出会い (2)
ゼロは港町カヴェに腰を据えた。宿屋街の外れにある長期滞在者向けの宿を
ヴァルツの指導のもと、街の外で薬草を摘み、他にも茸や薬効のある蛇や蜥蜴、獣の肝や生血を集めては街の薬草店に売って生活の基盤を整えた。宿城に顔を出して、条件の良い魔物狩りの依頼を受けることもあった。
ヴァルツは直接金銭を寄越すことはないが、薬草やそれを用いた手当、毒劇物の管理、食用となる野草、各地の植生と特徴などの知識は惜しげもなく与えてくれた。乞えば与えられる膨大な知識を、ゼロは喜びとともに吸収した。
知らなかったことを知るのは嬉しい。しかも実用的、実際的で金になるときている。剣は半年ほどで手元に戻ってきた。
何かと面倒なので単独行動が常だったが、必要があれば群れた。旅人や狩人は極端な性格であったり、何かと尖っていたりすることも多く、互いの素性を詮索しないのは最低限の決まりであり、無用な諍いを避けるための知恵でもあった。それでも、多少なりとも世間話はする。
「最近どうだい」といった定型句から、思わぬ情報が手に入ることもあったし、旅人としての振舞いを身につけることはマジェスタットまで旅をするために欠かせない。出身や経歴に関する話題は慎重に避け、ゼロは着々と新たな情報を蓄えた。
一年もすると、馴染みの薬草店と契約して、その時々に必要な薬草を各地へ集めに出るようになった。春はのぼせ、夏は食
薬草店を通じて、いくらか顔も広まった。元傭兵、元狩人という面々と酒を酌み交わすこともあり、誇張混じりの武勇伝を聞くのは退屈ではあったが、それはつまり平穏の証だ。昔はこんなだった。俺もまあそこそこのもんだが、さらに凄い奴もいた。酒杯を傾けつつ、うんうんとゼロは相槌を打つ。
ク・メルドル滅亡に関する噂話もいくらか耳に入ってきていた。国内の様子、街の様子、王宮と騎士団、教会の確執。何を聞いても記憶が戻ることはなく、そうなのかと平坦な感想が過ぎるのみだった。
カヴェに来てもうすぐ二年というある日、ヴァルツがふと窓の外を見た。
「……珍しい」
「どうした」
ヴァルツは北を見て、薄暗い部屋で輝く翠の眼を細める。この精霊はかつての言葉を違えず、ゼロと行動を共にしていた。
一体どこへ出かけているのか、普段は姿を消しているのだが、ゼロが宿に戻ると姿を現して、何のかんのと他愛もない話をする。一人になりたいときは決して現れず、少し話したいと思って呼べばすぐに現れる。それを厭っているわけでもなさそうで、不思議な距離感だった。
「半精霊だ。闇の子が来る」
「それが、どうかしたのか」
「別に、どうもしない。珍しいなと思っただけだ」
言いつつ、ヴァルツは嬉しそうににこにこしている。彼女(であるとヴァルツが言った)も形だけとはいえ人里で暮らすようになって、多少は人間のことがわかってきたらしい。前よりもずっと表情が豊かになった。
人間離れしたその容貌が印象を残すのが嫌で、滅多に連れ立って歩くことはない。もっと目立たない姿にはなれないのかと尋ねたところ、何故わざわざ美しくない姿を選ばねばならないのかと問い返され、黙るしかなかった。審美眼は確かなようだ、と前向きに考える。
「……半精霊」
呟く。何か引っかかるような気もしたが、掴み取ることはできなかった。三階の窓辺から楽しげに街を見下ろすヴァルツを置いて、ゼロは街に出る。乾燥させて粉に挽き、混ぜ合わせた薬の納品のためだ。
世話好きの婆さんが店番をしている薬草店がゼロの行きつけだった。よしみで、と譲り受けた薬用植物の便覧が意外に役立っていることもある。
便覧は鈍器と呼んで差し支えない重みがあり、かさばるが、完全に覚え込むまで捨てるつもりはなかった。いざとなれば枕にもなる。
「毎度どうも。あんたの持ってくるのは質がいいね」
そりゃあ、師匠が師匠だから。曖昧に笑っておく。勝手に合点したらしい婆さんは目を細めて包み紙の中の薬を検め、秤に乗せる。ひい、ふうと指折り数えて、銀貨を机の上に置いた。
「またよろしく」
「こっちこそ」
