4.5 核子間相互作用
四月二八日 〇一四一時 ベトナム・ダナン湾沖二〇〇km 工学実証艦わだつみ
艦内は、一般的な潜水艦と比して(といっても体感で比較できるのはイ一三だけだが)さほど変わらなかった。
汚れが一切無い事に驚いたが、それ以上に、案内された発令所の方が驚いた。
何せ、ありとあらゆるところが画面で占められていたからだ。
しかも恐ろしく解像度の高いカラーモニターだ。
「速力強速、面舵二〇」
「速力強速ヨーソロー」
「面舵二〇ヨーソロー」
発令所内に響く波音さんの声と、それに呼応する乗組員の声。
舵取りや、速度調整こそはレバーで行っているものの(でも多分機械的には繋がっていない)、ベントやバルブ等の管理等は全て画面をタッチする事で行われていた。
この様だと、人間は指示を出すだけで、実際にバルブを閉めるのは機械だろう。
全てに電気的な開閉器をつけているのか。凄いな。
更に、波音さんを含めた殆どの者が地下室で見た板型のコンピュータに似た物を持っている。(タブレットPCって言うんだっけ?)
そこに、情報が表示されているらしい。
「何なの……これ……」
隣からテルラさんの声が伝播した。
その波形は、定常状態におけるテルラさんが発する波形ではない。
恐怖――と言った方が良いだろうか?
「潜水艦の発令所。それ以上でもそれ以下でもない」
音圧に変化をつけない言い方をする。
他にどう応答して良いのかが判断できない。
「それは分かっている。私も、潜水艦に関しては素人だと自覚している。でも……でも、おかしい。こんなの、現代の技術を超越している!」
艦内に木霊した。
当然だ。俺でも困惑した。
何といえば良いのだろうか? 俺も確認した事は無いが、おそらくは未来……いや、厳密に言えば平行世界にあった潜水艦だろう。
「そうだよ。だって、この子は二〇二六年に出来たんだよっ!」
さらっと真実を語り始める波音さん。
機密事項の概念は存在するのだろうか? それとも、テルラさんも開示されて良い事柄なのだろうか?
「室町時代に出来たって言うの?」
「ちーがーう! せーれき二〇二六年」
「そんな、あり得ない。未来から来たなんて――SF小説でもないのに……
藤本……藤本純太郎は、この事を知っていた――いや、信じているの?」
チェレンコフ放射光の様な瞳がこちらを向く。
「俺もつい数時間前に知った。鈴鹿先生から教わった。詳しくは知らされていないけど。
証拠たる物が存在しない以上、この艦が本当に西暦二〇二六年に出来たかはわからない。でも、状況証拠のみを並べるなら、それは当然と考えるのも何ら飛躍した理論ではない」
「なぜ信じられるの? 普通は信じられない」
「俺も完全に信じてはいない。でも、一般常識では信じられない事が当たり前な事は、世の中に普遍的に存在するから違和感はない」
その言葉に、テルラさんの首は傾いた。
具体例を出した方がいいかな?
「そうだな……例えば、原子構造。テルラさんも原子構造が原子核と、その周に電子が確率論的に……いや、電子が回っているのは知っているだろ?」
ここでは縦に振られる。
何か、物理学の講義をしているみたいだ。
「そして、その電子は決まった軌道に決まった数しか入れない事も習ったよね?」
再び縦に振らる。
「でも、考えてみれば、一見すると隙間が一切存在しない物質でも、細かく見ると野球場に一円玉が一個転がっているくらいすっかすかで、更にその周りを電子が延々と回り続けるなんて、マクロな世界で起きえる?
