06

 みやびと三四郎の間に流れる空気は沈黙だった。時折、みやびは三四郎の様子を窺うように視線を向けているが、三四郎自身はなにか思案に耽っているのか気づかなかったのが幸いか。自分が今している表情について知られてしまったら、きっと冷静なままではいられない気がした。

 あまり三四郎とは二人きりになる機会がなかったのだが、こうして改めてみていると宮坂に負けず劣らずの容姿をしているほうではないだろうか。宮坂は不良、三四郎に至っては北川高校一の問題児、赤シャツの夏目という異名を持っているが、そこまで彼ら二人はみやびから見れば問題児には思えない。


 確かに最初は宮坂にもそうだったが、三四郎にも良い印象は持っていなかった。

 どこか諦めたような、そんな印象を持っていたから気に入らなかったのかもしれない。けれど、関わっていくうちにその良さに気づきはじめていったのは事実だ。みやび自身、周囲、それもとりわけ、親友の笹原に比べれば、10代女子のそれにかけ離れているような気はしており、浮いている感覚はあった。

 口調もそうだが、振る舞いも違うと差を感じており、周りの対応もぎこちない。そんな中、声をかけてくれる宮坂らや自分が声をかけて自然に唯一対応してくれる後輩の夏目三四郎は希少な人種なのでは、と考えるようになった。慕ってくれ、どこか気障ったらしい物言いをすることはあるけれども、かわいい後輩であることに変わりない。


「なぁ、夏目。お前、桃のことが好きなのか?」


 先に空気を切ったのは、みやびのほうだった。


「え”あ”ッ!?急にどうしたんだ、遠山サン」


 急だったからか、不意打ちを食らった三四郎の顔は鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せる。くすくす、と慌てふためく三四郎を愉快に思い、みやびは笑みを隠さない。それにつられ、思わず、三四郎の表情も柔らかくなる。しかし、突っ込みどころはあった。どうして、それを今言うのかと。


「どうしたんだ、急に」

「いやな?いつも、夏目が桃に対する視線がちょっと違うと思ってな。実際のところどうかなんてのは、普段聞けないじゃないか」

「だから、今聞いたのか……」

「そのとおり。で、実際のところはどうなんだ?好きなのか?桃のことは。安心しろ、夏目。私は口が堅いからな」

「その台詞ほどあてにならないものもないんだけどな……、なぜかあんたの場合は信用できる」


 周囲の人でこの言葉があてにならないのは、宮坂だろうか。絶対に話してくれるなよ、と思った三四郎の失敗談を笹原やみやびに対して隠すことなく下校中や週末の外出で遠出した際に惜しげもなく話すものだから、ちょっとしたいざこざが起こっているのはいつものこと。

もっとも、そうして争うことはあるけれど、内心の三四郎としては嫌ではないのでそこまで関係は悪化していない。ずかずかと人の心の中に入ってくるも、宮坂は決して土足で踏み荒らしたりしないところが長所であり、場を盛り上げようとしているとしっかり伝わっているからだ。

 争うのは笹原の前で少しはいいところを見せたい三四郎の男の子のの面が強く、そうしたことを分かった上でやってくるものだから、宮坂はタチが悪い。以前はグループのリーダー的存在だったのを見かけたことはあるが、今ではそういったポジションではなく、むしろムードメーカーであることが多い。

 三四郎が笹原の前ではあまり上手く話せないこと、みやびの周囲のズレ、さらに笹原のマイペースぶりに突っ込みを入れられるのは、正直なところ宮坂しかいなかった。否、宮坂にしかできなかった。好意を持つ異性に対し、三四郎は揚げ足を取るような真似はできないのである。


「それは褒め言葉と受け取って言いのか?夏目」


 じと、と三四郎をみやびは見つめる。

 こんな目もこの人はできるのだな、と意外に思う反面、かわいらしいとも普段のギャップから思ってしまった。口にすれば本人からの否定が入るだろうが、遠山みやびという女性は本人が思う以上にかわいらしい女性であろう。


「褒め言葉だよ。信頼に足る人物ってことだ」


 だから悪い男に騙されやしないかと心配になるのだが、今のところはその心配はなさそうだ。


「そうか。……なぁ、お前、私に隠していることはないか?この際だ、全部、私に話してくれ。私はお前より年上でありながら、守れなかった。あまつさえ、一人で立ち向かわせてしまった。だから、せめて話してほしい」


