3.2 対峙
四月二七日 一六一五時 統合術科学校鹿島臨海飛行場
小型トラック(いわゆるジープ)に乗り、後に自衛軍の装甲車の集団を引き連れた俺たちは飛行場に向っていた。
この学校は飛行場もあれば演習場もある広大な学校だ。
当然にして、移動は自転車やバス、ないしは自動車を利用する。
「それにしても、純太郎が免許取っていたとは意外ね」
フロントガラス左上への提示を義務付けられている免許証を眺める茜が呟く。
「機兵だから必要ないが、車運転してみたくて入学してすぐに取った。もっとも、校内でしか通用しないから資格として取る価値は無いと思うけどね」
「一八歳になったら書類手続きだけで正規の免許証になるんだから良い判断だと思うわ」
「車に乗る機会は無いと思うんだけどなぁ。にしても、コレ着ていると狭くてクラッチ踏みづらい」
ガコンッ
速度を入れ替える度に車体を揺らす。
最近は自動変速機構を採用し、アクセルとブレーキだけで速度制御が出来る車もあるみたいだが、この学校が導入する気配はない。
「そういえば茜、一つ聞きたいんだが鳴狐の訓練の時、電池の入れ替えは行ったか?」
「起爆用電源の事?一二ボルトのバッテリーなら二つ、射撃直前に入れるって習ったけど。それだけよ」
「やっぱりか……」
思わずつぶやく。
予想が当たっていれば、の話だが。
「何か気になるの?」
「ああ。確かにこの学校に本物の鳴狐が存在する事は否定できないが、多分鳴狐は動かない」
「どうして?」
驚いたように(ヘルメットをしているので表情は見えないが)こちらを振り向く。
「日本の核爆弾は、米ソの初期の原爆や核砲弾と違って、全て爆縮式を採用している。これは臨界量未満のプルトニウムを中心とその周りに配置し、特殊な火薬によって周囲に配置したプルトニウムをナノ秒単位の高精度な誤差で中央のプルトニウムに衝突させ、効率の良い核分裂反応を実現する起爆方法だ。これは日本ではYN理論。米国とソ連ではそれぞれZND理論とゼルドビッチ理論と言われていて、先行する衝撃波を不連続面として扱い、双曲型偏微分方程式でこれれの近似式の解を出そうとすると特異点で解が発散してしまう問題を……」
「で、結論は?」
「……ああ。つまり鳴狐の起爆には発射直前に入れるバッテリー以外にもう一つ高電圧を発生させるバッテリーが必要って事なんだ。で、これは内蔵されたオイルコンデンサが発生させるんだけど、このコンデンサは十数年で自己放電をしてしまうから一度完全分解(オーバーホール)して取り変える必要がああるが、それはある程度専門的な知識が求められる事だ。難しくはないだろうが素人が直ぐに出来る事でもない」
「つまり、あの鳴狐は仮に本物だとしても爆発はしないという事?」
「多分そう。確証はないけど」
「工学的な見解は十分な判断材料よ」
「そうか、ならよかった」
「そうだ、純太郎。私も伝えておきたい事がある」
「なんだ?」
「何か変な動きがあったら、すぐに逃げて」
抽象的な指示だ。
「その、意味が分からないんだが」
「考えてみて。何で重要人物の誘導にこんなつい最近問題に絡まれたばかりの、しかも一人は内通者の疑いをもたれている人間を差し向けるの? 防御力が欲しいなら四六型でいいし、それでも不安なら装甲車なり歩兵戦闘車で行けばいい。なのに何で『防護力の高い機兵』をつけた私たちをつけていくの?」
「人でが足りなかったのか?」
「ちがうわ、多分、書記長閣下は私たちを信用していないのよ。多分泳がせるつもりよ」
「泳がせるって、どういう事だ?」
「多分、同行を逐一観測して変な動きがあったらすかさず私たちを攻撃するんだと思う。さすがに会談中とかにはやらないと思うけど、例えば今車に乗っている最中に向こうと通信を試みようとしたらこの車ごと爆破されるかもしれないわ」
「ずいぶんと酷い扱いだな」
他人事のように答える。
その実感が湧かなかった。
「そう。多分だけど」
流石、本格的な軍事教練を受けているだけの事はあるのだろう。
的確な戦況分析だ。
「しっかし、だとしたら一石二鳥だな。公安委員の生徒を危険に晒す事がなく、おまけに反乱分子を排除できる」
「そう。合理的なね。だから……多分会えなくなっちゃうかもしれない」
「なんだそれ」
そういっている合間にも俺たちは飛行場に入る。
てっきり戦車部隊でも配備しているのかと思ったが、兵員輸送に使われたと思われる歩兵戦闘車が数両とトラック車数台だけであった。
事前に指示された整備場の前で停車する。
