拾の肆

 僕の冬籠りの準備は結局、遅れに遅れた。一連の騒動で疲れ果て、もう次の日からは半分寝てばかりいる様になってしまったからだ。それでも、重たい身体を引きずって、各所への手紙の準備は終えた。


 とは言え、今年はあまり広範囲に迷惑を掛けずに済みそうでもある。関が何かと理由を付けては立ち寄ってくれるようになったからだ。挙げ句の果てには勝手にうちの米を炊いて勝手に飯を食べてそのまま帰って行く。呆れた男である。


 僕は布団の中に潜り込み、うつらうつらとしながら様々な事を考える。大抵は取り止めのない、創作の種にもならぬ様な事だが、それでも先日の事件については良く考える。


 僕は今、こうして死なずにぬくぬくと生きている。だが、恐らく通り者は完全に居なくなった訳ではない。鏡の向こうに、時折僕は僕の死体を見る。そんな時は、悲鳴を噛み殺しながら只管ひたすらに丸まって耐えるのだ。もう大丈夫、などとは言えない。いつまでも耐えていられる保証など無い。僕は孤独だ。


 それでも、僕はきっと、もはやあの屋上の時のような無様は晒さないだろう、とだけは確信している。関のあの自分勝手な言葉が、脳裏にちらついている限りは。僕はどうしようも無い奴だが、それでも居なくなっていいはずがない、のだそうだ。


 台所から何やら音が聞こえ、やがて炊きたての飯の匂いがしてくる。関はあれで案外と自炊をする男であるらしい。僕はふと空腹に気づき、思考を中断する。


「ああ、起きたか。気にするな。一寸ちょっと飯を食わせろ」


 僕の茶碗と僕の箸を使って、関は勝手な事ばかり言う。そうして、青菜の漬物を白飯に乗せて掻き込み出した。ぐう、と腹の虫が鳴った。


「なあ、僕の分は」

「何だ、干し柿やらは食い飽きたか」


 もぐもぐと美味そうに関は咀嚼そしゃくし、嚥下えんかする。


「まあ待て。君の家は茶碗がひとつしか無いだろう。俺が終わってからだな」

「何で主人が後回しなんだ」

「それを言えば、客に飯を作らせるのも無茶苦茶だぞ、君」


 ぶつぶつと文句を言うと、あっさりと流される。ああ、この男との会話だ、と思った。


 やがて彼は飯を食い終え、食器をさっさと洗うとまた飯をついで戻ってくる。


「碌な物でもないが、寝転がって煎餅をかじるのよりは良かろうよ」


 僕は布団を這い出、寒さに震えながらももそもそとそれを食った。漬物の塩の味が身に染みる様だった。とても美味かった。関は欠伸をしながら暇そうに僕を見ていた。


 箸を置く。ご馳走様と関に言うと、奴は鷹揚に頷いた。


「なあ、関」


 腹に物を入れて、少し身体が温まったのを感じながら、僕はぽつりとこんな事を言った。特に言う心算は無かったのだが。


「僕は、もう少し生きていようと思うよ」


 関が笑った。僕は笑い返す事はしないまま、真面目に頷いた。


 怪異の名残は残り、冬の僕は相変わらず使い物にならない。僕の怪談は終わりどころを知らない。だが、それでもだ。僕が生きていて悪いと言う事はあるまい。そればかりは覚えて置く。


 締め切った雨戸の向こうで、どこぞの犬が鳴いていた。僕は、目を細めてその声を聞いた。

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