項目五 対象者逹の定常特性
5.1 液滴
四月二八日〇七三二時 統合術科学校 飛行場北側地域
厳重な警備が敷かれた中、テントの下で椅子に座る菅原の周りを背広姿の男たちが囲っていた。
「――以上の罪状により、菅原真紀子の全権限を現時点で凍結。逮捕する」
中央に立つ男の背広には国家公安委員会のバッジがつけられている。
本来、国家公委員会は警察活動を行わない。本来の任務は「警察の管理」であるが、公安警察も対象となった今、国家公安委員会に警察権が与えられていた。
少し離れた場所からその様子を眺める雪江は、無表情に傍観していた。
「いいわ。じゃぁ、雪江ちゃん、夏美ちゃん。元気でね」
遠くから視線が送られる。
夏美は小さく頭を下げる。しかし、雪江はそれに応答しなかった。
席を立ちあがった菅原は、ゆっくりと車に向かう。
窓に鉄格子がはめ込まれた警察の大型護送車だ。
その周囲を囲う警察車両。
数名の逮捕にしては大規模であるが、菅原に当てられた罪状からすれば生易しいものであった。
ゆっくりと向かう菅原。
ふと、雪江は菅原に向かって歩き出した。
護衛の生徒を背後につけた雪江は、菅原の前に立ちはだかる。
「あなたが先ほど言った警告は真摯に受け止めよう。しかしながら、私は絶対にあきらめない。それだけ、宣言する。もしもあなたが母親の件について、僅かにでも心の底からの謝意があるのなら、私を行為応援してほしい」
その言葉を聞いた途端、菅原は膝から崩れ落ちた。
「ごめんね……ごめんね、本当に、ごめんね……」
膝の上でこぶしを握り締め、震わせる。
涙が、服を濡らした。
それを、黙って見つめる雪江。
すると突然、熱さを感じた。
目頭の熱さ、ではない。
顔全体に、電気ストーブを当てられたような熱を感じた。
(なんだ?)
次の瞬間、ボッという音と共に目の前が赤く染まった。
強烈な熱線。
目の前が、燃え始めた。
「敵襲!」
背後にいた生徒たちが雪江を引き、直ちに後退させる。
「対空警戒! 狙撃にも警戒しろ!」
「熱い、熱い!
ああああ! 〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ!
うわっ、あっ、あっがっ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ!
〝あっ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ!」
悲鳴とも言えない悲鳴が、辺りに鳴り響いた。
その悲鳴の音源は、菅原だった。
火だるまになった菅原が、地面を転がっていた。
周囲にいた国家公安委員会の男達は、背広を覆いかぶせ、必死に消火をしようとす
るが、その程度で消える筈もなく、手を火傷したものからあきらめる。
「いがっい〝あ〝あ〝あ!
あっがっ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ!」
被せた背広は、みるみる溶け、燃え始める。
やがて、衣服は皮膚と同化し、真っ赤な唇は回りの皮膚と共に黒ずむ。
関節という間接は垂直に曲がり、倒れた彫刻の様に、地面に転がった。
炭化した皮膚の上に体液が滲み出し、ブクブクと沸騰する。
「……」
目の前で人が燃え上がる。その状況を理解するのに、その場の全員が時間を要していた。
やがて火は消え、炭化した黒い物体だけが転がっていた。
「そんな、バカな……一体何が……」
雪江の呼吸が荒くなる。
「書記長! ここは危険です。直ちに戻りましょう!」
倒れこんだ雪江の両脇を生徒が抱え上げ、後ろに下げる。
「待て、おかしい。こんな事、こんな事がある筈がない!」
必死に振り払おうとしたが、雪江の力では屈強な生徒たちから抜け出す事が出来なかった。
夏美と共に、装甲車に入れられる。
「嘘だ!」
その声を掻き消す様に、装甲車のハッチが閉められた。
四月二八日〇九三一時 統合術科学校 中央委員会委員長室
「よって、未だ本発火現象の原因は不明でありますが、菅原真紀子による焼身自殺の可能性が高いとの考えは、国家公安委員会及び本校の校内公安委員会の共通の見解であります」
報告する生徒の言葉を、雪江はなるべく普段通りに聞こうとしていた。
学校を統括する自分が、弱い所を見せてはいけない。
その理念に則り、可能な限り平然を装っていた。
「また、これは速報であり、不確定な情報でありますが、霞ヶ関にある菅原真紀子の高等監察官室、及び自宅より発火があり、消防によれば時限式の発火装置を用いたものによる可能性が高いとされています」
平然を装ってはいたものの、言葉の殆どは耳に入らない。
「以上で本件に関する第一次中間報告を終わりにします。詳細はこちらに」
報告書を渡される。
普段通り、ページを捲ると、読み始めるふりをしながら、
「ご苦労だった。下がってくれ」
と伝える。
一人でいたい。
そういう気持ちの方が大きかった。
(なぜ、自殺を図ったんだ?)
