項目四 人格の塑性変形

4.1 加速度


 四月二七日 二三一五時 パラセル諸島沖東二〇〇km高度九〇〇〇m地点




「起きて、何かいる」


 機内灯で手元を照らしながら幻月の取り扱い説明書を読んでいる時最中、突然肩を叩かれた。


 沖縄沖で給油を受けてから二時間後のことだった。


「どうした?」


 説明書を閉じて椅子の横に座る。


「左下。何かが光っている。念のために機内灯を消して」


「左下は……見られないなちょっと待って」


 機内灯を消してヘルメットの上から暗視ゴーグルを引き下げ、操作パネルを見る。


 緑色の視界に広がる操作パネル。


 パネルに描かれた文字を読むと、右側に取り付けられているカメラの操作ボタンを押した。


 説明書に書いてあるし、この程度なら直感でわかる。 


「できた」


 先ほどまで真っ暗だった画面に、機体下部に取り付けられた多目的戦術照準装置。簡単に言ってしまえば夜間でも使える高性能なカメラの画像を表示させる。(アメリカではペイブ・タック・ポッドがこれに相当する)


「見える?」


 どこだ……いた。


 熱赤外線画像と、光電子増倍管で光を増倍した画像を組み合わせた画像には、すさまじい量の廃熱を出しながら飛ぶ機体が映し出されていた。


 距離は左下二〇〇〇m程。ほぼ平行して動いている。


 形は大きい。いや巨大といった方が正しい。それも、一機や二機ではない。


 二〇機程の編隊。その周りに、同じ数程の航空機が浮いていた。


 おそらく、護衛の戦闘機だろう。


 俺たちと平行して飛んでいた。


「B―52?」


「たぶんそう。って事は、回りにいるのはF-4だな。それにB-36もいる」


 旧式ながらも現在配備されている中では最大の一〇基のエンジンを持つ超重爆撃機、それが、米国のB-36ースキーパー。そして、それの後継となるB-47ストラトジェットにB-52ストラトフォートレス。更にはB-58ハスラー……大型爆撃機なら何でもありといった有様だ。


 退役間近だったり退役したのに再就役した機体も含むごちゃまぜ部隊といえるが、これだけ大規模な部隊は日本では構成できない。


 これは撮影ものだ。


 思わず録画を開始する。


「レーダースコープには何も……」


 これだけ大規模な部隊が近くにいるのにも関わらず、レーダースコープからは僅かに雲の反射程度の影しか映っていなかった。


「大抵の航空機のレーダーは索敵用じゃなくて射撃の補助用でほぼ前しか検知しない。だから、真下を並行して飛ぶ機体はレーダーでは検知できない。これをルックダウン機能と言ってこの性能は結構高い軍事秘密になっている」


 レーダーとはそういうものだ。


 広範囲を検知するレーダーを作るのはそれ専用の設計になる。


 機首の僅かな隙間に入るサイズでは、前しか見る事が出来ないのは当然だ。


「――マニュアルはもっと読んでおくべきだった」


 声の音圧が、少し低かった。


 すると、護衛機の中の一機の機影が動いた。


 エンジンの排熱が急激に増加した。


 アフターバーナーを点火したか。


 まっすぐ近づいてくる。


 レーダーには映らない。でも、こちらが当初目視で見つけた様に、向こうも目視で見つける事は可能。


 それを忘れていた。


「見つかった! 回避!」


 とっさに叫ぶ。


 しかし、操縦桿は動かなかった。


「逃げないの?」


「ここは公海上。米軍も日本機を簡単に撃墜はしないはず」


 冷静な対応。


 確かにそうだ。


 俺たちは何も悪い事はしていない。

 

 おとなしく待った方がいのだろう。


 一分足らずで数機のF-4戦闘機に機体の左右と上を囲われ(見えないがたぶん後ろも)、無線が鳴り響く。


《こちらはアメリカ合衆国海軍所属機である。貴機の所属、航路、目的地を述べよ。要求に応じない場合は、敵対行動とみなす。

 繰り返す……》


 日本語を含む様々な国の言語で呼びかけてくる。


「こちらは日本国海上自衛軍機である。当機は、南シナ海方向へ航行中である。我が方に、貴軍に対する敵対意思はない。必要なら、進路の変更を行う」


 流暢な英語で答えるテルラさん。


 大丈夫か?