でも、多くの科学者はおろか、一般人でもそれが正しいと思っている。観測結果から導き出された推論でしかないのに。それと同じ事だと解釈している」
「結果からの、最も合理的な推測って事?」
「その通り。俺も心の底から信じてはいない。でも、結果を見る限り、これだけの技術が現代に存在するとは考え難い。特に、人間の脳内を書き換えてしまう技術なんてね……」
自分の言葉で、この作戦の主目標を思い出した。
そうだ。未だ、作戦は始まってすらいない。
俺たちの主目標は、茜の救出である。
そのために数千kmの旅路を着た。
後は二百km程でたどり着く。
「波音さん、後どれくらいで着く?」
「うーんとねぇ、北ベトナムの対潜哨戒網がどれくらいかにもよるけど、六時間くらいかな?」
「六時間……長いな。でも潜水艦だと仕方がないか」
小坂司令官から頂いた資料から推測すれば、慶雲は三時間前にはダナン空軍基地に着陸している。仮に、慶雲がそこで夜通し給油や整備をしているのなら(そもそも、何故北ベトナムの空軍基地に容易に着陸出来たのかは謎だが)後五時間もしない内に再び飛び立つことが可能になる。そしたらもう補足は不可能だ。
「でも、頑張れば三時間くらいでつくよ」
「えっ?」
単純に計算すれば四〇ノットを超える。
ソ連の原潜には四〇ノット近い速度を出す潜水艦もあるが、これだけ大きな潜水艦がそんな速度を出せるとは考えにくい。
当然『頑張れば』という精神論で乗り切れるものではない。
でも、そうなのだろう。
「是非、お願い」
頭を下げる。
「うん、いいよ。でも、一つお願い聞いてくれる?」
「俺に出来る事なら何でも」
「じゃぁ、後でなみちゃんのお部屋に来てくれる?」
案外楽な案件だ。書類整理とかかな?
「いいよ」
「やったぁ!」
何をする事になるのか分からないが、まぁ、俺に不可能な事は要求して来ないだろう。まさか、この艦の修理とかはさせられないだろうし。
「ねねっ、航海長、充電は何%済んでいるの?」
「七四%です」
「じゃぁ、できるね。第二機関、点火用意始め」
「ヨーソロ、第二機関、点火用意始め」
第二機関?
この艦は二つの機関を積んでいるのか?
ソ連の原潜みたいだ。
「第一機関、制御棒配置パターン変換。出力最大」
「液体水素注入開始。SCMC冷却開始」
「SCMC中心温度七〇ケルビン。抵抗、〇オーム」
「SCMC出力設定二五テスラ。電路変更、充電より放電へ切り替え」
「ECH出力上昇。イオン中心温度八五〇〇万ケルビン」
「プラズマ化重水素再加熱開始」
「ベータ値二八・五パーセントにて安定」
「イオン中心温度、一億三〇〇〇万ケルビン突破」
「システム、オールグリーン、点火準備完了」
ひょっとしてこれは……
「第二機関、点火!」
波音さんの号令が飛ぶ。
「ヨーソロー。プラズマ化トリチウム注入開始」
「中性子線検出。機関、燃焼開始」
「Q値、一を突破。臨界プラズマ条件達成」
目の前で行っているのは、乗員達がパネルを触っているだけ。しかし、行っている事は壮大だ。確かに、この艦が『工学実証艦』と呼ばれているだけの事はある。
いや、この艦が建造された年を考慮すると、むしろ遅いのか?
今世紀末には実用化の目途が立つという話を聞いたことがあるので、その後どれだけ計画が難航したかが予想できる。
関心していると、床が傾いた。
いや、違う。加速している。
「機関出力上昇。冷却水圧力、七メガパスカル」
「イオン中心温度、六億八〇〇〇万ケルビンにて安定」
「Q値、五〇にて安定。自己点火条件を維持。電路切り替え」
自己点火条件を維持――確かにそう聞こえた。
「波音さん、これって、ひょっとして、核融合炉?」
最大の疑問を問う。
「そーだよ! 正式な名前は、たしか……トカマク型高ベータ熱核融合炉だっけ? 未だ実証炉段階なんだけどねっ」