無理やり報告書の文字を目に焼き付ける。
〈焼身自殺〉の文字。
校内公安委員会が完璧と言って良いほどまでに行った身体をすり抜けて隠し持っていた発火装置で、自殺。
しかし、雪江にはそれが本当だと思えなかった。
だが、それを否定しようにも周囲の人間は誰も被害を受けていないし、焼夷弾や焼夷弾頭の付いた矢は転がっていない。
どちらかというと消去法で、菅原真紀子が自殺をしたという結論だった。
その時、ドアがなる。
「鮫島だ。入るぞ」
その名前を聞いた瞬間、雪江は席を立ちあがった。
「鮫島大佐、わざわざこちらまで。ご連絡していただければ私から向かいましたのに」
「構わん。それより、雪江、貴様に話がある。重要な話だ。鍵を閉めていいな」
部屋入口の鍵を閉めると、帽子を取り、応接スペースの椅子に座った。
雪江も、対面に座る。
「何から話そうか……そうだな。
雪江。雪江が昨日渡してくれた報告書があったな。あれを読んだが……あれは実に素晴らしいものだった。あそこまで詳細に記録された報告書を読んだのは、いや、聞いたのを含めて初めてだ。些細な異常も見落とさず、実にいい着眼点を持って真実を求めている。一〇〇点満点中一二〇点はあげもても良いほどだ。だから……処分した」
沈黙が室内を覆う。
「処分……とは、どういう事ですか?」
信じられないと言った表情で問う。
「もしもあれが機関の眼に触れれば、雪江は、あの報告書の作成に関わった生徒共々殺されるだろう。先ほどの菅原高等監察官の様に」
「殺される……先ほどのも、そうだったのですか! そもそも、何故それをご存じで? もしかして……」
「ああ、そうだ。私はF機関に所属する人間だ」
雪江の口がぽっかりと開いた。
半ば放心状態となる。
「私も正確な情報を得ている訳では無いが、おそらく菅原高等監察官は、F機関の所属する兵器で焼かれた可能性が高い」
「焼かれた……そんな、人が密集している中、中央にいる一人だけを焼く事が可能な兵器があるとでも仰るのですか?」
「ああ。その通りだ。指向性光線兵器だろう」
「ふざけないでください!」
バンッ
テーブルが叩かれた。
「当然の反応だ。
では、話を変えよう。
雪江、貴様は、この国がおかしいと思った事はあるか? 具体的に言えば、何故、あの戦争に勝利できたと」
雪江には〈あの戦争〉が指す言葉が、中香紛争でもなければ満ソ戦争でなく、三〇年前の戦争であるという事は言われなくても分かっていた。
「それは……確かに疑問に思った事があります。
工業力・用兵理論・基礎科学力・保持戦力・補給能力。いずれも劣る我が国が、敗北という敗北が、最後に行われたハワイ諸島上陸作戦のみというのには疑問に思った事があります。ですが、それは確定された事実であり、運や前線指揮官の能力が高かったために……」
「それは教科書に書かれている事だ」
雪江の言葉がさえぎられる。
「実は、我が軍は大きな敗北を喫していたのだよ。ハワイ諸島の一年前、ミッドウェーにて。
一九四二年の六月。我が軍はミッドウェー諸島に対し攻撃を行った。そして当時少佐だった私は偵察機に乗って戦闘詳報を書いていた。その時、空から艦隊が降ってきた。
厳密には、機動艦隊から五〇キロの地点の上空五〇から一〇〇メートル程の高さに、艦隊が出現してそれが海へと落ちていった。
落ちた衝撃で駆逐艦が数隻ひっくり返ったが、空母や巡洋艦は無事だった。
その艦隊は恐ろしく強くてね。
直後に襲来した米軍機をバタバタと撃ち落としていった。しかも、不思議な事に爆弾を落とした機体だけを、正確にね」
鮫島の顔が少し笑っていた。
「ここまで話せば察せると思うが、のちに彼らがF機関を作った。厳密には、F機関を強化した。彼らの持つ兵器は現代の国家軍隊ですら叶う事が出来ない。無敵だ」
「つまり……つまりは、現代をも凌駕する技術力を持った艦隊が、三〇年前に現れたと」
「そうだ。彼らは西暦二〇二七年から来たと言っていた」
「西暦二〇二七年ですか? つまり、未来の日本から?」
「未来の日本かは知らない。少なくとも、この世界の日本はその世界の日本とは違った道を歩んでいる」
