2.11 交渉

四月二七日 一四四五時(二〇分前) 第一委員会棟中央委員会委員長室




 静かな委員長室で、雪江はいつものように書類の整理に追われていた。


 観閲式典前という事もあり、書類の量は膨大であったが、それもあらかたは片付いており、残るは来賓関連の書類程度となっていた。


「お姉さま、どうぞ」


 デスクの上に紅茶が置かれた。


 ほのかに湯気を立たせるレモンティーだ。


「夏美、ありがとう」


 書類を手元に置くと紅茶をすする。


 その時、扉がノックされた。


「入れ」


「失礼します。警備を要請していました霞ヶ浦所属第二八機兵大隊が到着しました」


 委員長室に響いたその声に、雪江は眉をしかめた。


「機兵大隊だと? 歩兵中隊じゃなかったのか?」


「はい。書類にはそうなっておりますが、到着したのは一個大隊でした。大隊長と公安の方がお見えになられており、現在応接室でお待ちしています」


「物騒だな。警備とはまた違った様子だな。ちょっと待ってくれ」


 デスクに置かれた電話を手に取ると、内線電話を掛ける。


「中央委員会の南條だ。レーダーにいつもと違った機影は映っているか? 霞ヶ浦の方だ。

 何? 木更津もか?

 そうか。機種は?

 分った、ありがとう」


 一度受話器を置くと再び受話器を取り、赤色のボタンを押す。


「中央委員会の南條だ。スクランブルを命令する。

 戦闘機及び偵察ヘリを出し、学校に接近する軍用機及び地上部隊を監視しろ。

 攻撃隊は対地装備のまま出撃待機」


「夏美、行くぞ。

 あと君、公安の強羅君と内務委員会警務科の堀内君を呼んでくれ。至急だ」


「了解しました」


 残りの紅茶を飲み干すと、手元にあった書類を引き出しにしまい、席を立つ。


「はいっ、そのっ、今のは……」


「保険だ」


「――わかりました」


 二人は部屋を出た。






四月二七日 一四五五時 第一委員会棟第一応接室




「中央委員会書記長及以下四名、失礼します」


 応接室には、四人の大人がいた。


 椅子に座っているのは二人。


 一人はメガネをかけた背広姿の男で、もう一人は女だった。


 その背後では背広姿の男が二名いる。


 一瞬、雪江は想像していたのより人数が少なかった事を案じた。しかし、満面の笑みで待ち受けていた女の顔を見た途端、唇がきつく締まる。


「雪江ちゃん、夏美ちゃん。久しぶりっ」


 菅原はその真っ赤な唇を動かすと、座席を立ち上がり、雪江に歩み寄る。


「自衛軍の方はお越しになられていないようですね。それより、高等監察官閣下。何故、このような場におられるのですか?」


「あら、驚いちゃった? でも、今日はもうちょっと驚くものを持ってきたから。さぁ、座って」


 雪江と夏美がテーブルを挟んで反対側に座り、その後ろに強羅と堀内が立つ。


「えっとじゃぁ、杉内さん。お願いね」


 菅原が隣に座るメガネをかけた男に声を掛ける。


 男は、鞄から一枚の書類を取り出した。


「えーっ私は全日本警察公安部の杉内と申します。本日は南條雪江さん及び、南條夏美さんの両名に、逮捕状を持ってまいりました」


 その紙をテーブルに置く。


 紙には〈逮捕状〉の文字が大きく書かれている。当然だが正式なものだ。


「ほう。私と夏美に逮捕状ですか。罪状は?」


 一切の動揺する素振りも見せず、質問をした。


「統合術科学校の中央委員会委員長の代理という、絶大な権力を利用し、日本政府に対し攻撃の準備をしようとした社会反逆罪。及び、原子炉の再稼働に必要であると称し、大量のウランを購入した原子力規制法違反。及び、ソ連系工作員に対し、本校の警備状況を漏洩させ、潜水艦その他多数の機密情報を奪取させた安全情報保護法違反となっております。詳細は、署で」