実証炉といえど、核融合炉には変わりない。
その点火の瞬間に立ち会えるとは、なかなか良い経験が出来た。
俺は興奮を隠せずニヤニヤしたが、対照的にテルラさんは無表情だった。というより、目が死んでいる。
定性的に推測するのなら、眠いのだろう。
時間は未だ〇時を過ぎた程度。人によっては眠いかもしれないが、毎日レポートに睡眠時間を奪われている人間にとっては、未だ早い。それに、機内では寝ていた。しかし、テルラさんは極度の緊張感の中操縦桿を握っていたのだから精神的に疲弊していてもおかしくない。それに、先ほどの点火する場面も、何にも知らない人からすればただの意味不明な単語の羅列に過ぎない。
「波音さん、この艦に寝床って余っている?」
潜水艦は狭いのが当たり前だが、乗組員以外の人間も臨時で載せる事はあるため(建造業者の技術者とか)乗員数以上の寝床が用意されているのはよくある事だ。
大戦中には設計以上の人員を必要とし、一人一床の寝床も無かった潜水艦もあったと聞くが、さすがにその事態は起こらないだろう。
「あるよっ、案内してあげる。航海長! 近くについたら教えてねっ!」
「了解」
荘厳な空気に包まれた発令所を出て、艦内を進むと、ある部屋の前に出た。
部屋と言ってもカーテンで仕切られただけの部屋で、奥には同じくカーテンで仕切られただけの二段ベッドがあり、手前にはロッカーと申し分程度の事務机がある。
机と壁の間は一m程で大人だとすれ違うのがやっとな幅しかない。
一般論からしたら『狭い』に該当する大きさの部屋だが、三段ベッドのすし詰めが当たり前な潜水艦の中では『広い』に該当する大きさだろう。
俺も広いと感じた。
「ここだよっ。好きに使っていいよ」
「ありがとう。使わせてもらう」
それだけ言ったテルラさんは下のベッドに潜りこみ、カーテンを閉めた。
よっぽど眠かったのだろう。
「ででっ、じゅんくんはこっち!」
「ああ、さっきのか」
艦長室に行くと約束していたな。
腕を引かれながら再び艦内を移動すると、今度は艦長室にたどり着く。
ここは他と違って扉が存在し、扉の右側には何かの装置が存在した。
波音さんが背伸びをしながらそれに指を押し当てると扉が開く。
あの地下室にあった装置と同じ原理で動いているのだろう。
「入って」
室内に引っ張られる。
室内の光景は、先ほどの部屋とは対照的だった。
まず、広い。
手前に応接スペース。奥にデスクとベッドがあり、潜水艦はもとより、洋上艦と比較しても広いのではないだろうか?
そして、ぬいぐるみ。
周囲一帯をぬいぐるみが占拠していた。
よくぞこれだけのぬいぐるみを原子力潜水艦の中に持ち込んだものである。
そういえば、ここに応接スペースがあるという事は、会議でもこの部屋を使うのだろうか?
「どう? すごいでしょうっ! なみちゃんの、秘密の部屋っ!」
秘密というよりは機密の部屋だろうけどな。
事務机の後ろに視線を向ける。
そこには小さな扉と、入口にあった装置より少し大きな装置がある。
あの中には有事の際の命令書が厳封されているのだろう。
さて、機密区分は軍極秘かな? 軍機かな?
「すごい、ぬいぐるみがいっぱいだね」
とりあえず、それ以外の感想を述べた。
「うんっ! 半分はママがプレゼントしてくれたので、もう半分は、艦のみんながプレゼントしてくれたのっ!」
あっ、あの方達、ぬいぐるみ買うんですね。
愛されているな。
「みーんな優しいんだよっ。それに強いし、頼りになるのっ」
「お城のお姫様みたいだね」
艦長なのだからどちらかというと女王か。
「うんっ、でね、王子様も来てくれたから、なみちゃんとっても嬉しいの」
王子様?
何度か言われた気がするが……俺って事か?
