王の血族 (3)
「じゃあ、ゼロは? どうだったの」
途端に渋い顔になるゼロは、察するに一筋縄ではいかなかったのだろう。先に飯食いに行こうぜ、などと先延ばしにしたがる。否やはなかったので顔を洗い、朝食を済ませてから、再びゼロの部屋の床に腰を下ろした。話が長いと言うから、手頃な大きさの薬缶に湯を沸かしてもらい、茶葉を放り込んで持ち込んだ。
「用意が良すぎるだろ」
頭を抱えるゼロは、よほど話したくないらしい。
「何にも聞き出せなかったとか」
「さすがにそれはない」
「じゃあ、何」
この期に及んで言い渋るとは、相当ではないか。急かさずに茶化さずにいたほうが話しやすかろうと、踏ん切りがつくまで待つ決心を固めたところで、何の前触れもなくゼロの隣に現れたヴァルツが花のような笑みを見せた。
「無様に負けたんだよ。なあゼロ」
「うわあああ言うなああああ! 無様とか言うなー!」
「えっ……でも、そんな腕の奴、いたっけ?」
「いなかったけど! おれの所にはおかわりが来たんだよ!」
勧めたお茶を一口飲んで、大きくため息をついてから、ゼロは話し始めた。
「残った四人はすぐ片付いた。本当になんであんな三下を雇うんだろうな、バスカーは……。まあともかく、聞くことを聞きだして、連中をどうしようか考えてるときに、もう一人いることに気づいたんだよ」
「一人? おかわりって、一人だけ?」
ゼロは黒い眼を剣呑に細めた。真冬の、月のない夜の色に似ている。星ばかりがぎらぎらと鮮烈に輝く空の色。
「一人だった。そいつも覆面をしてたけど、立ち姿だけで他の奴らとは違うってわかるくらいの奴だ。もしそいつがずっと隠れているつもりだったなら、たぶんおれは気づかなかったと思う」
つまり、追っ手はその存在を知らしめることなく、ゼロの息の根を止めることができた、というわけだ。
「なのに、生きて帰ってこれるなんてねえ」
ヴァルツがくすくすと笑っている。完全に状況を楽しんでいるようだ。もしかするとバスカーの思惑も何もかもお見通しなのではないか。
精霊はこちら側に対しては基本的に非干渉だ。母ヴィオラもそうで、仮にシャイネが生命の危機に陥ったとしても、請わねば助けに現れることはないだろう。そういうものだとわかっているから、見守るばかりのヴァルツを非情だとも思わないし、助けを求めようとも思わない。
ゼロがヴァルツから薬草の扱いを教わったというのは、特殊な事情があってのことだと想像はつくのだが、それが一体何なのかはまったくわからないのだった。
「見逃がしてもらえたの? ということは、ゼロがここに投宿してるって割れてる……んだよね?」
「そうなります」
ゼロは露骨に目を逸らしたが、許せる話ではなかった。ひとりではないことが強みだったはずなのに、何人集まっても一箇所にいれば意味がないではないか。
「ばっかじゃないの、何でそんなところに僕を呼ぶわけ! それより! ちゃんと順を追って話して! その人と話したんでしょ、何があってそうなったの!」
黒い胸倉を掴んで揺さぶると、ヴァルツの手が間に入ってシャイネを止めた。
「これでも、一応怪我人だから。手加減してやってくれ」
「え……」
指を解くと、くしゃくしゃになった襟元から包帯が見えた。額や頬には見覚えのない切り傷がある。あまりに細い傷なのでよくわからなかったが、治りかけているから細いのではなく、鋭利な刃物で傷つけられたがゆえだと直感した。追っ手にやられた、のだろうか。
「大丈夫? ごめんね、僕けっこう力任せに……」
「いいよ、もう塞がってるから」
襟を正したゼロは、薬缶からじゃぶじゃぶと茶を注いで飲み干した。他にも傷があるのかもしれないが、訊いても嫌がられるだけだろう。見せろと言ったところで、何ができるわけでもない。
