第七幕


 第七幕     開戦



 地下施設の床と壁を照らすLED蛍光灯の光の下で、周防舞夜は立っていた。いや、整列していたと言う方が正しいだろうか。

 場所は、異形管理局第四部本部基地内の、小ホール。日時は、四月十二日。開祖エカテリーナを長とした不屍鬼ノスフェラトゥ一行との会席、そして高架道路上での交戦からおよそ一日半、正確には三十九時間が経過していた。

 舞夜の周囲に並び、小ホールの室内を埋め尽くすのは、彼女と同じように等間隔に整列する一団の姿。情報班、実働班、処理班、整備班、更に医療班に訓練教官から事務員等の裏方に至るまでの異形管理局第四部の全構成員が、一堂に会する。

 非公式とは言え、そこは国家機関の構成員。つまりは公務員らしく、全員が一糸乱れずに、人間の生垣を作り上げている。だがそんな中で唯一和を乱しているのが、実働班の最前列で久我有理の前に立つオリガだった。彼女だけがこの厳粛な雰囲気に慣れていないせいもあってか、物珍しそうにきょろきょろと周囲を見回しては、その度に背後の大男に後頭部を小突かれている。

 ほんの数十時間前にあれだけズタズタにされた筈の有理の肉体は、人智を超えた不屍鬼ノスフェラトゥの復元能力によって今は傷一つ無く、激闘の痕跡も見受けられない。だが流石に着ていた服ばかりはその能力の対象外なので、履いているジーンズは傷だらけで血の染みも散見され、中の腕ごと袖を引き千切られた革ジャンは同型の新品に買い換えられていた。

 相も変わらぬ不機嫌そうな仏頂面でピンピンしている大男とは対照的に、その二つ後ろに立つ舞夜は、満身創痍であった。

 幸いにも怪我の程度は全て軽傷の範囲内に収まってはいるが、それでも全身に打ち身と擦過傷が万遍無く刻まれ、乙女の柔肌は痣と包帯と絆創膏で覆われてしまっている。特に服で隠せない部分である頬と額に包帯が巻かれているのが、傍から見ても痛々しい。もっとも、実際には顔の傷よりも捻挫した右足首の方が重傷なのだが、おせっかいな看護師の手によって必要以上に大きなガーゼが貼り付けられてしまったのだった。

 彼女の前に立つ伊垢離大介もまた、似たり寄ったりの程度の怪我を全身に負っている。だが特に目立つのは顔面の頬骨上に大きな絆創膏が張られている事ぐらいで、それ以上の損傷は負っていない。

 高架道路から一般道に車輌ごと落下した筈の二人が、命に別状も無くこの程度の怪我で済んだのは、奇跡と言っても過言ではない。いや、エカテリーナの言を信じるならば、これは決して幸運の産物ではなく、彼女の力によってこの程度の怪我で済ませてもらった事になる。そしてそれを半ば裏付ける記憶が、舞夜の脳裏には焼き付いていた。


   ●


 高架道路からの落下と同時に気を失った舞夜が最後に見た光景は、装甲トラックの開け放たれた後部ハッチから垣間見えた星空だった。そしてその後に訪れたのは、暗闇と静寂に包まれた、記憶の混濁。やがて意識を取り戻した時、一般道の路傍に設置された自動販売機に上体を預けるようにして、舞夜は寝かされていた。彼女はとっさに起き上がろうとするが、手足は痺れたように感覚がふわふわしていて、力が入らない。

 舞夜の左隣には、同じように上半身を自動販売機に預けて寝かされた、まだ意識を失っている伊垢離大介の姿があった。また道路を挟んで視界の隅に見えているのは、高架の支柱にもたれかかるようにして横転した、装甲トラック。それは車体前面を下にして落下した筈だが、流石は装甲車並みの強度を誇る装甲トラックだけあって、車体の表面に傷こそ付いてはいるが、そのシルエットには一切の歪みや破損が確認出来ない。だがしかし、自分は一体どうやってあの車輌から脱出し、ここまで逃げ延びて来たのか。舞夜には、それが全く思い出せなかった。

