4.8 干渉

四月二八日 〇六〇九時(現地時間〇四〇九時) ダナン空軍基地第二航空機格納庫




 扉があきっぱなしになっていた倉庫の中には、誰もいなかった。


 天井につらされた水銀灯は高い光束を持つ可視光波長の電磁波を放ち、発電機はひとりでにシリンダーの中でガソリンを爆発させていた。


 そして、その中央に存在する黒い塊。


 それが高高度戦略偵察機『慶雲二一型』であるという事は一瞬で分かった。


 先ほどまで作業者がいたのだろうか? 作業台の上には工具が散乱しており、おまけに試験管やメスシリンダー等の化学実験に使う道具まであった。


「ここで慶雲を調査しているの?」


「いや、本格的な機体の調査はしていないと思う」


 周囲を警戒しながら、作業台に近づく。


《気化可燃物質を検知。濃度、低。爆発の危険性は低。近くに可燃性物質があります》


 机の上のノートを見たと同時に、機兵が注意喚起をしてくれた。


 視覚と聴覚の双方で、何をしていたのかが分かる。


「慶雲の燃料を調べていたみたいだ。どうやら、本気でコイツをソ連領まで飛ばすつもりらしい」


 ノートに書かれていたのは化学式だった。


 殆どはロシア語で書かれているのでわからないが、化学式は分かる。


 俺は有機化学は専門外で、授業で受けた事は無いが、少なくとも炭化水素、もっと詳しく言えばメタン系炭化水素。つまりはアルカンであるという事は分かる。


 一般的な航空燃料は軍用規格も民間規格もほぼ同じで灯油に似た成分のケロシン系の燃料だが、慶雲は高高度を超音速で長時間飛ぶ事を念頭に作られており、耐熱性(超音速時になると空気の断熱圧縮により機体表面が二〇〇℃を超える)や、真発熱量の要求値が高くなるため、より高性能な燃料を搭載している(と聞いている)。


「それで、ここで燃料を合成しようとしているの?」


「多分。ただ、ある程度は出来上がっているみたい。どちらかといえば、もう候補は立ててあって、その中でどれが一番近い燃料かを探しているってところかな?」


 回りにおかれたタンクを見渡す。


 それぞれのタンクにアルカン、シクロアルカン、アルキベンゼン、ナフタレン、トリエチルボランなどの炭化水素の配合比が書かれている。文字はロシア語で書かれているらしく、判読ができないが、化学式はわかる。


 少なくともこれだけの炭化水素がこの場にあるという事は、数日前から慶雲がこの場に来るという事が分かっていたのだろう。相当綿密な計画を練っていたのか?


「燃料を作られる前にさっさと爆破する」


 背嚢から爆薬を取り出したテルラさんは、開放された脚部の付け根から中にするすると入りこみ、爆弾を設置した。


「何か手伝う事はある?」


「周辺警戒と、何か情報があればそれの探索」


「了解」


 とりあえず、格納庫の周囲の窓から外を眺める。


 遠くでは結構活発な動きがあるようだが、未だ来る気配はない。


「藤本純太郎、君は出発前、私にこの任務への参加理由を問いたよね?」


 作業しながら話しかけてきた。


「ああ」


「私の参加理由は……その、私の存在価値を知りたかった」


 予想外の理由だった。


「それは、どういう意味?」


「もう気づいていると思うけど、私は特ユ移民。小学校の頃にパパに連れられて日本に来た。パパはとても歓迎された。脱出する時に何も持ってこられなかったけど、国が家も、家財道具も、生活費も、私が学校で使う教材まで全部支給してきた。でも、この国が必要としていたのはパパで、私じゃなかった。学校で私に話しかけてくる人はいなかった。」


 やっぱり特ユ移民だったか。


 話を聞きながらも、内部を捜索する。


 格納庫の隅に、事務所の様な場所があった。


「何の為に日本に来たのかわからなかった。これだったら、壁の東側で貧しくても、みんないる生活をしていた方が良かった。何の目標もない生活を続けるのが嫌で、嫌で嫌で、それで、誰かの為に生きる事すらできないのなら、国家の為に生きた方がマシだと思った。

 でも、それすら叶わなかった。この学校の生徒は、みんな、私より出来ていた。中学校では学年トップでも、クラスでは只のお荷物。だから……だから、何か実績が欲しかった。公安委員会に入ったのもその為。それで、やっと、出会えた。私に存在価値を付けてくれる事件に」