周囲には整備を終えた戦闘機や攻撃機、超音速偵察機までもが駐機してある。
スクランブルがかかっているからであろう。
同時に周囲を公安委員会の生徒たちに囲まれる。
銃口は向けていない。されど、全員重武装の機兵だ。
同時に、奥から一台の黒塗りの車が来る。
ハンドルを切った時の車体の沈み具合からして重量は一般車と比較し極めて重い。恐らく防弾車だ。
「純太郎、降りるわよ。書記長閣下がおいでになられたわ」
「おう」
後に載せていた銃を担ぐと、外に出た。
会談は航空機整備場の中で行われた。
用意されたテーブルを挟んで睨み合う両者。
俺と茜も例外ではなく、銃の安全装置を解除したまま公安委員会の生徒と共に整列する。
工業地帯から舞った塵がレイリー散乱を発生させ、高周波の光が散乱し、透過した赤色の波長の光が双方の顔を照らす。
「それじゃぁ……雪江ちゃんの意見を聞かせてもらおうかしら?」
名前を呼ばれた瞬間、顔をしかめながらも口を開く。
「我々の要求は変わらない。
一. 現在学校を包囲している自衛軍に対し、武装解除の上撤退させる命令の発令。
二. 全日本警察公安部は現在南條雪江及び南條夏美に発付されている逮捕状を取り下げの上、発付に至った経緯の公表。
三. 菅原真紀子高等監察官は本事件及び一九六九年六月八日に発生した交通事故と称されている事件に関し、事実の公表。
この三つだ」
「じゃぁ、反論させてもらうわ」
赤い手提鞄から書類を取り出すと雪江先輩に向けて提示する。
「先ず、現在配備している陸上自衛軍は私の護衛なの。その書類は軍令部から発付済みよ。だから、あの部隊は私がいる場所にいるだけの。包囲とかそんなんじゃないわ」
途端、委員会の生徒たちが目を見開く。
「累計一個大隊規模の戦力を一人の護衛だと? あり得ない。どうしたらそんな命令書を……」
「そんな物は払っていないわ。その他も、六九年六月八日に起きた事故は交通事故として裁判所が判断しているから交通事故以上の事実はなく、逮捕状は裁判所が発付しているから法治国家として、テロリストに屈して変える事は出来ないのよ」
途端、机を叩く音が轟く。
「本校の書記長がテロリストだと? 愚弄も大概にしろ!」
強羅公安委員長だ。
「あら、強羅君。私は嘘偽りを述べていないわ。逮捕状が出ている以上、現在この学校の書記長は効力を凍結している状態。よって、内閣府より臨時に命じられた学校長が本校の全権を一任される。そしてこれがそれ」
もう一枚の書類を提示する。
〈任命
発 内閣府統合術科学校教育委員会
宛 防衛省軍令部情報調査機構 菅原真紀子高等監察官
右の者を、政立統合術科学校学校長代理に任命す
昭和四九年四月二七日〉
「既に手を廻していただと。ならば……ならば何故貴女はこの学校を! そこまでの権力を持っていながら、何故この学校を手に入れようとする!」
「……学校長権限を持つ者として、生徒のみなさんに命じます。南條雪江、南條夏美の両名を確保してください」
その場が静まり返った。
確かに、現在本校で最上位の指揮権を持つ人間は、この菅原高等監察官だ。しかし、これほど無茶苦茶な要求に応じる筈がない。そのはずだ……
「了解です」
応答が聞こえた。
隣から、応答が聞こえた。
茜が、応答した。
「茜? お前、従うのか⁉」
「純太郎。この任命書を見た時点で、私たちの上官は南條書記長ではなく、菅原高等監察管になったのよ。兵士が上官に従う事に何か問題があるの? 純太郎も手伝って」
「茜……どうして……それにさっき言っていたじゃないか。これは俺たちを……」
俺が言い終わる前に、銃を構え、雪江先輩に近づく。
「矢倉! 貴様、仲間を裏切るつもりか!」
「裏切り物は始末しろ!」
「この恩知らずが! 銃を捨てろ!」
「書記長! 射殺許可を!」
目の色を変えた生徒たちの罵声が飛び交う。
しかし、茜に動揺の気配は見せず、ゆっくりを構えていた小銃の銃口を雪江先輩に向ける。
「雪江先輩。投降をお願いします」
その言葉を聞いた途端、かすかに笑った。
「ふざけるな!」
一人の生徒が飛び出し、茜の銃を抑えようとした。
しかし、茜はそれをいとも簡単にかわすと、後頭部、ヘルメットでおおわれていない部分を銃床で殴った。
ゴッ
鈍い音。
同時に、その生徒は倒れる。
脳震盪で気絶したのだろう。無力化を確認した茜は、再び小銃を構える。
「矢倉、最後に一つ聞きたい。貴様は、我々の敵なのか? それとも理想的な兵士なのか?
