重なる偶然 (3)

 こちらを見上げる眼が、ランタンの光を弾いて煌めいていたからか。それとも、剥き出しの肩があまりにも薄くて、やはり女なのだと思い知らされたからか。


「ありがと」


 動揺を覚えた自分自身に動揺して、掠れた声に気の利いた言葉を返すことはできなかった。

 シャインが壁に寄り掛かって身体を引きずりながら荷物を持ってきて、着替えはじめる。服を脱がそうとした時にはさんざん抵抗したくせに、今はもう隠そうともしない。じろじろ眺めるのも不躾だし、かといって露骨に視線を逸らすのも不自然で、目のやり場に困った。物言わぬ魔物の屍の観察くらいしかすることがない。

 怪我と失血、何よりも疲労のためだろう、シャインの動きは鈍い。やっとのことで上衣を着終える頃には、魔物の崩壊が始まっていた。


「腕、吊ってやろうか」


 返事を待たずに大判の布を三角形に折り、左腕を通して傷に障らぬよう結ぶ。腕の重みがないだけでも、かなり楽になるはずだ。

金茶に輝く眼が、多大な関心と少しばかりの尊敬を湛えているのに、ここにはいないヴァルツに感謝する。薬草の使い方、手当ての術、何もかも彼女が教えてくれた。カヴェの施療院の院長にも手際と知識を褒められたことがあるから、きっと誇っていい技能だろう。

 実際、剣を使うよりも感謝される機会は多い。剣を生業としてきたのだろう身としては複雑だが、悪い気はしなかった。


「剣を使うだけじゃないって、すごいね」

「あんただって、剣と精霊を使うだろ。これは誰にでもできるけど、精霊をぶのは誰にでもできることじゃない」


 そうだけど、とシャインは口の中でもごもご呟き、黙ってしまった。

半精霊という素性を隠して単独で北からやって来たというから、それなりの経験は積んでいるだろうし、その分だけ苦労も鬱屈もあったことだろう。しかし、魔物を前にしたときの判断は的確で、ゼロが前に立った利点を最大限に活かす動きをしたし、大型の魔物と向き合っても冷静だった。若いが、見かけほど頼りないわけではない。

 金茶の眼が虚ろになってきたので、痛み止めを飲ませてやった。カヴェに戻るくらいまでは効き目が続くだろう。帰ったら一度包帯を替えて、その後は施療院にかかればいい。


「甘い……」

「砂糖に漬けてあるからな」


 毛布代わりに上着を放り投げると、素直に包まって丸くなる。負傷した左肩を庇って右向きで寝るのではなく、荷物を抱くようにして座ったままなのは賢明な判断だった。利き腕を痺れさせては、不測の事態に対応できない。


「剣の手入れをするまでだからな。終わったら叩き起こすぞ」


 答えはむにゃむにゃだった。

怒るつもりはない、シャインはよく働いた。声もすっかり嗄れてしまっている。どのくらいで回復するのだろう、今度、喉に効くやつを調合してやろう。そこまで考え、ゼロは自分自身にまたも驚いた。――今度って、いつだ?

 今度などない。街へ戻り、依頼主のダム・バスカーのところへ怒鳴り込んで終了報告をし、報酬を頂戴すればそれで終わりだ。ゼロにもシャインにもそれぞれの生活がある。

 気を取り直して、汚れた剣の手入れに取りかかった。魔物の血を洗い流し、汚れを拭き取りながら、刺突剣を掲げて眺める。

柄はぐるりと手の甲を覆う形で先端は尖っており、接近しすぎた時はこちらでぶん殴るわけだ、と容易に想像できる形状だった。ゼロには使えないが、こうして持っているだけで重心があるべきところに落ち着いた良い剣であることがわかった。封じられている精霊が何なのか、黄色がかった輝きを放っている。

 ディー、とシャインは呼んでいた。親しげに、まるで友人にするように。お願い、と叫んだのに剣は応じた。これまでにも何度も相棒を救ったのだろう。半精霊の一人旅に同道しているのであれば、友も同然、あるいはそれ以上に親しく頼もしい存在なのだとしても不思議ではなかった。ゼロとて、ヴァルツには感謝しきれぬほど助けられている。

 それを思えば、宿城で出会った時、剣に名前をつけていないことでシャインが憤慨したのも、別段奇妙ではない。彼――彼女にとっては、精霊は親しむべき存在なのだろう。

 手入れを終え、鞘に戻して眠るシャインの隣に置いた。さて、と自分の長剣を清め始める。

 彼女の言い分はわかる。だが、剣は剣だ。精霊が宿ろうが愛着を抱こうが、殺傷するための道具であり、護るための手段である。それ以上でも、以下でもない。愛玩動物のように名をつけようとは、ゼロには思えなかった。

(それとも、あんたは名前を欲しいと思っているのか? 昔のおれは、あんたを呼んでいたのか)

 青白く輝く剣は、何も答えない。精霊の声は届かない。もしも精霊の声が聞こえたなら、考えは変わるだろうか。

 ――意味のない問いだ、そんなことはありえない。

 剣を収めて空になった水筒を雑嚢に戻し、息をつく。立てた膝に顔を埋めたシャインの背が規則正しく上下しているのを目の端で確認した。

 こんなはずじゃなかった、と苦いものが過ぎる。後悔か、苛立ちか。ダム・バスカーの悪名を思えば、こうして不平不満を吐き出せることはとんでもない僥倖かもしれない。

 彼は洞窟の元々の用途を知っていたことだろう。用途を知っていれば構造も知っているはずで、だというのにそれを伝えなかったのは向こうの非だ。いくら破格の報酬であったとしても、報酬からそれを推測しろというのは無茶だ。

