4.3 糖度
四月二七日 二三五三時 要塞艦素戔嗚 戦隊司令官室前
「航空管制士官の石川大尉であります。統合術科学校より乗艦した千歳、フランク、藤本の三名をお連れいたしました」
「入れ」
「失礼します」
俺たちも一声かけて室内に入る。
室内は、いつだかの映画でみた様な司令官室より大きかった。
というより、この艦は全てが大きい。
司令官室の右側に、巨大な模型があった。
あれは確か……怪獣映画の撮影に使われた一〇〇分の一スケールの巨大模型。
艦の前部には四基一二門の五一cm砲が黒光りし、後部の飛行甲板には、劇中の中盤で放射能熱線に撃墜されたメーサー攻撃機が駐機してある。
すごい、このサイズの模型は初めて見る。
「君たちが、本土からはるばる来た生徒たちかね?」
部屋の奥から声が聞こえた。
司令官用のデスクに、人が座っていた。
慌てて敬礼する。
声の主は、全体的に丸い影を帯びていた。
ふくよかな……いかにも大将といった感じの将官。
顎は三重に垂れており、軍服のボタンははち切れんばかりに張られていた。
こう言っては失礼に値するだろうが、一度も戦場に立った事の無いような印象を受ける人間だった。
何時間か前に会った鮫島大佐とは対照的な人物だ。
しかし、相手は戦隊の司令官。真っ先に、テルラさんがあいさつをする。
「はっ。この度は、要塞艦素戔嗚への着艦を許可していただき、ありがとうございます。つきましては……」
「おじちゃーんっ!」
突如、波音さんが駆け出した。
おっ、おじちゃん?
駆け出した波音さんは、司令官の机の前まで行き、ピョンピョン飛び跳ねる。
「ひっさしっぶりー」
久しぶり?
面識でもあるのか?
「おっほっほっ。
波音ちゃん、また大きくなったね」
野太い声が響く。
「うんっ!
なみちゃんはね、もう高校二年生なのっ!」
「おお、そうかそうか。もう高校二年生なのか。大きくなったね。そうだ、ケーキがあるが、食べるかね?」
「うんっ!」
なんだこの光景は。まるで実家に帰ってきた姪と叔父みたいじゃないか。
実際そうなのか? 血縁関係でもあるのだろうか?
「ほらほら、君たちも遠慮せずにおいで。そんな堅苦しくしなくていいから、ほれほれ」
「あっ、はい……失礼します」
誘われるがままに、来客用のソファーに座ると、どこからか来た水兵達がティーセットを持ってきた。
かなり本格的なものだ。
「このティーセットはね、この間、英帝の王立海軍との合同演習で貰ったものでね。紅茶も、それなりの物をもらった」
目の前で注がれる紅茶。
いいのかな? 生徒の分際で、こんな良いもの飲んじゃって……
右隣に座る波音さんは、そんな事を一切気にしていない様で、角砂糖を何個も放り込んでいた。
いや、波音さんだけではなく、対面に座る司令官もだった。
その体格になる理由が判明した気がする。
「おっと、自己紹介が遅れていたな。ワシは第二〇機動戦隊司令官、小坂峰次少将だ。大きいものと甘いものが大好きでね、こんな体になってしまったよ。おっほっほ」
満面の笑みを浮かべながら、角砂糖をティーカップに流し込む。
もはや、紅茶風味の砂糖水という表現の方が正しい。
いや、砂糖の濃度が幾つ以上になると、紅茶では無いというい定義は存在しないので、あれも紅茶に内包される存在か。
俺は角砂糖を一個入れたが、左隣に座るテルラさんは、一切入れずに、少しすすっていた。
俺も飲んでみる。
熱い紅茶が、舌の神経を刺激する。
味は……紅茶だ。
それ以上でも以下でもない。
そもそも、俺に紅茶の味なんてわからない。
それ以上に、小坂司令官の後ろにある模型が気になって味に集中できなかった。
「模型が、気になるのかね?」
小坂司令官に気づかれてしまったようだ。
「あっ、はい。すみません」
「ほっほっほ、気にししなくていい。君たちの年代ならだれでも見た事があるだろう。君の思う通り、あれは特撮映画の撮影に使われた模型を寄贈されたものだ。巧妙に出来ている。ただ言わせてもらえば、装甲誘導弾発射機は普段格納されているのだがね。まぁ、これはこれで上々」
全長四m……厳密に言えば、全長四・〇五m、飛行甲板の最大全幅〇・七八m、水平線上の最大全幅〇・五二mの模型だ。丁度一〇〇倍すればこの艦の大きさになる。