 まだ霞のかかったような薄く混濁した意識の中で、舞夜は思考を巡らせる。すると伊垢離が寝かされているのとは逆の右手側から、ゴトンと何か硬い物が落ちる音がした。

 音の発生源へと視線を向けると、そこには一際大きな人影が一つ。パンパンに膨らんだダークグリーンのスーツに身を包んだその人影は、自動販売機の取り出し口から、たった今しがた買ったばかりの清涼飲料水の缶を拾い上げる。そして舞夜の前に屈み込んでプルタブを開けてから、優しく彼女の手にそれを握らせた。

「ご無事ですか、お嬢さん?」

 ゆっくりとした、腹の底に響くような低音。それでいて、優しい声色。髭の巨漢アルトゥールの立派な体躯と人の良さそうな笑顔が、そこにはあった。

「すぐに救急車が来るでしょうから、それまでは無理をせずに、休んでいてください。隣のご同僚も、気絶されているだけですから」

 アルトゥールはそう言うと立ち上がり、背を向けて歩き出した。その行く先の虚空には、歪んだ鏡の様な不思議な円環が浮かんでいる。

 舞夜は髭の巨漢の広い背中に向けて何かを告げようと口を開いたが、思ったように唇に力を込める事が叶わず、喉からは声に成り切らない空気の塊が漏れるだけだった。だが彼女の意思が届いたのか、アルトゥールは足を止めると舞夜に向かって振り返り、再び口を開く。

「そうそう、上に居るお仲間の方々は、心配いりませんよ。万事、母上マーチが上手くやってくれている筈ですからね。それと、あまり無茶はなされませんように。我々が手助けしたからいいものの、生身の人間があんな狭い場所であんな武器を使ったら、死んでしまいますよ。……それでは妹の、オリガの事をよろしくお願いします。あれは悲しい運命を背負った子ですから、どうか仲良くしてやってください」

 その言葉を最後に、髭の巨漢は円環の中へとその姿を消した。今しがたまでアルトゥールが立っていた虚空を暫し眺めていた舞夜は、首を上に向けると、高架道路の彼方を見つめる。上体を預けている自動販売機の筐体に後頭部が軽くぶつかり、ゴンと鳴った。そして彼女は、なるほど、あんな方法で移動しているのだとしたら、尾行なんかしても無駄足に終わる筈だと納得する。

 力の入り切らない手でなんとか手渡された缶を持ち上げ、その中身を一口飲み下した舞夜。冷たいグレープフルーツ風味のスポーツドリンクが彼女の喉から食道、やがて胃へと染み渡り、心地良く渇きを癒す。

 気のせいか、どこか遠くから微かに子守唄が聞こえて来た。その澄んだ歌声に耳を傾けながら舞夜は、ああそうか、自分はさっきアルトゥールにお礼を言いたかったのだなと、今更ながらに気付いたのだった。


   ●


「全員揃ったな。それでは、訓辞を始める」

 小ホールの壁面に埋め込まれたスピーカーから聞こえて来た声に、足元を見つめて回想していた舞夜はハッと我に返ると、顔を上げた。

 声の主は、整列する第四部構成員に正対してマイクを握る、進堂来々部長。小ホールの演壇上に立つその姿は、高架上での襲撃によって脱臼した左腕をギプスで固めて肩から吊り、首もムチウチ症用の頚部補正コルセットで固定されている。頭部に負った裂傷の治療痕も医療用のガーゼとネットで保護され、舞夜と同じく痛々しい外見を晒していた。だが来々部長の声は決して弱り目を見せる事無く気丈で、力強い。

「全員既に周知の事とは思うが、一昨日、私を含めた第四部隊員を乗せた車輌が不屍鬼ノスフェラトゥの襲撃を受け、若干名の負傷者を出した。幸いにも隊員内に死者こそ出なかったが、今回の一件は我々にとって、非常に大きなターニングポイントとなり得る」

 若干名の負傷者とは、来々部長と秘書の入谷と舞夜に伊垢離、そして最も重傷を負って入院を余儀無くされているリムジンの運転手を指す。実質的には致命傷を負いながらも、今は五体満足を満喫している有理はカウントされていない。

