王の血族 (5)
ああでもないこうでもない、と仮定を転がしながら、ゼロは穏やかな遅い朝を無為に消費していた。
どこでどう食い違ってしまったのか、バスカーはゼロたちが洞窟の宝を盗む、という前提で追っ手を向けてくる。宝というのが金貨や宝石だったならまだしも、一見して価値のわからぬものなど換金の手数料もかかるし足もつく。そんな愚を犯すように思われたのなら、カヴェ一の豪商の目も大したことがない。あるいは、目に入るもの全てを疑っているのだろうか。ありそうな話だ。
変に策を労さずとも、座って待っていれば宝は手に入り、懐も痛まなかったのに、どうにも間の抜けた話だ。バスカーは念入りに、こちらの口を封じにきている。ゼロたちは宝の価値はもちろんのこと、それが何であるかさえわかっていないのだ。藪の蛇を突かぬように、平然としていればよかったものを。
しかし、ゼロがバスカーに雇われたから因縁のあるらしい本命君が出張ってきたのか、それとも偶然出くわしたのかというシャイネの言葉には、何となく引っかかるものを感じる。
かつての知り合いならば、ク・メルドルの者である可能性が高い。そして恐らくは剣で食べている。彼も騎士か。
そんな男がク・メルドルからは遠いカヴェで、大商人に雇われているというのはどうにもちぐはぐだった。滅びの生き残りなのだろうか。滅びの日のことを、何か知っているだろうか。
アーレクスと呼んだ自分のことを、どれだけ知っているのだろうか。
欠落した記憶を想うたびに感じる、途方もない虚無とひやりとした恐怖。それを、あの男は埋めることができるのだろうか。
彼は、ゼロの存在に驚かなかった。ゼロが生きていることを知っていたに違いない。問題は、それを彼がどうやって知ったかだ。
旅に出てからというもの、他の都市にまで名前が聞こえるほどの派手なことはしていないつもりだ。彼本人に会ったという可能性は捨てきれないが、あんな身のこなしの男は市井にそうそういるものではない。出会っていれば忘れはしないだろう。まさか、本命君こそが街を滅ぼした犯人か。
彼は喧嘩殺法や自己流ではない、きちんと型のある剣を使った。それは、男が師について剣を学んだことを意味する。
ゼロの剣もそうだ。どんな流儀なのか、誰に習ったのか、そういったことは一切覚えていないが、身体が覚えている動き一つ一つに無理がなく、体系づけられたものだということはわかる。
追撃を恐れすぎず、記憶を失くしたと打ち明けて、対話のきっかけとしたほうが実り多いのではないかとも思う。洞窟の宝やバスカーの目論見、ゼロ自身のことも直に聞けるかもしれない。
しかし、今はだめだ。相手の懐に入り込む決定的な一打を持っていないし、敵対したとしてシャイネと二人がかりでも勝てる気がしなかった。本命君が彼女の召喚方法を知れば、まず最初にシャイネの喉を潰すだろう。自分だってそうする。情けない話だが、精霊の助けなくしては勝てない。
無数の仮定、「たら」「れば」が浮かんでは消えてゆく。思考は川の流れのようにとりとめがない。痛み止めのせいで頭がぼんやりしているせいもある。
脚の傷は深い。太股をばっさりやられた。シャイネの手前、強がって見せたが、歩くことも難しい。筋肉が落ちるのも困るから、早いところ傷が塞がり、歩けるようになって欲しかった。幸いと言うべきか、恐ろしく鋭利な刃物で斬られた綺麗な傷だから、すぐくっつくだろうというのがヴァルツの見立てだ。
出口も結論も見えず、ぐるぐると巡るうち、やがて疑問と不審は苛立ちに変わった。が、この脚ではどこへも行けない。さらに鬱憤が溜まる。
「……ゼロ、いる?」
控えめに扉が叩かれ、シャイネが姿を見せた。両手に昼食の載った盆を一つずつ持っている。食堂で貰って、三階まで上がってきたのか。器用だな、とどうでもいいことに感心する。つまり、戸は叩いたのではなく蹴ったのだろうが、お行儀を咎める気はない。むしろ、即席の相棒が気の回る奴で良かった。
「どっちがいい?」
昼の定食は、蒸した白身魚に野菜の餡をかけたものか、下味をつけた牛の肉を炒めたもの、それぞれに小葱が浮いた透明な汁物と豆の煮込みの鉢、雑穀入りの飯がついている。
「牛の肉って珍しいな。じゃあ、そっち」
「そう言うと思った」
微かに口元を緩めたのは、笑ったらしかった。よく見れば渡された盆の方が明らかに飯の量が多い。驚くとともに、こそばゆい。めちゃくちゃ気が利く。これは何だ、悪いことを告げられる前触れか。
これまで寝ていたのだろうか、シャイネの顔色は幾分かましになっていた。肌は健康的に日に灼けているが、それでも青白い。金茶の眼だけが変わらず鮮やかに輝いていて、暗いところだけでなく、見慣れれば明るいところでも光っているように見えるのが不思議だった。
シャイネはあっという間に食事を終えてしまった。行儀が悪いわけではないが、何となく意外に思っていると、気まずそうにしている視線とぶつかった。
「ここに来る前はリンドの宿城を手伝ってたから。休憩時間とか、暇を見てかきこむから、ご飯食べるの早いの」
「へえ」
リンドというと、かなり北だ。一人でここまで下ってきたのだとすれば、なかなか根性がある。都会で一旗あげてやろうという様子ではないが、何故カヴェに来たのだろう。わけありだろうな、とは思うが。
