第八幕
第八幕 そしてまた朝日は昇る
カレンダー上の数字が積み上がるに従って、日増しに上昇する気温と湿度。それらを含んだ空気に夏の匂いを感じ始める、六月の半ば。夜の闇に包まれた閑静な高級住宅街に、眩い光が瞬いた。それは二度三度と明滅を繰り返し、同時に乾いた破裂音を伴う。
光の正体は、アサルトライフルの銃口から漏れるマズルフラッシュ。破裂音の正体は、銃声。使い慣れた八九式自動小銃のスケルトンストックを肩口にしっかりと固定した舞夜は、周辺一帯でも一際大きな屋敷の玄関口に立つと、カーポートを挟んだ生活道路から次々と押し寄せて来る死んだ眼をした群集の頭を正確に撃ち抜いた。
どこにでも居る善良な一般市民にしか見えない老若男女の血と脳漿と骨片が、アスファルトの路面に次々と豪快にぶちまけられ、赤く鉄臭い染みが辺り一面に広がる。
「糞っ! 次から次へと切りが無い……。どうやらこの付近一帯の住民を、
「こんなの聞いてないですよ、伊垢離先輩!」
サブマシンガンの排莢口から排出される空薬莢が隣に立つ舞夜に当たらないように姿勢を下げた伊垢離が叫び、彼女もそれに同意した。
「外から来る雑魚共はもういい! 一旦中に入って、立て篭もれ!」
応戦する二人に先んじて屋敷内に侵入していた有理が、手招きしながら呼びかけた。それに従って舞夜と伊垢離は玄関内に踏み入ると、観音開きの扉を閉め、施錠して立て篭もる。建屋の豪奢さに見合った見るからに頑丈な造りの玄関扉なので、そうそう簡単に破られはしないだろう。
扉に背中を預けて一息ついた舞夜は、ちょうど全弾撃ち尽くしたばかりの自動小銃の空弾倉を抜くと、腰のポーチから銃弾の詰まった予備弾倉を取り出す。そして再装填するとコッキングレバーを引き、初弾を薬室へと送り込んだ。
「マイヤ、イーゴリー、だいじょうぶ?」
広々とした吹き抜けの玄関ホール内で、有理と共に先行していた黒髪の少女オリガが、後続の二人を心配して声をかけた。涼しげな淡い青色に染められた夏物のワンピースに身を包み、小熊のユーリエヴィチの頭が覗くリュックを背負ったその姿は愛くるしく、この血生臭い戦場には似つかわしくない。
「大丈夫だよ、オリガちゃん。こう見えても、お姉さん結構強いんだから」
舞夜は黒髪の少女に対して笑顔を向けると、左腕を曲げて力瘤を作り、ガッツポーズを決めて見せる。
「そうだぞ、ガキ。お前は他人の心配なんかしてねえで、自分の身を守る事だけを考えておけばいいんだ」
そう言うと、盛り上がった筋肉でTシャツの袖が今にもはち切れそうになっている左腕を伸ばして、オリガのおでこにデコピンを打ち込む有理。その理不尽な蛮行に、黒髪の少女は唇を尖らせて抗議する。
「ユーリ! ユーリはすぐに暴力をふるうのをやめなさい! それにオリガは、ガキじゃありません! こう見えても、この中では一番歳上なんですからね!」
「はいはい、分かった分かった」
叱責された大男はオリガと目線も合わさずに舌を出し、黒髪の少女の主張を半無視で軽くあしらった。毎日の様に繰り返される夫婦漫才じみたやり取りに、舞夜は今現在自分達が置かれている状況も忘れて、くすりと笑う。だがそれにタイミングを合わせたかのように、建屋の奥の方からパリンと、何かガラス質の物が割れる音が四人の耳に届いた。反射的に全員が音のした方角に向き直り、銃を構えて警戒する。