金を受け取り、港の屋台で食事を済ませた。白身魚にたれを塗りながら炙り焼いて麦飯に乗せたもので、甘辛いたれが淡白な白身魚に絡んで香ばしく、いくらでも飯が食える。この上なく美味い、とヴァルツに勧めると、野菜を食えと一蹴された。わかりあえない。
午後からは身体が空いている。港でぼんやりするか、それとも古書店でも廻るか。とりあえず、と身体に染み着いた動きで宿城に向かう。カヴェで暮らすうち、まめに仕事依頼の掲示板を見るようになっていた。宿城の主人とも、すっかり馴染みだ。
「いらっしゃい」
昼の忙しさが一段落つき、食堂にはまばらに人が残るのみだ。主人は帳場で金を数えていたが、ゼロの姿を認めると引き出しに鍵をかけ、やってきた。一枚の紙を指差す。
「……何だこれ。魔物の巣の駆除で金貨五枚って、頭が悪……いや、そういうことか」
主人が黙って指した依頼人の名を見て、ゼロは頷く。ダム・バスカー。この街で最も裕福で、最も手広く商売をしていて、最も悪どい商人だ。勿論面識はないし、直接被害を被ったわけでもないが、その悪名はゼロでも知っていた。
そんな商人が、相場をぶち壊すような値付けで魔物狩りを依頼している。まともな案件であろうはずがなかった。魔物狩りの名を借りて、何をさせられるのやら。人を殺すのか、それとも死体を処分するのか。やばいんだろう、と主人に目だけで訊くと、間違いなくやばい、と同じく目だけで返ってきた。
何も見なかった、というのが最適解だ。他には目新しい依頼もなく、帰ろうとしたところで袖を引かれた。
「何だよ」
「窓際の席で寝てる兄ちゃん、いるだろ。この街は初めてらしくって、バスカーの依頼に興味津々なんだよ。ゼロさん、何とか説得してくんねえか」
金髪の少年が、折り畳んだ腕に顔を埋めるようにして眠り込んでいる。無防備なことだ。
「何でおれが」
「俺みたいなおっさんがあれこれ言うと、説教してるみたいだろ。ゼロさんなら歳も近そうだし、旅人同士、通じ合うこともあるだろうし。見た感じ、駆け出しっぽいから……あんな人の好さそうなのがバスカーのせいで死体になるとか帰ってこねえとか、夢見が悪いだろ。な、頼むよ」
有無を言わせず、押し出されるように席に近づく。確かに、まだ若い。十代の半ばくらいだろう。自分が幾つなのか覚えていないが、「歳が近い」と言われるほど近くはないように見える。あの主人も、少々耄碌してきたのではないか。
金髪の少年は見てくれこそ旅人としてこなれているが、とても百戦錬磨といった風ではない。壁に立てかけられた剣はやけに細長く、刺突剣だと知れた。刺突剣は一般的に扱われる長剣より扱いに技術を要するものだが、それをこの頼りなさげな少年が使うのか。
卓に伏せる少年の傍に立つと、微かに石鹸の香りがした。多分、石鹸だろう。まさか香水ではあるまい、旅人が、少年が、花の香りを漂わせて歩くなんて聞いたことがない。
――何だ、こいつ。
白く、すっきりと細いうなじは力を込めれば折れてしまいそうで、健康的とも溌剌とも色気とも言えない、成長の途中にある未熟さを感じた。
男娼か、とも思ったが、違う――女か。
棒きれのような手足、凹凸のない身体はヴァルツと同じように男女どちらであるとも断じがたく、少年なのだとすれば横の発育が追いついておらず、少女なのだとすればあまりに色気のない細枝細工だ。
どちらだろう。思いついてしまうとどうしても確かめたくなって、その肩に手を伸ばしかけたところで、当の本人が目を覚ました。
陽光を受けて眩しくきらめく金茶の眼は、ヴァルツのものによく似ていた。たとえ光を浴びずとも、内側から美しく輝くだろう。光がこぼれ出すような煌めきから、目が離せない。
金髪の旅人は、ゼロがそうしたように頭のてっぺんから爪先までゼロを観察し、そして露骨な警戒に頬を強張らせた。怯えているようですらある。
「……僕に、何か?」
はっとするほどの美しい声が、ゼロを縛った。
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