 厳密にいえば、俺たちは自衛軍機ではない。しかしながら、正直に軍用機に乗った生徒と言ったら余計怪しまれるだろう。訓練生でもこんな危なっかしい領域にいない。


《こちら、合衆国海軍所属機。了解した。進路を変更する必要は――ザッ……》


 ノイズが走った。


 通信機の故障か?


 それを疑った瞬間、機内にアラームが鳴り響いた。


 点滅する警告表示板には〈誘導電波検知〉の文字。


 つまり、ミサイルを打たれたという事だ。


 まさか、米軍機に攻撃された?


 しかし、回りの米軍機も急旋回を行った。


「捕まって!」


 激しい重力加速度と共に視界が霞んだ。


 強烈な重力加速度で血液が上っていない証拠だ。


 上昇し、高度を急激に上げる。


 急激に落ちる速度。


 慌てた様子でスロットルを押し込んだ。


 自動点火されるアフターバーナー。


 機体が旋回した瞬間、閃光が見えた。


 時間にしたら一sもないだろう。


 しかし、その僅かな隙間に見えた。


 赤く輝き、主翼が飛び散るB-52。


 弾薬庫に誘爆したのか、胴体が四散するB-36。


 見えた範囲でも四機の爆撃機が、一瞬のうちに撃墜されていた。


「米軍の爆撃機が? って事は……」


「レーダーに映った。北の方角。距離五〇キロメートルの地点に新たな反応。たぶん北ベトナム軍」


「北ベトナム軍? 待ち伏せか」


 運が悪い。


 どうするか?


 ここは交信して俺たちが日本機だというか?


