邂逅

邂逅 (1)

 帳場で外出の旨を告げ、シャイネは街へ出た。

ゼロが、シャイネのことを――精霊のことを心から認めてくれていることは、ヴァルツのおまじないとともにずいぶん身体を軽くした。

彼に手傷を負わせた追っ手、本命君が人目のあるところで凶行に踏み切ることはなかろうという予想は、多分に期待と希望を含んだものだったが、反論されなかったし大丈夫だろうと思う。大丈夫でないとしても、心配しているばかりではどうしようもない。

 ゼロには申し訳ないが、宿に籠もりきりなんてごめんだった。バスカーの依頼のことはさておき、シャイネにはシャイネの目的がある。

 カヴェに三つある市のうち、南東の市は宿屋街に隣接し街道への門にも近いことから、旅の必需品などを商う店が多い。

西の市は港にあり、屋台に群がる漁師や水夫たち、カヴェの住人で賑わい、水揚げされたばかりの海産物をはじめ、生鮮食品などが安く手に入る。

 残るひとつは北東の市で、丘を登った先の高級住宅街の一角にある。遠路はるばる運ばれてきた珍しい品物のなかでも、貴金属、香辛料、紙や書物など、高価なものが扱われる。

 というのは改めて宿城の主人に挨拶をしたときに聞き知ったことだ。街が大きいと宿城も宿屋街も賑わい、あちこちから持ち込まれる依頼の整理、所属する組合での付き合い、街の警護を担当する青服たち、ひいては女神教神殿との折衝、それらに加えて有力商人たちのご機嫌伺いなどにも顔を出さねばならない主人は、たいそう忙しい人のようだった。

 いくら昼食後の一段落ついた時間を狙ったとはいえ、話を聞きたいと飛び込みで訪れたシャイネが彼を捕まえることができたのは、運が良かった。

 食堂の隅の卓で、シドウと名乗った宿城の主人と向かい合い、事情を話した。ディーはむっつりと黙っている。


「二十年ほど前にカヴェを拠点にしていた天雷のレンのことを知りたいんです。引退前の活動の様子だとか、組んでいた狩人のことだとか……何でもいいから、わかることがあれば教えてください。当時のことを知っていそうな人はいませんか」


 シドウは太い眉を跳ね上げた。父のことを知っているのか、と期待が首をもたげる。


「あんた、レンの身内かい。雰囲気が似てるけど」

「娘です。これは父の剣」


 え、の形に口を開いて目を丸くするシドウに、何とはなしに勝ち誇った気持ちになる。シドウも父と同年代、二つ名を聞いたことくらいはあるかもしれない。その頃から宿城を預かってはいないだろうが、父の噂に目を輝かせ、あるいは嫉妬に燃えていた可能性は十分にある。


『……あ、オレこいつ知ってた。レンさんの昔の連れだよ。雰囲気まったく変わってたからわかんなかったや』


 のんびりしたディーの口調に、今度はシャイネが驚く番だった。本当に、という言葉を何とか飲み込む。


「レンとは昔、組んでた時期があった。引退するかなり前、あいつが二十歳すぎくらいの頃だけど。組んでた期間はそれほど長くなくて……っていうのは、俺が宿城ここの娘と一緒になることになって、宿の業務の見習いを始めたからなんだけど。いや、俺のことはどうでもいいな。レンはどうしてる? っていうか娘? 娘ってことは、所帯を持ったってことか、あいつが? へええ、そりゃあ大した嫁さんをもらったんだろうなあ。いや、突然姿を消したから、みんな好き放題に噂してたんだ」