「そいつは……戦い慣れてた。剣の腕とか身のこなしだけなら、おれだって引けを取らないと思うんだが、人を斬ることを躊躇わないだろうって気迫があった。いや、躊躇わないんじゃないな、人も魔物もみんな等しく斬るだろう、ってことだ」
手の中で空の湯呑みを転がしながら、ゼロは訥々と話す。床に落ちた視線の先は、あの夜の森だ。
人を斬ることに躊躇いを感じない、ということと、人も魔物も等しく斬るということの差異に思いを馳せながら、シャイネは器用に閃く彼の手指を見つめる。
「その男は、『例のものを置いて立ち去れば、見逃してやる』って言った」
「例のもの?」
六人の男たちといい、その男といい、どうしてシャイネたちが洞窟で手に入れた何かを持っているという前提で話を進めるのだろう。
「洞窟には金目のものは何もなかったよ。あの石が……気持ち悪かったし光ったし、曰くありげではあるけど……単なる石ころを、カヴェを牛耳る商人が欲しがるかな」
「そう思うだろ。で、何のことだかわからない、例のものって何だって訊いたら、そいつは」
ゼロは大きく息をついて、どこか遠くを見た。
「とぼけるな、アーレクス。まだ懲りないのか――と」
「アーレクス?」
「たぶんきっと、おれのことだ」
俯いて黙ってしまったゼロに代わり、説明を求めてヴァルツを見上げる。森の王は輝く翠の眼を細め、首を傾げた。
「私がいると話しにくいかな。ではシャイネ、ひとつだけ。ここから先、ゼロの話はもしかすると重すぎるかもしれない。だから、望まないならばそう言ってほしい。今の言葉は聞かなかったことにして、先を考えればいい。……でも、きみが少しだけ荷物を背負ってやろうと親切の手を差し出してくれるなら、話を聞いてやってほしい。強制はしない」
「……どういうこと?」
答えはなかった。ヴァルツは目を伏せてシャイネの肩を叩くや姿を消した。ゼロは俯いたまま、表情も感情も、前髪に覆われて見えない。
「それは、僕が聞いていいことなの? 僕がゼロの助けになるかどうかわかんないのに」
「力になれるかどうかなんて期待してない。ただ聞いてくれればいい。吹聴しないでくれるなら、それでいいんだ。あんただって何かしら背負ってるだろ、半精霊であることとか、ひとりでここまで来た理由とか」
でも僕は、あんたに何も話していないのに。言いかけて、飲み込む。言わないのは、ゼロに身の上を語り、カヴェまでやって来た顛末を述べたところで、解決には結びつかないからだ。旅人が詮索を嫌うのはそれぞれの由来を語り合ったところで、上辺の同情と詮無い相槌に終始するからで、背景を共有したとしても、根本的には何も変わらない。
話を聞くだけでいい、それほどまでに思い詰めているのなら、シャイネにもできることはあるかもしれない。ただ黙ってそこにいる、という。
「……いいよ。じゃあ、聞く」
ゼロはそれぞれの湯呑みに茶を注いだ。
「ク・メルドルを知っているか。突然、一晩で滅んだっていう」
「うん、知ってる。あの時は大騒ぎだったけど」
大陸の南西部に位置するク・メルドルは、当時シャイネが生活していたリンドからは地の果てと同じくらい遠い。旅人だったか商人だったかが持ち込んだその話で大騒ぎになり、誰がどうやってやったのか、理由は、などと憶測が飛び交ったものの、あまりに遠いため、誰も彼も現実の出来事とはとらえられずにいたのだった。
情報はリンドに届くまでに鮮度を失う。シャイネがク・メルドルの話を聞いたのは秋口だが、実際に街が滅んだのは夏にならない頃だという。
真相が知れぬまま、街の噂よりも「滅びの都」という不吉な言葉が囁かれるようになった。次はどこだ? どうやって滅びる?
