04

「……此処か」


 ロングコートに帽子を被った人物は、杖を地面につき、“反応”のあったほうに駆けつける。まるで、夜を思わせるような黒装束は見る者に何者も染まらぬという固い意志を感じさせ、それでいて不安を与える。冷たい床の上で血塗れでニホンの学生服を染めている十代の少年、彼がおそらく、“そう”なんだろう。

 “ニオイ”はそんなに強くはなく、なりたてであることが分かる。ただ、どうやって成り果ててしまったのかという疑問が浮かぶ。彼を眷属としたのであれば、近くに主がいてしかるべきだ。自身が追ってきた、その宿敵の姿も見当たらない。長年、宿敵を追ってきているが、奴は眷属を作ろうと思うような殊勝なものではない。


 人間は吸血鬼の家畜である。


 そんな思考に染まった、吸血鬼らしい吸血鬼と言っても過言ではないだろう。しかも、その中でもトップクラスの実力を持ち、最強と謳われているのだから、その名も轟く。宿敵との戦いよりも、今はまずこの少年を起こして事情を問うのが先だろう、と考えて少年の脇腹に革靴で蹴りを入れた。本当に成り果ててしまえば、特有の頑丈さを得られていると確信していたから。

 蹴りを入れられ、咳き込みながらも、少年は薄っすらと目を覚ます。それから、自分の腕がおかしな方向に曲げられているのに気づくと、叫びながら、のたうち回るのでまた蹴りを入れた。どうやら、本当になりたてで何も知らないらしい。暫く、その様子を見ていると、吸血鬼の治癒能力が発動したようで傷や怪我はすべて完治した。既存の種とは大きく異なるタイプなんだろうか?


「いってェ……、蹴りを入れたのはアンタか?」

「いかにも。少年、問うておきたい。君を変化させたのは、貴族風の男か?」

「男?ああ、ファウストって言う野郎だ。アイツ、笹原サンと遠山サンを襲ったんだ!だから、立ち向かったんだけど……」


 絶句した。


 無謀にも程がある、蛮勇もいいところだ。腕が曲がっていたのを見るに少年、宿敵――ファウストに立ち向かったのだろう。言葉からするにササハラとトオヤマとやらは少年にとっては大切なものなんだろうが、なんと愚かしい行為だろうか?だが嫌いなタイプではない、むしろ、この平穏で平和ボケした島国では珍しい心意気をした少年と言えるだろう。

 元より紅いシャツの他、べったりとこびりついている血がなんともいい味を出している。口元の不快感に気づいたからか、ようやく、拭き取っているが、野生的な雰囲気も持っていて良いものだ。


「僕は夏目三四郎。アンタは?」

「私のことは……、そうだな。教授と呼んでくれ、少年」

「苗字とかは?」

「サンシロウ・ナツメ。……なるほどな。こちらは、事情があって名乗れない」


 三四郎。


 夏目。


 そこから連想されるのは、この国の文豪・夏目漱石の名前とその作品が浮かんでくる。それから、教授は三四郎の無鉄砲な行為に坊ちゃんの記述を思い出した。おそらく、この少年は、その気質ゆえに損な役回りをすることが多かったのだろうなと予測する。


「少年。自分の身体に異変は感じていないか?」

「ん?ああ、気分はいい。夜風が気持ちいいからかな?どれくらい寝てたんだ?僕」


 周囲は暗くなり、教授の時計の針は午後八時を差している。


「もうこんな時間か!?大変だ、笹原サンと遠山サンに連絡を……」

「その前に少年は己のチカラについて気づいておくべきだ。ついて来い」

「けど、そんな暇は……!」


 はやる三四郎だったが、有無を言わさずに教授が睨みつけると、大人しくその後をついてきた。後ろを振り返りもせず、距離を開けたまま、二人は何処かへと移動する。道中の会話もなく、宮坂に怒られるのだろうなと考えている自分がおかしくて仕方がなかった。

腕の骨折が完治し、それでいて普通にファウストにあそこまでの啖呵を切っておきながら生きている。その奇跡を噛み締めるには、今までの時間はあまりにも十分すぎた。

 だから、はやばやと三四郎は覚悟を完了していた。この力を使って、〇原、〇坂、遠〇を守るのだと。少しして違和感に気づく。


 〇原、〇坂、遠〇。


あの三人の、大切な人たちの顔は確かに覚えている。それから、口の中で繰り返す。


 笹原、宮坂、遠山。


大丈夫、あの人たちのことを忘れるなんて失礼な真似はしていない。

 その安心感に浸っていると、気づけば、人通りのないところに来ていた。通りから外れ、北川高校からかなり離れた位置にある場所。廃工場跡だというのが分かる煙突と薄汚れた建物を確認できる。教授は錆び付いた錠前の付いた鉄扉を開け、中へと入っていく。此処で何かをするのだろうか?と思ったときに広くとられているスペースに教授が立つ。


「コイツを力いっぱいに投げてみろ」


 そういって、投げ渡されたのは、金属の球のようだった。ソフトボールほどの大きさをしており、片手でも投げやすいくらいの重さ。それを投げてみろとはどういうことなんだろうか?体育ではハンドボール、並びにドッジボールの授業では、狙われることの多い三四郎はいつしか一人で相手取るほどの腕前を誇るようになっていた。

 力いっぱいに構えを取り、それから、野球選手のように膝を曲げて腕を振るう。

ボールが複数使われるときならば、隙だらけのフォームだが、手から離れた球は教授の前をぐにゃりと曲がり、壁の方へと思い切り飛んで行ってコンクリートがむき出しになった壁に震源地となって罅を作りだす。


 あんな力が?