 でも、今は通信機が不調……いや、これは妨害電波か。ならば交信は不可能だ。


 この機体はECM機能もECCM機能も搭載されているが、それは後ろの座席に座らなければできない。


「第二射検知。退避!」


 テルラさんは再び操縦桿を引いた。


 増槽も投棄して上げる。


 とにかく上げる。


 俺とテルラさんには、それ以外の回避方法が思い浮かばなかった。


 エンジンは悲鳴を上げ、高度は上がり、速度は落ちていく。


 現在の高度は一一〇〇〇m。


 外気は大気中で二番目に低い氷点下五〇℃の世界。気圧は地上の一〇分の一以下の、極寒で低酸素。生物の活動はまずできない。


 もし今、被弾して座席射出(ベイルアウト)したら、極寒の冷気が肺を凍らせるだろう。


 その恐怖で思考が停止したのか、或いは、それ以外に方法を知らなかったのか、機体はどんどん高度を上げ、速度はみるみる落ちて行った。


 再び鳴り響くアラーム。


 警告表示板には〈失速限界速度〉の文字。


 これ以上は危ない。


「機首下げて」


 返事がない。


 振り向くと、テルラさんは硬直したかの様に操縦桿を握っているだけだった。


 一切の動作をしない。


「機首下げて!」


 肩を叩く。


 少し強かったかもしれない。それで気づいたテルラさんはハッとしたかの様にこちらを向き、即座に操縦桿を前に倒した。


「ぐっ!」


 全身を襲う浮遊感。


 シートベルトが肩に食い込み、逆立ちしているかの様に頭に血が上る。


 全身が座席から浮き上がり、ベルトが肩に食い込む。加速度計はマイナス二・一を指している。逆さまよりキツイ。


 そして、徐々に赤くなる視界。


 遠心力で血液が上っている。


 頭が痛い。


 内蔵が持ち上がり、横隔膜が圧迫しているのか、呼吸ができない。


 苦しい。


 でも、ここで止めるわけにはいかない。


「まっまだ……下げて……」


 いま、ここで止めたら、失速する。


 赤い視界の中、水平器を凝視し、少し下に傾いたところでさけぶ。


「もっ……もどして……」


 腹から振り絞って、かすり声のような声しかでなかった。


 しかし、マイクに拾われ、テルラさんのヘルメットの中で十分に増幅された様で、操縦桿が戻された。


 血が下がり、視界が戻る。

 速度計は、息を吹き返したかの如く勢いよく速度を上げ、警告のアラームは沈黙した。


 危なかった。


 でも、それだけでは安心できない。

 まだ、脅威が消え去ったわけではない。先ほどから表示していた暗視映像には、乱戦模様の戦場があった。


 大半のミサイルを撃ち尽くした北ベトナム軍の戦闘機たちが、爆撃機の編隊に機関銃を浴びせている。


 それを防ごうとする米軍の戦闘機たちは、背後からやってきた別の戦闘機たちに蜂の巣にされていた。


 素人が見てもわかる統制のとれた動き。


 しかし、米軍側は数で物を言わせ、それを排除していく。


 人生で、初めて見る戦場だ。


 それも、かなり大規模な空戦。


 思わず、見とれる。


 その瞬間、甲高い声が聞こえた。


「じゅんくん後ろ!」


 右上を、光の線が走った。


 背後を取られた様だ。


「下げ舵いっぱい! 五秒後、上げ舵かけて!」


 再び襲う浮遊感。


 五秒後に操縦桿が引かれ、今度は座席に埋まる。


 腰が悲鳴を上げる。


 しかし、機銃掃射はかわせた様だ。


 それにしても、この声は……波音さん?


 後ろの席には波音さんしかいないはずだ。当然といえば当然。しかし、


「上げ舵三〇。機関最微速。エアブレーキ・フラップ展開。一、二番発射用意。信管VT誘導IR」


 エンジン出力が急減し、フラップが展開される。


 急速に落ちる速度。


 慣性で体が前に動き、ベルトが食い込む。


 だが、警告は表示されなかたった。


 このままいけば再び失速するだろうが、まだ時間がある。


 その間にミサイルを起動する。


「ごう、よん、さん、にい……下げ舵一〇。水平以下になり次第一、二番発射。発射後面舵いっぱい!」


 機首を下げる。すると、目の前に火の玉が現れた。距離は一kmもない。地上では遠い距離だが、現代の空中戦では至近距離だ。


 あの機影は、SU―17か?


 いつの間にか、追い越されていた様だ。


 ピーーッ


 鳴り響くブザー。


 ミサイルがエンジンの排熱を補足した様だ。


 反射的にミサイルを発射する。


 発射直後、テルラさんが操縦桿を倒した瞬間、空が赤く光った。


 カンカンと乾いた音が聞こえる。


 爆散した破片が当たった様だ。


 でも、この距離ならぎりぎり大丈夫なはずだ。


「フラップ格納。機関強速。舵水平。進路二一〇」


 まるで船舶……いや、潜水艦の様な指示であったが、なんとか一機撃墜できたようだ。


 撃墜できた? いや、撃墜してしまったという表現になるのだろうか?


 最後の有人戦闘機と呼ばれたF-104戦闘機が配備され始めてから早一五年。未だに戦闘機は人が操縦している。


 パイロットは脱出したのだろうか?


 慌てて暗視装置を操作したが、戦場はどれが先ほどの機体かわからないほど無数の機体が黒煙を出していた。


 どちらにせよ、ここは極寒低圧の高空。最寄りの陸地である西沙諸島までは二〇〇kmも離れている。


 その西沙諸島ですら、つい最近解放軍が武力占拠した事を考慮すると……生きて帰れたら奇跡といったところだろうか?


「大丈夫だよじゅんくん。じゅんくんは、何も悪い事していないよ」


 ヘルメット内に響く、波音さんの声。


「ありがとう。その、波音さんは、空戦の教練を結構受けていたの?」


「ううん。なみちゃんは一度も受けた事ないよ」


 予想通りといえば、予想通り。でも、意外といえば意外な答え。


「じゃぁ、どこで……」


「なみちゃんは、潜水艦なら一番詳しいんだよっ! だからねぇ、ぜーんぶ潜水艦だと思うと、分かっちゃうんだよっ!」


 潜水艦だと思うと……たしかに、潜水艦と航空機は三次元の行動ができる乗り物だ。だからとはいえ、直ぐに適応できるとは思えないが……でも、それが現実か?


