出会い

出会い (1)

 町や村に立ち寄って、細かな仕事を請け負って小金を稼ぐ。人々と話をして、頃合いかと見切りがついたら、立ち去る。

 時には他の狩人たちと協力して魔物を狩り、隊商の護衛をした。子守りをし、病人の看病をし、食堂を手伝った。

 魔物に出くわしたときは気力を振り絞って戦い、しかし形勢が不利になれば精霊の力を借りて逃げた。決して無理はせず、怪しまれない程度に少しずつ南へ足を伸ばし、一人で冬を越えた。

 リンドの南へは初めて来たが、雪は降ってもあまり積もらず、池は凍らない。雪と氷のない冬が過ごしやすいことに驚いた。雪風の轟きに怯えることもなく、雪かき、雪下ろしに時間を取られることもない。南から来た旅人たちがリンドの冬に驚くように、シャイネは雪のない冬に不慣れだった。

 家を出た時から着ていた冬用の外套を売って、少し薄手のものに変えた。丁寧になめした革はすっかり柔らかくなっていて、襟周りにつけた狐の毛皮はシャイネが狩ったものだ。思い入れも思い出もあり、手放すには惜しい一着だが、持ち歩けない。預けておくにはお互いに信用がなく、また、いつ戻ってくるのかも定かではなかった。

 一人で食べ、眠り、歩く。時には行き合った誰かとともに。

 派手ではないが、まあまあこんなものだろうとは思う。駆け出しの身ながら、きちんと食べて眠る場所を確保できているのだから上出来だ。それ以上のことは、追々考えればよい。

 道々聞き込んだ話というのは父スイレンにまつわること、正確には、足に傷を負った理由だ。

 負傷の理由について、父は頑なに口を閉ざしていた。他のことは何でも――派手に遊んだことや女の子にもてまくったこと、どんな危険なことも、道徳や倫理が眉間にしわを寄せるようなことも話してくれただけに、気になった。二つ名で呼ばれるほど有名で実力ある父が、杖なしでは歩けないほどの傷を負った理由は何なのか。

 頼りとなるのはディーだが、話題が負傷のことに及ぶと、どうしてかむっつりと黙り込んでしまう。


「ディー、父さんはどうして旅を止めたの。足の傷が原因って言ってたけどさ、なら拠点にしてたカヴェで暮らしてると思うんだ。怪我した足でわざわざノールまで行く?」

『……さあな。ノールが暮らしやすかったんだろ』

「しかもさ、どうして怪我したのかは教えてくれないし。何かあったの? 事故?」

『……オレの口からは言えない』


 押しても引いても振り回しても宥めても、ディーはだんまりを決め込む。父にせよディーにせよ、黙るということは言えないような何かがあったという裏返しだ。なぜ言えないのか。父が言うなと口止めしたのだろうか。それとも、ディー自身の判断なのだろうか。

 若い時分から狩人として名を轟かせ、各地を巡っていた父のことだ。去り際を知る者も多かろうと思っていたのだが、当時の狩人も旅人もすっかり代替わりしていて、昔話を聞ける相手は予想以上に少なく、負傷して表舞台から姿を消す前、男性の狩人ばかりで組んでいた頃の父を覚えている者はわずかだった。

 リンドの住人たちがキムらに感謝を捧げるように、彼らは父を拝まんばかりだった。ある程度の規模の町ならば女神教教会があり、青服たちが人々を守るが、人口の少ない村落ではそうもいかない。狩人たちはそのような村を魔物から守る唯一のよすがなのだった。

 当時、父は大陸西岸の港町カヴェを拠点にしていたらしい。近郊だけでなく北はリンド、南はク・メルドル、東は大陸中央部の大山脈「背骨」まで行動範囲は広く、呼ばれればどこへでも駆けつけたという。小型の魔物の群れも、群れない大型の魔物も、種別も大きさも問わずにただただ、倒す。