「フンッ」


 話を聞き終わった雪江は、鼻で笑った。


「どれも出鱈目な容疑だな。よく裁判所が発付したな。いくら払った?」


「君、失礼にも程があるぞ。これはれっきとした逮捕状なのだぞ」


 杉内の目つきが変わる。


「裁判の前に不起訴となると思いますがね。それで、何が目的ですか? 不起訴処分となる事をわかって逮捕状を取って。時間が欲しいのですか? アレが海上自衛軍に渡る前に。どちらにせよ、私利私欲の為にこれほどの公的機関を利用するとは度が過ぎている。この売国奴が!」


 バンッ!


 声を荒げると同時に机を叩いた。


 その音に、夏美だけは体を震えさせたが、その他の者は微動もしない。


 雪江は息を荒げるが、それは全て演技であった。

この程度の事は、雪江にとって想定の範囲内でしかなく、感情的になっているのは探りを入れている事に過ぎない。


(おかしい。何故、私を逮捕するのに、たった四人なんだ?)


「口が過ぎるぞ南條君。君の叔母上は内調の高等監察官なのだぞ。一介の生徒に過ぎない君が売国奴と罵れる立場ではない! それに君は逮捕状の出ている容疑者なのだぞ!」


「いいのよ。それで、雪江ちゃん。雪江ちゃんが私の事をいくら売国奴と言っても構わないわ。でも、ちょっとだけ警察署についてきてくれない? ほんの数日でまた元通り学校に帰れるわ」


 公安の男をなだめるように菅原が言う。そして、おとなしく従えと言うかの如くその巨大な瞳を雪江に向けた。


「拒否します。理由と致しましては、この逮捕状は私と夏美の両名に出された物ですが、その内容は我が校の委員会運営における作業に関するものであり、実質的に我が校に対する明瞭な自治権の侵犯行為に当たります。

我が校には、その自立性及び自治権を脅かされた場合、それに対抗する権利と義務があります。最悪の場合、中央委員会委員長代理の名において中央委員会より防衛措置を宣言します」


 冷淡に言い放つ。


「じゃぁ、一緒に来てくれないの?」


「当然であります。貴女も、こうなる事を見越してわざわざ一個機兵大隊を待機させているのではないですか?」


 その瞬間、杉内は視線を丸くし、驚いた表情で菅原に視線を向ける。


 どうやら杉内は何も知らなかったらしい。


 一方、菅原は杉内にはそんなのはお構いなしに雪江に話し始める。


「そうよねぇ……仕方がないわ。強硬措置を取りましょう。お願い」


「了解です」



 背後の男達が一斉に動き始めた。


 一人が手錠を取り、もう一人が拳銃を取り出す。


「これを、我が校に対する明瞭な自治権の侵犯行為と断定する。来い!」


 雪江の声と同時に扉が開いた。


 扉の向こうからは迷彩塗装の施された人影が飛び込んできた。


 ただ迷彩服を着ているのではない。機兵を着た生徒達だ。


 即座にテーブルを投げ飛ばし、合間に入ると短機関銃(サブマシンガン)を構え、別の生徒が四人を保護する。


「強羅、デフコン2を発令、及び特別区外周の警備。堀内、委員の招集と臨時司令部の設置。夏美、私と一緒に司令部に行くぞ」


「了解」


 同時に返事をした二人は一斉に部屋から駆け出す。


(こうなる事は全て予想がついた筈。なのに何故……)


「残念ね。本当は穏やかに行きたかったのに」


 些かの緊張感もまとわずに返答する菅原。その動向は、雪江の瞳には非常に不自然なものに見えたが、現在の状況がそれを掻き消した。


「菅原真紀子高等監察官、あんたはおとなしく投降しろ。丁度良い機会だ。あんたが母上に何をしたのか、教えてもらおう」


「そうよね。私もあの時の事はいつか話そうと思っていたわ。でも、もうちょっと待ってね」


 にこやかに答えた菅原は、スーツ姿の男から手渡された耳栓とゴーグルをつける。


「まさか……夏美、伏せろ!」


 その時、応接室の窓ガラスが粉々に砕けた。


 同時に窓辺から何かが室内に飛び込んでくる。


 雪江は夏美の襟を掴み、床に倒すとその上に覆いかぶさる。


 同時に機兵を着た生徒たちが防弾盾で回りを囲んだ。




  ――――――ッ……!