一拍の間を置いた後、廊下の先から三つの人影が姿を現した。中年の男が一人に、高齢の男女が一人ずつ。それぞれ金属バットにゴルフクラブにクリスタルの灰皿と、手近に有ったのであろう鈍器をその手に握り締めている。そして彼ら全員に共通しているのは、生気の感じられない
だが当然、
「さすが、射撃の腕だけは一人前だな」
「だけで悪かったですね、筋肉ダルマ先輩!」
わざとらしい拍手を送ってからかう有理と、それに対して中指を立てて悪態を吐く舞夜。そんな二人を観察しながら、背後でニヤニヤと笑う伊垢離。配属からの二ヶ月余りで舞夜も随分とこの職場環境に慣れ、その能力も少なからず認められつつあった。
しかし次の瞬間、オリガの背後、おそらくはキッチンへと繋がると思われる扉が前触れ無く開くと、一人の若い女が飛び出した。その手には、刃渡り二十㎝を越える大振りな牛刀が一本。女は逆手に握ったその白刃を黒髪の少女の肢体に打ち下ろさんと、咆哮を上げながら襲い掛かる。有理、舞夜、伊垢離の三人は銃の構えを解いていたために、一瞬とは言え反応が遅れ、今からでは対応が間に合わない。背後を振り返って女の姿を確認したオリガの眼前に迫る、ギラリと光る牛刀の切っ先。
絶体絶命かと思われた、その刹那。周囲の空気がぶわりと膨張すると同時に、牛刀女の身体が刃を振りかざしたポーズのまま、見えない何かに突き飛ばされたかのように横にスライドした。そしてコンクリートの外壁に勢いよく叩きつけられた牛刀女は、そのまま壁に張り付いたように制止して、動かない。いや、動けない。
牛刀女を襲った力の発生源は、黒髪の少女オリガ。まだ日が浅いとは言え、
オリガがキッと睨み付けながら意識を集中するに従い、牛刀女の身体が、全身の穴と言う穴から鮮血を噴出しながらミシミシと軋んで変形し始める。やがてその姿はガラスで出来たプレス機に潰されるが如く次第に薄くなって行くと、遂には砕けた手から切っ先を下にして牛刀が取り落とされ、板張りの床にドンと突き刺さった。
更に圧縮された空間は急激な断熱圧縮を生み出し、その高熱を発する見えない壁に接している
最終的に五㎝ほどの厚さにまで潰されてようやく圧縮空間の壁から解放された牛刀女は、焼けた血と溶けた脂に染まった奇妙な肉袋となって、べちゃりと床に崩れ落ちた。周囲には肉の焼ける香ばしい匂いと、髪の毛とナイロン繊維製の衣服が焦げた不快な悪臭が混ざり合って、ぷんと漂う。
「オリガちゃん、大丈夫?」
人間が生きたまま焼き潰される凄惨な光景に眼を奪われ、暫し言葉を忘れて傍観していた舞夜はハッと我に返ると、黒髪の少女の身を案じて声をかけた。それに対してオリガはニコリと満面の笑みを返し、先程舞夜がやって見せたのを真似するかのように力瘤を作って、ガッツポーズを決めて見せる。
「こう見えてもオリガ、けっこう強いんです!」
そう言って勝ち誇る少女の姿は一見すると、愛らしくて微笑ましい。だがそんな可憐な少女の足元には、かつて人間だった筈の焼け爛れた肉饅頭が転がっている点も加味すれば、出来の悪い現代芸術作品の様に悪趣味な光景でもあった。その日常と非日常のギャップに、舞夜は少しだけ頭がくらくらする。
「とにかくこんな所でじっとしていても、ジリ貧になるだけさ。早いところ、コイツらを操ってる
伊垢離がそう言いながら土足のまま玄関の上がり框を越えると、舞夜もそれに続いた。背後では堅牢な一枚板の玄関扉をこじ開けようと、外から迫って来た
「よし、情報班によれば目標の