 そもそも魔物狩りを依頼しておいて、正確な情報を寄越さないとはどういうことだ。苛立ちは怒りへと変わる。バスカーは魔物の巣を潰したいのか、潰したくないのか。意味がわからない。

 シャインが半精霊でなければ、死んでいた。

 大型の魔物を貫いた石柱を思い出す。多数の魔物を焼き払った火球、撫で斬った風の刃。ほんの一言ほどの指示、あるいは「お願い」とたったそれだけなのに、精霊たちはゼロを傷つけることなく、魔物だけを正確にほふった。なるほど、女神教が放っておかないわけだ。青服たちにとって、半精霊は立場を揺るがす強力な敵となりえる。

 そういえばまだ本名を聞いていない。シャイン、は男子名だ。

 女性の旅人が自衛のために男装するのは珍しくない。世話になっている薬草店でも、カヴェの宿屋街でもしばしば見かける。共に依頼を受けたこともあった。

 ただ、彼女のように本格的に、口調や仕草、名前までも偽ることはそう多くはない。遠目に女性だとわからなければいいのであり、行動を共にする相手にまで伏せておくべきことではないからだ。

 もしかして信用されていないのか。それをシャインの自惚れや思い上がりだと断じるほど、彼女を軽んじているわけではなかった。

 宿城で手荒な真似をしたこともあるだろう。信用がないのはお互い様だが、少なくとも彼女はここまでの道程においてゼロの不利益になることは何一つしなかったし、仕事の依頼という契約を挟んでいる限りは頼れる相棒だ。だからこそ手持ちの薬草を使ったのだ。

 カヴェへ戻ってからの手当てでも命に別状はないだろうが、かなり重症化していることだろう。それを良しとせず、薬草と手当てを惜しいと思わないほどの相手であることは確かだった。つまるところ、シャインに興味を抱いている。好奇心、というべきか。

 彼女と組めば、マジェスタットへの旅の困難が軽減されることは間違いない。特に大山脈「背骨」越えは準備と装備を入念にせねばならないし、山越えの旅程は予測がつかない。精霊を使役するわざはきっとゼロを助けるだろうし、薬草の知識はシャインの助けとなるだろう。

 何なら、その後も組んで狩人としてやっていけるかもしれない。魔物を狩り、人々に感謝され、二つ名で噂され、尊敬と憧憬を浴びて。

 ――だが、それに何の意味があるというのだ。

 マジェスタットへ行くことも、昔の記憶を取り戻すこともどうでもいい。ゼロ・アレックスとしての人生はまだほんの数年だが、ク・メルドルの名が人々の口に上ることは殆どなくなった。滅びの原因も手段も不明のまま、見たくないものに覆いをするように、人々は次から次へと新たな噂を囀り、惨劇を忘れ去ろうとしている。そんな中で、もしかすると滅びを招いた張本人であるかもしれない過去を明らかにするのは恐ろしいの一言に尽きた。

 失った記憶などもう戻らなくていい。ゼロ・アレックスとして生きていけばいい。一度そう考えてしまうと足は鈍り、カヴェの活気と暮らしやすさが意志を削いだ。ヴァルツが先を急かすこともない。

 記憶を取り戻す動機や、先の目的があればあるいは、とも思うが、記憶をなくし、寄る辺もなく、生きる目的さえ不確かな中で、選択の基準や規範など持ちようがなかった。

 どうしたらこのうつろな部分が埋まるのだろうか。寒さを感じることがなくなるのだろうか。酒も博打も商売女も、空虚を満たすことはできなかった。

 では、この半精霊なら?

 魔が差したのかもしれない。眠るシャインの後ろ髪に手を伸ばす。癖のない金糸は汗と埃、魔物の返り血でごわついている。彼女が身じろぎすると、この前と同じ香りがした。

(止めろと言ったのに)

 石鹸の香り。花の匂いがする。

 色街の女とは比べるべくもない、肉づきの薄い身体はちっとも好みではないが、どんな声で求め、乞い、喘ぎ泣くのかと考えると、腹の底の嗜虐心が首をもたげる。精霊を召ぶあの声で「お願い」されたなら、おれは。

 ぐしゃり、と水音がした。顔を上げると、ぽかりと黒い魔物の眼窩と目が合った。興を削がれて、手を引っ込める。

 こちら側に毒血が流れてこないことを確かめるべく、血溜まりの周囲を歩くうち、洞窟の一番奥、行き止まりの壁に目が止まった。石が埋まっている。

 地肌が剥き出しになっている洞窟内において、石だけならば珍しくも何ともない。その石が特に目を引いたのは、滑らかな卵形をしていたからだった。石であることを除けば、大きさも見た目も鶏の卵にそっくりだった。

 河原や海辺など、水に洗われるところであれば石の角が取れることもあるだろうが、丘陵地を掘り抜いた洞窟で見られるものではない。現に、そこいらに転がっているものは何の変哲もない石ころだ。加工された石がこんなところに埋まっている、すなわち何らかの理由がある。

 膝を折って、石に視線の高さを合わせる。周囲は乾いた土で、何か固いものがあれば掘り出すことができそうだった。

 腰に手をやって、ナイフを鞘ごと引き抜く。吸い寄せられるように壁に手をついた。

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