 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。


 深刻な事を言っているというのは分かった。でも、それで悩む理由が俺には分からなかった。


「その為に、あれだけの危険を冒してまで、この作戦に?」


 立ち止まって、テルラさんの方を向く。


 テルラさんも、作業が終了したのか、それとも中断しているのか、作業を中断している。


「そう。この作戦を成功する事が出来れば、周囲の私に対する評価は上がる。それが私の理由。その……一応、伝えておこうと思って。それだけ」


「その後はどうするの?」


「その後って?」


「回りが見直した後。周囲からの相対的評価がテルラさんの人生の目的なの?」


 疑問点をぶつけてみた。


「そう。それがおかしい?」


「なんか、つまらない。友人ならまだしも、他人がいなきゃ成立しない人生って」


「だったら何? あなたは孤独に、無意味に生きるのが楽しいと思っているの?」


「俺はバカだから生きる意味何て考えた事は無いし、ましてや他人からの評価を気にした事何て無い。でも物を作るのが楽しい。作れなくても、設計しているだけでも楽しい。それだけで生きている。でも、孤独じゃない。同じ趣味を共有する人たちで情報交換は出来るし、他人からアイデアをもらう事もある。当然、そんな生き方しているから国語とか社会の点数は悲惨だけど、進級さえできれば良いって考えだから気にしない」


「それは……なんでも出来るから言える言葉。私は何にもできないし、私に近づく人何て、誰もいない」


「じゃぁ、アマチュア無線でも開局したら? ハムはすごいよ。情報を伝える事が目的じゃなくて、どこかにいる見知らぬ誰かと通信する事を目的として、それに全力を注いでいるからね。一回、無線で知り合って秋葉に行ったときに会った事がるけど合った途端『オタクはどのメーカーの無線機使っているんですか?』って聞かれてから三時間、ずっと一方的に語っていた」


 苦笑しながら捜索を再開する。


「まぁ、俺自体好き勝手に生きているタチの人間だから、他人の人生にどうこう言おうとは思ないけど、なんかつまんなそう。ただの非科学的な感情論だけど」


 言い終わってから暫くの間、テルラさんは黙っていた。


 怒ったかな?


 一瞬不安になったが、クスクスと笑い声が聞こえてくる。


「やっぱり、話して正解だった。確かに私の人生はつまらない人生かもしれない。悩んでいたのがありがとう。藤本君」


「俺は何もしてないよ。それはただ……ん?」


 事務室の扉が薄っすらと開いていた。


 開いていただけなら問題は無かった。


 問題だったのはその扉の厚さだ。


 見た目は木製の普通の扉なのに、厚みが明らかにおかしい。


 興味本位で扉の中に入る。


 薄暗い電球のついた室内。


 そこに大量の銃器が保管してあった。


 対戦車ライフルや機関銃、擲弾銃……かなりそろっている。こんなとこころに武器庫があるとは思わなかった。


「テルラさん、銃がある。結構使えそうだ」


 声を張り上げた。


 しかし、返事がない。


「テルラさん?」


 振り返った途端、全身に電流が流れた時の様な感触を覚えた。


 テルラさんが浮いていた。


 もっと正確に表現するならば、テルラさんが、首を絞められ、浮いていた。


 機兵が、テルラさんの首を片手で絞めていた。


 その機兵が茜だという事は、即座に分かる。


「茜! 俺だ、藤本だ! テルラさんを離してくれ」


 銃を構えると、茜にむける。


 しかし、それが全くもって無駄な行為であるという事は重々承知していた。


 俺がいままでそうしてきたのと同じだ。


「あら、純太郎。来ていたの」


 こちらを向いた。


 右腕の先では、テルラさんが必死にもがいていたが、びくともしない。


 普段は白い頬は真っ赤になり、目には涙が浮き上がっている。


 口はパクパクさせているが、声はかすり声しか出ない。


「茜、頼む、テルラさんを離してくれ!」


「分かった」


 テルラさんは床に転がり、ケホケホ咽る。危なかった。


「茜、菅原真紀子高等監察官は拘束された。今頃は逮捕状が出て、全ての指揮権が剥奪されている筈だ。だから、茜、戻ろう。学校に帰ろう」


「正式な命令書は?」


「命令書は……無い。俺が出る時は未だ陸戦隊が陸軍を包囲しただけだが、もう陸軍も撤退している筈だ」


「純太郎らしくないわね。全てが推測。そもそも、仮に菅原真紀子高等監査官から学校長権限が剥奪されていても、私にはそれが知らされていない」


「俺が今、伝えたじゃないか」


「純太郎は学校運営において何かしらの責任を負う立場、又は負う立場の者から権限を委託された、ないしは負う立場の者に指示を出す権限を持っているの?」


「それは無い。

なら、茜はどうするつもりなんだ?」


「私に与えられた命令は三つ。一つは、慶雲に乗ってこの基地に着陸し、現地に存在するもう一体の機兵を回収する事。二つ目はその機兵と共に乗って再び立ち、ソ連領空内に入り、現地で発せられる各種命令に従う事。そして、それを妨害する者を排除する事。簡単よ」