有理の下した指示に従い、それぞれの持ち場へと移動するために玄関ホール内を交錯する四人。オリガと共に二階へと続く階段目指して廊下を進む舞夜が、壁際に近寄った、その刹那。
「危ねえ新入り!」
有理が叫びながら舞夜とオリガの襟首を掴むと、力任せに背後に引き倒した。床に勢いよく転がされ、背中を強打する女二人。彼女達が抗議しようと口を開くと同時に、鋭利で巨大な刃物状の物体が、階段脇の壁を突き破って現れる。そしてその物体はバリバリと言った轟音を伴いながら、建材をズタズタに引き裂いて横薙ぎに振り抜かれた。寝転がされた舞夜の鼻先を、ギリギリで掠めるようにして。
突き破られた壁の構造材である石膏ボードを粉々に破壊したそれは、現れた時と同じように唐突に引っ込むと、その姿を消す。壁の向こうからは男の声で小さく、「ちいっ!」と舌打ちが聞こえた。有理が間一髪のタイミングで引き倒していなければ、舞夜とオリガの女二人は今頃、上半身と下半身が分断されていたかもしれない。
「あ、ありがとうござ……」
九死に一生を得た舞夜は額に冷や汗を浮かべ、心臓が早鐘を打つのを感じながら、命拾いした礼を言おうと口を開いた。だが床に寝転んだまま有理の方に顔を向けたところで、その口の動きを止める。彼女が見上げた大男の顔には、いつものあの表情が浮かんでいた。子供の様に無邪気で、そして同時に悪魔の様に残酷な、猟奇的な笑顔が。
「見いつけた」
嬉しそうに呟いた大男の両腕と瞳孔が、オレンジ色からやがて白へと燃え上がる、灼熱の光を帯び始める。太陽に祝福された
果たして壁を突き抜けた、その先。煌びやかなシャンデリアが天井から吊り下がる広壮なリビングに居たのは、一目で
つい先程、階段脇の壁面を突き破って舞夜とオリガの二人を襲った巨大な刃物上の物体は、この
「糞っ! 糞っ! 糞おおぉぉっ! おおおお前ら、か、かかれえぇっ!」
しかしその外観の厳めしさとグロテスクさに反して、情け無い悲鳴交じりの叫び声を上げた蟹男。彼は恐怖で腰が引けながらも、この場からの逃走を開始する。そして同時に、蟹男の号令に従って、リビング、キッチン、玄関等の、屋敷内のあらゆる扉を突き破って突入して来た
「逃がすかよ糞があっ! 伊垢離! 新入り! 援護しろ!」
脚をもつれさせながらも、リビングの割れたガラス戸を目指して遁走を試みる蟹男。だがそんな敗走者に、灼熱の光を帯びる野獣と化した有理が飛び掛かる。それを妨害せんとする
「ほおらっ! バラバラにしてやるから覚悟しなっ!」
「ひゃめ、おねが、ひゃめてええぇぇぇっ! 殺さないでえええぇぇっ!」
リビングのガラス戸を越えた庭先で、泣き喚いて命乞いする蟹男を地面に組み伏せた有理は、太陽の光に輝く左手で獲物の頭を押さえつけた。そして右手は、硬い外骨格に覆われた蟹男の右腕を、肩口から引き千切りにかかる。
生きながらにして頭部を焼き溶かされ、四肢を細切れにされる恐怖と激痛。地獄の責め苦に戦慄く蟹男の喉から漏れる断末魔の悲鳴が、初夏の夜空に鳴り響いた。その旋律は、ゲラゲラと笑いながら無慈悲な人間解体ショーを楽しむ大男にとっては、心地良く耳をくすぐる最高のハーモニーに違いない。
一方のリビング内では、鶴翼陣形で互いに援護し合いながら戦う、舞夜、伊垢離、オリガの三人。彼女達に襲い掛かっていた