 突如として無音に感じる程の爆音と、周囲を白く染め上げる閃光が室内を満たした。


 防弾盾によって光線を直接見てなくとも、室内に充満した光と音は一瞬の内に無防備な聴覚と視覚を奪う。


(やられた)


 雪江も例外ではなく、視覚と聴覚という重要な神経を失う。


 しかしながら、床から伝わる振動で窓から何人もの人が入り込んでいる事は理解していた。


 視界が回復すると同時に立ち上がり、周囲を見渡す。


 応接室から四人は消え去っていた。


 逃走経路として考えられるのは開いたままの扉と、粉砕された窓。


 雪江たちは扉の付近にいるため、扉から逃げた可能性は低い。


(窓から逃げたか)


 床に転がった短機関銃を手に取り、窓際に駆け寄り、周囲一帯を見渡した。


 委員会棟前の広場。そこには、トラックが一台。そしてそれに乗り込む菅原の姿があった。


 周囲を数名の軍服姿の男が囲っている。


 姿を見るなり反射的に銃を構え、照星の先に菅原の頭部を合わせる。


 安全装置を解除し、トリガーに指を掛けた。


 パァンッ!


 一発の銃声が鳴り響く。


 反動で視界が宙を舞い、後に体が傾く。


 体制を立て直す間もなく、そのまま床に倒れた。


「くっ……」


 一瞬の間を置いて、左腕に痛みが走る。


 目の前には、弾丸の発射されなかった短機関銃が転がり、それを覆うように血が広がっていた。


 雪江自身の血である事に間違いない。


(生徒相手に実弾とは……本気だな)


 血の吹き出す腕を見て、苦笑する。


 この程度の出血では命を落とさない事を理解していたためか、この状況下でも若干の余裕がある。


 しかし、そうではない者もいた。


「お姉さま!」


 耳に夏美の声が響き渡った。


 振り向くと、夏美がこちらに歩いてきている。


「ひどい! なんて事を……私のお姉さまに……私のお姉さまに……」


 床を染める血を見て、細く白い足が震える。


 メガネの向こうの瞳は殺気を帯び、無我夢中で短機関銃を手に取ると、慣れない手つきで構えた。


「やめろっ!」


 口と同時に足が出た。


 その細い脚を蹴り飛ばすと、華奢な夏美の体はいとも簡単に床に倒れる。


 反動でトリガーが引かれ、突発音と共に何発かが天井に打ち込まれた。


 内、何発かは外から飛来したもだ。


 薬莢の転がる音と、硝煙の臭いが室内に漂う。


「夏美、大丈夫だ。かすり傷程度だ。安心しろ」


「ですが、お姉さまが……お姉さまが……」


 血で手を滑らせながらも立ち上がろうとする。


「大丈夫だ。な? な?」


 夏美の傍まで這い寄ると、右手で抱きしめた。


 自分の妹の感触が、全身に染みわたる。


「安心しろ。私はどこにも行きはしない」


 ゆっくりと、頭を撫でる。


「うぅぅ……お姉さまのバカっ……」


 メガネの向こうに見える夏美の目は真っ赤に腫れていた。


「ごめんな。 よし、司令部に行こう。あそこなら安全だ」


 痛みを押し殺した笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がる。


 同時に、指の先から鮮血が滴り落ちた。


「書記長。安静にしてください。すぐさま医務班に応急措置を……」


「頼む。それ以外の者はすぐさま強羅と共に防衛線の構築を手伝え。


 今すぐにでも一個機兵大隊が進行してくる。


 恐らくは別働隊もいる。


 我々は、自主独立の為に防衛措置を行う!」


 雪江の声は、学校中に轟いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る