しかしリンドでは、はるか遠い都のことや、街が廃墟と化し、人も家畜も一夜にして死に絶える怪現象よりも、すぐそこに迫った冬をいかに過ごすかということの方が重要かつ切実で、噂は下火になり、やがて寒風と雪に取って代わられた。
一冬を越えると、新しい話題が街を沸かせ、ク・メルドルはひっそりと忘れ去られていった。
「……おれは、その生き残りかもしれないんだ」
「かもしれない?」
ゼロは低い声でぼそぼそと喋る。いつもの、自信にあふれた姿はどこへいってしまったのだろう。大して親密でもないシャイネに、こんなに弱みを見せて、平気なのだろうか。
もちろん、平気なはずがない。己よりも年少で経験も浅いシャイネに吐き出さねばならないこと、奥深くに秘めた扉の中を晒さねばならないこと。自尊心も傷つくだろうし、痛みもするだろう。語らない、あるいは適当に継ぎを当ててごまかすという選択肢もあるのに、ゼロは楽を拒絶した。
決断の重みがわかるだけに、戸惑う。自分は彼の信用に値するだろうか。同等の信頼を彼に抱いているだろうか。
「覚えていないんだ。ク・メルドルが滅んだ夜に、おれは瀕死の傷を負って倒れていた。それを助けてくれたのが、ヴァルツだ。傷の手当てをして、水を飲ませ、食べ物を与えて、おれを生かした。でも、おれはそれまでのことを何も覚えていなくて……身元の手がかりになりそうなものは、この剣だけだ」
精霊封じの長剣。精緻な装飾が施された、しかし実用の域を逸脱するものではない、美との極限の均衡。精霊封じの技法は大陸東岸、マジェスタットの鍛冶屋にしか伝わっていない。そこを当たれば身元がわかるだろう、というのは頷ける。
風に首を傾げてみせるが、すべて見ていたはずの彼女はかたくなに沈黙を守った。
「騎士だったと思うんだ。規律だとか剣舞の型だとか、身体が覚えてることはたくさんある。これがク・メルドル騎士団の剣だってこともわかってる。……でも、何もかも全部が失われたってのに、おれだけが生きてるってのはどう考えたっておかしい。きっとおれが、街を滅ぼしたんだ。それが一番無理がない考え方だと思う」
「そんな……そんなことできっこないよ! 精霊にだって無理だよ、一晩で大きな街を破壊しつくすなんて……」
「ヴァルツもそう言った」
やんわりとシャイネを制し、ゼロは続けた。冬空の眼はいつしか虚空だった。何も見ていなかった。見るべきものを見つけられないのだ、彼は。
「方法とか理由は何も覚えてないけど、自分の住んでた街をめちゃくちゃに壊しつくして、何の罪もない他の人まで殺してしまうなんて、そんな記憶は戻らなくてもいい。そう思ったから、マジェスタットへの旅費を貯めるなんてもっともらしい口実をつけて、ここでのんびりしてたんだ。薬草を商って、施療院を手伝って、たまに魔物を狩って、贅沢しなきゃ十分生きていける。何ならこのまま、ここで死んだっていいって思ってた。それなのに」
とぼけるな、アーレクス。まだ懲りないのか。
追っ手の男はそう言った。ゼロの過去を知っているからこその言葉だし、名を知っていて呼びつけ、「まだ懲りないのか」と一度は何かを経験し、今なお同じ状況にあることを示唆したのだから、そう遠くない関係なのではないか。
ゼロは怯えている。失われた記憶を拒んだ彼が、過去を知り、眼前に突きつける者と相対するのはさぞ苦しかったことだろう。寄る辺のなさが、手放したものの大きさが、容赦なく責め苛むのに必死で抗っただろう。
「おれは、何も答えられなかった。そいつの言うことは一つも理解できなかったから。黙ってたら斬りかかってきたから、応戦した」
男の剣は真っ黒に塗られた長剣だったという。黒塗りの剣は光の反射を防ぐためで、剣をまっとうな用途に使っているなら黒く塗る必要はない。
「ほ……本職の、暗殺者?」
「かもしれない。そういう奴らは短い剣を使うものだと思ってたけどな。黒い長剣なんて初めてだ。それと、何て言うか……あんまり嗅いだことのない匂いがしたんだ。香水じゃないだろうし……薬でもないし」
「またくんくんしたの」
「してねえって。そんな余裕あるかよ、たまたま風がこっち向きだったんだよ」
押されながらも、ゼロは退かなかった。狙われている以上、逃げ出すのは下策だ。ねぐらを知られてはゆっくり眠ることさえできなくなる。
「いや、あの時おれら格好つけすぎて、待ち合わせの場所を決めてなかっただろ。おれ、あんたがどこに泊まってるかも知らなかったし、警告のしようもなくてさ。結構必死だったんだけど、ある程度斬り結んだら、何も言わずに消えた。どこへ行ったのかはわからないけど、一応こうして何とか帰ってこれたし、あんたを呼び寄せることもできたわけで。これから頑張ろうぜ」
真面目な話だったのが、いつしか浮ついている。ゼロの気分がそうなのだとしたら、無理に重苦しく構えることはないのかもしれない。緊張を解くと、ふとよい案が浮かんだ。