「リンドは、どうだ? ここと全然違うか」
「違うね。リンドにも港があるけれど、こんなに大きな街じゃないし、バスカーみたいなのもいないし、のんびりしてるよ。冬が厳しいから、協力しないと生きていけないっていうのはあるかも。……でも、まだ来たばっかりだから、カヴェのことは印象でしかないんだけどね」
「暮らしにくいところではないな。大きな街だから、よほど選り好みしなきゃ仕事にあぶれることもないし、きつくてもいいなら港で日雇いの人足をすればいいし。活気がある裏返しで、忙しないって思うこともあるな。みんな早足だし早口だし。合う合わないはどこの街だってあるだろうけど、おれは結構気に入ってるよ。酒も飯も安くて旨い」
ふうん、と息を漏らしたシャイネは何事か考えているようだった。遠くを探っていた視線が、つと戻ってくる。
「……忘れたわけじゃないからね、おいしいご飯の話」
「ああ、そうだな。早くごたごたが解決するといいんだが」
「ほんとだよ……。あとね、別に急がないから、一世代上くらいの旅人とか、狩人とか、知ってる人がいれば紹介して欲しいんだけど」
一世代上、とはまた微妙な年代だ。四十に足を突っ込んで、引退した者が殆どではなかろうか。三十の坂を下れば、あちこちが無理を利かなくなる。それまで何をしていたかにもよるが、自らの腕を売るよりも、経験や知識を売るか、次の世代を育てることに重きが置かれる年代でもある。
宿城の用心棒と流しの詩人、それに女神教神殿の厩舎番が以前鳴らしていたと聞いたことがある気がする。口は大きい連中だが、はったりではなかろうし、紹介するくらいなら何でもない。
「いいけど……宿城の用心棒のランバートってのと、流しの詩人のインメルってのは宿城に行けば会えるはずだ」
「よかった、ありがとう」
明らかにほっとした様子のシャイネを見ていると、これがカヴェまでやってきた目的なのだと察せられた。まだ何もしていないにも関わらず、力になれて良かったと安堵する。
息をつくと、記憶を手繰り寄せるように洞窟で考えていたことが思い出された。
「そうだ、あんたさ、精霊を召ぶときに喉を使うだろ。喉が痛むのって、風邪の時と同じ痛みか?」
「え? うん、えーと……似た感じかな……何で?」
「喉に効く薬草の蜜漬けがあるから」
寝台の下からガラス瓶を取り出して、中身を少しだけ舐めさせてやった。半信半疑と書いてあったシャイネの顔がゆるゆるとほどけて、とても良いことをした気分になった。彼女が満足げにしていると、こちらまで満たされるのは何故だろう。
「甘くておいしい。これ、どうやって作るの」
蜂蜜と、花梨と、と中身を説明すると、どうしてかしょんぼりと薄い肩を落とす。
「蜂蜜って、すごく高いじゃない。それともこの辺りでは安いの? よく考えたらさ、瓶詰めを持ち歩くのって荷物になるし」
「しばらくいるつもりなら、必要になった時に分けるよ。どこかに落ち着いたらまとまった量を作ればいい。……北の方なら、蜂蜜は高いかもしれないけど」
「ゼロはさ」
床に足を組んで座ったシャイネはどこからどう見ても少年だった。それなのに胸の内を、ぽっかりと開いた虚空の縁を引っかかれる。
男性に欲情したことはないし、これは欲情とは違う。腹の底が切実にざわめくのは似ているが、もっと乾いて、身体ではないどこかが痛い。
「どうして僕にそんなに良くしてくれるの」
金色の光は心を震わせる深みがあって、何度見ても飽きることがない。ずっと見ていたいと思うのに、まるで考えを読んだかのごとき間合いで視線が僅かにずらされるのだった。
この眼が光を失い、何もない空を映すことだけは避けねばならない。守らねばならない。
――不意にこみ上げた義務感とも呼ぶべき感情に、戸惑う。
「……どうしてって」
どうして。どうしてだか知りたいのは、ゼロ自身だ。
他の誰も、ゼロほど半精霊に興味を抱いてはいない。精霊の眼を美しいと思うこともないのだろう。
それは女神教が精霊を異端と断じているからか。青服の連中だってきっと、半精霊などそうそう見たこともないだろうに。魔物とは違って、人を利する存在なのに。
こうして人と変わらず、食べて眠って、喜んで疑って、傷つければ血を流すというのに。
どうして。
「世話になったから……?」
シャイネが望む言葉ではないと知りながらも、答えた。
彼女はゼロを警戒している。ゼロだけではない、全ての人間を。敵意ではないが、必要以上に近づけまいとしているようだ。寄ってくるなという、強固な壁を感じる。
どうして。
知りたかった。半精霊のことを。シャイネのことを。傍らに置いて危険から遠ざけておきたかった。
どうしてそう思うのか、知りたかった。
理由のわからない執着など初めてだった。もしかすると過去に関わっていたのかもしれないが、それを知るすべはない。
「あんたがおれに食事を持ってきたことと、同じじゃないのか」
「……そうかもね」
シャイネは会話を打ち切るように立ち上がり、空いた食器を手早くまとめて出て行った。
そういえば、肩の傷は痛まないのだろうか。
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