「でも、さっきのじゅんくんかっこよかったよっ。」


「俺はミサイルの発射ボタンを押しただけだから、大した事はしていない。それよりテルラさんの操縦のおかげだ」


「――私も、指示に従っていただけ。私は、何の判断もしていない……」


 ぼそっと、小声で返答した。


「また来たよ。Mig-19が二機」


「舵取りは?」


「ちょっと待って」


 何かしている。


 そうか、ESMアンテナで敵の電波を逆探知しているのか。


 でも、あれだけ複雑高度な機械を使えるとはたいしたものだ。


「ミサイル来るよ。デゴイ発射。機関微速、上げ舵いっぱい!」


「了解」


 俺がデゴイを発射。同時にテルラさんがスロットルを弱めると操縦桿を引く。


 強烈な加速度が体を襲った。


 首が痛いが、命が助かるのならそれに越したことはない。


 近距離で発射されるミサイルは大抵、熱に反応する熱赤外線TIR誘導方式を採用している。


 それゆえに警報装置では検知できないが(発射方式にも依存するが)、こっちの排熱を減らし、他に熱源を用意すればある程度は誤魔化せる。


 途端、殴られたような衝撃が全身を振動させた。


 真下に見える赤い光。


 石をトタン屋根に投げた様な鈍い音が聞こえる。


 破片を食らったらしい。


 しかし、警報はならない。


 頑丈な機体だ。


「最大船速。上げ舵六〇!」


 スロットルを押し込み、アフターバーナーを点火する。


 エンジン出力に物を言わせた離脱。


 しかし、直ぐに追ってくる。


 加速性能に関しては戦闘機であるMig-19が高い。


 振り切れず、再び後ろにつかれる。


「デゴイ発射!」


 発射の振動。


 燃焼するマグネシウムと、糸状のアルミニウムが撒かれる。


 Mig-19から放たれた熱赤外線誘導のミサイルは、エンジンの排気口の前に現れた熱源を、真の熱源だと判断し向かう。


 その先に待ち受けているのは雲状に広がったアルミニウム。


 その雲は近接信管から放たれる電波を反射し、ミサイルが雲を抜けた途端、ドップラー効果により、周波数が低くなった電波がミサイルに反射される。


 信管作動。


 電流が流れた電気信管は即座に爆発し、主炸薬が誘爆した事により、無数の金属ロッドが周囲に飛び散る。


 その内、数個が機体に当たる。


 幻月に響き渡る鈍い金属音。


 一部がエンジン横の内部燃料タンクに命中し、タンクに穴を開けた。


 急激な圧力変動により、圧力センサが信号を出力。信号はコンピュータに入力され、コンピュータはスピーカーに警告音を、警告表示板には所定の位置の電球を点灯させた。


 デゴイを発射してから僅か五秒。この間に、これだけの事が起きた。


 逆を言えば、僅か五秒でこれだけの事が起こせる程、技術は進歩していた。


「バルブ閉鎖」


 腕を伸ばし、中央に取り付けられたバルブスイッチを切る。


 これ以上の燃料流出は無いと思うが、燃料が心配になってきた。


「波音さん、どうすればいい?」


「うーん、急降下……しても追いつかれちゃう。隠れる事も出来ないし……機関は止められないし……」


 お手上げか?


 ならば、できるだけの事をやってみるか。


 再び操縦桿を上げると、コックピットの端につけられた鏡を見る。


 車のルームミラーの様なものだが、ほとんど見えない。


 それでも、僅かにエンジンの光が見える。


 ついてきている。


 最近の戦闘機は、レーダーで機関銃の照準補助をしている。


 その照準補助の演算は膨大な為、数秒だけタイムラグがある。


 ならば……


「テルラさん、操縦を代われる?」


「えっ……構わないけど、出来るの?」


「一応」


「分かった。操縦桿を渡す」


「操縦桿を受ける。捕まっていて」


 そう叫ぶと、機首を真上に向け、本来なら着陸時に使う前縁フラップ、後縁フラップを一斉に展開した。


 途端、凄まじい揚力が翼を押し上げる。


 本来、揚力は機体を鉛直方向に引く力として働く。しかし、ほぼ真上を向いて飛んでいるこの機体では、その力は水平線方向に働き、あたかも水平に引っ張られたかの様な挙動を示す。


