第肆話 ひとがたのへや
肆の壱
「華族様かい」
「だけじゃない。商売も上手くやって儲けてる家だ。とは言え、俺達を呼んだのはそこの三男坊、親御から幾つか会社を任されてはのんびりやってるボンボンという奴だな」
好事家で有名な男だ、と言う。どこの世界で有名なのかはよくわからない。僕は少しも名を聞いた事は無い。
「その御曹司がどうしてまた僕らを」
「あの記事が贔屓らしい」
『帝都つくもがたり』は関の作る紙面に不定期に掲載される怪談記事で、関が聞き役、僕が付き添い件驚き役という形式で二ヶ月ほど続いている。華族様が帝都読報なんぞという胡散臭い新聞をご覧になっているとは驚いたが、贔屓と言われては悪い気もしない。
「物好きだな」
「全くだ。で、記事が気に入ったから自分も取って置きの怪談を披露したいとこう仰せでね」
「行くのか」
「上が乗り気なんだよ、絶対に逃すなとね」
関自身はどこか面倒そうに言う。
「ま、ネタの提供は素直に有難いが」
「何か問題があるのか?」
「問題、というか、勘だなあ」
関は封筒から招待状と思しき書面を取り出す。丁寧な字のそれは、僕ら二人を歓迎する由の事が書かれており——。
「なあ、なんだ? この時間は。遅すぎないか? 時間外労働だよ」
そこには某日午後七時に当家にて歓迎致します、と記されていた。
「百物語でもやる気かね、ボンボン殿は」
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「どうぞどんどん召し上がって頂きたい」
中小路家の三男坊、中小路秀樹殿は、小太りで愛想の良い、少し頭髪の薄い三十路の男だった。
我々が屋敷に到着すると、すぐさま食堂に招かれ豪華な晩餐が振る舞われた。
「いや、
関がへこへこと卑屈な笑いを浮かべて頭を下げる。権威に弱い男である。
「なあに、言った通り私はあなた方の記事の熱心な読者でね。いつも楽しませて頂いていますよ」
「いやはや、どうも」
「それで聞きたかったのですがね」
秀樹殿は関にこんなことを尋ねた。
「あの『つくもがたり』と言うのは一体どう言った由来なのですかね」
「ああ」
そう言えば、僕も知りたかった話題だ。
「あれはね、最初『帝都百物語』となる予定だったのですよ。ところが記事を上げたところ編集長がね、『お前の記事には怪談らしい情緒が今ひとつ足りんな。いち引いて九十九と言うのはどうだ』と」
「ほうほう、それで
「そうだったのか」
「君も知らなかったのか」
関は呆れた顔でこちらを睨む。秀樹殿は鷹揚に笑った。
「先日のバーの幽霊の話など、なかなか雰囲気があって宜しかったではないですか」
関がチラリと僕を見た。僕はもう平常に戻った心算であったので、そのままもぐもぐと落ち着いてデザートを食っていた。
「あれはなかなか評判が良かったですよ。矢張り女の幽霊は好かれやすい」
「お菊お露の流れですかね。正体がわからないと言うのも良かった」
関が愛想笑いをする。彼女の素性を伏せておいてくれた事に関しては、僕は関に密かに感謝をしている。本人に伝える気は無いが。
「ところで、今回のお話はどのような?」
「おお、そうですね。頃合いも良かろうし」
秀樹殿は何故か壁の時計を見てから立ち上がる。僕は慌ててデザート(西洋羊羹の類と察するが何かはよくわからなかった)を掻き込むと彼と関に続いた。
赤い絨毯の敷かれた広い廊下を行く。関は調度品をいちいち値踏みするような目で見ていたし、僕は壁に飾られた絵画に見とれて二人に先に行かれかけた。どこもかしこも、豪奢だが品のある構えで、さぞ名のある建築家が手掛けたのだろう。僕は黴臭い我が家を思い出すが、寝床で酒が自由に好きなだけ飲める事以外の美点を見出せずに心落ち込んだ。
「こちらの部屋を見て頂きたいのです」
やがて、ひとつの小部屋の前で秀樹殿は立ち止まる。キイ、と小さな軋む音ひとつ立てて扉が開いた。踏み込むと中は真っ暗で、何か物置きのようになっていること以外はわからない。
電灯のスイッチが入った。
「ああああああ!?」
僕は酷い声を上げて扉の外まで猛然と後退りした。
「こりゃあ……」
普段であればそんな僕を笑うか嗜めるかする筈の関まで、固まって動けなくなっている。
そこにあったのは、人形だった。
ひとつふたつではない。床から天井に至るまで棚にびっしりと並べられ、物によっては天井からゆらゆらと吊り下げられていた。洋の東西を問わず、大小の市松、布人形、マリオネット、パペット、セルロイド、ありとあらゆる種の人形が無機質な顔を灯りに照らされている。
ひとつひとつはよく見れば愛らしいのかも知れんが、ひたすらにごちゃごちゃと集められたその光景は心臓をつるりと撫でられたような気がする程不気味だった。
「これは、蒐集品ですか」