魚の干物の様に開きにされて白眼を剥き、口端から血の泡を噴いてビクビクと痙攣を繰り返す、蟹男の残骸。その剥き出しになった胸郭からは細長い二本のチューブが伸び、それが血にまみれた有理の右手へと繋がっている。そして大男の手に握られているのは、未だドクドクと拍動する、蟹男の心臓。つまり二本のチューブに見えた物は、その心臓から伸びる大動脈と大静脈であった。
「さあ、これで終いだ」
そう呟いた有理の右手が、より一層輝きを増す。するとその手に握られた蟹男の心臓が、火の粉を巻き上げながら焼け落ち、陽炎漂う中で黒い炭から白い灰へと変貌して夜風に散った。同時に蟹男の本体と、そこら中に転がっていた
作戦行動の終了を確認した舞夜達一行は、構えていた銃を下ろすと肩の力を抜き、大きく一息深呼吸した。
「あー、終わった終わった。じゃあ俺、先にトラックに戻ってるからさ」
サブマシンガンを肩に担いだ伊垢離は嘆息しながらそう言うと、マイペースで面倒臭がりな彼らしく、鼻歌を歌いながら玄関の方角へと歩を進める。
「オリガちゃん、怪我は無い?」
「うん! マイヤもだいじょうぶ?」
互いの無事を確認し合う、黒髪の少女と舞夜。彼女達はどちらからともなく、割れたガラス戸を踏み越えると、屋敷の庭に仁王立ちする大男の元へと集合した。夜の戸外は未だ涼しく、頬を撫でる夜風が心地良い。
「あーあ、今回も手応えの無い
「調子に乗って突撃したら、もう少しで殺されるところだった人が言うセリフですか」
首と肩をコキコキとストレッチしながら残念そうに呟く大男に、舞夜は呆れ顔で毒づいた。
「それにしても、
「いいじゃないですか、世は並べて事も無しで。わざわざ面倒事を望む必要も無く、平穏無事なのが一番なんですから」
「そうは言うけどよ、なんか不気味じゃねえか? あれだけ騒いでおいて、何も無えってのは。あの白んぼのクソガキが、大人しく引き下がってるとは思えねえしな。俺の勘だと、近々何か、どでかい事が起こるな、これは」
「そんな不吉な事を言わないでくださいよ、まったく。有理先輩の勘は、何故かやたらと当たるんですから」
満月には未だ少し欠けている月の浮かぶ夜空を見上げながら、舞夜はクスクスと、有理はゲラゲラと笑い合った。二人の間に立つ黒髪の少女も釣られて、理由も分からないままに笑う。
「さてと、それじゃあ後は処理班に任せて、俺達は一旦本部基地に帰るか。腹も減ったし、すぐに飯にするぞ」
有理が少し先の路地に停められた、伊垢離の待つ装甲トラック目指して歩き始めた。するとオリガは彼の手を掴んで、共に歩き始める。
「オリガ、オムライス食べたい!」
「オムライスか……。この時間でも営業してるとなると、『鶏キチ』だな。お前もそれで文句無えだろ、新入り」
「それで構いませんよ、先輩。それにしても、その「新入り」って呼び方、そろそろやめてもらえませんか? あたしだって、いつまでも新入りじゃないんですから」
「うるせえ、新入りは新入りだ。次の新入りが配属されて来るまで、お前の呼び名は新入りで決定なんだよ、新入り」
小馬鹿にするような笑みを浮かべて、舞夜を見遣る有理。一方で馬鹿にされた当の本人は、中指を立てて無言の抗議を示す。
「マイヤ、手」
そんな舞夜と視線を合わせたオリガが、空いている方の手を伸ばした。その小さな幼い手に、そっと自分の手を重ねて、優しく包み込む舞夜。白く輝く月光に照らし出された三人の影が、川の字となって地面に伸びる。
小さな家族は、まだ歩み始めたばかり。
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