「つまり、茜はソ連に行くつもりなのか?」


「命令がそうだから、ソ連に行く事になるわ。多分、もう二度と日本に帰る事は無いんじゃないかしら?」


 言葉の重みに対して、あまりにあっさりとした発言だった。


「じゃぁ、どうしたら茜を学校に連れ戻す事が出来る?」


「私を連れ戻そうとするなら、それは妨害になるわ。だから、こうなる」


 テルラさんに視線を向ける。


「排除するだから、脅威が排除されればそれでいいわ。殺す必要はない。でも、殺す事が最善であった場合は殺す。それだけの事よ」


 それだけ……祖国を捨て、仲間を殺し、見知らぬ土地に骨を埋める事が、『それだけ』で定義される事象なのか。


 茜は個性の改変を受けている。


 その事を知っていても、信じられる言葉ではない。


「なんでだよ、何で、茜はそう平気で命令を実行するんだ? おかしいとは思わないのか?」


「純太郎、勘違いしないでほしいけど、私は菅原真紀子学校長代理の命令が正しいと思って行っているんじゃないのよ。今頃菅原真紀子学校長代理が捕まって、全権限を剥奪される事は目に見えて分かっている。でも、それはどうでも良い事なの。私たちは命令に従う。最善の方法で命令に従う。そのために生きているの」


「私たち?」


 首を傾げる。


「そう、私たち。私と、自分と、俺と、あたしと、その他第八実験科所属の隊員五四名の私達。

我々の目標は、近い内に発生すると予期される武力侵攻に対し、最小限にして最大限の効果を与える事を念頭に開発された先進歩兵システムの効果的運用であり、その目的は、俺たちが極めて綿密な連携を取りながら上官の命令に適切に従う事に達成される。私達の使命はそこにあり、有事法制の未整備を主とする政治的諸問題により万全な対応が見込めない状況であっても、国民の生命と財産を保護するために存在している。だから、あたしたちは意識を共有し、互いの長所を最大限に生かしているの」


 困惑……いや、恐怖に近い何かを感じた。


 個性の改変は、性格が変わる程度で済むものでなかったようだ。


 おそらく、今の茜の脳内には複数の個性が存在している。


 それぞれの個々は別々の個性であろがう。それらの長所が統合されて、理想的な兵士として茜が形成されている。


 鈴鹿先生の言っていたとおり、今の茜は膨大なデータの中に埋もれている様だ。


「そうか、残念だ」


 ゆっくり近づく。


 警戒でもすると思ったが、茜は一切動かない。


「テルラさんを休ませる」


 それだけ伝えると、テルラさんを抱え、先ほどの機兵がある部屋へと向かった。


「そして、その部屋にある銃を取り、私と戦うんでしょ?」


「ああそうだ」


「いいわ。わたしは爆弾を解体しているから。いつでもかかってきて」


 室内にテルラさんを寝かせると、辺りを物色する。


 何か、良い武器は無いか?


 本来なら一五式自動砲を持ってくるべきであっただろうが、あれは重すぎて動けなくなってしまうため、却下された。それに装甲に対し垂直に着弾したら大抵の距離において装甲を貫徹する事は目に見えている。


 だが、三〇口径で歯の立つ相手とも思えない。


 何か良い兵器は――あった。


 全長二mを超す巨大な銃。


 見た事ある。


 シモノフPTRS1941だ。


 大戦中にソ連が開発した対戦車ライフル。


 一五式自動砲と比較すれば弱い対戦車ライフルであるが、三〇口径はおろか五〇口径と比べても十分使い物になる。


 それに、弱ければ機兵だけを無力化して茜を助ける事も可能になるかもしれない。


 確か装甲の耐弾設計は再厚部で三〇〇mより放たれる十二・七mmNATO弾。それ以上の弾丸を受けても表面の炭化ケイ素セラミックスやグラフェンシートが砕ける事によって衝撃を吸収するが、ある程度の効果はある。


「テルラさん、万一の時はこれを使って。」


 背負っていた四二式を倒れこむテルラさんの隣に置くと、弾丸と銃を取り、部屋を出た。


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