「そうそう、その剣だよ。懐かしいねえ」


 ディーの鞘を見て、老人たちが目を細める。


「そんな細っこい剣で魔物とどう戦うのか不思議だったんだけど、めちゃくちゃ動きが速いんだってねえ。何だったっけ……そう、天雷」

「稲光みたいに速いっていうなら、そりゃもう目にも止まらないんだろうねえ」

『速いなんてもんじゃねえよ、それにさ、一撃で魔物の急所を突いちゃうんだぜ。本当に凄いんだよ、レンさんは』


 ディーまでもが得意げだ。父は半精霊ではないからディーの声を聴くことはできないが、こうして強い絆を築くに至った。実はディーの声が聞こえているのではと思ったのも、一度や二度ではない。

 武具に精霊を宿らせる、精霊封じという技法ははるか東岸の大都市、マジェスタットの鍛冶屋にしかできないのだそうだ。鍛冶屋が半精霊で、鍛えた鋼鉄にんだ精霊を宿らせるとかで、精霊の宿った武具は淡く輝き、強度が格段に上がるという。

 とてつもなく高価だが、精霊封じの武具を持つことは狩人や傭兵など、荒事を生業とする者にとっては一種の箔付けでもある。父がそういうことに興味を示すとは思えないから、単に丈夫な刺突剣を求めてはるばる「背骨」を越えて東岸を目指したのだろう。刺突剣はただでさえ折れやすい。シャイネも木剣を含め、練習用の安物をたくさんだめにした。

 シャイネが当時のことを聞き込み、何があったのか知ろうとすることまではディーは止めなかったが、カヴェに行こうかなと何気なく口にすると、露骨に嫌がった。鞘を震わせ、手に取ろうとすると逃げる。実体のない精霊が剣を動かすだけでも相当である。どれだけ嫌なんだ、と思わず笑ってしまった。


「なんでそんなに嫌がるのさ。昔の拠点だったんでしょ、懐かしくないの」

『懐かしくなんかない! ……いや、えっと……そうだ、あんたみたいな田舎者は馬鹿にされるし、危ないところだぞ。人攫いはいるし、掏摸すりとか、性質の悪いごろつきに絡まれて泣くのが落ちじゃねーか』

「ふーん」

『あっ、信じてないな? リンドより大きい街なんだぞ。女神教の神殿だってでかいし、青服も神職の連中もうじゃうじゃいる。港の人足だっていかついし、交易船が毎日行ったり来たりで』

「船! 大きいの? どこから来るんだろ。珍しいもの売ってたりする?」


 ディーは黙った。あとは何を尋ねようとも、勝手にすればいいだろ、好きにしろよと言うばかりだった。

 怪しい。つまり、カヴェに何かある。


「じゃあ、好きにする。カヴェに行くからね」


 街道に沿って南下する道すがら、これまでと同じように小さな村落に立ち寄ってスイレンにまつわる話を聞き、細かな仕事を請け、交渉のこつや話を聞く姿勢を学んだ。精霊や魔物の気配を察知する感覚を尖らせ、精霊を使役するすべを磨いた。

 カヴェについて尋ねると、誰もが口を揃えてカヴェは大きくて栄えていて楽しいところだと言う。街の北に流れる川を利用した水運、そして東から外海を廻ってくる交易の船が珍しいものを運んできて、大規模な市が三か所もある。人の行き来が盛んだから、旅人としても稼ぐに易い街だ。

 ディーが言ったような治安の悪さに触れる者はいなかったが、どんなに明るく楽しい場所であってもその裏側には光の当たらない影の部分があるものだ。リンドにだって、あまり近寄りたくない一角はあった。

 華やかなカヴェの話は聞いているだけで楽しい。早く行ってみたい。逸る気持ちを抑えて、ことさらにゆっくりと歩く。急いで、父の負傷にまつわる話を聞き逃しては意味がない。

 歩みは遅かったが、春の花が散って、萌える緑が眩しく輝く頃にはカヴェに着いた。丘陵地から海に向けて、斜面に広がるカヴェの街は見たこともない大きさだ。

 きらきら光る海、白い帆を誇らしげにはためかせて行き交う船。街道の幅は驚くほど広がり、通りすぎる荷馬車の数も増えた。自然と早足になる。初めての大都市。宿も食事も楽しみだ。