「どの様な歴史なのですか?」
「――戦争に負けた。とだけ言おう。それだけは私も納得した。私は学生の頃、米国に留学した事があったが、あの国の工業力には肝を抜かしていた。そして、核兵器の実戦運用も今大戦中に行われるであろうとはうすうす気づいていた。だがな、その後は聞きたくなかった。特に、飛ばされる直前の日本は、聞いていて反吐が出る。違う歴史を歩んでいる以上、違う価値観を持っているのは当然だが、聞いていてその軍、いや、彼らは軍の体系を成しながら軍を名乗る事すら嫌っていたが、その軍がかわいそうに思えてきた。ここまで言って申し訳ないが、詳細は教えられない。それより、知らない方がいい」
「そこまで価値観が違ったのですか?」
「ああ。でも、それはお互いだ。
彼らも、私の思想に価値観の違いを抱いていた。
おそらく、彼らも反吐が出る思いで私の反論を聞いていただろう。
社会を見ていれば分かる。みんな、世間に合わせた価値観を持つ。価値観は絶対的でなく、その社会に順応する。ならば、社会が異なれば、価値観も違う。それだけのことだ。話が逸れてしまった。これが、私の知っているF機関の真実だ。これ以上は、貴様を不幸にする。
それと、最後に、現在分かっている。菅原高等監察官の行た真実について話そう。彼女の名誉のためにな」
姿勢を一度正す。
「菅原高等監察官は、間違いなくF機関の一員だった。私も一度機関の人間として会った事がある。
彼女は社会では高い身分だったが、機関の中では下っ端をやっと抜け出した程度の立場だった。まともな情報をもらえる立場ではなくて、F機関がいつ、だれによって作られたのかすら教えてもらえない立場の人間だった。
その時、ある情報が流れた。
F機関の秘密を探ろうとしている人間んがいると。
良くある話だ。それで何人の人間が殺されたか、数えれば枚挙にいとまがない。でも、その対象は少々特殊だった。
この学校の書記長。つまり、雪江、お前だ」
雪江の顔が引きつる。
「話にきけば、菅原高等監察官はその実行を回避するように進言したらしい。しかし、却下された。当然だ。機関の秘密は外部に漏れてはいけない。でも、彼女は諦めなかった。その数日後、この学校に工作員の侵入事件があっただろ? それが、彼女の起こしたものだ。
この学校に眠っている、F機関に関する情報を持ち出そうとしたらしい。しかし、結果は失敗だった。
機関は当初、本当にこの学校を工作員が襲撃したのかと思う程巧妙だった。しかし、それも時間の問題。
菅原高等監察官が行った可能性が濃厚となった。そして、今回の事件がおきた」
一瞬の沈黙。
再び、話し始める。
「当初の目的は不明だったが、おそらく、菅原高等監察官は雪江を守ろうとしたんじゃないのか?
逮捕して監禁すれば、その間は雪江達は安全だ。その間に証拠を集め、世間に公表する。そういう策じゃなかったのか?
あの機兵をベトナム経由でソ連に送ろうとしたのも、国家までもが機関の傀儡となっているのだから他国を利用するしかない」
「そん……な……」
唇が震えた。
「仮にすべてが失敗し、捕まったとしても、彼女には未だ裁判の法廷という公の場が残されている。そこで、全ての事実を報告し、F機関の存在を世間にばら撒こうという算だったのかもしれない。
今となっては分からないが、機関はそれを恐れて殺したというのは確実だろう」
「そんな……私、叔母さまに何て事を……
そんな……なんで……なんでそこまでして……」
「機関の作ったリストでは、菅原真紀子は南条千春の事を敬愛していた。ここからは完全に私の推論であるが、最も敬愛している姉を殺してしまった罪滅ぼしとして、その娘である雪江と夏美の二人を救おうとしたのだと思う。機関を相手にしてでも。
敬服に値する勇気の持ち主だ」
「そんな……うっ……くっ……」
雪江の顔は下を向いた。
「鮫島閣下。申し訳、ありません。一人にさせてください」
「わかった。また連絡をする」
静かに席を立った鮫島は廊下に出る。
扉の向こうから、少女の泣き声が響いた。
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