「元気ですよ。今はノールにいます。リンドのずっと北」

「いや、どこにいたっていいんだ。元気でやってるなら良かった。あの時、レンの連れだけが戻ってきて……」

「それ! それです! 詳しく聞かせてください」


 いきなり大当たりを引いたようだ。身を乗り出したシャイネに、落ち着けと手振りで示してから、シドウは当時のことを語ってくれた。

 スイレンは狩人らと組んでカヴェ近郊の魔物を狩っていた。カヴェを拠点とした頃には既に精霊封じの刺突剣を携えており、「天雷」の二つ名はすぐさまカヴェ中に知れ渡った。南は穀倉地帯の中心都市メリア、北はリンド近郊、東は大山脈「背骨」の麓までと、魔物を狩りつつの旅暮らしは広範囲にわたった。

 カヴェは大きな都市だからスイレンの他にもたくさんの狩人が拠点としていたが、得物が刺突剣であることと若年であることが彼を有名にしたようだった。スイレンを誘う狩人らの声は絶えることがなく、彼が不在の間、娘たちは贈り物だの恋文だのを競いあって宿に届けた。

 スイレンは気心の知れた仲間と旅を続けることを好んだが、シドウが宿城の修行のために抜けるとか、傷つき、あるいは道中帰らぬ人となった者の代わりだとかで、何度か組む相手を変えている。消息を絶つ直前には、男性ばかり五人で組んでいた。大型の魔物に仲間三人を殺された後に揃った面子で、それぞれに名を知られた実力者ばかりが集っていた。


「ハリスとウォーレン、デンジー、それからプラッツっていうんだけどな。その前から組んでいたハリス以外は、どれもレンと初めて組んだ連中だったよ」


 新たに人員を補充したスイレン一行は、くだんの大型の魔物を狩るために再度旅立った。大型の魔物を野放しにするわけにはいかないという狩人の義務感と、魔物を一体でも多く倒したいという勇敢さ、そして仇討ちのためだろうと誰もが考えていた。今度こそは凱旋だろうと。

 しかし、青ざめ、歯の根も合わぬほど震え、恐怖で人相を変えて戻ってきたのはスイレン以外の四人だった。


「奴らは、人型ヒトガタが出た、と言った。レンは人型にやられたんだって」

「人型……」


 本当にいたのだ、と驚きの呟きは違った意味に取られたらしい。シドウは興奮気味に、前のめりになっている。


「知らないか。魔物の型ってあるだろ、その、魚、虫、獣、鳥、植物のどれにもあてはまらない、というか、人そのものの姿をした魔物のことだよ。とんでもなく強くて、東の方じゃ一国の軍隊が人型一人に壊滅させられたとか、村ひとつをまるまる滅ぼしたとか、とんでもない噂が流れてくる」


 ゼロとそんな話をしたなと、洞窟で交わした言葉を懐かしく思い出す。まだ二日しか経っていないのに、はるか昔の出来事のようだった。


「誰もがレンの死を悲しんだが、ハリスたちが遺品を何も持ち帰らなかったことには非難の声があったし、もしかするとレンは死んでないんじゃ、なんて言う奴もいた。何があったのか詳しく話せと問い詰められても連中は黙ったままで、しかも傷が癒えるなり姿を消しちまったから、人型のことはさておき、みんなが何か怪しいぞって思うようになったわけだ」


 非難にも抗議にも反論せず、四人の男は無言のまま東門から街を去り、いつしか天雷のレンは野に果てたということになった。皆それぞれに仕事も職務もある。燻りを抱えつつも、彼らの後を追ってまで真相を暴こうとする者はいなかったのだ。


「そうですか……」


 闇の王である母が父を助けた、とシャイネは聞いている。理由はよく知らないが、思えばヴァルツがゼロを助けたことと共通している。精霊が積極的に人と関わるなんて、と思っていたが、その末に自分がいることをすっかり失念していた。


「その人たちは、まだ存命なんですか」

「きっとな。死んだって話は聞かないし、カヴェに戻ってきたってこともないようだから、よくわからんっていうのが本当のところだけど。……ん、てことは何だ、レンと連中は仲違いしたってことなのか? 人型が現れてハリス達だけが街に戻って、レンは死んだって広めた? 何でだ?」