 自分が行なったこととは言え、まだ理性が付いていけていない。手をぐーぱーぐーぱーとさせているところに教授が歩み寄ってきた。


「あの金属球はかなりの重量を持つ。それを放り投げることができたのは、君の力だ。妙な放射線を描いて飛んで行ったのは、君の技術だと思うがね」


 帽子の下で教授の口元が三四郎には笑ったように見えた。教授の言葉が正しいならば、投げ渡してきた教授も重量を感じたはず。ならば、どうしてそれを容易に投げて見せたのか?疑問が深まる。


「まあ、あの投げ方は僕の必殺技みたいなものだから。教授、僕は何になってしまったんだ?」

「ふむ。ならば、単刀直入に言おう」


 教授が三四郎に向けて言った言葉は、三四郎の動きを封じる。


「君はになった。それも、最強最悪の吸血鬼、ファウストのとしてな」


 その言葉に暫く唖然とするも、三四郎はすぐに我にかえって食って掛かる。


「おい、待ってくれよ。僕があの野郎の子だって?ふざけるな。アイツが親なら死んだ方がましだ」

「吸血鬼が死、か。ならば、傷つけてみろ。その鋭い爪で細い喉を掻っ切るようにすれば、すぐに死ねるだろう。だがファウストは非常に執念深い。食らうと決めた者を逃したとあれば、奴は全力で獲物を狩りに回るだろう」


 冷たく、教授が言い放つ。

確かに此処で諦めて死ぬのは容易だろう。しかし、まだ自分は、夏目三四郎は笹原桃に思いを伝えていない。そんな自分が此処で死に絶えていいのだろうか?それではファウストの思うつぼ、ならば、此処で叛逆してこそではないか?の顔に泥を塗っているといわれたのは今に始まったことではない、いつも通り、自分の筋を通していくだけ。


「それは、獲物だけではなく、目撃者を含んですべてだ。その徹底したところがあり、ファウストは最強の吸血鬼の名を持つ。奴は最強であるのと同時に最も臆病だ」

「僕はやるよ」

「だからこそ、自らが産み落としてしまったをまず処理し――――ほう?」


 教授の言葉を遮るように言うも、三四郎は謝らない。こうして近づいてみると、自分より背の高い教授の威圧感は相当にある。宮坂以上の身長を誇る三四郎だが、教授はそれよりもおそらく5センチほど高い。


 でありながらもを処理する。


 親戚の家に捨てられたように放置されている三四郎自身の境遇となんら変わることはない。だったら、この命は惚れた女とその友人を救うのに使うのは悪くはないだろう。あのときに自分に言葉をかけた声だって言っていたではないか。己の本能を解放しろと。思うままに生き、思うままに動くことこそが大切なのだ。

 だから、そのかけられた言葉についても教授に伝えることとした。教授がたとえ信用できない相手で大切な人たちを人質にとろうものならば、容赦なくブチのめせばいい。それは絶対に許されない所業なのだから。だから、万が一の不安なんてものは三四郎には存在しない。


「教授。僕、聞いたんだ。目覚める前に、教授に蹴られる前に言葉を」


 意外と三四郎は陰湿なきらいがあるのではないか、と教授はふと思った。


「『お前の本能を解放しろ』だってさ」

「どんな声だった?男か?女か?」


 いいや、と三四郎は首を振る。

 このよく分からない人物、教授にこのことを話したのは、現状、最も吸血鬼とファウストについて詳しいのは教授しかいないからだ。他に吸血鬼のことを知っている人なんているはずがないし、今日のことを、今夜のことを話せば笑い飛ばされるに決まっている。三四郎自身への印象が悪いものは、夏目三四郎はとうとう頭がイカれ、精神的におかしくなったのだと笑うだろう。

 信用する3人だって吸血鬼のことは有名なことしかわからないだろうし、本気にはしまい。少なくとも宮坂以外の二人は昨日までならば、そうだったろう。おそらく、あの二人のことだ。三四郎を置いてきたことへの罪悪感に打ちひしがれているだろう。だからこそ、早くに元気な様子を見せてやらなくては。汚れた格好で行くつもりはないけれど。


「少年、覚悟はあるか?」


 急に声をかけられるが、三四郎は間を置かずに二つ返事で即答する。


「もちろん。笹原サンと遠山サンを怖がらせた、あのイカレ野郎をぶちのめす」

「ならば、これから、君に吸血鬼を殺す為に吸血鬼の特徴を伝授する。そして、吸血鬼を殺す方法を私が教えよう。これは勿論、基礎だがね」

「い、いいのか!?あ、いえ、いいんですか!?教授」


 ああ、と教授は笑えば、帽子を取り、杖に引っ掛けて壁へと立てかける。それから、手につけていた黒い革手袋を外せば、そのうちの一つを三四郎へと投げた。


「――もちろん、君自身に体験してもらおう。死に物狂いの決闘だ、その中で自分の身体の特徴と能力を覚えていくといい。手を抜くと死ぬぞ、少年?」


 帽子の下の端正な顔立ちと、黒い髪から覗かせる瞳は、奇しくもファウストや吸血鬼となった三四郎のように紅く爛々と光っていた。

 

 

 

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