 ゴンッ


 衝撃に耐えきれず、どこかに頭を打った様だが、ヘルメットをしているから大丈夫だ。


 一瞬、機体の真下を機関砲の軌跡が走ったが、もう遅い。


 展開したフラップは、今度は抗力となり、只でさえ遅かった速度を更に遅くさせる。


 Mig-19がその減速・移動に追従できる筈もなく、前に現れた。


 自動的に照準され、ミサイルが熱源を補足する。


 食らえ。


 最後の二発を撃った。


 同時に、Mig-19もチャフ・フレアを放出したが、遅すぎた。


 こちらが機首下げを行ったと同時に、夜空に火の玉が浮かんだ。


 撃墜……二機目。


 あと一機。


 ミサイルは撃ち尽くした。


 この機体には、機関砲は備わっていない。


 あとは、逃げるだけ。


 最大速度はこちらの方がはるかに速い。しかし、加速度は向こうの方が上。


  ならば、別の方法で振り切るしかない。


  出来るか?


 ギリギリの高度で、人間が耐えうる最大限の加速度で旋回すれば振り切れるかもしれない。


 えっと、暗算しなきゃ。


F=mrω^2

v=rω

F=ma

ma=mvω

a=vω

v=1440[km/h]=400[m/s]

a=9.8×8=78[m/s^2 ]

ω=a/v=78/400=0.195[rad/s]

t=θ/ω=(π/2)/0.195=8.06[s]

r=v/ω=400/0.195=2051[m]


 速度とか適当に秒速四〇〇mとしてしまったが、いいかな?


 まぁ良い、やってみるか。


 速度が時速一四四〇km、最大重力加速度が九Gで垂直降下から水平飛行に戻すには高度二〇五一mから機首上げを行えば間に合う。安全を含めて二五〇〇mで機首上げを行おう。


「テルラさん、もしかしたら……いや高い確率で失神する。そしたら、操縦桿をお願いします」


「失神って……何するの?」


「時間が無い。二人とも、頭を下げて。頭を心臓と同じ高さにして」


 今度は操縦桿を前に倒すとほぼ垂直に降下する。同時に操縦桿を目いっぱい押し込む。


 真下に向かって降下を示す水平器。それで安定させると、今度はマッハ速度計を見る。


 ズドンと響く衝撃音。それと同時にマッハ速度計が一を超える。


 重力に加え、機体の推力で加速しているのだ。あっという間に目標の時速一四四〇kmに達する。


 乱戦中の爆撃機編隊の横を超音速で降下。さらに降下する。


 高度計は……現在七五〇〇……七〇〇〇……六五〇〇……


 正面は真っ暗な海。


 間違えたら、超音速で海面に激突する。


 そうしたら、木端微塵になることは目に見えている。


 四〇〇〇……三五〇〇……三〇〇〇……


「いくよ! 食いしばって!」


 二五〇〇!


 深呼吸をし、歯を食いしばると、スロットルを抑え、一気に操縦桿を引いた。


 途端、骨が軋む程の重さが全身に襲い掛かる。


「超過過重 超過過重」


 鳴り響く過重警報。


 角度は毎秒一一・一度ずつ引きあがるように設定する。


 角度の上昇速度を確認すると、頭を下げる。頭の高さをなるべく心臓に近くして、脳に血液が流れる様にするためだ。


 それでも視界が霞む。


 足が痛い。


 耐Gスーツが締め上げるが、それでもあちこちで毛細血管が破裂する。


 この際、かかる加速度(いわゆるG)は8+sinθ。(遠心力による重力加速度を八に設定している)


 訓練を受けたパイロットでも長時間耐えるのは難しい。


 くるしい、息ができない。


 薄れる視界。


 徐々に暗くなってくる。


 旋回時間は後五びょう。


 もうすこし……大丈夫だ。だいじょうぶなはずだ……


 耐Gスーツをきているなら、もうすこし――


 あと、三秒……二びょう……いちびょう――


 水平。高度一八五。速度マッハ一・三。


 それを確認したところで、俺の意識はなくなった。


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