 話が見えてくるに従って、シドウの理解も進んだらしい。確実なことはシャイネにはわからないが、ディーが不機嫌なまま黙りこくっていることを考えると、それほど見当違いというわけでもなさそうだ。

 シドウに告げていない事実が一つだけある。足の怪我のことだ。狩人を止めざるを得なかった傷が魔物によるものなら――ハリスたちは、父を見捨てて逃げたということになる。負傷した父を見捨てて逃げた負い目が、彼らに沈黙を強いたのだろう。


「さあ……父はその辺りのことを話してくれなくて、でも何があったのか知りたかったから、ここまで来たんです」

「そうか……そういうことなら、あんまり力になってやれないかもな。当時の帳簿類は全部、焼けてしまってさ」

「焼けた?」

「魔物が襲ってきたんだよ。鳥型のが、大量に。鳥型が人里を襲うことってあんまり聞かない話だし、何せ相手が鳥型だから手出しが難しくて、ほとんど一方的にやられてしまったんだ」


 ディーがこらえかねたように呻いた。きっと心当たりがあるのだ。後で問い詰めねばなるまい。

 魔物にも縄張り意識があるのか、鳥型の魔物は他の魔物と群れず、単独でいることが多い。そしてシドウが言うとおり、人里を襲うこともあまりないとされている。理由は当然ながら、誰も知らない。

 どれほどの手練れが集まっていようとも、魔物が空にいる限り、剣や槍は役に立たない。酸の唾や針の羽、急降下からの攻撃に防戦一方となるのが常だった。

旅慣れた者ならば投網や幾ばくかの飛び道具を携えているものだが、高みに逃げられてしまえばどうしようもない。鳥型の襲来にカヴェは騒然となり、魔物が火の玉を吐いたことで混乱は極まった。


「大砲を積んでる船もあるが、まさかそんなものを使うわけにもいかないし、手をこまねいてる間に宿屋街はほとんど焼けてな。街路が広いから他の地区への延焼はなかったが、復興にはかなりかかったな」

「それは……大変でしたね」


 魔物は宿屋街が灰になるのを見届けるとどこへともなく去ったという。初めから宿屋街の蹂躙が目的であると言わんばかりに統率がとれており、人々は助かったと胸をなで下ろすと同時に、不可解な鳥型の行動に首を傾げた。ハリスらと関わりがあるのでは、とこじつけに近い意見もあったという。


「けれど魔物の襲撃はその一回きりで、あとはいつも通りさ。神殿長……青服の頭が変わって、銃士隊なんて珍しいのを組織したが、今のところ出番はなくて、もっぱら近郊の魔物を相手にしてるばかりだな」

「銃……」


 リンドにいた頃、何度か見たことがあった。降雪がある北方では火薬が湿りがちで、あまり使いでがよくないのだと長い銃筒を見せびらかしながら狩人がぼやいていたのを覚えている。手入れや火薬の扱いが面倒ではあるが、銃のお陰で鳥型も恐れずに済むのだ、とも。

 青服が銃を持つ、ということに首筋が冷える。銃口が魔物に向けられているうちはよいが、精霊、半精霊が的にならない保証はどこにもないのだ。

 シドウは大きく息をついて、椅子の背に身体を預けた。


「俺が把握してるのはこのくらいだよ。うちの用心棒とか常連とか、当時のことを知ってる連中にも会ってみるかい」

「お使いの途中だから、また今度お願いしてもいいですか」


 恐らく、ゼロの言っていたのとそう変わらぬ顔ぶれだろう。彼らがシドウよりも事情通であるとは考えにくい。会う価値がないとまでは思わないが、それよりもディーを問い詰めるのが先だ。

 シドウに礼を言ってゼロのお使いを済ませ、洞窟へ潜った際に減った灯り油や酒を補充し、ランタンを買い直して宿に戻った。荷物を置いて、さて、と刺突剣を寝台に横たえる。

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