「五年前の発足以来、我々異形管理局第四部は、不屍鬼ノスフェラトゥを相手にした戦闘を繰り返して来た。そしてその全てが、人間である我々の側から仕掛けたものである。だが今回、奴らは遂に専守防衛の姿勢を覆し、我々は初めて不屍鬼ノスフェラトゥの側からの先制攻撃を受ける事と相成った」

 来々部長は呼吸を整え、言葉を続ける。

「この襲撃に先立って、我々は不屍鬼ノスフェラトゥの長、開祖エカテリーナとの会談に成功した。詳細は省くが、彼女の言葉を信じるならば奴らにも派閥争いが存在し、我々との対立を是とする一派が今回の襲撃を策謀したものと思われる。勿論それを保障する論拠は薄く、会談から襲撃までを含むその全てが、奴らの謀略と言う可能性も捨て切れない」

 一旦マイクを口元から下ろし、聴衆を睨め回す来々部長。だがムチウチ症で思ったように首を回せないためか、その動きはややぎこちない。やがて眼下の部下達が全員自分に注目している事を確認した彼女は、再びマイクを口元へと運ぶ。

不屍鬼ノスフェラトゥ側が攻勢に出る事を厭わなくなった以上、これからはおそらく、我々と奴らとの対立もより激化して行く事だろう。無論隊員の安全を第一に考え、今後も政治的な交渉によって問題の解決を計って行く事に、変わりは無い。だがこの本部基地も襲撃に備えて、これまで以上に防備を固めて行く事を、今後の課題とする。諸君も決して油断する事無く、しっかりと気を引き締めて、個々人レベルでより一層任務に励んでもらいたい。……尚、今回の襲撃事件に関する報告書を当事者全員から提出してもらい、既にデータベース上にアップロードしてある。各自、今日の終業時刻までに目を通しておく事。……以上、解散とする」

 壇上の来々部長がマイクを下ろしたのを合図に、全隊員がビシッと最敬礼し、それに対して部長は軽い返礼を返す。一拍遅れて最前列のオリガだけが見よう見真似のぎこちない敬礼をして見せるも、一人だけ完全にタイミングがずれているその姿は微笑ましくもあり、同時に場違いでもあった。

 かくして襲撃事件を受けての緊急招集と、来々部長の訓示は終了。彼女が演壇から下りるのと同時に、ホールに集まった各隊員も肩の力を抜いて整列を解き、ぞろぞろと退室を始めた。舞夜もまた、実働班のメンバー達と共に小ホール後部の大扉へと足を向けるが、その背中に突如として声をかけられる。

「周防! 周防舞夜!」

 名を呼ばれて舞夜が振り返ると、来々部長が彼女を見据えて手招きしていた。

「周防。渡す物があるので、部長室まで一緒に来い」

「あ、はい。了解です」

 返答と共に敬礼する彼女を待たずに、きびきびとした足取りでもって歩き出した来々部長に随って、小ホールを後にする舞夜。現在地である小ホールを間に挟み、隊員達の主な勤務場所である待機所や事務室とは反対側に位置する部長室を目指して、捻挫した右足を軽く引き摺りながら廊下を歩く。いつもならば来々部長に付き従っている秘書の入谷は、何か別件の用事を言い渡されたのか、不在であった。

 やがて辿り着いた、他の部屋に比べて一段豪奢な扉の先に広がるのは、一人の人間が使うにしてはやや広過ぎる応接室兼部長室。舞夜が前回この部屋に入ったのは、ほんの三日前。保護と尋問を終えたばかりのオリガを伴って入室し、そのまま有理と共に黒髪の少女の監視を命令されて以来の事となる。

 あれからまだ三日しか経過していない事に改めて気付き、舞夜は少し気が遠くなりかけた。心象的には、もう軽く一週間分以上の疲労を感じていたので、無理も無い。

 それにしても、あの時は他の隊員達も同席していたのでそれ程気にはならなかったが、階級が遥かに上の上官と二人きりとなると緊張感で掌に汗が滲む。その上官に向かって平気でタメ口を利いている久我有理の度胸が、舞夜には信じられない。