「ワシも、この艦に勤務できるとは思っていなくてね、光栄だよ。なんだって全部広い。二〇万トン以上もあるこの国力の象徴に乗艦出来るとはね。おかげで幸せ太りが増してしまったよ」
ゲラゲラ笑いながら、腹を叩く。
相手が相手だけに笑っていいのかわからないが、愛想笑いだけしておいた。
建御雷型要塞艦。
その二番艦が、この素戔嗚だ。
日々変化する戦術・戦略への柔軟な対応。
有事の際の軍・政府機能拠点。
自衛軍の統合的運用拠点。
この艦が作られた理由は無数にあるが、簡単な話、この艦は「海上要塞」として建造された。
理由は簡単。日本には、米ソに対抗できるだけの「数」を作る術が無いからだ。
日本の海軍戦力は空母八隻、大型戦闘艦八隻、要塞艦三隻を中核とし三〇〇隻の保有艦艇で構成されているが、海を挟んだ米国では空母一五隻、戦艦八隻、原潜一〇〇隻からなる六〇〇隻艦隊を実現させたと聞いている。とても勝てる数ではない。
世界第二位の経済規模も、米国が相手となるとそうもいかない。
海上戦力において、数で対抗できないのなら、質で対抗しようという、かつての戦艦大和に似た設計思想と、万一ソ連に本土上陸を許してしまった場合の反撃拠点が一体化したのが要塞艦だ。
絶対的な火力・防御力を引き換えに莫大な維持費を必要とするこの艦の存在価値は賛否両論ある。
否定的な意見では、かつてハワイ沖で航空攻撃によりあっけなく沈んだ大和・陸奥の様に、期待だけされて何の役にも立たない金食い虫というものがあるが、肯定的意見として同海戦において空母三隻を主体とする航空機動艦隊を壊滅させた武蔵・長門の様に、運用コストに似合った戦果を出すというものがある。
少なくとも、それぞれ小分けで作るよりまとめて作った方が安上がりで済むという事がこの艦が作られた要因の一つであるらしい。
「そうだそうだ、聞こうと思っていたのだが……君たちはどういう経緯で此処へ来たのかね?
鮫島は、必要最低限の事しか伝えてくれなくてな」
唐突に、質問がされた。
どう答えればいいだろうか?
「提督、自分が説明いたします」
テルラさんが説明を始めた。
逮捕状が出された事。占拠されそうになった事。書記長が茜を射殺しようとした事。鳴狐を修理した事。パラセル諸島沖での空戦。全て話した。
結局俺は何も説明しなくても全てが簡潔に述べられた。
言い終わった頃に、ちょうどケーキが届く。
目の前で水兵が切り分け、置かれる。
この時間に食べるのはつらいな。
「ほう。それは大したものだ。それだけの度胸と行動力を持った者はそう多くない。それで、君たちはこれからベトナムへ向かうというのかね?」
ケーキを食べながら話してくる。
俺も食べてみる。
甘っ……
普通のショートケーキの甘さではない。
砂糖がシャリシャリ言っている。
「肯定であります」
テルラさんは一切ケーキに手を付けていない。
「なるほど。それで、千歳君が必要になったという事かね?」
「それは……どういう意味で?」
視線が、波音さんに向かう。
これだけ甘いケーキを、頬にクリームをつけながら食べていた。
「おや、君たちは知らんのかね?」
「何をです?」
思わず発言。
互いにきょとんとした顔になる。
「では、君たちはどうやってベトナムに上陸するつもりなのかね?」
「それは……」
考えていなかった。
というより、軍が用意してくれるのかと思っていたが、そうではないのか?
いや、軍が送ってくれるのなら、俺たちが行く必要もないか。
だったらどうやって……
「ならば、説明は後にしよう。ささっ、紅茶が冷めない内に」
ケーキと紅茶を進められる。
恐ろしく甘いケーキを一口食べたテルラさんは、顔をしかめて紅茶を飲んだが、顔をゆがませる。
俺も飲んでみて分かった。
ケーキが甘いせいで、この紅茶がすごく苦く感じる。
小坂司令官や波音さんが行っていた様に、紅茶に大量の砂糖を入れるという行為はこのケーキの甘さを知っているのなら正しい判断なのかもしれない。
俺も三個角砂糖を追加して気持ち悪くなるほど甘いケーキを胃に押し込んだ。
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