私は今の今まで貴様があの機関の手先であると思っていたが、同時に貴様がそうであると決定付ける証拠を見つける事は出来なかった。ならばもう一つ答えが出る。
貴様が理想的な兵士であるという事だ」
理想的な兵士?
つまり、理論値に近似した存在ではなく、理論値そのものという事か?
そんなのはあり得ない。比喩的表現? いや、しかし言葉の通りなのかもしれない。
「どちらか二者を択一するのなら、私は後者であります。書記長閣下が自分の上官であるのなら、私は喜んでその命令に従います。否、現在の上官は高等監察官閣下であり、自分はその命令に従います」
「それが、自分の命を捨て、仲間を裏切る事になってもか?」
「仲間の命は自分の命より優先される事柄です。しかしながら、命令は、仲間の命より優先される事柄です。たとえ、重武装の敵を前に、小銃の携行許可さえ下りなくとも、いくつもの仲間の命を消そうとも、護衛対象を死なせようとも、我々は、命令に従わなければならないのです!」
整備場に、声が反響した。
その言葉が、一六歳の少女の言葉だとは思えなかった。
ましてや、つい最近まで共に学校に通っていた友人の言葉だとは思えなかった。
「そうか。完璧だな。しかし、完璧ならば、貴様は我々の敵だ。いいかね?」
茜は黙ってうなずいた。
「そうか。ならば……やれ」
瞬間、目の前から茜の姿が消えた。
コンクリートに叩きつけられる鈍い音。
数秒の合間をおいて、鈍い銃声が聞こえた。
「配備していた二〇ミリ自動砲による長距離狙撃だ。装甲車ですら防げまい。
今ここに宣戦しよう。菅原真紀子。投降しろ。さもなくば……」
言葉を遮る様に、轟音が轟いた。
金属とコンクリートが叩きつけ合う音。
その音源には、倒れた機兵がいた。
公安委員会の生徒が着ていた機兵だ。
蒼白した顔。
窪んだ腹部装甲から血を流している。
先ほどの弾丸?
いや、それは茜に……
「どうやら、跳弾したみたいね」
倒れていた茜が何事もなかったかの様に立ち上がった。
厳密に言えば違う。
右側胸部……脇の下辺りの塗装が剥げ、微かながらにヒビ割れが目視で確認できた。
そしてその下には黒色の装甲が姿を現している。
やはり、金属を使っている訳ではないようだ。
「馬鹿な……二〇ミリの直撃だぞ! 人間が、機兵が耐えられるわけが……」
「これを敵武装勢力による一方的な先制攻撃と判断。上官の護衛を最優先と判断。防衛措置に移ります」
宣言を行うと、腰につけていた円筒形の物体のピンを抜き、地面に投げ落とす。
「しゅっ手榴弾だ!」
生徒の叫び声。
いや違う。
形状と色で一発で出来る。
レバーが外れてから三秒後、それは白煙を噴出した。
「総員後退! 後方に出て陣形を立て直せ」
「衛生兵! 至急こいつの手当を行え!」
「戦車部隊が来るぞ! 対戦車部隊を前に出せ。一〇五ミリじゃなくてもいい。七五ミリだろうが五七ミリだろうがなんでも出せ!」
「格納庫から一二七ミリ高射砲を出せ。直接照準で射撃しろ」
視界が遮られている中で指示が飛び交い、退散する音が聞こえる。
茜の気配はもうなく、俺は取り残される。
どうすれば……
周囲の状況から自分のすべき事を判断しようと思ったが、何もできない。
何をすればいいのかが分らない。
そもそも、俺はどちらの味方に付けばいいのかすら分らなかった。
茜は公安警察の味方で、学校は公安警察と対峙している。これしか分らない。
俺としては茜を助けに行きたいが、学校に敵対するのも避けたい。
待て、助けに行くとはどういう事だ?