違う可能性もある。
「そうか、王子様が来てくれたのか。よかったね」
とりあえず違う可能性にかけてみる。
「ねー。なみちゃん、王子様がお城に来てくれて、とっても嬉しい」
ぎゅっと、腕にしがみつかれる。
ほのかな温もりと共に、甘酸っぱい芳香が嗅覚を刺激する。
「そっ、その、波音さん。王子様はどこにいるのかな?」
「王子様はじゅんくんの事っ! あと、じゅんくんは王子様なんだから呼び捨てでいいよ。ううん、呼び捨てじゃなきゃダメっ!」
おう、凄いオーダーが来た。
今まで女子を呼び捨てで呼んだ事なんて茜くらいしか無かったのに、ハードルが高すぎる。
いや、物理的な難易度は無きに等しいけど。
「こっち来て」
今度はベッドの前に連れて行かれる。
「座って」
要求に応じる。
すると、膝の上に座ってきた。
質量としては、極めて軽い。血管は圧迫されず、痺れる気配も無い。しかし、十代中盤の女子特有の芳香は漂うし、温もりもしっかりと感じる。
「ねぇ、じゅんくん。ギュッてして」
「ギュッ?」
「そう。こーやって」
俺の両腕を、波音さんの前で交差させる。
別に、嫌ではない。むしろ、男として本望であろう。
しかし、何か違う。
でも、今はそれを考えないでいよう。
腕に力を掛ける。
抱きしめた波音さんの感触は、折れてしまいそうに細く、か弱く、それでいて、柔らかさと温もりがあった。
これまでにない程に気化した波音さんの芳香が嗅覚を刺激し、体内のホルモンバランスが変わる。
血液が溜まる。
「なみちゃんね、今まで一人だったんだ」
唐突に、話し始めた。
この角度からは表情を確認することができないので何とも言えないが、声色が少し違う。
「艦のみんなは優しかった。何でもいう事聞いてくれたし、守ってくれた。だから嬉しかったし、幸せだった。でもね、気付いちゃったんだ。みんな、ロボットだったんだって」
「ロボット?」
「本当の意味のロボットじゃないの。心が、ロボットなの。みんな、なみちゃんに従って、守る様に命じられたロボットなの。みんな、心の底からなみちゃんを心配してくれるし、まもってくれる。でもね、それは、帽子をかぶったからなの。みんな、帽子を被ったから、なみちゃんの事を大切にしてくれるの」
これは、俺の推論に過ぎない。しかし、恐らくは合っているだろう。
この艦の乗員は全員、オメガシステムによる性格の改変を受けている。
茜の場合、オメガシステムは茜を理想的な兵士へと改変した。潜水艦に特化したオメガシステムならば、理想的な潜水艦の乗員へと性格を改変するのは容易だろう。
故に、彼らの波音さんに対する対応は、本心でありながら、自分由来のものではない。艦長に対する敬意、忠誠であり、波音さんに対する忠誠ではない。等価ではあるが。
「だからね、じゅんくんが初めてだった。初めて、なみちゃんを守ってくれた。だから好き」
手に圧力を自分の表皮温度より高い温度を感じた。
手を握りしめている。
「ねぇ、じゅんくん」
「ん? なに?」
「このまま、一緒にどこか遠くへ行こうよ。ロミオとジュリエットみたいに」
「お城ごと駆け落ちするとは斬新な駆け落ちだね」
不真面目な応答しか出来なかった。
まともな応答が思い浮かばなかった。
「なみちゃんは本気だよ。だって、この艦だったらなんでも出来るもん。すっごく強いよ。食べ物だって、補給しなくて良いんだよ。肉も野菜も、作れるんだよ」
人口農園がるのだろうか? 肉も……という事は、肉の培養技術を持っているのか?
「仮に――この艦が自力で食料を生産出来て、事実上行動が無制限であったとしても、工業製品は必ずメンテナンスが必要だ。使い捨てでない限り、完全なメンテナンスフリーの複雑な構造を持った機械何て存在しない。それに……」
波音さんをいわゆるお姫様抱っこで抱えると、体を反転させてベッドに寝かせる。
「俺は未だやらなきゃならない事がたくさんある。ベトナムに行った後も、また学校に戻らなきゃいけない。だから、暫くは無理だね」
ベッドに仰向けになった波音さんは、不服そうな顔を浮かばせる。
「じゅんくんの意地悪ぅ」
「ごめんね。でも、嘘はつきたくない」
「じゃぁ、名前よんで。そしたら許してあげる」
名前を呼ぶって……つまりはあれか、呼び捨てにするという先ほどの命令を実行すれば良いのか。
大して難しくはないが、恥ずかしい。
「なっ……」
PRINT”波音”
「波音」
半ば機械的に言い放ったその一言。しかし、それだけで波音さん……波音は満足したようで、表情筋を緩ませた。
「ありがとっ」
室内に、高調波成分を多く含む音波が反響する。
「じゃぁ、俺はそろそろ戻るね。おやすみ」
「うん、おやすみっ!」
部屋の明かりを消すと、艦長室から出た。
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