 リンドを出てすぐは宿城に泊まることが多かったが、宿城の周囲には気が利いて、宿城よりも安く泊まれる店があると気づいてからは、よく吟味するようになった。宿城の中には、宿城であるというそのことだけで割高な料金を設定したり、料理の味がいまいちだったり、掃除が行き届いていなかったりする店もあるのだ。

 客を馬鹿にしてる、とシャイネは怒る。牡鹿の角亭ではそんな手抜きや増長はケインとマーサが決して許さなかった。雇われ従業員でも誇りを持って仕事をしていたのに! そんなシャイネを見てディーが笑う。田舎者だなあ、と。

 こんな大きな街であれば、宿城の代金は相場より高いだろう。港町ということは宿屋も数多く、宿代もさまざまであるはずだ。連泊は避け、様子を見ながら、居心地の良い宿を探すべきだろう。きっと長い滞在になるだろうから。

 これまでこつこつと貯めてきたお陰でしばらく生活には困らない。焦らずゆっくり、話を聞いて回ろう。

 青服が守るカヴェの門を潜る。リンドの門よりも高く、堅牢だ。なるほど豊かな街のようである。

 これまで訪れた村落では、一人で旅をするなんて正気か、大丈夫かと心配と警戒の視線を向けられることもあったが、カヴェの門は人の出入りが激しく、見咎められることはなかった。

 門を潜ると、そこはちょっとした公園のように整えられていて、正面には小さい噴水まであった。半円形の広場には馬車が何台も客待ちをしていて、物乞いらしき子どもの姿も見える。

 シャイネは同時に門を潜った隊商の一員であるふうを装って、広場を抜けた。いくら大きな街といっても、宿屋街まで歩けぬ距離ではないだろうし、迷うこともあるまい。馬車に乗るなんて贅沢だ。

 初めての街ということもあって気分は弾んでいる。宿屋街まで歩けばちょうど昼時かもしれない。

 大通りに沿って、街を観察しながらぶらぶらと歩いた。

 迷うことはないだろうと睨んだ通り、宿屋街はすぐ見つかった。昼のかき入れ時を前に、威勢の良い呼び込みの声が飛び交う。パンの焼ける匂い、煮込み料理の匂い、強い香辛料の匂いが漂っている。唾を飲み込んだ。

 つかず離れずの距離を保っていた隊商の一行は、馴染みらしい店の前で歩みを止める。先に荷を下ろすのだろう、荷馬車と護衛だけが港の方に下っていった。宿城はその隣、大きな街に相応しく、四階建ての立派な構えだ。横目に通りすぎ、近辺の宿を探す。

 手頃な値段で、対応した者の愛想や態度が良く、小ざっぱりした構え。周囲を歩き回り、何軒か目星をつけた。

 シャイネの他にも宿を探している様子の旅人や、一見して傭兵とわかる大柄でいかつい一団が一角を歩いている。腕に同じリボンを留めているのは、団体の旅行者か。

 きゃっきゃとはしゃぐ風と水に誘われ、港に向かった。大きな市というのはここのことだろう、食べ物の屋台から色鮮やかな布地、見たこともない色合いの植物、籠に入れられた尾の長い鳥、魚の干物、貝細工、船員風の衣服、質の怪しげな武具、薬草に石鹸売りなど、細い通りに小さな天幕がひしめいている。

 見たこともない数の人が通りにいて、目が回る。濃い潮の香りに酔いそうだった。

 薬草店は宿屋街でも見かけたが、ここに売っているのは切り傷や打ち身、火傷や食あたりに効くような庶民向けの一般薬だった。値段もかなり安い。後で常備薬を買い足そう、と心に書き留める。