「左様です。昔から凝っていましてね。なかなかの物でしょう?」
「おい、大久保。入って来い。人形だ、別に齧り付きゃしない」
恐々と入り口から覗いている僕を、関が手招きする。僕は人形と人形蒐集家を嫌いな物の目録に入れると、ぎくしゃくとまた部屋に入って行った。好事家と言うのは、この分野か。
「ご覧頂きたいのはこの一体でして」
秀樹殿が示した奥の棚に、一際異様な空気を漂わせた人形があった。
古い物だ。と言って、百年二百年ではない。精々三十年かそこらだろう。元は市松人形だったと察せられる。
察せられると言うのは、どう扱われていたのか、あちこちがどうしようもなくボロボロに砕け解け、髪は抜け落ち腕は半分裂け、着物も古びて朽ちて、顔にも大きく亀裂が入っているからだ。今や市松風の何か恐ろしい物体としか言えず、僕はまたもや一歩後退った。
他の蒐集品に比べ、明らかに異様であった。ここまで酷い有様なら、修理をするか、それも無理なら寺に供養を頼みに行くかしそうな物であるが。
「私が子供の頃、買い与えられた物です」
「なかなかの……年代物ですな」
関は「なんだこりゃあ、ボロ雑巾か何かか?」とでも言いたそうな顔でそう返した。今日の関はよくやっていると思う。
「これから、この人形の来歴と怪異についてお話ししようと思うのです。それが私の怪談です」
「それは、楽しみですな」
関は手帳を取り出す。夜のしんとした空気にこの人形部屋はいかにも恐ろしく、早く終わらせて帰りたいと僕は身を竦めて思った。
秀樹殿が語り始めたのは、このような話だった。
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それは、幼いながらも人形が好きだった秀樹殿の為に親御が買い与えた物だったと言う。初めはもちろん真っ当に綺麗な市松人形であったし、秀樹少年も大事に扱い、ごく普通に飾られていたのだそうだ。
だが、ある日のこと。秀樹少年は学校の階段であわや転倒という目に遭う。実際に転んでいたら下まで転げ落ちていただろう、とぞっとしながらも、元気に帰宅をした。そうして市松で遊ぼうと手に取る。
市松人形の脚は、折れかけてぷらぷらと垂れ下がっていた。
それだけでは無い。その後もずっと、頭に落下物が掠った時は顔が裂け、腕に軽く怪我をした時は腕が捥げかける。修理をしてもいつの間にか同じところが壊れる。
これはきっと、この人形が自分の身代わりになってくれているのだろう、と秀樹殿はそう思った。代わりに壊れることで、自分を助けてくれているのだ、と。実際、彼はこの歳になるまで大きな怪我も病気もせずに健康でいると言う。だから、彼はこの人形を大事に保管してきた。
だが、ここしばらく様子がおかしいのだと秀樹殿は語った。眠ろうとして半覚醒の状態になると、必ず金縛り、と言うのか、身体が動かず、意識だけが起きている状態になる。そうして、あの人形がじわじわと、折れた手足を引きずって動いては、彼の布団の上にのしかかる、そういう夢のような現実のような、奇妙な光景を見るのだと言う。しばらくすると眠気が勝ち、眠りに落ちる瞬間に人形もがくんと動かなくなるのが見える、そういう事が続いた。
これは何の
秀樹殿の首を、締めようとして来た。
「止めろ、と思っていると、状況とは裏腹にまた眠くなってしまって、すると首の圧迫感も消えました。何かを伝えようとしているのかも知れませんが、何とも」
「……あの、それはどうして供養に持って行かないのですかね」
僕も関と同意見だった。
「……怖いのですよ。今までずっと守って貰っていたのでね。今更これが居なくなると、酷い怪我をしそうで怖い」
「しかし、そこまでの思いをして……」
「あとは、愛着ですかね。こんな事になっても矢張り可愛い人形なのです。……ああ、そろそろかな」
秀樹殿は何かを待っているかのような事を言った。
「何がです」
「私は早寝でね。いつも九時には布団に入る事にしているのです」
「それが」
「そろそろ九時でしょう」
小さく、カタ、と音がした気がした。
「あれが動き出すなら今頃だと思い、この時間にあなた方を招待したのですよ」
「一寸待って下さい、どういう事ですか」
「あなた方ならこう言った怪異を上手く片付けてくれるのでは無いか、と——」
僕はひ、と声を出しながら棚を指差した。人形は微かに震えながら、少しずつ、少しずつ動き。
「冗談じゃない、俺達は怪異の専門家でも何でも無いんだぞ!?」
ガタン。関がとうとう耐えかねて悲鳴を上げたのと、人形が音を立てて床に落ちたのとは同時だった。
僕らは顔を見合わせ、一斉に小部屋を飛び出した。
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