから来たんだ」

「北の方ね。行ったことはないけど、寒いって話は聞くわ。どんなのを探してるの、これからこっちは暑くなるから、薄手のを重ね着するのがお勧めかな」


 シャイネの手にした長袖のシャツにベストや腰で絞る形のチュニックを合わせて、ね? と首を傾げる。小綺麗で、派手さはないのにきちんとして見える組み合わせに、唸るしかない。欲しい。


「外套もそれじゃ分厚すぎるし」

「……分厚いかな」


 娘は大きく頷き、渋い色の外套が並ぶ中から薄い砂色のものを選んでシャイネに押し当てた。


「ほら、こっちの方がずっといいわ。真夏にそんな分厚いのを着てるとゆだっちゃうわよ」

「ゆ、ゆだるほど暑くなるの?」

汗疹あせもとかできたら、悲惨よぉ」


 暑さの想像がつかないが、汗疹ができるほどには暑くなるということだろう。口車に乗せられている自覚はあったが、汗疹というのはいただけない。


「リンドに帰るときにまた寄ってくれれば、寒い地方向けのを見繕うし、心配しないで」


 ぐらり、と心が揺らいだ。

 シャイネの葛藤を察したか、店番の娘は嬉々として色や形の違う外套をいくつか選び出した。どれも目立った汚れや傷はなく、薄手で動きやすそうだ。その一枚を羽織って前を留めると、娘がはしゃいだ。


「すっごくいいわよ、それ。少年! って感じで」


 おだてには乗るまいと気を引き締めつつも、悪くはないと思う。何点か着比べ、鏡の前でくるくると向きを変えてみる。

 結局、今まで着ていたものを洗濯料を差し引いて下取りしてもらい、代わりに選んだ小麦色の外套を着て帰ることになった。薄手のシャツを二枚とベスト、チュニックも併せて買う。ひとつひとつは手頃でも、まとめて買うとそれなりの金額になった。


「旅をしてると、あんまりおしゃれもできないわよねぇ。そうして、男装してるなら特に」


 旅服の着替えを包みながら、娘がしみじみと言う。そうだね、と話を合わせながら、年頃の娘らしく着飾ることに興味を持てないでいることに気がついた。

 新しい服を買うのは心が浮き立つ。けれどそれは機能性や利便性を考えてのことで、装いを楽しむゆえではない。衣服はかさばるうえに消耗も激しいから、着替えとして持ち運べるのも数枚が限度で、頻繁に古着を買い足してきた。

どれも似た色、形で、どれをどう取り合わせても同じような見た目になる。それを残念に思ったことはないし、着道楽は旅暮らしとは縁遠い。

 それでも、ノールにいた頃の自分なら、旅人や狩人に憧れる前の自分なら、この古着を買い占めて、あれこれ着替えて楽しみたいと思ったのではないかと、詮無い「もしも」を考えてしまうのだった。

 仮に誰かが、この古着を全部買ってやろうと言ってくれたとしても丁重にお断りするだろうし、申し出てくれた御仁の真意を疑うだろう。着る、ということが最低限の欲であるのはどこか悲しく、同時に吹っ切れた自分の潔さが心地よくもある。

 一人旅は危険だ。女性ならばなおのこと。それならば誰か頼りにできる誰かと組んでの旅を選べばよい。半精霊であることは隠し通せないが、キムやフェニクス、ゼロのように気にしないと言ってくれる者もいるに違いない。半精霊がこの世に存在するということはすなわち、精霊を伴侶とした人間がいるのだから。女神教に深く関わる者でなければ、受け入れてもらえることもあるだろう。

 ――だから、シャイネ一人の問題なのだ。名も知らぬ誰かが精霊を、半精霊を忌避しているのではなくて、シャイネが皆を忌避しているのだ。

 そうと知ってなお、人を近づけたくないと思う自分がいる。キムの目に浮かんだ金茶の光を、忘れられないでいる。

 この店番の娘とて、シャイネが半精霊であることなど気づきもしないに違いない。目が光れば奇妙に思われるにせよ、こうして言葉を交わしているだけでは疑うこともないはずだ。

 半精霊や精霊は女神教にとっての異端であるが、こちらで人の姿を取れる精霊は王をはじめ力のあるごく一部だけだし、半精霊はさらに数が少ない。一生、半精霊とすれ違うことさえなく過ごす者がほとんどだろう。

 気にしすぎなのだ、と思う。もっと力を抜いて、自然に笑っていればいい。自らに言い聞かせては、考えることと実行することはまったく別なのだと思い知らされる。

 浮かない顔をしていたのか、店番の娘がかごの中の飾り紐をつまんで見せた。


「いま、こういうのが流行ってるのよ。おまけにつけておくね。願かけにも使えるし。願い事をしながら結んで、自然に切れたら叶うんですって」


 赤を基調にした飾り紐は地味な色合いの旅装をささやかに彩った。

 色糸を編んで皮紐と繋ぎ合わせたものだった。色鮮やかなものから、落ち着いた同系色のものまで、糸の色や編み方、長さも様々なものがある。

 傍らに素焼きや木製の飾り玉が入った小皿があるので、飾り紐と組み合わせて持つのだとわかった。


「腕輪にしたり、首飾りにしたり、長く作って垂らしたり、いろいろできるわよ」


 右手が疼いた。手先は器用な方で、飾り紐ならノールで飽きるほど作ったものだ。売り物でもあるし、手慰みでもあった。故郷を出てからは触る機会も減ったが、裁縫や刺繍も得意だ。


「作りたい」


 ぽろりとこぼれた一言に、娘が目を丸くした。


「えっ、作るの? なら、通りをまっすぐ行ったところに手芸屋さんがあるけど。旅人さんって、こういうことには興味ないんだと思ってた」

「余裕がないと無理だから、なかなかね。これ、ありがとう。大切にする」

「無事を祈ってるわ。また来てね。女の子の格好をするときも、いろいろ見繕うわよ」


 外まで見送りに来てくれた娘に手を振って、人の流れに紛れる。ひっそりとしたたたずまいの手芸屋は懐かしい匂いがして、色糸や飾り玉など、思った以上の買い物をしてしまったが、少しは気が紛れた。

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