 気がつけば太陽は真上にあって、そうと気づいてしまうと屋台からの匂いに反応した空腹が自己主張を始める。また後でじっくり見て回ろうと、宿屋街に戻った。

 目星をつけておいた宿のひとつにえいやと飛び込み、魚介がたっぷりの昼食を頬張って、幸せに浸る。食事に関しては文句のつけようがない。量も質も申し分なかった。


『あんた、ほんといい性格してるよな……』


 街中で剣を抜くことなどないが、ディーはお守り代わりだ。剣を提げているだけで無用な争いが回避できることもある。男装したところで十代半ばの少年にしか見えないシャイネは、何かにつけ侮られがちだ。ディーを持ち歩いているだけで周りの見る目が変わると知ってからは、なるだけ肌身離さないようにしている。たまにこうして話しかけてくれるのも嬉しい。

 ディーの声は精霊を使役する者にしか聞こえないが、シャイネがディーに話しかける声は誰にでも聞こえる。奇異の目で見られぬよう、鞘を指で叩いて応えた。

 昼時だからか、一人での食事も目立たない。隅の席でゆっくり空腹と心を満たしてから、宿城へ移動した。

 昼食の時間帯の名残で、食堂にはまだ人が多く、店の者も勘定や片付けに忙しそうだ。挨拶は後回しにした方が良いだろうと、飲み物だけ注文して、掲示板を眺めた。

 大きな街だけあって、掲示板の仕事依頼も数が多く、多種多様だった。子守りや隊商の護衛など、お馴染みのものから、荷運び、荷解き、船の清掃や修理、補強などというのもある。主人の配慮か、仕事の内容ごとに大まかに分類されており、ひときわ異彩を放っていたのは魔物狩りを依頼するものだった。

 魔物の巣の駆除。小型、中型の魔物多数確認。人数問わず。急を要する。報酬は――


「何これ」


 思わず、声が出た。金貨五枚。金貨五枚。金貨五枚。

 三回読み直して、書き損じではないことを確認して、もう一度頭から文字を読み返した。依頼主が相場を知らないはずがない。馬鹿でないのであれば、訳ありか。しかし金貨五枚というのは魅力的だった。一年は働かずに暮らせる。

 考え込んでいると、隣に人が並んだ。前掛け姿を見るに、宿城の主人らしい。


「初めてかい?」

「はい。ご挨拶が遅れました、シャインといいます。お世話になります」


 はいはい、と主人は男子名を名乗ったシャイネの挨拶に頷いて、留められた紙片を指差した。


「これなあ、こう言っちゃなんだけど、お勧めできねえ案件だよ」

「訳ありですか」


 宿城の主人はし、と人差し指を立て、小声で続けた。


「この、依頼人のダム・バスカーっての。ここの商人たちの中でも一、二を争う大金持ちだ。でっかい船を何艘も持ってて、運送業を仕切ってる」

「単に、羽振りがいいってことじゃなくて?」

「あのなあ、兄ちゃん。商人ってのは何事も全部駆け引きで、儲けが出ると思ってる連中のことだよ。魔物の巣の駆除なら相場は金貨一枚、厄介なのだって二枚がせいぜいだろ。それを五枚出すなんて、何か事情があるに決まってんだよ」

「口止め料とか?」


 主人は目だけで頷き、シャイネが注文したはちみつ入りの香り茶を窓際の席に置いた。


「ここは商人たちの街だ。教会を見たか? 港を見たか? 門は見てきたよな。カヴェを大きく、豊かに、安全にするための金を出してるのはみんな商人たちさ。教団の連中だって威張っちゃいるが、商人たちを差し置いては何もできない。金で買えないものは何もないし、連中が商ってないものはない。覚えておきな」

「わかった、有り難う」

「ゆっくりして行きな」


 いつしか昼時の混乱も落ち着き、食堂は静かになっていた。ゆっくりと食事をする幾人かの食器が鳴るくらいで、午後の陽射しを浴びているとうつうつと眠気を催す。


『あの依頼、怪しすぎるぞ。おい、まさか受けるなんて言わないよな?』


 答えず、机の上に伏せる。眠気は飴細工のように幸せな甘さだ。

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