茜のしている事はこの学校生徒の立場からしたら間違っている。しかしながら、それは命令に従っただけの事であり、その観点から見ると学校の全校生徒が行っている事が間違っている事になる。
ん? なんだかまた分らない問題に直面してしまった。
この際、助けるという言葉は不当なのか?
あえて表現するならば説得? 校正? 洗脳?
どれが適当な言葉かわからない。
「死にたいの?」
茫然と立ち尽くしていた俺に声がかけられた。
前を見ると、晴れ始めた煙の中に、テルラさんがいた。
白銀の髪をヘルメットで覆い隠し、青い目の周りに迷彩ペイントを施した姿。
迷彩服の上には装甲を取り外した機兵を取り付けており、背中には二メートル程の長さのある一五式自動砲が背負われている。
「藤本純太郎は、死にたいの?」
再び問いかける。
「えっ……それは嫌だ」
何を問われているのか分らなかった。
しかし、その答えを聞いた瞬間、ベストを掴まれ、引っ張られた。
「ちょっと、テルラさん」
突然の事に動揺したが、テルラさんはそれでも引っ張り続けると、煙の中から現れた小型トラックの助手席に俺を乗せる。
あらゆる所に擬装が施されており、荷台にはギリースーツが乗せられている。
「もしかして、さっきの狙撃はテルラさんが……」
「つかまって」
唸りを上げるエンジン。
タコメーターがレッドゾーンに入った途端、衝撃が全身に走る。
タイヤは高周波の悲鳴を上げながら空転し、小さな車体は大きな加速度を得る。
時間に比例した速度を得た小型トラックは煙の中を出た。
同時に、フロントガラスの向こうに車列が見える。
横隊を組んだ戦車中隊。
後方に装甲車を引き連れ、滑走路に向かって一直線に突き進んでくる。
「なんで……休戦中じゃなかったのかよ」
「君が遅すぎた。みんな既に行動を起こした。それだけ。
右ハンドル」
直後、戦車の車列が横に傾き再びタイヤが悲鳴を上げる。
急激なハンドル操作。
同時に戦車の主砲の隣に搭載された同軸機関銃が火を噴く。
一直線上にはじけ飛ぶコンクリート。
フロントガラスにヒビが入る。
しかし、テルラさんの表情は一切変わらない。
「休戦状態は、我々……いや、私の撃った一撃で破棄された。それだけ」
私の撃った一撃……という事は、やはりあの一撃はテルラさんが撃ったのか。着弾と銃声の差から推定して七〇〇メートルレンジでの狙撃。
一撃でその距離から一撃決めたとなると狙撃兵科にいてもおかしくはない腕だ。
「スモーク注意」
同時に車載の発煙弾が発射され、後方が煙に包まれる。
止む銃撃。
ようやく普通の運転に戻り、飛行場のエプロンを学校側へ進む。
「藤本純太郎。もしかして、君は核兵器工学の講義を受けた事がる?」
唐突に質問が投げかけられた。
「ない。でも資料館に所蔵してある機密指定の本と論文は読んだ事がある。等級低いから高機密指定の書物は読んだ事ないけど」
殆ど反射的に回答した。
あまりに唐突な事が発生しすぎて、俺から考えるという能力が一時的に欠如しているのかもしれない。
「鳴狐の起爆方式」
「インプローション。そもそもこの国にガンバレル方式は存在しない」
「使用核物質」
「純度九四%以上のプルトニウム239を五一〇〇g 。機密指定事項」
「炸薬量」
「爆縮用に燃焼速度の違う二種類の爆薬を合計八九〇〇g。機密指定事項」
「電源」
「制御用一二Vアルカリ電池及び起爆用五〇〇〇Vオイルコンデンサ。後者は機密指定事項」
「核出力」
「一〇tから一kt。最小出力に関しては機密指定事項」
「お疲れ様」
淡々と繰り返される言葉のキャッチボール。
思わず反射で答えてしまったが、間違えた事を言っていないのだろうか?
「ならば、もう、彼女には言ったのね?」
「茜の事か? 何を?」
「鳴狐が稼働できるか否かについて」
「推測なら言ったけど、でも実際は見てみなきゃ……」
「schlechteste…技術者ってなんでこうも馬鹿なの?」
運転するテルラさんの横顔が歪む。
「えっ?」
「なんでもない。とりあえず、君を委員会棟まで連れて行く。君はそこで命令をまって。それだけ伝えておく」
「わかった……」
車は一路、委員会棟に向かった。
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