 こんな風に鋭い直感を持っているから。


「悩み、悩みか……」


 自分がファウストにサンドバッグにされ、それから瀕死の重傷を負いながらも吸血鬼になったこと、教授と出会ったこと。今日に起こった出来事全てを振り返るが、どれもあまりにもとっぴな話ばかりで信じてもらえなさそうだ。

 なにより、話したところで信じてもらえるかまでは分からず、自分が人間をやめてしまったことや吸血鬼となったことによる弊害を受けて太陽の下を歩めなくなるのでは、と思うと胸が痛い。あの胡散臭い奴は説明してくれなかったが、吸血鬼化によるデメリットはあると見て間違いない。


「その傷も、あの男に甚振られたときに折れていた腕も綺麗に治っている。なにか、されたのか?それとも、?」


 された、とは吸血鬼にされたことを示しているのだろう。

 簡単にへし折られてしまった素振り用のみやびの木刀、その砕け具合を思えば、そのように思うのもおかしくはない。冷静な口調ではあるが、少し震えているようにも聞こえた。


「もし、もしもだ。僕が吸血鬼になってしまったと言ったら、どうする?」


 震えながら、彼女の返答を恐れ、三四郎は切り出した。


※※


「遠山サンを囮に使う、だって?」


 目覚めて早々、三四郎が聞かされたのは最悪の提案だった。


「そうだ。ヨハネス・ファウストという吸血鬼はプライドが高い。狙った獲物は決して逃さないし、自らに恥をかかせた少年のことも必ず殺しに来るだろう。しかし、少年はどういうわけか、ファウストと同じスペックを持つ吸血鬼になった。吸血鬼になった少年の生存率は跳ね上がるが、少年の言う娘二人はどうだろうな?」


 思い出すは、短い間で終わらされてしまった教授のレッスン(本人曰く)。

 吸血鬼の変化能力と頑強さ、それでいて怪物的なまでの体力と足の速さ。そして、あの貴族風の男――ヨハネス・ファウストというのがフルネームと言うことを知った。配管の上に座る所作も気品を感じられる教授、もしかしたら、ファウストと同じように貴族階級の身分かもしれない、と思うも、笹原桃と遠山みやびの顔がちらつけば、その感想もすぐに消える。

 確かにファウストは、夏目三四郎を殺した後に逃した二人を必ず捕まえるのだと言っていた。そもそも、あそこで三四郎自身が瀕死になったのだってファウストによる怒りの発散もあっただろうが、エナジードリンクの補給の意味合いもあったのだろうと見る。


 それから、三四郎は自分の手を見る。その一見すると何の変哲も手には怪力や体を変化させる力が眠っており、人間の身体を破壊することも、木を拳で打ち割ることも容易い。比較対象がファウストや教授しかいないのがつらいところだが、三四郎の吸血鬼としてのスペックは通常の吸血鬼以上であるとのこと。

 なった経緯が不明なところも多く、まだまだ経験も浅いが、この町、この場所で戦うのであれば、まだ三四郎のほうに地の利があると語る。


「それは……」

「有事の際は少年が守ってやるといい。万が一ともなれば、私が少年の手助けをしよう」

「なんか、悪いな……」

「もちろん、ただでは承らない。代償をもらう」


 三四郎が頭を下げれば、教授は人差し指を天へと向けた。その先に廃墟となった工場の天井があり、その役割を果たしていない屋根に開いた穴からは夜空に星が輝いている。


「少年。貴様には助手になってもらう」

「は?それじゃあ、学校とかどうするんだよ!?」

「吸血鬼にそんなものは必要ない。代わりに私の下で使えるよう、吸血鬼退治のいろはを叩き込んでやろう。幸い、貴様は相当な問題児のようだ。いなくなっても問題はあるまい?」

「そんなの、どうやって分かるんだよ……」


 的を射た教授の言葉に三四郎は絶句する。

 ファウストを殺し、笹原とみやびを守るか。

 それとも、吸血鬼の歯牙にかけられてしまう二人を目の前で見せられ、それから殺されるのか。それを教授は選べと言っているのだから。


「態度、口調。あとは先ほどの戦いだ。吸血鬼との戦いには慣れていないのは当然、しかし、対人戦と考えた場合、貴様の実力は高い。こちらとて、長年の宿敵との戦いに巻き込まれた人間を救ってやろうと言っているのだ。それに、人間の世界には未練はなかろう?貴様の性分は、人間よりも獣に近い。その精神性は神話の時代であれば、重宝されるだろうが、現代の社会では馴染めぬだろう」