「周防、これだ」

 来々部長はデスクの引き出しを開けて取り出した物を、上官に対して非礼にならぬように背筋を正して直立する部下に向けて差し出した。舞夜が一歩前進して受け取ったそれは、数枚の書類とカード類が挟み込まれたクリアファイル。

「お前の表向きの勤務先が記載された社員証と名刺と健康保険証だ。それにパスポートと年金手帳とクレジットカードに加えて、それらを保障する各種の書類が入っている。今後、身分の証明が必要な場合や任務で資金が必要な場合には、これを使え。この口座なら、税務署に勘ぐられる事も無い」

「あ、はい。了解です」

 受領したクリアファイルの中身を確認する舞夜。このくらいの事ならば、わざわざ部長が直々に手渡す必要もあるまいにと思いはしたが、失礼にあたるかとも思ってそれは口に出さない。だがその考えを見透かされたかのように、このクリアファイルはあくまでも彼女を呼び出す口実に過ぎず、次に手渡される物が本命なのだとすぐに思い知らされる。

「そしてこれも、納めておけ」

 そう言って来々部長がデスクの上にゴトリと置いた物は、舞夜にとっては至極見慣れた、四角い箱状のプレススチールの塊。その正体は、銃弾が詰まったSIGP220の予備弾倉。

「え? あ、はい……。ですが、予備の弾倉なら既に装備課から充分に支給されていますが……?」

 舞夜が当然の疑問を呈するが、来々部長はすぐには答えずに、一旦ワーキングチェアに腰を深く沈めて一呼吸置いた。そしてムチウチ症になった首の具合を確かめるように軽く頭を左右に巡らせてから、口を開く。

「それの中身は、純銀弾頭の弾丸だ。これまでに装備課からお前に支給されている通常弾とは違う」

「はあ……。ですが、自分は有理先輩の援護を任務としていますので、あまり必要無いと思いますが……?」

 上官の真意が今一つ汲み取れず、渡された予備弾倉を手にして困惑する舞夜。対して来々部長は眼を閉じ、一昨日の襲撃で愛用品が割れてしまったために使用している予備の眼鏡を右手中指で持ち上げてから嘆息すると、言葉を続ける。その声に、より一層の荘重さを増して。

「その弾丸で撃つのは、敵ではない」

「え?」

 来々部長の発言の意図が理解出来ず、驚きを隠せない舞夜。だがすぐに、その意味するところを悟る。

「我々は交渉における大使役として、また同時に人質として、子供達チルドレンのオリガを受け入れた。そして不可抗力として、隊員である久我はその従鬼ヴァレットとなった。これらの事実を新たな戦力を得たと解釈すれば好都合だが、組織内で最高の手練が故あらば裏切り者になりかねない敵方の血族に身を落としたのは、非常に危険な賭けでもある。言わば、いつ暴発してもおかしくない銃を手に入れたようなものだ。だからもし万が一、オリガと久我の二人が獅子身中の虫となるようならば、その時は周防、お前が二人を撃て」

 来々部長は冷徹に、淀み無く言い下した。舞夜を見据えるその眼は、異論を許さない気迫に満ちている。

「分かっているとは思うが、その弾丸を持っている事を、久我とオリガの二人には悟られないように」

「了解……しました」

 喉元まで出かかった反論の言葉をグッと押さえ込み、舞夜は予備弾倉をパーカーのポケットに納めると、来々部長に向けて敬礼を示した。そして上官の返礼を確認すると手を下ろしてクルリと踵を返し、部屋を出て行こうと扉に向けて一歩を踏み出した彼女は、再び口を開く。

「進堂部長……。その役目を命ぜられるのが、何故自分なのでしょうか?」

 背を向けたままの部下から投げかけられた問いに、上官は眉一つ動かさずに答える。

「あの二人の最も近くに居るのが、お前だからだ」

 その返答に舞夜は、ギュッと唇を噛む。

「了解しました……。失礼します」

 可能な限り感情を押し殺した声でもってそう言うと、舞夜は豪奢な扉をくぐり、独り部長室を後にした。出来るだけ何も考えないように努めながら廊下を歩き、一秒でも早く仲間達の元に戻ろうと奮闘する彼女は、知らぬ間に早足になる。右足首の捻挫の痛みも忘れて、只ひたすらに歩く。