「……あのさ、『例のもの』を渡せば見逃してくれるって、言ったんだよね」
くっきりとした二重の目が瞬く。次いで、眉が吊り上がった。
「バッカ、おまえな、それは情けないだろ! もうちょっと気概というか意地というか、あるだろうが!」
「ないよ」
「売られた喧嘩だぞ」
「ゼロがかなわないってのに、僕がどうこうできるわけないじゃないか。だいたいさ、『例のもの』って何なの。本当にあの石? 他に何か、一目でお宝ってわかるものがあったなんて言わないよね」
あの石。ゼロが手持無沙汰でぶらついていたから偶然目に留まったものの、何事もなければ恐らく見落としていた。
「あれとかそれとかじゃなくて、ちゃんと確認してほしいよね。ところで、あの石はどうしたの。どうするつもりなの」
「まだ持ってる。バスカーがあれを狙ってるんなら、ふっかけてやるのもいいかもな。どうせ終了報告に行くわけだし」
途端に現実的な算段を講じるゼロに呆れるが、思いつめた表情も苦しい思いも、しないに越したことはない。先送りにすぎないのだとしても、目前の危機を回避することを優先すべきで、頭を働かせるより身体を動かした方がよい方向に転がることだってある。失った記憶を取り戻すか取り戻さないか、そんな割り切りの良い二択ではないだろうから、気持ちの余裕がある時に問題に寄り添えばよいのだ。
「バスカーに渡すんなら、その人に渡しちゃってもいいじゃないか。穏便に解決しようよ」
それとこれとは別だ、とぶつぶつ言っていたゼロは、つとシャイネを見つめた。
「例えば、あんたがとっ捕まって、あんたの命と引き換えだ! とか言われてからなら、素直に石を渡してもおれの面子は保たれるよな」
「動機が最低だし、面子とかどうでもいいし、もし『例のもの』が石じゃなかったら、僕殺されちゃう流れだよね」
「それは困った」
「棒読みだけど」
ふん、と鼻を鳴らしたゼロは、もういつもと同じように見えた。寝台にもたれたままあまり動かないのは、傷と疲れのせいなのかもしれない。
それにしても、とゼロが座ったまま首を傾げる。
「バスカーが全員を雇ったってことか」
「僕たちが洞窟に行くことを知ってるのは、バスカーだけだよ。でも……」
「おれたちと、追っ手六人とさらに本命君一人を雇うことに意味があるのか、ってことだよな。効率だけの話なら、本命君だけを雇って、欲しいものを取ってきてもらえばいいのに」
本命君とはずいぶんだが、語呂がいいので反論しないでおく。そうだよねえ、と頷いて、胸を過ぎったかすかな違和感を掴もうと、しばし黙る。
「本命君はさ、ゼロだから追いかけてきたのかな。それとも、ゼロがいたのは偶然?」
バスカーとの関係はさておき、本命君がゼロを追ってあの場にいたのなら、因縁は相当深いと見ていいだろう。それとも、本命君がバスカーに雇われて待ち伏せていたら、洞窟から現れたのが偶然ゼロだったのか。
いくつも重なる偶然は、偶然ではない。
「さあな。どっちにせよ、おれたちはあんまり安全じゃないわけだ。今夜を無事に乗り切ったら、明日バスカーのところに行ってこいよ。意外に歓迎されるかもしれんぞ」
「ゼロは? 僕一人であの石を持ってバスカーの所に行くなんて、絶対嫌だからね」
なぜシャイネだけが報告に行く流れになっているのだ。一緒に依頼を受けようと言い出したのはそっちじゃないかと非難を込めて睨むと、ゼロは傷の浮いた頬を歪めた。
「脚をやられた。あまり出歩きたくない」
「じゃあ治るまで待つ。一人で行きたくない」
「何で。長引くと厄介じゃないか」
何でって。依頼を受けにバスカーの邸宅を訪れたときのことを思い出して、震える。
値踏みしているのを隠そうともしない視線は全身を粘着質に這い回り、自分は依頼を受ける旅人ではなく単なるモノ、商品のひとつにすぎないのだと思い知らされた。
胸に巻いた晒し布も、古着を買い揃えた旅装も、短く切った髪も、バスカーの前では何の意味も持たない。丸裸に剥かれて立たされているような心細さで、少しでも早く面会を終えて帰りたいとそわそわしていたのに、ゼロは何も感じなかったのだろうか。
行きたくないところへ、あの不気味な石を持って行かねばならない。全部の面倒を背負うなんて、耐えられなかった。
鳥肌の浮いた腕をさすっていると、ゼロがうっすら笑った。
「つまり、おれと一緒がいいと」
「誰もそんなこと言ってない」
冗談にしても笑えない。何でそうなるんだ。彼への苛立ちをうやむやにするために、冷めた茶を呷る。うまく丸め込まれた気もするが、考えようによっては、一所にいた方が守りやすく攻めに転じやすいのも確かだった。
話が一段落つくと、ゼロは話し疲れた、と息をついた。どことなく血色が悪いので、寝台へ引っ張り上げてちゃんと寝るよう言いつけ、部屋を後にした。
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