 だから、こちら側に来い。


 教授はこう言いたいのだろう。そうだからこそ、三四郎は拳を振りかぶって、それから、


「―――ッ!」

「感情に振り回されている。先ほどの拳も戯れではあったが、非常に良く効いた。だが今の貴様は、ファウストは殺せない。貴様も気づいているだろうが、私も似たような存在だ。能力の高い吸血鬼同士の戦い、そこで最後にものを言うのは、冷静さと判断力。貴様のように経験の薄い吸血鬼なら尚のこと」


 冷静に教授は拳を受け止めた。

 赤子の戯れと言わんばかりに気軽に受け止めた表情は冷たく、赤い瞳には何も浮かんでいる様子はない。帽子をとっており、その端正な顔がよく見えることもあって、綺麗な顔をしているからこそ、より一層、冷たさが強調されている。


「鬼になれ、少年。貴様が心のそこから鬼であることを受け止め、受け入れれば、その力を制御下に置くのは容易い。だが、受け入れられんのであれば、」


 教授の握る手は、まるで万力のようで抜け出すことができない。

 強まる力、きっと吸血鬼に成り果てた身体でなければ、この手の骨はビスケットのように砕かれていることだろう。


「貴様は何も護れんよ」


 そういう教授の瞳には、珍しく悲哀の色が見られた。


※※


「……夏目がか?」

「ああ」


 みやびの目は疑っている。

 それもそうだ、突然、そんなことを言われたら、誰だって――。


「私は信じるよ、お前の言うことを。お前は私や桃を助けてくれた、男なのだからな。日ごろから言っていることを実践してくれ、嬉しく思うよ」

「『男の拳は守る為に使うもの』だっけ?ほんと、遠山サンは師匠みたいだよな」

「私はお前の先輩だぞ?人生の師だ」


 返ってきた言葉も、表情も、どれも柔らかく、優しかった。

 そのとおり、とうなずくみやびは、いつも以上に美しくて、格好もあるだろうが見蕩れてしまう。

 それから、みやびは三四郎の数歩先を歩み、振り返る。


「私は何があっても、夏目の、夏目三四郎の味方だ。だから、お前は胸を張れ。日本男児たるもの、常に堂々とあること。それが私の父の教えだ。……桃の祖父も言っていたろう?」

「……腑抜けたとき、よく叱られたな。歳三爺さんには」


 みやびは三四郎の手を握る。

 両手をしっかりと包み込むようにし、やさしく彼女は微笑んだ。

 ほとんど同じだけど、似た意味合いの言葉を想い人の祖父が言っていたのを思い出すと、笑みが漏れる。


「世界中の誰もがお前を怪物と罵ろうと、私はお前を――」


 みやびがまっすぐに三四郎を見つめる。

 心なしか、顔も赤く、なにか伝えたそうな様子だが――。


「甘く芳醇な香りと汚らしい獣の臭い。それらがしたと思えば、なぜ生きている?我が忌々しい宿敵の香りもする。どこまでも不愉快な奴だ、犬」

「お前は、昼間の……!」

「昼間ぶりかな?お嬢さん。そこの汚らしい犬から離れることをお勧めする。そいつの臭いはあまりにも不愉快極まりない。お嬢さんに移っては大変だ」

「黙れ!お前に三四郎の何が分かる!」


 突然現れたファウストに対し、啖呵を切ってみせるみやびだが、その身体はひどく震えている。みやびを守るように三四郎は立ち、腕は彼女を覆うようにする。


「取り込み中のところ悪いがね、私の助手に手を出すのはやめてもらおうか?ヨハネス・ファウスト」

「き、貴様は……!」


 ほとんと同じタイミング、蝙蝠の軍勢が現れたかと思えば、蝙蝠の軍勢は徐々に人影を形作っていく。

 やがて、蝙蝠は赤く光る瞳をした三四郎とみやびを囮にした張本人、教授の姿を作る。


「我が宿敵にして裏切り者!ようやく見つけたぞ!」


 

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