 するといつの間に辿り着いたのか、気付けば舞夜は、ロッカールームの扉の前に立っていた。ここまでの道程の記憶は薄い。首から下げたセキュリティカードを扉の脇のカードリーダーに読み込ませると、一拍の間を置いてから施錠が解かれ、扉が開く。

「あ、マイヤ、おかえりー!」

「おう、遅かったな新入り」

 実働班の待機所にもなっている広いロッカールームの中で、壁際に置かれたソファに腰掛けたオリガと有理が舞夜に気付くと、ほぼ同時に声をかけて来た。やや浮き足立ったような、心ここに在らずなふわふわとした足取りでソファに歩み寄った舞夜は、二人の対面に座ると妙に疲れた身体を背もたれに預ける。すると急に思い出したかのように、捻挫している右足が痛み出した。

「お帰り、新入りくん。これ、飲むだろ?」

「あ、いただきます」

 背後から近付いて来たヤサ男の伊垢離が、いつものへらへらとした軽薄な笑顔と共に、新品のミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。それを受け取った舞夜は、そのキャップを開けると冷たい水を一口飲み下し、大きく一度深呼吸をした。ヤサ男も彼女の隣のソファに腰を下ろすと、自分のボトルに口をつけて喉を潤す。

「で、部長の言ってた渡す物って、何だったんだ?」

 有理が自分の手元から視線を外す事無く、舞夜に尋ねた。大男の膝の上には、腰まで届く艶やかな黒髪を緩い三つ編みにし、迷彩模様のミリタリージャージ姿で携帯ゲーム機に熱中するオリガが座っている。

「え? ……ああ、これです。偽の身分証が出来たから、持って行けって」

 自分でも持っている事を半ば忘れかけていた左手のクリアファイルを、有理に向かって差し出して見せる舞夜。大男は自分から尋ねておきながらも、それを興味無さげにちらりと見遣っただけで、再び自分の手元に意識を集中させる。

「で、有理先輩はさっきから何をやってるんですか?」

「これか? 一昨日あのキザゴリラのせいで、俺の愛用していたSCARが壊れちまっただろ? それで修理が終わるまでの代用としてこいつを使う事にしたんだが、どうも俺の使ってるドットサイトとの相性が悪くてな」

 舞夜の問いに答えながら、有理は手にしたH&K社製G3アサルトライフルを構えて見せた。そしてドットサイトを覗き込んでは不満げに設置位置を調整し、再び覗き込んでは調整するを繰り返す。

「どうでもいいですけど、ここで撃たないでくださいよ? 撃つなら射撃レーンでお願いしますからね?」

「……お前、俺の事を馬鹿だと思ってんじゃねえのか?」

 そう言った有理が後輩の頭を小突こうと繰り出した拳を避けてみせた舞夜は、特に考えも無く、自然とパーカーのポケットに手を突っ込んだ。その手が何か硬い物――来々部長に手渡された純銀弾頭が込められた予備弾倉――に触れる。心臓の鼓動が一際高鳴るのを感じ、ごくりと唾を飲む舞夜。

 いざとなれば自分は、眼前で仲の良い兄妹の様に戯れている少女と大男を、この手で撃たなければならない。果たして自分には、それが出来るのだろうか。舞夜は心の中で逡巡を繰り返すが、答は出ない。

「どうした、新入りくん? 随分と難しい顔しちゃって」

「え? あ、いえ、何でもないです」

 突然の伊垢離の問いかけに舞夜は虚を突かれ、しどろもどろ気味になりながらも、何とか平静を保って答えた。ヤサ男も、特にそれ以上は詮索しない。

 舞夜は痛む足で立ち上がると、自分のロッカーの前まで歩を進めて、その扉を開いた。中には僅かな私物と、訓練及び出動時の装備一式。その中の、拳銃用の予備弾倉が詰められたポーチに、来々部長から手渡された純銀弾頭の弾倉を納める。そしてそっと、扉を閉じた。

 その時が来るまで、今はとりあえずしまっておこうと、舞夜は思う。このロッカーに。そして、自分の心に。

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